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或る世界の勇者と魔王  作者: 古鷹かなりあ
第三章:佐藤真桜奪還篇
62/70

第二十二話「佐藤真桜」

 034



 佐藤真桜(わたし)のこれまでの人生は、とても順風満帆と言える代物ではなかった。

 むしろ、底辺と言っても良いくらい。生まれて来たことを後悔したことも多々、あった。


 そんな彼女の唯一の心の支えとなったのが「前世の記憶」。


 前世の記憶。

 生を受けて、育ち歩む長い人生の中で絶対に蘇ることのない過去の記憶。

 英雄だったり、普通の人だったり、はたまた人間ではない猫だったり、犬だったり、物ではない無機物であったり、とそんなことを覚えている人間はごく一握りよりも零れ落ちる。

 だけど、真桜は覚えていた。

 何故かは知らない。

 きっと前世で約束していた内容にとても、ロマンチックに思った生と死の神様がその願いを叶えさせるために真桜という今世の個体に記憶を引き継がせたのだろう。


 前世の記憶が引き継がれた――――、と言うよりも蘇ったのは真桜がまだ小さい頃だった。

 歳で言えば、まだ十歳。学年で言えば、まだ小学五年生の年端もいかぬ幼女の時である。

 その頃の真桜は幼く、長い黒髪を分けて、ツインテールにして赤色のランドセルを背負って楽しそうに毎日、学校に行っていた。

 ある日、校庭で遊んでいる時に鉄棒から転落してしまった。その時、今までの真桜ではない別の人間の記憶が頭の中に埋め込まれたように思い出した。


 それから、その瞬間から、真桜という人柄は天真爛漫で、誰とでも仲が良く、休み時間には校庭で遊ぶような年相応とした性格ではなく、落ち着きのある臨機応変とした物静かな人格に変わりつつあった。

 それが前世の記憶が蘇った反動なのかもしれない。ただ、周りから見れば小学生らしからぬ少女だとは思っても、まさか自分の記憶とは異なる記憶を持った少女だとは誰も思わない。

 次第に真桜の周りから、友達はいなくなっていった。

 彼女が求めているのはこの世界についての「知恵」と前世に愛した「勇者」の存在。


 ――――そして、丁度その頃だった。佐藤真桜が超能力という普通の人間とは異なった力を持つ人間になったのは。


 生まれながらにして能力は持っていないが突然、何かしらの影響を受けて開花する超能力の現象の一つ、天然性能力(ナチュラル)という分類に真桜は登録された。

 だが、まだ年端もいかぬ小学生。能力専門の学園は中等部から、残り二年の間をどうやって過ごすか。そんな些細なことが原因で真桜の両親は喧嘩を始めてしまった。


 魔王の記憶を持っている外見幼女、中身大人の真桜にとって両親と言うものは、記憶が蘇る以前と全く同じ存在であり、その喧嘩の内容が自分だということに精神的なショックを受けていた。

 次第に真桜の両親の喧嘩はヒートアップしていき、そして、真桜が前世の記憶と能力を得た約半年後に真桜の両親は離婚してしまった。

 そして、真桜は真桜のことを第一に考えてくれていた母親の元に引き取られる。


 別に暴力を振るわれて、逃げるように離婚したわけではない。

 ただ、ほんのすれ違いが続いただけの両親は余韻もなく、それぞれの人生を歩み始めた。

 原因が自分だと知っていながら何もできなかった真桜はこの時、自分の手に入れてしまった能力のことを酷く恨んだ。毎日のように泣き、死んでしまいたいと思う日さえあった。

 真桜とその母親で新しい生活が始まる。


 ――――――だが、そんな二人の新生活は淡く、脆く、砕け散ってしまった。


 真桜が小学六年生になって、両親が離婚をしてから丁度、一年が経ったある日のこと。

 図書館で借りた難しそうな本を読みながら、帰宅した真桜の目に止まったのは大好きだった母親の姿。だが、そんな母の姿はもう一生、見ることが出来なくなる。

 シングルマザーとして一年近く頑張って来た母親は真桜が中学校に上がる直前の季節の日。深々と雪が降り積もっていく寒い二月のことだった。


 真桜の母親は彼女の前から、姿を消した。


 原因は真桜と生活させていくために朝早くから夜遅くまで毎日のように働き詰めだったのが祟ったのか過労で倒れてしまい、そして、過労から退院したその日に母親は真桜という娘を置いて、どこかに消えた。

