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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

日本神話シリーズ

此の身は貴方の為に

作者: 八島えく

 私の役目は、雷神・建御雷を監視すること。

 彼が暴走しないように、血迷った行動に出ないように、常に目を光らせ見張る。それが、私の役目。

 

 私は、建御雷が、嫌いだ。憎い。


 どうしてなのかは、わからない。ただ漠然と、あの男のことを考えると苛々するのだ。

  

 あのふざけた面が笑うたび、私の心は重くなる。

 軽々しく私の名前を呼ぶたび、私は耳鳴りに悩まされる。

 ぶしつけに触れて来るたび、鳥肌が立つ。恐怖にではない。おぞましさ、けがらわしさのせいで。


 あれの存在自体が、私を怒らせる。苛つかせる。心を落ち着かなくさせる。

 

 あんな、わけのわからない外道のせいで、私がどうしてここまで嫌な思いをしなければならないのか。

 なんて理不尽。

 


「経津。……経津?」

 はっとした。我に返ると、兄でもあり同僚でもある鳥舟が、心配そうにこちらを見つめていた。

 高天原の、鳥舟の大きなお屋敷の、縁側。

 そうだった。私と鳥舟は、ここのお屋敷で寝泊まりしていて、今日は監視対象の建御雷がめずらしく高天原に留まっているから、久々に体を休めていたんだった。

 縁側で呑気に茶をすすりながら菓子をかじり、庭に植えた桜の花が散って緑生い茂っていくのを楽しんでいた。……はずだったのに、いつのまにからしくもなくぼーっとしていたらしかった。

「ああ、鳥舟。どうした?」

「いや、だからさ。建御雷のことなんだけど」

「……」

「あからさまに嫌そうな顔をするなっ」

 私よりもはるかに小さい『兄』は、むきになってそういう。おそらく、私は不機嫌極まりないような表情を一瞬にして作っていたのだろう。

「……で? あの鬼畜外道が何だって?」

「ここ最近、頻繁に地上に降りてるなって、それだけだよ。別に地上に降りるのは構わないんだけど、大国殿の御子息に危ないちょっかい出して、大国殿のお怒りに触れたらと思うと、こっちも気が休まらねえよなあ」

「そんなの、いつものことだ。いつも通り奴を蜂の巣にして、いつも通り大国殿を鎮める。ただそれだけだ。気が休まらないのは、鳥舟が大国殿を恐れているからだろう」

 

 そう。恐怖があるから、気が気ではなくなる。

 私は、そういう恐怖というものが薄い。恐怖を覚えないというわけではないのだけれど、『それ』が義務やら職務やらお役目であるというと、そちらの方に意識が行って、恐怖というものがだんだん弱くなっていく。鳥舟がいうところの「冷たい」ということなんだろう。

 始終仏頂面というわけでもない。相手を不快にさせない様、最低限の微笑は作れるし、相手が『それ』を望むならある程度の表情は浮かべることができる。鳥舟には、「おまえの作る笑顔は怖い」とよく言われる。私のことをよく理解していることばだ。


 それが、建御雷のこととなると、私は感情の制御がたちまち分からなくなっていく。

 無表情の決め込みかたが突然分からなくなり、義務やお役目であるという意識も吹っ飛ぶ。

 どうしてなのか、私には分からなかった。

 奴のことをひとかけらでも考えると、たちまち苛ついてくる。自分のことなのに、心が言うことを聞かない。

 

 この憎悪嫌悪苛つきは、なんなのだ?


「なあ、経津」

「なんだ、鳥舟」

「建御雷のことで悩んでる弟に、アニキの俺が一言助言してやろう」

「いらん」

「聞いて!」

「……冗談だ。聞くよ。苛ついてばかりでは、お役目に支障が出る。とっとと解決して心安らかになりたい」

「い、意外と素直……?」

 まあいいや、と鳥舟は一呼吸おいた。

「男同士の付き合いってのはな、拳で殴り合ってなんぼだ」

 胸を張って、鳥舟はそういった。


 正直に白状してやろう。兄の助言を真剣に聞こうとした私が馬鹿だった。そして鳥舟も馬鹿だ。


「おい、そこまでしらけなくたっていいだろ!」

「すまない、鳥舟。私は、鳥舟がここまで重症だったと気づかなかったなんて……」

「かわいそうなものを見るような目を向けるな!」

 とにかく、と鳥舟は切り返す。

「ほんとだぞ。言葉で尽くして解決しないなら、実力行使に走るのは世の道理だろ」

「それは否定しない」

「なら、どつきあいしばきあいもあながちはずれじゃないってことさ。おまえがいっぱい頭で考えて考えて悩んでも解決しないなら、いっそその気持ちを建御雷にぶつけりゃいいのさ。あいつにしてみりゃいい迷惑だろうけど」

