第九話「クラスメイト」
015
珍しく奏は目覚ましの力によって起床することが出来た。
黒色のカーテンに遮られた日光が隙間から零れ落ちる。奏はその光を欠伸しながら、窺うと両手を上げ、ベッドの上で大きく背伸びをした。
スヌーズ機能を停止させて、布団を折りたたむとベッドから足を下ろす。
「ふぁぁぁぁ」
春先なせいか、朝はまだ寒い。
部屋の中で息をするたびに白い息が自分の視界に映る。その場でバキバキと音のなる身体に鞭を打ち、準備体操を終えるとパーカーを脱ぎ捨てて、上下黒色のジャージを着こむ。
四月中旬、奏は自分を鍛えるために早朝のジョギングを始めていた。
自室の扉を開けて、新鮮な空気を立ち止まって吸い込むとリズムよく階段を下って行った。
「おはよう、響」
キッチンに入って冷蔵庫の中にある野菜ジュースを飲む傍ら、背を向けながら台所に立っている響に声を掛ける。彼女はすぐに包丁をまな板の上に置くとエプロンで手を拭いて、背後にいる奏の方に向かって振り返って来た。
「おはよう、お兄ちゃん」
今日も朝から満面の笑顔で響は奏に向かって挨拶を交わした。
つい、週間前まで八時くらいに起きていた奏だったが鍛練のため、と自分に言い聞かせて早起きしている。現在の時刻は午前七時だ。
しかし、幾ら早く起きたとしても絶対に響は台所にいた。
六時に起きても、響は台所に立って朝食を作っている。
五時に起きても、同様だった。
まさか、台所に寝ているんじゃないだろうかと奏が心配するほど、響は朝起きるのが早い。
その下の妹はいつ起きているのか分からないと言うのに……。
しばらく、他愛もない話をしていると響は朝食作りを再開させる。
「お前、いつもこんな時間から朝食作ってるのか?」
「うん、そうだよ? あ、でも今日は少し寝坊しちゃったかな」
「……寝坊して、俺よりも早いんだ」
「私、早起きだからね」
「何か凄いな、お前」
珍しく、奏が響を褒める。
それに興奮した響は身体をクネクネ捻じらせながら、包丁で食材を切っていく。なんと言う器用な技。怖くて見て居られないほど不安定だ。
「直球で責められると恥ずかしいよ、お兄ちゃん」
ガシッ! と近づいてくる林檎を握りつぶすような勢いで響の頭を掴んでいく。
最初は平気そうな表情を浮かべていた響だったが、段々とその表情は曇っていって最終的に目を物凄い速度でパチパチさせながら、奏の手を引っぺがそうと腕に力を入れていた。
「イタタタタタタタタタタタタタ」
「前言撤回だ。やっぱり、お前は変態だな」
「それは褒め言葉として受け取っておくよ。お兄ちゃん」
「はっ!」
「痛いよー、お兄ちゃーん!」
観念した頃を見計らって奏は掴んでいた頭を離す。地面に崩れ落ちた響はすぐさま激痛の頭を押さえると「うー」と唸り声を上げ始める。
「あたま、頭割れてないよね、お兄ちゃん? 大丈夫、私の頭」
「大丈夫だ。馬鹿だけど生徒会長のお前の頭は確かにある」
「ば、馬鹿じゃねぇし! 頭いいし、去年の年度末の考査で学年三位だったからね!」
「はいはい、だってそれ実技ありだろ?」
響は口を狭めると「ぶー」と声を上げた。
前にも説明したが一条響は神代学園中等部の二年生ながら生徒会長を務めている立派な超人である。が、本当に響が生徒会長をしているのかと最近、奏は疑い始めていた。
だって、変態なのだから。
「ぶっぶー、甘いねお兄ちゃん。年度末の考査は五教科のテストだけなんだよ!」
「へー、さほど興味は無い」
「興味持ってよー! 私の夢はお兄ちゃんのお嫁さんなんだから」
「くさい」
「くさい!?」
響の将来の夢を暴露した所で奏は時計を確認すると少し慌てたように台所を後にした。
これから、二十分街中をランニングしながら基礎体力を高めていき、近くの公園で筋トレ。その後、家に帰宅してすぐにお風呂に入る。それから、朝食という計画を二週間、毎日のように続けていた。