 古錆びれたアパートの一室。

 母親の荷物はあって、ストーブが付いてあって、机の上には置手紙。


 真桜は父と母、その両方から見捨てられて一人になった。


 進む予定だった中学校を止めて、遠い街に引き取られた真桜は彼女と同じような境遇を持つ超能力者が多く在籍している施設に身元を引き取られることになった。


 そこには十人十色、色々な性格、人柄、能力を持った小中高生が多くいて、心が折れかけていた真桜も一年がかりでようやく立ち直ることが出来た。

 そこで仲良くなった子達と年相応に楽しみながら、小さい子達を纏める良いお姉さんとして真桜は一歩、成長する。


 だけど、そんな生活を過ごしていた真桜に神様は更なる不幸を与えた。


 中学二年に進級してから少し経った頃、この頃から真桜は前世の勇者を好きになった感情が少しずつ、理解できるようになって眼差しは「憧れ」から「恋」へと変わった。

 小さかった身長も、比べ物にならないほど伸びる。

 ただ、他の同学年の友達と比べて、成長しない所もあったがそんな日々が楽しかった。


 ある日の夏だった。

 学校から、帰ってきた真桜達は施設の前に見知らぬ大きな黒い車があるのに目が止まる。

 新しい子が施設に来るのかと、仲間内で話していると園長と二十歳前後の白衣を着た女性が園長室で、話している所を偶然、真桜は見てしまった。

 それがその時、何なのかは判らなかったが数時間後、彼女を含めた五人の少年少女は女性が連れてきた黒服と共に大きな黒い車に乗せられて行く先も分からぬまま、施設を後にした。

 あの時、思えば色々と不思議な点はあった。

 園長が白衣の女性に多額のお金を貰っていた所。この施設が何故、危険とされている能力を持つ人間に手を差し伸べるのか。


 その施設にいた真桜を含めた五人は売られたのだ。

 超能力と媒体とし、その研究として使われる実験台として。その施設から、売られたのだ。


 目を隠されたまま、たどり着いた先は巨大な研究施設だった。

 そして、目の前にいる女性が五人の少年少女に告げる。


 ――――「私の名前は天原佳織(あまはらかおり)。アナタ達はあの施設に捨てられたのよ」。


 そこから、約八か月。

 表向きは能力者の育成、裏向きは人工性能力(アーティフィシャル)の研究。


 今までに感じたことのない地獄が五人を待っていた。




 ――――八ヶ月後。



 苦悩しかない、地獄のような日々。

 未来もなく、希望もない毎日に五人は既に人の精神が崩壊していた。


 だけど、真桜だけは諦めていなかった。

 毎日のように思い浮かべるのは前世の記憶。その中で契りを交わした勇者との出逢うことが最後の希望。苦しい実験も、死にたくなるような時も、それを思い浮かべて耐えてきた。


 そして、その希望を捨てなかった成果がやって来る。

 八ヶ月後のある日、ようやくその時が訪れた。


 「真桜」の異常な能力数値とほぼ同格の数値を叩き出した同じ施設の「Y」と名乗っていた天才的な力を持つ人物が実験室を破壊し、そして、そのまま研究所を暴れまくった。

 そのお蔭で研究員の隙を狙い、真桜達四人は八ヶ月振りに外に出ることが出来た。


 だが、暴れまくっていた「Y」は一通り暴れ終ると大量の金を盗んで何処かに消えてしまい他の研究員、全てが脱走をした真桜達四人の確保に向かうこととなってしまう。

 真桜の素性を知り、前世のことを本当のことのように信じてくれた同じ施設の三人の友達は彼女の言う運命の人に会わせるためにここで捕まってはいけないと一人ずつ犠牲になった。

 分散し、研究員の目を欺きながら、どうにか真桜だけを逃がせることが出来ないかと必死で協力する。そんな様子に真桜は涙を流した。

 愛すべき、信頼すべき、親友たちが次々と犠牲となって、捕まって行った。


 最後の一人となってしまった真桜は追手から、何とか逃げようと豪雨の中を裸足で走った。既に体力は限界で目が霞んでいるほど、疲れもたまっていた。

 そして、人通りの少ない道路で足元の水たまりに足を取られると、そのまま転んでしまう。立ち上がる力すらも残されていなかった真桜は、ここで全てが終わったと絶望に満ち溢れた。