「いい迷惑だと理解しておきながら、その迷惑を私にすすめるのか」

「だいじな兄のためなら、あいつだって多少の迷惑くらい気にせんだろうよ」

「誰が誰の兄だって?」

 聞くまでもない。私は、建御雷の兄でもあるのだ。それが気に入らない。

「経津。俺は真剣だぞ?」

「余計にたちがわるい」

「経津」

 急に、鳥舟の声が、低くなる。真剣になった証拠だ。


「おまえ、どうしてあいつを見てると苛々するか、その理由を考えたんだろう?」


 考えた。そして理解した。それを認めたくないだけで。


「ちゃんと、その気持ちと向き合いな」


 余計なお世話だ。

 私は、庭を通ってお屋敷を出た。



「建御雷」

 高天原のぼろ家。建御雷は、そこで寝泊まりしている。私や鳥舟が大きなお屋敷で優雅に暮らしているというのに、この男は同居をたくらむことがなかった。ずっとその壊れかけた家に住んでいる。

 ぼろ家の枯れた庭。広さだけが取り柄のその庭の隅っこで、建御雷はしゃがみこんで雑草を抜いていた。意外と律儀だ。

「あん? どうした、経津?」

 間抜けた声に我慢がならなくなって、自制せず、一本だけナイフを奴に向かって投げた。威嚇ではない。本気で当てに行った。

 建御雷は、それをあっさりかわした。

 よっこいせ、と気だるげに立ちあがって、ナイフを手中でくるくるいじり回す。

「危ないだろ。俺じゃなかったら刺さってたぞ」

「おまえだから本気で刺そうと思った」

「弟に対してなんつー危ない」

「うるさい」

 上着の内にしまっていたナイフを一本取る。逆手に持って、建御雷との距離を一気につめる。

 そう。鳥舟は殴り合いといった。

 また実力行使ともいった。刃物をちらつかせて物を言わせるのは、私の中では「実力行使」という言葉に何ら反さない。つまり問題ない。

 相手は軍神だ。ならば、私程度の攻撃など片手でかわせる程度には強いはずだ。……私は、その軍神を近くで見てきた。それはある意味での信頼だ。認めたくない感情だった。


「っ!!」

 歯を食いしばって、力任せに、ナイフを振り下ろす。建御雷は、それをひょいとかわす。私の後方に回り込む。私はそれを追って、またナイフを振り下ろす。

 ナイフを横に振り回す。それもかわされる。ナイフがいけないのかと考えて、蹴り飛ばそうとしてみるが、それもかわされる。

「おまえさあ」

「……!」

「怒り任せ力任せの攻撃が俺に通用すると思ってんのか?」

「っ、うるさい!!」

「おっとう」

「うるさいうるさい、うるさい!!」

 建御雷に指摘されると、直さなければという気持ちが消える。かえって怒りが増す。何も考えられなくなる。

 

 そうなるのも、おまえのせいだ。責任転嫁もいいとこだ、と自嘲する余裕さえない。


 いつもは死ぬほど冷たくなれるのに、この男を前にするとどうもうまくいかない。

 その理由は分かりきっていることだ。


「なあ。おまえ、俺に言いたいことでもあるのか?」


 間抜けな笑みで、建御雷は私にそうたずねてくる。

 言いたいこと? あるさ。言いたいことというよりは、聞きたいことだろうけれど。


 初めて、攻撃が当たった。がむしゃらに振り回したナイフが、わずかに、建御雷の前髪をかすったのだ。体勢を崩した建御雷は後ろへと崩れていく。

 頭に血が上っていたけれど、私はそれを見逃さずに、建御雷の肩を思い切り押し倒す。

 受身はとったのだろうが、建御雷は仰向けに倒れた。

 私は馬乗りになって、持っていたナイフを下へと振り下ろす。

 建御雷は、それを素手で受け止めた。


「どうして!!」

「……?」


「どうして、私を遠ざけるんだっ!!」


 らしくもない、私が金切り声をあげるなんて。

 今までなかったのに。冷静さを欠くなんて、あるはずがなかったのに。


 ぼろぼろと、涙をみっともなくこぼして。嗚咽を漏らして。


「……何のことだ」

「とぼけるな……! 私が生まれた意味を知らないとは言わせない。もともと、私は神じゃなかった……。剣だったのに……。あなたの剣として生まれたのに!」


 私は、経津主。もともとは、人の形をしていなかった。


 布都御魂の剣。それが、私の本来の姿。剣。剣。

 私は、ナニカを断ち切るために生まれた。


 ナニカを斬るのが剣の役目。だから、私はその役目を大切に思った。

 剣として鍛えられて、近い未来に持ち主である建御雷と共に在れる。その日をずっと心待ちにしていた。


 なのに、建御雷は、一度として私を鞘から抜くことはなかった。

 それどころか、腰に差すことさえしなかった。


 挙句の果てには、天照お嬢様の御子孫に丸投げした。

 私の主人は、あなただけだったのに。あなたしか、私にはいなかったのに。


 あなたは、私を、放棄した。

 