努力の賜物は、まだ成果として現れてはいないが時期にやってくるだろう。
「それじゃあ、ランニング。行って来るわ」
「行ってらっしゃい、お兄ちゃん」
妹、響が朝食作りに目を落した所で奏は家を飛び出した。
そして、まだ陽射しの眩しい、朝の住宅街を今日も元気に駆け抜けていく。
016
「ふぅ、すっきりした」
二十分のランニング、十分程度の公園で筋トレを終えた奏は家に帰宅した後、すぐに風呂場へと向かう。ほぼ、全力疾走をしながら行っているランニングは周りから見れば不審者確定なのだが幸いにも、早朝の住宅街は誰も歩いていない。
ということで周りの目も気にすることなく公園で筋トレも出来る訳だ。
汗ダクダクで帰って来た奏は玄関を少し歩いたすぐ先に見える風呂場の扉を開けて、汗臭いシャツなどを洗濯機に投げ入れて、十分程度の入浴を終えてリビングに戻って来た。
髪は若干濡れているが、あとでドライヤーを掛けるので気にかける様子は無い。
鼻歌を歌いながら席に着いた響の真正面の席へと続いて座り込んだ奏は両手を合わせて箸を手に取る。毎朝のご飯は静かである。
わいわいと人の多い夕食よりも静かな為、外で飛んでいる鳥の鳴き声すら鮮明に聞こえる。それが良い味を出していると勝手ながら奏は思っていた。
「母さん達はもう仕事に行ったのか?」
「うん。お父さんとお母さんは朝食、食べずに行っちゃうから」
「あー、大変だな」
「お姉ちゃんも、さっき慌てて出ていったみたいだし」
「姉さんも大変だ」
ご飯をつまんで口に頬張る。ホクホクとしていて米粒の立っているご飯を歯で噛み砕くと味噌汁を手に取って一気に流し込む。
「そう言えば、神代学園に入ってもう二週間くらい経ったんだよな……」
「うん、そうだね。私の方は去年と変わりないから、あんまり実感は無いけど」
「生徒会ってのは今の時期、忙しくないのか?」
「んー、わかんない。私もまだ生徒会長だっていう実感が薄いから。多分さ、夏休み明けの神代祭とかの時期になれば大忙しになると思うよ」
「あー、そう言えば去年行ったな。神代祭」
毎年、九月の下旬に一週間行われる神代学園の文化祭。――通称「神代祭」。
多くの人達がやってくる神代学園の一大行事でもある。奏は去年、普通中学だったが響達の猛攻撃たる物言いに押されて中等部の校舎には見に行った覚えがあった。
高等部の校舎は見る感じ、やばそうだったので遠慮しておいたが。
そんな神代祭は今年も開催される予定だった。
「やっぱり、今年は私のクラスでお兄ちゃんカフェを――――」
熱弁、興奮のあまり響は茶碗に箸を机に置くと椅子から、立ち上がった。
「響、今はご飯を食べている途中だ」
「……はい。すいません」
「わかればよろしい」
基本的に一条家では食事中に席を立つことは暗黙の了解である。それは誰に対しても同じ。母親、父親、姉、兄、姉妹、誰であろうと立ち上がった途端、誰かしらの怒りが降りかかってくる。
だから、基本的に誰も食事中二は立ち上がろうとしなかった。
興奮気味に立ち上がった響はシュンッ、となりながら席に座り直す。
再び食卓は静寂に包まれて、そこからしばらく経過すると食べ終えた奏が立ち上がった。
「ごちそうさま」
「お粗末さまです」
食器をキッチンへと持って行った奏はソファーへと腰を下ろした。
「そう言えば、お兄ちゃん。今日からあれじゃない?」
「あれ?」
「うん。実技って言うのかな、模擬戦みたいな授業。ほら、能力対決とかってあるでしょ。今日はそれを学年が集まった所で疑似形式で戦わせる。簡単に言えば、あれだね。前哨戦みたいな感じだよ」
「あー、なるほど。見世物みたいなものか」
「そう。そんな感じだよ」
「能力対決」。
E組に所属している一条奏には自分が使用する以外には、ほとんど関係のない話題だった。