 悔しい思いを爆ぜながら、泣きながら、地面を強く叩く。

 そして、目の前に一人の女性が転んでいる真桜の元に傘を伸ばしてくれた。


 その人物の名は「佐藤暁美(さとうあけみ)」。――――――現神代学園の理事長だった。


 野暮用でこの近辺に来ていた佐藤暁美は真桜を保護すると自分の住む神代市に連れてきた。

 そして、戸籍上は施設の子となっていた真桜を引き取って「佐藤真桜」と苗字を上げた。

 暁美の姪っ子として扱われるようになった佐藤真桜はその後、中学二年からの勉強を自宅で行いながら、一年半行われた自宅療養プログラムの甲斐あって、普通に生活できるレベルに精神状態が元通りになった。


 ただ、過酷な実験の最中で相手に不愉快な感情を抱かせないように丁寧な口調になった癖は消えることがなかった。


 そして、時は流れて真桜は暁美が理事長を務める神代学園に首席で合格をした。

 そして、真桜はそこで運命の人を見つける。

 前世の記憶。そして、全てが繋がって楽しい高校生活が送れる――――、そう思っていた。



 だが、そんな日々は長くは続かなかった。

 再び狙われる施設の人間からの刺客に成長をした佐藤真桜は何の対抗手段もなかった。

 成すすべなく、再び身柄を捉えられた真桜は自分の運命を、人生を呪った。

 せっかく運命の人に会えたのに。前世から繋がりがある、希望の光に出逢えたというのに。



 けれど、そんな佐藤真桜(わたし)の最後の希望が――――――、今、目の前で儚く散った。

 崩れ落ちていく、あの人の身体を見て、あの日以上の絶望を、恐怖を、地獄を、感じた。

 声が枯れて口を開くだけでも辛いのに、喉が張り裂けるような声で泣き叫んだ。



「いやぁぁぁぁぁぁっ!!」



 磔は外れない。

 身動きの取れない真桜は無駄だと判っていながら、抵抗を続ける。それが何の解決にもならないことくらい真桜にだって分かっていた。

 だけど、目の前で愛する人を亡くし、心の底から絶望した彼女はもう、生きる意味はない。


「……ああ」


 何もできない自分が嫌で、大切な人さえも失って、悲しみの涙を光が包んで零れ落ちた。

 その瞬間、光は大地を包み込み、そして、耀きは柱となって奏を包み込んだ。



 035



 耀きが部屋中を包み込んだと、その場にいる全員が認知した瞬間、奏の倒れている場所には大きな光の柱が地面から、天井へと貫いていった。

 それがどんな効果を生むのか、誰も知る由は無い。

 ただ、磔台のすぐ下に座っている紫原昴を含めた三人は各々の変化を浮かべると彼は一人で真桜の磔姿を無言で見上げていた。


「……どうなっている?」


 耀きに満ちたその場の隣にいた伊御は思わず、唖然とした。

 昴が「一条奏」と言う人間に興味を抱いていたことは知っていた。彼が半端ではない能力と身体の中に秘めた才能を少なからず、熟知している。

 ただ、鳶姫伊御にとってこの展開は豪く想定外の結果である。

 確かに「佐藤真桜」という存在は今後、伊御が目標を達成するためには必要かもしれない、その能力を手にしていることは知っていた。だが、あからさまに想定外だ。


「紫原昴。どうやら、俺はアンタ達の下について正解だったみたいだな……」


 改めて喜んだ。

 そして、伊御は隣で立ち上がる一条奏を見る。


 耀きに包まれ、一度は臨死寸前だった奏は背中に突き刺されたナイフの傷一つなく、出血も見られない。まるで真桜の使用した力が全ての傷を浄化させたように傷痕一つ残らない。


