第二話「図書館に行こう」
「きりーつ。礼」
ばらばらの別れのあいさつが教室に満ちる。合わせる気なんて誰も持ち合わせていないのかもしれないと思いながら、カバンを肩に掛けた。
待ちに待った放課後がやってきた。県内において、偏差値の高い私立校ではあるけれど、授業は四十五分七限なので終わるのは四時過ぎ。そこから、部活動に精を出したり、勉強しに学習室に向かったり、帰宅部は街に繰り出したり。それぞれが行動し出す。
ちなみに、新興君は柔道部。ぼくと違って格好いいなあ、とつくづく思う。白の柔道着に黒い帯とかしているのだろうか。まあ、しているところは見たことがないのだけれど。いつかは見たい。
そんなことを考えながら、靴箱で靴を履き替え、いつもと違う方向に歩き出す。桜木さんのお孫さんがいる図書館は、校門と反対にある。ここから行くと遠いのだけれど、こればっかりはどうにもならないので黙々と足を進めた。
「オールファイオー、ファイ、オー、ファイ、オー、オールファイ――」
運動部の元気な声が耳に届く。なんとなく、心の中で敬礼。こんな小説あったよなあ。
グラウンド、体育館、柔道館の横を通ってしばらくすると、急に静かな場所に辿り着いた。体育館の角を曲がったら後は図書館まで一直線なため、ずっと前からその姿は捉えている。パンフレットでちらっと見たことがあったけれど、自分の目で見たのは初めてだ。
タッタッタ、とリズム良く雨が傘に落ちる。道の端を見やると、窪みに水溜りができていて輪が輪と重なり合ってゆく。朝から降り続いている雨はまだ、止みそうになかった。
図書館への道は花壇こそないが整備はされていた。赤茶色と薄い茶色のレンガが規則的に敷き詰められていて、結構可愛らしい感じ。横幅は五・六メートルくらいだろうか。
歩きを進めると、図書館を見上げなければ全体が見えない程に距離が縮まっていた。パンフレットに載っていたのを思い出したけれど、創立当初からあるらしい。桜ヶ丘学園は創立四十四年なので、図書館もそれだけ年月を重ねているのだろう。
玄関である、自動ドアの前に立つとすんなりと開いた。そのまま次のドアに向かう。ドアは開かなかった。
「え」
小さく声を漏らす。一つ目が開いたから、てっきり次のドアも開くと思ったのに。
「今日は開館しておりません」と書かれた紙を眺めてから、自動ドアの上にあるセンサーらしきものを見た。センサーらしきものは光を灯しておらず、反応する気がしない。
何となく辺りを見回すと、左方に引き戸式のドアがあった。そっちのドアの前に立ち、鞄を持っていない右手で取っ手を引くと、今度は開いた。その事実にほっとして、ポケットに手を入れる。桜木さんに渡された地図が書かれた紙切れだ。地図が書かれているのだけれど、わかりやす過ぎる。もしかしたら、隣にいた秘書さんが書いたのかもしれない。
そんな推測は頭の隅に置いておき、携帯電話の光で視界を明るくし、シンプルな地図を頼りにに館内を進んだ。
しかしながら、想像していたよりもボロくない。これは後で知ったのだけれど、図書館は三年前にリフォームしたらしい。上から見ると円形になっており、二階建て。湿気対策の為か吹き抜けがあって、シーリングファンがある。印象としてはかなり開放的で、図書館と言うより、植物園であった方が似合う気がする。けれど、こんな図書館もあっていいなあ。最近の若い人が活字離れしているから、あまり利用されていないのかもしれないと思うと、かなりもったいない。
地図に二重丸がされていたのは、自動ドアを基準として二階に上がり、右端にある本棚。そこには普通に本がぎっしりと入っている。携帯電話で照らすと、何冊か知っているタイトルを確認できた。
地図の注意書きには「それを押して下さい」とだけ書かれている。
押す? 本棚を?
疑問に思いながらも押してみると、ゆっくりと動いた。どうやら本棚の下にレールのようなものがあったようで、それに乗っかっていたようだ。
床にあった取っ手を腰を曲げて、携帯電話を咥え、下が見えるようにしながら引っ張ってみる。
「うう」
重くて、くぐもった呻き声が図書館に響いた。聞こえていたら怖いだろうけれど、たぶん今はぼくしかいない。
しばらくの戦いでやっと開くことができた。穴の中を照らすと、人一人がギリギリ入れるようなスペースだけで、それ以外は見えない。
「こわっ」
小さく言葉を溢した。地図の通りならここで間違いないはずなのだけれど、携帯電話の光では底までは確認できない。もしかしたら、底がかなり深いかもしれないと考えると、背中がぞわぞわしてきた。
でもまあ、行かないと始まらないしなあ。
はあ、と溜め息をつき、鞄を穴の近くに置いて携帯電話を再び口に咥えた。息をめいいっぱい吸い込み、穴に足を突っ込でストンと――
落ちていった。
「うわああああ!?」
真っ暗の穴に落ち続ける。どうしよう、死ぬ!!