弱い生徒が強い生徒に勝負を吹っかけて、勝った場合は報酬を、負けた場合は挑戦する権利をしばらく失うという何とも能力学園に適応した制度だ。
毅然とした態度で聞いていた奏だったが、どうにも腑に落ちないことがある。
「そう言えば、そんな話。あるって言ってたか?」
「言ってたよ、きっと。お兄ちゃん、人の話をあまり聞かないし、上の空だったんでしょ」
「否定は出来ない。けど、あの人も適当な所があるからなー」
「あの人って?」
「担任」
響も中等部に入学した四月の今頃にこう言ったことを経験したことがあるらしい。
もちろん、響は入学試験からストレートでA判定を取っているので苦労したことはない。
ただ、能力対決でいい成績を修めれば上のクラスに上がれる可能性は十二分にある。それはあくまでも極わずかな一握りの人間であって、誰しもが上のクラスに上がれるとは限らない。
苦しい思いをして、悔しい気持ちを抱え、蔑まされ、馬鹿にされて、時には死にたくなったこともあるだろう。しかし、神代学園を含めた六校の入学希望者は一切減ってはいない。
「学費が無料」という理由と「日本で六つしかない超能力を専門に取り扱っている学校」が入学希望者を集めている。
六大都市にそれぞれ一校ずつあって、奏と響が通っている学校はその中でも三番目に大きい学校として一般的に認知度の高い高校である。それ故に能力を持って、そしてその能力をさらに深めたい、極めたいと考えている学生が年々増加していく勢いがあるためか例えE組になっても辞める生徒は一人もいない。
まあ、あまりの格差に嫌気がさして不登校になる人間は少なくは無いけれど。
TVの今日のニュースを見ながら奏は入学パンフレットに書いてあったことを少しだけ思い出していた。そして、奏が毎朝TVのニュースを見ている要因の一件の事件が再び起こる。
「今朝のニュースです。昨日、××町で通り魔事件が起きました。これで今月に入ってから三件目。一昨日と続けて二日連続での犯行です。警察は依然、犯人の手掛かりを追っています」
アナウンサーが会釈をすると奏はTVを消してソファーに寝転がった。まだ湿っている髪がソファーの上で踊り跳ねている。
そんなニュースを聞いてか、キッチンから出てきた響は不安そうな声で近づいてくる。
「怖いねー、もしかしてこの近くにいるんじゃない?」
「××町ってここから近かったっけ?」
「ううん、昨日は都内にあった超能力専門の高校の近くでしょ。今日は別の場所にある能力高校の近くで起こったからさ、次はここに来るんじゃないかって思って」
「あ、そういう意味か。でも考えとしてはあるかもしれないな。お前も気を付けろよ」
「大丈夫だよ。私の能力、嫌でも知ってるでしょ?」
響のジョークなのか、いまいち分からない返しにしばらく黙り込んだ奏。
「……そう考えると犯人の方が心配になって来たな」
「でしょ?」
そんな不謹慎な会話をしたのち、奏は洗面所へと向かって髪をセットしながら時間を潰して響は残りの朝食をラップでくるんで冷蔵庫の中に入れながら各々の時間を潰した。
再びリビングに戻って来た時には既に学校へ登校するには丁度いい時間帯になったのを確認して自分の部屋から鞄を取りに行くと玄関で奏と響は合流をした。
靴を履き替えて玄関先で鞄を手に、嬉しそうな満面の笑みで響は奏を見つめ返した。
「それじゃあ、行くか」
「二人のラブラブな登校の始まりだーい!」
「次、言ったら明日から一緒に行かないからな。良く覚えとけよ」
「はーい」
今日も一条兄妹は元気よく学校へと向かっていった。
そして、今日を境に一条奏の快適な高校生活は、不幸の連続の始まりとなった。
017
校門前で中等部の響と別れると高等部の玄関へと奏は向かっていった。
中等部の校舎は高等部から少しだけ離れて建っている。しかし、少しと言っても敷地内なので距離的に言えば中庭を挟んで反対側が中等部、高等部という距離に等しい。