 そう。私の、建御雷に対する憎悪や嫌悪は、ただの、敬慕の裏返しだったのだ。


 それを、認めたくなかった。


 お嬢様の御子孫が無事御即位なされて以降、私は、いつの間にか、人の形になった。

 主人と思っていた者に捨てられた怨念憎悪が、私を人にした。その気になれば、剣の姿に戻ることもできるかもしれないのだけど。


「あなたは、一度だって私を剣としてみることはしなかった。それが私にとってどれだけ悲しいことだったか、あなたは想像したことがあるか? どんな思いで、私が今の姿になったか、考えたことはあるか?」

「ふ、つ」

 

 人の形になったとき、イワレヒコ様はたいそう驚かれた。驚きはしたけれど、私を歓迎してくださった。そして、私を高天原へとお返しになった。事情を知って、持ち主のもとへと返してくださったのだ。

 鳥舟と再会した。そして、高木殿に呼ばれ、わけもわからず建御雷の監視を言い渡された。

 別に、その役目を嫌ったわけではない。それが私のお役目であるならば仕方がないとさえ割り切ることができていた。

 

 本来の私の姿を見ないくせに、私を剣として扱わないくせに、私を遠ざけるくせに、地上の神々には嬉々として会いに行って、嫌われたり煙たがられてもめげずに通って。

 

「私は、あなたのための剣なのに、あなたはそれを捨てるのか?」

「だって、さあ」

 建御雷は、ナイフを握りしめて血がだらだらこぼれていくのも気にせず、弱く微笑んだ。


「きれいなものを穢したくないって思うのは、当たり前だろう?」


 ナイフを握る私の手の力が、ゆるんだ。ナイフは建御雷がそっと投げた。

 建御雷の手が、鮮血に染まっている。ナイフを握ったのだから、当然だ。

 その手を、私から遠ざけようとする。


「だってさ、経津。おまえ、自分の姿を鏡で見たことあるか? なかったら姿見で確認してみろ。とびっきり綺麗だから。そんな綺麗な経津を、血で穢すなんて、したくねえよ」

「たけみかづち」

「それに、俺、剣使うの絶望的に下手だし」

「は?」

「腕に覚えのない奴に振るわれちゃ剣もかわいそうだろ。だから、お嬢の御子孫に任せたんだよ。その方がお前にとってはいいと思ってさ」


 気まずそうに、建御雷が白状した。

 そういえば、この男が剣を振るったところを、私は見たことがない。

 平定の時も、剣を抜きはしたがそれを武器として扱ってはいない。いつも、雷を落とすか拳で握るなり殴るなりするだけだった。


 そういうことだ。

 私たちは、いや私が、一方的に迷惑な感情をぶつけていただけなのだ。

 私は、あなたに使って欲しくて、剣としてのお役目を果たさせて欲しくて、そうしていつも辛辣に、冷徹に、彼を蜂の巣にしていたのだ。


 建御雷は、汚れていない、左手で、私の涙をぬぐった。

「はい、泣かないの。せっかくの美形が台なしだ」

「……あなたという方は」

 私は、泣きながら、初めて、心から、笑った。

 いつもの張り付いた笑顔じゃなく、不細工な、みっともない笑顔で。

「馬鹿じゃないのか」

「馬鹿ですよ、どうせ」

「剣技がまるでダメなら、うまくなるまで鍛えればいいだけのことだ」

「何その米がねえなら芋食えみてーな理論」

「私が、あなたの剣術指南になろう。そして、いつか私を、剣として使って」

「……かんがえとくわ」

 

 右手を遠ざけようとする。私は、その右手を躊躇なく掴む。

「あ、ちょ」

 さすがの建御雷も慌てた。ざまあみろ。

「それにな。穢れなぞ、すすげばまた綺麗になるのだから、余計な気遣いなんてしなくていい」

「……そ、だな」


 すべて吐いて、自分勝手に満足した私は、一度、鳥舟のいるお屋敷に戻った。

「すっきりした顔だな」

「そう見えるか」

「見える見える」

 ためしに、庭の池を鏡代わりに自分の顔を見て見た。いつも通りの冷たい無表情だった。鳥舟はどうやって私の心を読んでいるのだろう。兄だから分かるのか。

「で、建御雷との拳での語り合いはすんだのか?」

「すんだ。拳というより、私が振り回したのはナイフだけど」

「物騒!」

 

 私の役目。建御雷の監視。

 暴走を未然に防ぎ、血迷った行動に出ようものなら全力で止め、常に目を光らせ全力で見張る。

 

 そして、彼の剣術指南役。

 高木殿に相談したらあっさり承諾してもらえた。いい加減なのかおおらかなのか。


 建御雷――いいえ、鹿島。

 私は、あなたの剣だ。今までもこれからも、ずっと。

 いつか、あなたが私を『使って』くれる日が来るまで。

 私は、あなたと共にいる。

経津主が建御雷が嫌いな理由ってなんだろなー、と考えてたらこうなった!なお話です。この事件(?)以降の経津さんは建御雷さんぞっこんになります、はい。

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