第七話「眼鏡を掛ける委員長」
011
喫茶店を出た奏と伊御はその後、特に予定もなく繁華街にいた。
依然、神代学生は多く、少し気が参ってしまいそうな状況だったが、どうにか繁華街の外れにある公園にたどり着くことが出来た。
この公園から、少し歩いて行った所に神代学園の校舎がある。ここからでも見えていた。
「まだ一時半か、家に帰ってもすることないな」
「そうだな、どうする? 繁華街を抜けた所にゲーセンがあるんだけど」
「いや、俺は遠慮しとくわ。伊御もさっさと寮に帰った方が良いぞ」
「えー、寮に行ってもすることねぇから面白くないんだよ」
ブランコに跨って立ちこぎをしている伊御の隣で欠伸を零しながら、小さく揺れている奏はそう言えば、と妹の響に頼まれていた用事ごとを思い出した。
立ち上がって、ブランコが揺れるとそれに気づいた伊御が止まる。
「ん? どうしたんだ」
「いや、妹に頼まれていた用事を思い出した。だから、帰るわ」
「え? まじかよ、ここからが楽しい高校生の放課後じゃねぇか!」
「妹に逆らうと晩飯が抜きになる。だから、さっさと用事を済ませて帰ることにするわ」
「ちくしょー。料理上手な妹ちゃんだと……、羨ましい」
ブランコから降りた伊御は奏の状況を心から羨ましそうに悔しがる。ブランコの回りにある柵を越えて奏は伊御のいるブランコの方に身体を向けた。
「そんじゃ、また明日な。伊御」
「あ、ああ。また明日」
そう言うと奏は颯爽に公園から出ていった。
「……あれが一条奏か。あの人が警戒するわけだ」
そんな伊御の声も聞こえず、奏は再び繁華街の中へと飛び込んで行った。
奏が再び繁華街にやって来たのには理由があった。
それを再確認するために奏はスマフォを確認するとメールを開いた。
『お兄ちゃんへ。
朝、言い忘れていたんだけど卵が無いから、帰りに買って来てね♡』
卵は大切だ。
奏の好物の一つでもあるし、奏が唯一作ることの出来る料理に使用する大切な食材である。繁華街には大きなスーパーがあって、そこは毎週のように響と通っていたことがあったので何処に何があるのかなど手に取るように分かっていた。
だから、承諾することも出来たし、偶のおつかいだ。ここは、張り切ろうではないか。
「えっと、確かここを右に曲がった突き当りにあるスーパーだったような」
最後に来たのが春休みの序盤だったので記憶がかなり危うい。頭を捻りながら、思い出すと道筋通りに進んでいったその先には、いつも行っているスーパーがあった。
スーパー神代。
ここら辺では一番大きく、品数が揃っているスーパーなので足繁く通う人も少なくない。
「ん……?」
スーパーに近づいて行った所で、いつも響と行っている時と雰囲気が違うことに気付いた。
徐々にその実態が明らかとなっていく。
どうやら、人混みが繁華街以上に込み合っていることを、捉えることが出来た。
「なんだ、あの人混み……」
足を止めず、スーパーに近づいて行くと路地を抜けた、その先からいきなり四十代の主婦が殺気立った瞳で一瞬、こちらを睨みつけると敵ではないと判断したのか、スーパーに向かって駆け抜けていった。
あまりの殺気に思わず、驚いて立ち止まった奏は入り口を見て首を傾げた。
「あんな、旗。前に来た時、掛かっていたか?」
スーパーの入り口には大きな旗が立っていて、そこにはこう書かれていた。
『本日限りの大特売セール』――――と。
その旗を見た途端、なんとなく奏はあの殺気の理由を知った。
「なるほど、響が自分で卵を買いに行きたくない理由がわかったよ……」
つまりはこの人混みの中で卵を買いに行くのが面倒だ。という理由だった。
久し振りに兄として頼られていた奏は少々、ガッカリした気分になるがさっさと卵を買って帰ろうかと腕を組みながら、考える。
そして、殺気立った暗黒の入り口の門を潜り抜けた。
「……うわ」
失言を思わずしてしまった。
奏が言葉を漏らしたのも無理はない。
いつもは和気藹々として、BGMなんかもノリノリな曲。居て楽しい、買って嬉しい、を大切にしているスーパー神代だったはずなのだが、今の光景はあまりにも残酷すぎて目も当てられない。
