第一話「校長先生からの願い」
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六月上旬。この時期らしく雨が降っていた。湿度が高く、じめじめしているけれど、ぼくはこの時期が嫌いではない。雨の日は部屋がいつもよりも静かに思えるから。本の虫であるぼくにとって、こんなに本の世界にのめり込めるのは、とても幸せな時間だ。
「おーい、竜也。一緒に食べようぜ」
「いいよ」
前の席の人に机を借りていいか許可をもらう。昼食を一緒に食べる仲の新興莅君は当たり前のように机を、ぼくの机に向き合うように引っ付けた。
一見怖そうな、睨みつけるような目は父親譲りで直らないらしい。眼鏡をかけているところをからすると、目が悪くて小さい頃に細め過ぎたのではないかとも思ったけれど、違うそうだ。
「数学のワーク二日後提出とか、ふざけてないか? あの教師」
新興君は明らかに怒っている様子で、眉間に皺を寄せていた。
の今日の昼食は、チョココロネとグレープフレーツジュース。絶対合わない。しかも、その異常な組み合わせは今日だけではないのだ。一体全体、どんな舌をしているんだろう。
以前、親子丼とレモン味の炭酸と言う組み合わせのときに聞いてみたことがある。
「それ、美味しいの?」
「はあ? 最高に決まってるだろ」
新興君は「当然」というような表情を浮かべられてしまった。まあ、炭酸水は美容に良いとかは聞いたことあるしなあ……。うーん、やっぱりぼくには理解できない。
「まあ、ぼくはもう終わったしね」
「さっき範囲終わったところじゃねーか」
「問題解き終わったらやったんだよ」
「天才だな」
「何でそうなるの?」
弁当を突きながら、いつもの世間話をする。今日は卵焼きの味付けが完璧。
ピンポンパンポーン
放送開始のチャイムが流れた。さっきまでのざわざわしていたのが一転、物凄く静かになる。全員が放送を聞くことに集中していた。
『二年A組、神宥竜也。今すぐ、一階の学園長室に来なさい。繰り返す……』
自分のことじゃなかったという安心感からか、またざわめきが戻ってくる。
「お前、なんかしたのか?」
新興君はビニール袋から食パンを取り出した。味の濃さ的にチョココロネの前に食べた方がいいと思うんだけどなあ。
「いや?」
「まあいいや。早く行ってこい」
「うん」
何故呼ばれたのか不思議に思いながら、廊下を早歩きで進んだ。
コンコン、と扉をノックすると気持ちが良い音が鳴った。高そうな木だと音の響きとかが違うのかもしれない。
「どうぞ」
返事を聞いて、重い扉を開ける。緊張が頂点に達し、変な汗までかいてきた。
部屋に入って一番最初に目を引いたのは、大きな木の机。木目が美しく、いかにも高そうなのに、大きさが教室にある机三脚分くらいだ。扇状になっており、座ると両脇にも机がある感じ。
他にも目を見やると、家具が全て木で統一されていた。天然なのか、人工なのかは見分けがつかないけれど、木のいい匂いがする。本棚には書類らしきものが入っていて、棚には数々の部活などでもらったであろうトロフィーやメダル等が飾られていた。違う棚には来客用と思われるティーカップなどが置かれている。一緒にある茶葉の缶も、デパートでもあまり見たことないような高級感が漂っていた。
「なんだか恥ずかしいわ。わい好みにしてるから」
ゴテゴテの関西弁だ。イントネーションが標準語と全く異なっている。
「あっ、すみません」
珍しげにじろじろ見てしまったことを恥じた。頬が少し赤くなるのを感じる。
「君が神宥君かのう」
胸くらいまである長い白髭を触って、こちらを見ている。
「え、あ、はい」
学園長は無言でぼくを眺めていた。
「あの、用件はなんでしょうか」
「ヒッヒッヒ、そんなに固まらんでいいのじゃよ?」
どうやら、まだ緊張は解けていないみたいだ。
「まあ、『いつものように』話してくれればいい。そこにおるのもお前さんのことは知っとるし」