 首を曲げ、音を鳴らした奏は隣にいる伊御に喋ろうとはしなかった。

 自分を殺そうとした人間に返す言葉もないのか。はたまた、何か企んでいるのだろうか。

 凛とした様子で奏は大きく息を吸うと、復活した奏に対して昴達は歓声を送った。


「まさか、あの土壇場で覚醒するとは思ってもみなかったよ、佳織」

「良い貴重なデータを取ることが出来た。これで新しい実験体(サンプル)を作ることが出来るわ」


 あくまでも己のペースで事を動かそうとしている二人は呑気に身内で会話を続けてる。


「さようならっていうのは、どうやらお門違いだったみたいだね。一条奏くん」


 静かに唸っていた奏の視線が昴に狙いを付けた。

 そして、立ち上がって間もない奏は昴のその発言を聞いた途端、伊御の横から姿を消した。次の瞬間、十メートル以上離れていた磔台の昴の元に奏は黒い影と共に移動を終えると瞬き一つしないまま、左拳を握りしめて全力で彼に向かって殴り掛かった。


「荒ぶっているねぇ、一条くん。でも、そんな程度じゃ、僕には勝てないよ」

「なっ!?」


 今度は、ハッキリと声を上げる。そして、目の前の様子に奏は悔しさを隠せなかった。

 奏が殴り掛かった拳を、紫原昴はたった指一本で受け止めた。それも今までの奏ではなく、自分の中に潜んでいるモノと協力して放った拳が意図も容易く、止められた。

 動揺は隠せない。


「どうやら、力を手に入れただけで効率のいい使い方(ヽヽヽヽヽヽ)までは熟知していないみたいだ」


 全てを察しているような発言が奏の思考を苛立たせる。

 そして、指一本で止められた奏は一度、地面に片足を付けると両手を振り上げて容赦のない乱れ打ちのような打撃を繰り出した。

 息も殺し、ただ一瞬の隙も与えない全力投球で攻撃を続けた。――――――だが、


「可笑しいな、涯に色紋(しきもん)まで使わせた一条くんがこんなに脆弱なはずないんだけどなぁ」


 あくまでも指は一本しか使わない。

 次々と打ち出される打撃に対して、丁度、正面に合わせるように指を向けて打撃を止める。奏の攻撃が一切当たらない。弄ばれているようにしか見えなかった。

 赤子の腕を捻るように昴は時折、欠伸をしながら、奏の攻撃を全て指一つで対処した。


「くっ!!」


 全ての攻撃を悉く防がれて、頭に来た奏は左腕を大きく後ろに引っ張ると同時に腕の回りを黒色の渦で覆い隠し始めた。

 それは奏が極僅かながら使用できる、奏の中の能力(ちから)「終焉」の力だ。

 内に潜む、闇を利用しようと無意識の内に奏はそれを引き出していた。


「おっと、流石にそれは指一本じゃ、止められないね」


 少し焦る、昴だったが口調と表情は噛みあっていない。余裕そうに奏が放つ打撃との距離を見計らって彼は部屋中に響き渡るほど大きく指を鳴らした。


「――――っ!?」


 勢いよく振りかぶって昴に向かって打ち出した打撃は空を切る。思わず、可笑しな叫び声が出てしまう、そのまま打撃は空を切って、磔台の根元にぶつかると勢いよく破壊された。

 歪な折れ方で磔台は崩れると、真桜の不意をくらった可笑しな声と共に崩れ落ちていった。


「いない……?」


 すぐに態勢を切り替えて背後を振り返ると少し離れた所で奏の方に向かって手を振っている様子が彼の目に止まった。三人は豪く余裕そうに振る舞っている。


 磔台を殴った左腕の甲の部分を摩りながら、奏はそこで初めて紫原昴と天原佳織の真ん中にちょこんと立っている弱々しそうな少女の存在に目が向いた。

 透き通るような白い肌、絹糸のように細やかで繊細そうな白い髪、背は低く、まだ十歳にも満たない。童顔で白のワンピースがよく似合った、ここにいてはいけない、さながら天使のような幼女が二人の間で、ちょこんとさり気なく立っていた。