殺戮とした、スーパーと化していた。
奪って楽しい、勝って嬉しい、というキャッチコピーが至極、似合いそうな雰囲気が所々に窺えていた。流石にここへ響を送りだすのは兄として駄目だと思った奏は自分が来て正解だと感じた。
波乱のスーパー対戦は極みを通り越している。
激安のお肉は数が限られているせいか、奪い合いになっている。
新鮮な魚が特売で売られて、主婦達の目が人を殺してでも手に入れようとしている。
そんな光景に一刻も早く逃げ出したかった奏は戦場から遠い所にある卵コーナーに大急ぎで向かおうとする。しかし、行く手を主婦達に遮られて思うように動けなかった。
「くっ……、これは買い物じゃなくて戦争かよ!」
押され、引っ張られの連続で体力の消耗が激しいこの場に長くいては危険だと感じて態勢を屈めながら、主婦達の間を素早くすり抜けて突破しようとする。
足で何度も蹴られながら、必死に耐えた奏はどうにか人の波から飛び出す。
「ふぅ、死ぬかと思った」
額に汗を浮かばせて一安心した奏の真横から、押し出されるように少女が飛んで行った。
あまりに勢いのある光景に奏は唖然と床を転がっていく少女を見ているしかなかった。だが、よくよく目を凝らして確認してみると見慣れた服装だと言うことに気が付いた。
そして、床に手を付いた奏は眼鏡を拾う。
「あれ……、私の眼鏡が」
眼鏡を落して探そうとしている少女。何故か、ぼんやりとした視界で探そうとはせずに目を瞑りながら、まるで盲目のような状態で眼鏡を探していた。
床を這いずるように手を動かしながら、眼鏡を探している。
立ち上がって、その少女に近づいた奏は床に付いている掌を引っ張ると眼鏡を上に乗せた。
「ど、どちらか知りませんが、あ、ありがとうございま――――、一条くん!?」
眼鏡を掛け直した渚はいるはずのない人物を見て、腰を抜かす勢いで床に尻餅をついた。
神代学園の制服を着ていた、E組の間宮渚は唖然とする。
「よう、間宮。また、会ったな」
「ど、どうして、こんな場所にいるんですか?」
見られてはいけない所を見られてしまった、とばかりに動揺しまくって汗を垂らしている渚は動揺している様が手に取るように目が泳いでいた。
別に理由を隠す必要のない奏は渚の手を取り、立ち上がらせる。
「いや、妹に卵を買って来いって頼まれたから買いに来ただけだよ」
「そ、そうだったんですか……」
ほっとしたように渚はため息をついた。
その理由はわからない、ただ、純粋に思ったことを奏は口にした。
「間宮こそ、どうしてスーパーなんかに?」
「あ、いや……、その」
何処か言いたくなさそうなのが表情を見て分かった奏は、どうしようかと迷っている渚の前に手のひらを伸ばして、言わなくても良いと催促した。
すいません、と小さな声で謝る渚を余所に背後では戦争が続いている。
「俺は卵を買ったら、帰るけど間宮は何か欲しいものがあるのか?」
「はい。あの中にある特売品が欲しくて入ったんですけど、まったく敵わなくて……。別のスーパーでもいいかなって思っていた所でした」
「別のスーパーって言っても、ここら辺には無いぞ?」
「え? そうなんですか」
「ああ、スーパー神代が繁盛している一つの理由でもあるしな」
がくん、とテンションが下がった渚の眼鏡は斜めにずり落ちる。とぼとぼと帰ろうとした渚の腕を掴み、奏はそれを阻止した。
止められた渚は驚いて、可愛い声を上げるとすぐに奏の方を振り返った。
「ど、どうしたんですか。一条くん!」
「ここで会ったのも何かの縁だ。俺が間宮の欲しい食材、あの中から取って来てやるよ」
「……い、いいんですか?」
「ああ、同じクラスじゃないか。なら、助け合わないとな」
「い、一条くん……」
神様を崇めるような手つきで奏の所を見上げる。その瞳には色彩が戻り、嬉しそうに笑う。
そんな笑顔を見てしまった奏は、ここは絶対に取りに行かないといけない。
気合を入れ直すと息をはいて、前方の戦場を確認し直した。
「ここに欲しいリストが書いてあります」
「わかった」