だから昼休みの中庭には中等部と高等部の生徒が入り混じっていることが非常に多かった。
よって高等部の噂事も非常に中等部の耳に入るという訳だ。
「E組……、E組っと」
まだ慣れない玄関に悪戦苦闘しながらも、上履きに履き替えた奏はそのままE組の教室へと向かった。教室棟の一番奥にあるE組に向かうにはA組の教室から順々と歩いて行った方が近道になると知る。
そして、玄関先に最も近い、A組の教室を通りかかった所で奏はふと足を止めた。
「……これが近頃、噂に聞く格差って奴なのか」
E組の教室は何と言えばいいのか普通である。良くも悪くもない。最低基準の冷暖房付きのクーラーも備わっているし、何不自由なく授業は遅れる最低限のことはされていた。
しかし、今A組を見た奏は一瞬スウィートルームかと思いたくなるほどの教室だった。机上に一台ずつPCが置いてあって椅子ではなくソファー。普通の教室よりも数倍広く、内装は煌びやかだった。
奏が目を疑ったのはその中でも一際目立つ新入生代表――佐藤真桜。
流石A組の頂点、ともいうべき存在だろう。入学してから数週間、それも朝早くから彼女の周囲には、奏ならば迷惑するほど溢れかえった人の数。まるで彼女に便乗して、自分の評価を高めようと周りの人間に魅せしめているかの如く、人が群れていた。
実際にA組は選ばれた人間が集まった所だから、そんなことをしなくても良い気はする。
しかし、A組の教室にはそう言ったことを拒む人もいるらしく、教室の後ろの席では金髪の美少女がそんなことに目もくれず勉強をしているではないか。
少しだけ、E組に入ってしまったことを後悔すると肩を落としながら、教室に向かう。
「なんだよ、椅子がソファーとか。ずるいだろ」
この時だけ、奏は自分の方向音痴を恨んでしまった。
もしかしたら、筆記が百点だった奏はE組以上の教室に割り振られた可能性は十分に高い。生憎の不運で道に迷い、ろくに実技も出来ないままE組確定になってしまった。
自分自身の能力が実技試験に対処できたのかは置いといて。
足早にE組へと駆けていった。
「それにしても実技実習か、E組の俺らに何を求めるんだよ」
そんなことをブツブツと呟きながら奏はE組の教室の扉を開けると、一目散に自分の座席に座り込んだ。前の席では伊御が机に伏せながら眠っていたが相手にするのも面倒なので無視をする。
欠伸をしながら、ゆっくりと流れていく雲を眺めていると、ふと前方の黒板が視界に入る。そこでは、委員長である渚が届かない黒板の上の方に必死に手を伸ばしながら、チョークで何かを書こうとしていた。
両隣にはE組で出来た渚の友達もいるようだが、渚は断固として譲ろうとしない。
「なにやってんだ、あいつ……」
気になった奏は副委員長としてではなく、渚のいち友達として黒板の方に近づいて行った。
すると目の前に風貌が、いかにも今時の女子高生と言った少女が奏の目の前に立ち塞がる。
「なに?」
自分よりも背の高い男性を正面にしても一切の妥協をしない、茶髪のショートヘアー少女。黒板の台に上がっているお蔭で奏よりは上から見下ろしているが、態度と口調、そして外見が見事にマッチしている。
彼女は渚の友達――山瀬千春。
中等部からE組に所属している、通称「雑な治療屋」。
稀少な治癒能力を所持するE組の数少ない有望な生徒である。
「いや、別に……。ちょっと気になったから」
「一条くんには関係ないことよ。邪魔だから、さっさと退いて頂戴」
邪見に奏を扱った。
すると千春の反対側にいた少女が「千春さん、そんな邪見にしなくても……」と口を出す。
「陽子、アナタだって頑張っていることを他人に阻害されたら、それは怒るでしょ?」
「そうですか? 私は精一杯、努力をして、それでも駄目ならば誰かに頼ろうとしますけど。頼りがいのある……、そう一条様のように」