「なんだ、あの子……」


 少し違和感を覚えた。

 具体的に言葉には出来なかった奏だったが昴達と共にいるということはタダならぬ、敵だと思いながら呼吸の乱れを整えた。


「今のはいい攻撃だよ、一条くん。君はまだ己の能力を百パーセント使いこなせてはいないみたいだけど向き合っていくことで、あの化け物とも共闘は出来るはずだよ」

「……化け物って、何であいつ俺の中にいる終焉のことを」


 戸惑いかける、奏。

 だが、そんな彼の疑心暗鬼な思考を払拭させたのは他の誰でもない、磔台から落下して来た真桜だった。パチンッ! と平手打ちが奏の頭を掠める。


「……った、何すんだよ」

「何するんだよって、私を殺す気ですか! 危うく、磔の瓦礫の下敷きになる所でしたよ」

「それにしても久し振りにあったのにこんな馬鹿みたいな会話をするなんてな」

「私だって思いませんでした。それに」

「それに?」


 耳を赤らめて下に俯いた真桜は両手を、もじもじとさせると小声で何かを呟く。だが、隣にいる奏でも聞こえない声量に思わず、彼は聞き返してしまった。

 その可愛い言動が奏の心をわしづかみにする。


「……た、助けにくるなんて思いませんでしたから」


 顔も見て居られないほど真っ赤に染まって、あの時の涙は何処へ行ったのかと思うくらいに二人の間は異様な空間に包まれていた。

 そんな様子に思わず、昴もため息をつく。


「これがラブコメって奴かい? 佳織」

「そうらしいわね、昴くん。見ていて鳥肌が立つのは何故かしら」

「アリスは見ちゃ駄目だよ」

「……うん、わかった」


 白髪の幼女――アリスは両目を自らの手で隠すと、ちょこんと昴の背後に隠れた。

 恥ずかしさの余り、悶えている真桜を見てこそばゆい奏は彼女の頭を二度、ポンポンすると優しい目をしていた奏の表情は今までの状態に戻った。


「浮かれるのはいいけどさ、真桜。ここで終わりじゃねぇんだ、まだやることは沢山ある」

「……は、はい。そうでしたね」


 遠く離れた昴を奏に目を付けた。

 しかし、彼の様子を見ても全くと言っていいほど戦意が見られないのが少し気になる。敵の大ボスとも言っていい人間がこれほどまでに静かな雰囲気を持つとは想定外だった。


 となれば、少し気がかりではあったが奏は真桜奪還と共にもう一つの目的を実行するために先ほどまで奏のいた地点から少し離れた場所にいる鳶姫伊御に目を付けた。

 さながら、その眼は狩りの目付き。――――狙った獲物は逃がさない。


「……いくか」


 一条奏が地下七階に来た時と依然、真桜を攫う時に戦った時とでは大きく違うことがある。

 平たく言えば、戦闘能力が上がって、自分の限界を知ると共に、今まで以上に戦いの知恵と知識を得た。――――つまり、何を言いたいのかと言えば、


「くっ!?」


 どれだけ冷静な観点で物事を熟せるか、膨大な知恵と知識のお蔭で奏は知った。


 「1から100を生み出すことは造作もない」けど「0から100を生み出すことは困難」だ。


 攻撃がスタートする直前に行われる、事前行動(モーション)

 幾ら拳だけで岩を破壊することが出来る人間でも、隙だらけの人間は勝つことは出来ない。それに能力という規格外の力が備わっただけで戦場の状況は一挙に天変される。

 つまり、奏が何を得たのかと言うと、どれだけ少ない動作で最大限の力を発揮できるか。

 走り出す時に腕を降るのではなく次の動作に行かせるような、構えで立ち向かう。


 そんな一瞬の動作の違いが伊御に隙を生ませて今までは打撃すら与えることの出来なかった奏に勝機をほんの少しでも与えてくれた。


 地面を転がり、止まった所で殴られたことを認知した伊御は悔しそうな表情を浮かべながら立ち上がる。そして、今の一撃で痣が出来た頬と鼻血が出た鼻を軽く摩ると鳶の目が滾る。


「あの時の一発、今、返したぜ」


 あの、たった一撃くらった打撃が現在の一条奏を創り上げた。

 全ては誰かを護るために得た知識を存分に扱って奏は再び、伊御に立ち向かう勇気を得た。

 遠くで薄ら笑いを浮かべる紫原昴は既に眼中にはない。

 一条奏と、鳶姫伊御の視界に映るのは互いの存在だけである。


「いいねぇ、それでこそ奏だ。俺の中の血が滾る」

「さあ、始めようぜ。友達同士の大喧嘩を」


 真桜は取り返した。後は、親友の目を覚まさせるだけだ。


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