メモを手渡されて、奏は態勢を少し屈めると陸上選手も驚くようなスタートダッシュで主婦達の戦場に飛び込んで行った。
そして、呆気なく散る。
012
着くずれした制服を直すと肩っ苦しいボタンを幾つか外して、全体的にラフになる。
髪型が、ぐちゃぐちゃになって帰って来た時には渚に失笑された。
「ありがとうございました、一条くん」
欲しい物リストに書かれた全てを手に入れることは出来なかったけど七割程度、手に入れることに成功したので一応、良かったと言えるだろう。
そして、渚の嬉しそうな笑顔を見た時、戦場での傷が一瞬で浄化した気がした。
「いや、いいよ、お礼なんて。俺は俺のしたいことをしただけなんだから」
「それでも、私の気がすみませんっ!」
卵の入ったスーパーの袋を片手に、もう片方の手には渚が買った食材の入っている袋を手に人気のない入り組んだ路地に入って行った。
隣では歩幅を合わせるように渚が付いてきている。
強情な渚は先ほどから、口だけのお礼では。と何度も別のお礼を申し立てていた。
「そう言えば、一条くんはお昼ご飯。食べましたか?」
「え? まあ、伊御と一緒に食べて来たけど……」
「そうですか、鳶姫くんと一緒に食べてきちゃいましたか」
「なんだ、俺が食べてないって言えば間宮がご馳走してくれたのか?」
「え、い、いえ、そ、そういうことではなくてですね……」
燃え上がるように煙が渚の顔から立ち昇った。恥ずかしさのあまり、しばらく渚は口籠る。
スーパーから入り組んだ路地を歩いて行って十分くらいした場所で渚が、ふと立ち止まる。そして、隣にあった大きなマンションを見上げて「こっちです、付いて来て下さい」と言った。
「間宮って、もしかして一人暮らしなのか?」
ポストを確認してハガキを手に取った渚はビクッ、と肩を震わせながら返事もせずに階段を昇っていく。どうやら、当たったのだろう。奏は一人暮らしに憧れていたので少しだけ興味が湧いた。
少し階段を昇った先に大きなフロアがあってエレベーターに乗せられた。
狭く、小さな密閉空間に男女二人、高校生はしばらく沈黙が続く。
「さっきも聞いたけど間宮は一人暮らし、してるのか?」
「はい。私の家、ここから少し遠いので近くに家を借りました」
「それなら、学園の寮でもいいんじゃないのか? 近いし、セキュリティー面でも安全だろ」
神代学園には毎年、各地方から多くの転入生などが来る。中等部から引き継いでくる人にも地方から、わざわざ来ている人も少なくは無い。だから、大きな寮が学園には存在する。
しかし、渚は寮に入ることはせず、一人暮らしをあえて選んだのだ。
気にすることでもない。しかし、奏は心なしか渚のことを知りたいと思ってしまった。
「別に大した意味はありません。卒業した後にも一人暮らしをする予定なので予行練習的なことですよ。決して寮が嫌だったからとか、そういうことではありません」
ぷいっ、とそっぽを向いた渚。
これ以上のことを追及すると嫌われてしまうかも、と恐れた奏はそれで納得をする。
「それで俺はどうすればいいんだ?」
「どうすればって、どういう意味ですか?」
「いや、間宮の買い物袋を置いて素直に帰ればいいのかってことだけど……」
「あ、そういうことですか」
意図を理解した渚は眼鏡をくいっ、と上げる。
「私、借りはあまり作りたくありません。ですので、ぜひお礼がしたいです」
一応、恰好つけたつもりだったのだろう。
しかし、恰好つけた直後にエレベーターが止まって、急な振動でふらふらと態勢が崩れた。あきらかに恥ずかしい姿だったのか、態勢を立て直した直後に奏と目が合って顔を赤くすると目を逸らした。
そして、エレベーターの扉が開き、一目散に渚は密閉された空間を飛び出した。
「お、おい。ちょっと待てよ!」
ぴゅーん、と言う効果音が似合いそうな逃げ方で渚はさっさと走って行ってしまった。
流石に今のは自分のせいではないと言い聞かせながら、奏は渚の荷物を強く持ち直すと彼女の後を追い、エレベーターを降りた。
そして、渚が入って行った扉の前で立ち止まると取りあえず、インターホンを押した。