千春とは対照的な性格で、のんびりと穏やかな外見に見合った性格をしていて妖精を本気で信じていると言われても疑いようのない森ガール。
ふんわりと、ほんわかした遠くから見守ってあげたい、クリーム色の長い髪をした少女。
彼女は渚の友達――能登陽子。
中等部からE組に所属している、通称「歩く天使」。
落胆的で、ガサツか気弱な女子しかいないE組に咲く、一輪の花だ。
そして、つい先日の渚の家を訪問して手料理を振る舞った話を渚から聞いて「男なんてのは全員、狼!」と、渚の行動に怒りを覚えた千春とは対照的に「料理も出来て、気遣いも出来る男の人。素敵っ!」と、すっかり一条奏に惚れこんでしまい、親しみと礼儀を込めて「様」付けをしている陽子。
そんな二人も渚と奏が関わっていく内に奇妙な話し相手となって、今のような些細なことで口を挟むと反論される間柄となった。
「……それで間宮は一体、何してるんだ?」
「見ればわかるでしょ? 黒板に文字を書いてるのよ」
「それは俺でもわかる。何を書いているのかっていうのを聞いているんだが」
「一条くんには関係ないことよ」
「一条様にも関係あることですよ、千春さん」
奏に対する言動がまるで矛と盾のように鋭く、そして庇ってくれる。必死に文字を書いてる渚を置いて三人で朝からしょうもない口喧嘩を続けていた。
しばらくすると、チョークを置いた渚がこちらに振り返る。
「あ、あの一条くん。少しいいですか?」
「ああ、別に構わないけど」
「実は山下先生から、九時までに第一訓練場に移動してくれって、頼まれているんですけど流石に口頭で説明するほど話し上手じゃないので黒板に書こうと思ったんですが……」
「なるほど、黒板の上の部分に書きたいけど届かなくて書けないってことか」
「はい。……面目ありません」
恥ずかしそうに下を俯いた渚は今にも泣きそうだった。
それを千春が慰めながら、事実を言っただけの奏を睨み付けると陽子がすかさずフォローを入れた。
なんとかその場は落ち着いたが、ここで渚は本題を口にする。
「それで出来れば、一条くんに黒板に書いて欲しいと思いましてお願いしました」
「まあ、別にいいけど。それよりもこの場で俺が言った方が早いと思うんだ」
「……え?」
驚く渚を尻目に、奏は黒板に背を向けて立っていた渚達から視線を逸らして教卓を叩いた。
驚いて教卓の方に振り返ったクラスメイトを確認すると声を張る。
「みんな聞いてくれ。今日は一時間目から実技実習があるらしい。九時までに校舎裏に建っているドームの第一訓練場に集まってくれだってよ」
するとE組のクラスメイト達は次々と了承の声を連ねて、時間もないので第一訓練場に足を運んでいく。閑散とした状態になった所で奏は自信満々に振り返った。
そこには不機嫌な顔をしている千春と、熱い眼差しで見つめる陽子が立っていた。
「ありがとうございました、一条くん」
「俺も一応、副委員長だから。こういった仕事は間宮にまかせっきりだと不公平だろ?」
「まあ、別に私がやっても良かったんだけどね」
「一条様。やはり、寛大なお方です」
グチグチといいながら、教室を出ていった千春とそれについて行く陽子と渚を見送った奏は閑散とした教室を一回、見渡した。
もう誰もいないと思っていた教室の隅に、伊御がうつ伏せの状態で爆睡している。
「おい、伊御。起きろ、さっさと行くぞ」
「……んぁ、あと七時間」
「長いよ、居眠りじゃねぇだろ。それ」
目を擦る伊御を引っ張りながら、奏はE組の教室を後にすると教室棟裏の第一訓練場に急ぎで向かった。その道中、伊御が何気なく授業の内容について聞いてきた。
「それで第一訓練場まで行って何の実技をするんだ?」
「実習って言うくらいなんだから、練習とかするんじゃないのか?」
「さて、俺達E組に出番はあるのかね」
「十中八九ないだろうな」
「合ったとしても、俺には関係ない話だな」