笑みを浮かべて、学園長は隣に立っている女性に目を向けた。女性は黒くてシンプルなスーツを着て、茶髪をお団子にして眼鏡を掛けている。それはもう、『真面目』としかいい表せないくらいにぴしっとされていた。
「いやあ、堅い子でねえ。笑った顔を一度も見たことがないんやけど、真面目でいい子なんじゃ」
「……知っているんだったらなんで、今のくだりしたんですか」
「してみたかったから?」
学園長は「ヒッヒッヒ」と笑った。かなり特徴的な笑い方だと思う。
女性(仮に秘書さん)はクスリともニコリともせず、ただひたすらぼくを真っ直ぐ見つめていた。その目は、ぼくの中のなにかを見抜こうとしているような目でもありそうだし、ただ単に見ているだけのようにも思えた。
「そうですか。では用件はなんでしょうか」
「お前さんは昔っから変わらんなあ。まあいいわ。ちょっとこっちに寄ってはくれんか」
そう促されてから、まだ入ってから一歩も動いていないことに気付き、足を進める。
机まで二メートルといったくらいの距離まで近づくと、学園長は口を開いた。
「わいに孫がいることは知っとるか?」
「え、いや……」
「まだ話しておらんかったか。まあいいわ、実は一人だけおるんじゃよ。本当に可愛い孫じゃ」
愛おしいようにまた、髭を撫でる。
「その孫は丁度、お前さんと同い年」
「そうなんですか」
「その可愛い孫のことで相談があるんじゃ」
桜木さんは真剣な顔つきになった。ぼくもそれに釣られて背筋がピンと伸びた。
「何でしょう」
「“引きこもり”の孫を、社会に適合できるようにしてほしいんじゃ」
……は?
“引きこもり”? 今流行の、HIKIKOMORI? えっと……。
「どうしてぼく?」
敬語を忘れるくらいに驚いていた。この人はなにを口走っているのだろうか。
ぼくは生まれたときに母と父をなくし、兄妹もいない。親戚とも連絡が取れず、生まれて僅か一時間程で天涯孤独、と呼ばれるものになった。
そんなぼくを引き取ってくれたのが、目の前にいる桜ヶ丘学園学園長の桜木義朗さんだ。日本で有名な教育一家の現当主であり、多数の学校や教科書会社を経営・協力している。小さい頃に聞いたのだけれど、ぼくのお父さんが桜木さんの学校で教師をしていたらしい。かなり親しかったようで、ぼくの引き取り手がいないということを耳にして、真っ先に引き取ることをかってでてくれたそうだ。
恩は一生懸かってでも、返せそうにないと思っている。
「いやあ。結構手は打ったんじゃが、ちっとも外に出てくれる雰囲気がなくてのう」
なんか、真剣なムードが一気になくなった。肩の力が抜ける。
「はあ」
質問の答えになってなくないですか、それ。
「高校入ったし、さすがにヤバイかなって。色々なエキスパートを送り込んだんじゃが、殆どが泣いて辞令を――」
「どんなお孫さんですか?!」
「可愛い孫じゃよ」
いやいやいや、そんなにきょとんとした顔されても! ていうか、なんで「ヤバイ」とか知ってるの?! お年寄りの中で流行り始めたのか?
「流石に二十人目で気づいたんじゃ。同年代じゃないから心を開かないのではないかと」
「大人だったんですか?!」
まあ、辞令を出すってことは大人以外はないと思うけれど! 大きな人と書くあの「大人」が泣いて辞令を出しにきたっていわれて、「ぼく頑張ります」って自信を持っていえる訳がない。
驚きを隠せないぼくを見て、再度桜木さんは
「お願いできないかのう。できる限りわいも、手伝いはするつもりじゃ」
と頼んできた。
できることなら断りたいけど、少しでも恩を返すチャンスでもあるし……。
「や、やります」
「それは良かった。孫は図書館の地下におるから会いに行ってくれ」
桜木さんは安堵した様子で、ポケットをごそごそ探りだした。
ん? 地下? 図書館に地下なんてあったっけなあ。
「わかりました」
「それじゃあ、これを渡しておこう」
ちょいちょい、と手でこっちにこいと合図をだされた。少し歩いて桜木さんに寄る。
「地図じゃ。地下に降りられるところが記されておる」
「ありがとうございます」
紙切れをポケットに入れ、ぼくは部屋を後にした。