「……反応なし」
扉に耳を近づけてみると部屋の中から、ドタバタと騒がしい音が聞こえている。
「ちょ、ちょっと待っていてください、一条くん」
インターホンの所から渚の声が聞こえると慌てた声で切れる。
しばらく、マンションの手すりに寄りかかって外の景色を眺める奏。下を見ると人が歩いていることに気が付く。どうやら、神代学園の中等部の制服のようだ。
かなり高い場所なので顔までは分からないが、どこか見たことがあるような雰囲気の少女。
「誰だったかな、高すぎて顔は見えないし……、まあいいか」
渚の声が再び聞こえたので区切りの良い所で諦めた。
扉のロックが外れて、中から渚が顔を出してくる。髪の毛は、ぐしゃぐしゃで眼鏡も斜めになっている。どうやら、かなり散らかっていたようだ。
「お、お待たせしました……」
「それじゃあ、お邪魔します」
渚のご厚意を素直に受け取ることにして、奏は買い物袋を手に持ちながら、部屋に入った。しばらくは小綺麗にしてある廊下が続いて、渚の後ろを付いて行く。
部屋の入り口であろう扉を開けると、そこはシンプルすぎると言わざるを得ないほど生活環に欠ける何もないリビングだった。
TVとソファー、本当に必要最低限の一人暮らしだった。
「私、着替えてきますのでそこらへんに座っていてください」
そう告げると制服姿の渚は奥の部屋に入って行った。
色々と彼女の価値観に違和感を覚えるものの、奏は一応、ご厚意に預かっているので文句は言わずに、ソファーに腰を降ろした。
自分の買い物袋を隣へ、渚の袋はリビングのテーブルの上に置いておこう。
「一人暮らしって、こんなものなのかねぇ」
ずっと、十六年間自宅住まいの奏には到底想像も付かない一人暮らし。出来ればしてみたい気はするが恐らく両親が賛成しても、姉妹達は断固拒否してくることだろう。
奏の普通高校へ進学する際も、最後まで大反対していたから、ある程度の予想は出来る。
しばらくすると奥の部屋から私服姿の渚が目の前に歩いてきた。
「お待たせしました」
ぺこり、と頭を下げて渚はテーブルの上にある買い物袋を手に取った。そして、キッチンに袋を持って行くと冷蔵庫などにしまいこんでいく。
しばし、無言が続くと静かな空気が気まずくなって、渚は「TVを見ていて、いいですよ」と背中を向けながら、奏に暇を潰すように言ってきた。
取りあえず、TVを付けるが平日の昼間に男子高校生の興味を引く番組なんて放送しているとは限らない。余程、面白い番組なら視聴するが生憎、奏はあまりTVを見ない方だった。
「すいません、お待たせして。飲み物はコーヒーでいいですか?」
「あ、うん。別に大丈夫だけど」
「砂糖とミルクは付けますか?」
「お願い」
なんとも、ぎこちない会話を繰り返して、ようやく会話が成立する。
キッチンの方では、まだ物の位置が把握できていない不慣れな生活を過ごしている様が目に浮かぶような慌ただしい音がしていた。
五分、十分、TVに目を向けながら退屈している奏の視界に渚がマグカップを二つ手に持ってソファーに腰を降ろした。もちろん、奏とは別のソファーである。
「お待たせしました。すいません、まだ入居したばっかりだったので来客用のマグカップを探してました」
「別にそんな大層なことしてないんだから、気にしなくていいのに」
「いえいえ、一条くんには色々と助けて貰いましたのでこれくらいは普通です」
淹れたてのコーヒーが入っているマグカップを両手で掴んで息を吹いて冷まそうとする渚を横目に奏は手渡されたコーヒーを少し啜った。
ふぅ、と息を吐いてひと段落した様子の渚。そして、お昼のバラエティー番組の様子が再び部屋を静かにさせる。そして、その沈黙を破ったのは渚の腹の音だった。
「――――!?」
声にならないくらいの恥ずかしさだったのだろう、腹の音が鳴り止んだ後、奏と目が合って一瞬にして顔を真っ赤にする。
その腹の音を聞いた奏は今までの緊張感が和らいだのか、飲み干したマグカップをテーブルに置くと、何を思ったのか恥ずかしさのあまり顔を覆っている渚を余所に立ち上がった。