苦笑いを浮かべる伊御に対して明らか確定的な素振りで奏は答える。
それもそのはず。先月に入試をしてその時点で判定がEだった生徒が経った一ヶ月で見違えるほどに成長をしているとは思えないからだ。
ここで恐らく実習を行う生徒はA組の生徒、B組の上位の生徒だろうと奏は考える。
長い廊下を歩きながら、そんなことを考えていると第一訓練場へと向かっている生徒が溢れかえる玄関前に着いた。
ぞろぞろと大名行列のような人の多さで一学年全員は外へと出る。
「そう言えば、朝見たぞ」
「誰をだよ。まずはそれを言え」
「昨日の新入生代表で壇上に昇った……」
「ああ、佐藤真桜だっけ?」
「そうそう。その人と理事長室の前ですれ違った」
「理事長室? また、珍しい所にいったな」
長蛇の列を進みながら、暇つぶしもかねて伊御は今朝あったことを喋り始めた。
「いや、一応。鳶姫の姓を受けているから、挨拶しておけって言われたからよ」
「へー」
とくに興味もなく伊御の一方的な会話を切らないように相槌を打っているだけだった。奏が玄関から、靴を履きかえて外に出ると伊御が再び喋りだす。
「それで佐藤真桜がどうかしたのか?」
「いやな、こんな朝早くから学校に来てるんだなーって思ってよ」
「別にお前と同じで寮かもしれないじゃん」
「いや、あの人の名前は寮の名簿に載って無かった」
「じゃあ、A組だから密かに特訓でもしてるんじゃないのか? ほら、ここの学校って訓練場が八つくらいあるらしいから」
「なるほどな、流石はA組。その中でも一番優秀だもんな」
無難な策に納得する伊御は首を縦に頷いた。
しばらく歩いて行くと行列の先に目を見張るほど広々としたドーム型の第一訓練場が目の前に広がる。これほどまでに大きいのか、唖然としながらE組の人は誘導された場所へと進む。歩いて行った先を見て、ドームの中へと入ったことを改めて認識すると二人は驚きのあまり言葉を失う。
「おお、すげーな」
少し経ってから伊御が声を上げる。
目を見張るほど広々とした第一訓練場。巨大な会場の四方を囲むように、観客の座席が目に止まった。恐らく千人以上は入ることが出来ることだろう。
反対側の人間が米粒くらいの大きさだった。
「えっと、何々。新人戦、クラス対抗トーナメントなどの行事で使用する。外部からの超能力関係者が、多く来客するために座席は千人を収容できるだってさ」
ジックリ、と周囲を確認しながらパンフレットを閉じる。近くにいたクラスメイトに借りていたので、それらを返すと近場にあった椅子に座った。
既に時刻は九時間近となっていて生徒達もちらほらと集まりかけている。
「何やるんだろうな」
「たぶん、A組の奴らが下の会場で模擬戦とかでもするんだろ」
面白みのない授業だ、と思いながら携帯を弄っていると突然、キーンッ! とスピーカーを通して醜い音が聞こえると一度目は酷くで聞こえない雑音が全員の耳に止まる。
なんだ、なんだ、と不思議がる生徒達を余所に中央に立っている三人組は再びマイクを手に取ると声が掠れるほど大きな声で再び叫び直した。
「昨日の二人、出て来いや!!」
思わず音が割れて全員が耳を閉じる結果になったが奏と伊御は思わず中央へと目を向けた。そこには昨日、一方的に伊御がボコボコにしたあの三人組を発見する。
時間も時間なので生徒達は既にほぼ全員集合しかけていた。先生も総動員で動き始めて三人の確保へと迅速に取りかかろうとしていた。
「なんだ、あいつら?」
「さあ、別にいいんじゃないか気にしなくても。面倒だから、関わらないのが吉だ」
「でもさ、何だか面白そうじゃないか? あれ」
「関わるなよ。お前、ろくな人生送れないぞ」
期待を膨らませる伊御は目をキラキラと光らせながら、中央を見ている。対照的に面倒だと思いながら隣の伊御を見て、奏は静かにため息を付く。