しばらく落ち続けていると、下に光が見えた。
やった! でも、よくよく考えたら、今地面に着地したら絶対骨折する! というか死んじゃう!
ぎゅっと目を瞑った。あー、お父さんお母さん。こんなに若いながらも、もうそっちに行っちゃうかも。
「えっ」
何かがぼくの体を受け止めた。柔らかくもないし、硬くもない。目をゆっくり開けてみると、周りはカラフルなボールだらけ。デパートとかにある、子供が遊ぶやつだ。手のひらサイズのボールがぼくの体を受け止めてくれていた。
もはや戦友の気分である鞄と携帯電話を掴む。床が全く見えない程あるボールの中を一生懸命進むと、階段のようなものが見つかったのでそれを登る。やっとボールから開放された。
視線を巡らせると、本が視界一面にあった。本と本棚ばっかり。茶色系統の本棚に色鮮やかな背表紙がよいコントラストとなっている。壁には、ぼく二人分くらいの高さがある本棚が設置されており、二階のようなところもあるようだ。手すりがこちらから見えていて、その先には同じように本棚が置かれている。
名付けるとするならば、「本の館」? ……シンプルすぎるなあ。
広さは図書館と同じくらい。下に落ちてきたことから考えると、ここは地下だということがわかる。こんなところに、お孫さんはいるのだろうか。
とりあえずは探してみようと思い、足を動かすと、腰に積み上げられた本が当たってしまった。どうやら、五十架くらいありそうな本棚だけでは仕舞い切れず、無造作に床へ積み上げているようだ。殆ど床が見えず、足の踏み場が全くない。
置かれている場所も高さも全く規則性がない、積み上げられた本たちを倒さないようにゆっくりと前に進んだ。もっとも、ぼくにとっての『前』は前ではない可能性があるのだけれど、しかしどうやら、正解だったようで。
女の子が二倍くらいの背凭れがある椅子に座っていた。
「あ」
何故か、口が動いた。
彼女の白すぎる肌が、周りの景色さえも白く染め上げていってしまう。無意識に息を呑んだ。薄く桜色に染まった唇。長い、踝くらいまであるであろう上下が繋がっているタイプの白いワンピースから、小さな素足が覗いていた。ピンク色のカーディガンを六月にも関わらず羽織っており、それが更に御嬢様感を醸し出している
彼女は裾が長いから許される、際どい姿勢(体育座り)で椅子に座っていた。腰くらいまでありそうな黒髪を自然に流していて、それがまたいい。
しばらくその、神秘的な――幻想的な存在に思える彼女を見つめていた。どのくらい経ったかはわからないが、やっと、
「あの」
と声をかけることができた。しかし、彼女からの返事はない。もしかしたら、声が小さくて聞こえていなかったのかもしれない。
「ぼく、おじいさんに聞いてここにきたんだけど」
今度ははっきりと、耳に届くようにボリュームを上げた。
「……」
あ、あれ。もしかして、無視されてる?
「あの――」
「今、何をいっても、その子には届かないですよ」
少し落ち込み気味のぼくの声に、別の声が重ねられた。その声のした方に顔を向ける。
「誰ですか」
「それはこっちの台詞ではないでしょうか、竜也君」
そこに立っていたのは、黒縁の眼鏡を掛けた男性だった。「男性」と一括りにするのはおかしいかも知れない。ぼくの目の前にいる人は見た目的には、どちらかといえば、「青年」に近かった。
深い茶色の髪は短くもなく長くもなく、顔も整っていて、イケメンといわれそうな感じだ。けれど落ち着きがあって、そこが「男性」と表せる部分だ。着ている服も、カーキ色のズボンに白のポロシャツと、何となくイケメンにしか似合わなさそうなコーディネート。少なくても、ぼくには似合わないだろう。
「なんでぼくの名前を知っているんですか?」
男性は両手で抱えるようにして持っていた大きなダンボールを床に置いて、
「これは失礼。私の名前はミナミマコトです。数字の『三』に、並盛の『並』。善良の『良』と書いて、三並良」
聞いてもいないのに、勝手に自己紹介を始めた。なんだこの人。