「間宮、ちょっとキッチン借りるぞ」
「…………へ?」
今日あったばかりの初対面の少女の家に行くことになって、しかも一人暮らしで色々と複雑な所もある。委員長、副委員長の立場もあって色々と大変なこともあるかもしれないが全ての意を込めて振る舞った。
腹の空かした渚を前にして、そんな気持ちを抱くと同時に自分がまだ小さく、妹の響が料理を作れない小さな頃に時折、作っていた一条奏が唯一、作ることの出来る料理を振る舞った。
そんな行動を起こしたのはきっと、渚が幼少期の妹達と重なったからなのかもしれない。
「…………」
恥ずかしい気持ちと、出会ったばかりの同級生のわからない行動にしばらく唖然としていた渚だったが次第にいい音と、良い匂いがしてくるその光景に腹の空いた彼女はどうでもいいとさえ思っていた。
五分もすれば、奏は新しい食器の上に乗せた料理を渚の目の前に持ってくる。
「一条くんって、料理出来るんですか?」
「いいや、俺はこのオムライスしか作ることが出来ないんだ。他はさっぱり」
見るからに、美味しそうなオムライスが渚の視界に飛び込んできた。ふんわりと半熟の卵がケチャップで染まったチキンライスを覆っている。
思わず、ごくりと唾を飲みこんだ。
丁度よく材料があったのか。渚は卵を買った覚えなど無かったがとにかく今はお腹が空いて考える余地もないくらいに目の前のオムライスに釘づけだった。
まるで捨てられた子犬のような瞳を奏に向けると、自分の家でもないのにキッチンを探してスプーンを持って来てくれた奏に感謝しつつ、渚はオムライスを口いっぱいに頬張った。
「お、美味しい……」
一言、そう言っただけでも奏は満足した。
そして、そのスプーンはそれ以降、一度も止まることなく皿の上に乗っていたオムライスは瞬くうちに食べ終える。
満足そうな表情を浮かべながら、目の前の男子が見ているにも関わらず、惚けた顔をすると絨毯の上で大きく手を広げて寝転がってしまった。
もちろん、大事な所が見えないように奏はしっかりと視線を逸らす。
「久し振りに誰かの手料理を食べることが出来て、私は満足しました」
「それは良かった。……お皿は洗っておくから、間宮はゆっくりして置いてくれよ」
「分かりました」
まるで一条家のように僅か数十分でこの家のキッチンを支配した奏はリビングで寝転がって満足そうにしている渚を見ながら、少しだけ嬉しい気分になった。
久し振りに振る舞った料理、家族以外に初めて振る舞ったオムライスを絶賛されて奏的にもテンションは右肩上がりだ。急上昇で、うなぎ上りだ。
しばらくすると奏は食器を洗い終わってソファーに腰を降ろす。そして、その様子を追ってみていた渚は、はっと我に返ると自分が今していることと、客人に料理を作らせて剰えお皿まで洗わせたことに唐突な恥ずかしさを催したのか、ジャンプしながら、いきなり奏の座っているソファーの前で正座をする。
「い、一条くん。ごめんなさい、色々と迷惑を掛けて」
「いや、別に気にしてないから。元はと言えば、俺が勝手にキッチンを借りただけだよ」
「そ、それでも一条くんにはお礼がしたいって思ったから、家に招いたのに……」
今までの過ちを思い出し、顔を真っ赤にする渚は静かに俯いた。
恥ずかしい、そして、臆病で人前に出るのも苦手な彼女が起こしたひと時の安らぎだった。
「いいんだよ。それにお礼なら、もう貰った」
「……え?」
その言葉に唖然とする。
今日、初めて出会い、知り合い、同じクラスの委員長、副委員長という面倒な役職に就いた奏と渚は、ここまで気軽に話せる間柄にまで進んで行ったのだ。
「俺の作ったオムライスを食べて、褒めてくれただろ? 俺はあれだけで十分だよ」
そんな無頓着な発言に心が思わず、揺らいでしまった。
渚は静かに顔を赤らめると再び、俯き、ごにょごにょと小言を言っている。
そんなことは露知らず、その後、奏は間宮宅にお邪魔する用事もなくなったので俯いている渚に別れを告げるとマンションを後にした。
――――そして、帰宅後、何が起こるのかも知らず、のうのうと奏は帰路に着いた。