「ろくな人生なんて送れなくていい。俺は俺の生き方を貫いた人生を描く」
妙にカッコいいことを伊御はさらりと言い放った。
そして、何を思ったのか伊御は奏の方を向いて突然、浮かび始めた。
「――――なっ!?」
「重力操作。――浮遊」
無重力のように段々と浮かび上がっていく奏と伊御は周囲の人達の目を集める。
前触れもなく唐突に浮き始めた奏は、浮かび上がらないように椅子に必死に喰らいついたが努力虚しく椅子からすり抜けた掌は次第に人々を掴み取れるほど、高く舞い昇る。
この時点で既に奏の中で、諦めはついていた。
にんまり、と笑顔で奏の方を向いた伊御は指を伸ばして下に居る奴らに向けた。
「じゃあ、行ってみようか」
伊御の指先が地面を向くと二人は会場の中央へと急降下していく。瞬く間に轟音が響き渡ると煙が立ち上り始めると二人は咳き込みながら、その場に立ち上がる。
「お前、絶対に許さないからな」
「まあまあ、後で何か奢ってやるから許してくれ」
その様子に生徒達は驚いて言葉を失っていた。
もちろん、それは教師達も例外ではなく、三人を連れて行こうとした教師は轟音と共に立ち止まると、振り返って奏と伊御の方を見ていた。
「お前達、何をしている!」
「何って……、それはもちろん」
「そこのお三方が呼んでいた二人が俺達なんですよ」
「何!?」
やや興奮気味に。
上下ジャージ姿の体育教師は三人から手を離すと奏と伊御の方へ向かってくる。
「お前達、さっさと自分のクラスの場所に帰れ!」
「帰れって、言われても」
「その三人から挑戦を受けて逃げるわけにはいかないでしょ」
「何!? 挑戦権だと?」
ゴリラ教師は思わず背を向けると三人組は揃って「挑戦権」を発動していた。
「挑戦権」を使用するのは非常に簡単である。「こいつに挑戦します」と宣言する、または「挑戦すると言う意思を相手に向ける」の二パターンある。後者はほとんど使われることは無いが今回は後者を使用し、挑戦権を奏達に向けていた。
「馬鹿なことを言うんじゃない。お前らはC組、対してこいつらはE組じゃないか」
「クラスは関係ねぇよ。俺らはこいつらと本気で戦いたいだけだ」
「昨日、俺に惨敗したもんな」
「あれは油断してたからな、次は絶対に負けねぇよ!」
睨み合う三人と伊御。肩を降ろしてため息を付いた奏はあることを発見する。
「けど、俺達は二人。お前達は三人だぞ? どう戦うんだ」
「そいつは簡単だ。お前らがもう一人誰かを連れてくればいいだけの話」
「まあ、俺達上位のクラスと戦うことのできるE組はお前ら以外にいないだろうけどな」
E組とC組。
その壁は高い。
E組とD組は差ほど大きな差はない。C組とB組の差は少ない。しかし、B組とA組の差は酷く大きく、同じようにE組とC組の間には大きな溝があった。
その溝を超えられる生徒は今のE組にいると思えないと判断した三人は優越感に浸りながら睨み付ける。奏はそのことを知っていて質問したのだ。
「別に俺達二人でもいいんだけど、それだとルールに反するんだろ?」
隣で嫌な表情を浮かべるゴリラ教師は面倒くさそうに「ああ」と答える。
「つまり、三人回の挑戦権を受けた俺達は二回しか戦えないと。別にいいんじゃないか?」
「二回連続で勝てばいいだけの話だな、二勝一敗になるだけだし」
「そ、それだと勝負にならねぇだろうが」
「ここはきっちりと三対三でやるのが筋ってもんだろ!?」
「怖気づいて逃げるのか、流石落ちこぼれのE組だな」
その瞬間、ピキッ! と何処かの何かが切れる音が周囲響き渡った。奏と伊御は三人の口車がどうしても気に入らずに思わず殴りかかろうとした途端――――――、その声は数多の野次馬から、透き通って、奏達に聞こえてきた。
「いいですよ。私がE組側に入ります」
そう、それはあまりにも唐突で思わず、見惚れるほどの美しさだった。
佐藤真桜は、高らかに告げると会場に舞い降りる。