第二十一話「悪友」
その問いを聞き、真剣な表情で十三は思い悩んだ。
「……悪友だと?」
しばらく、その場で考えてみたが十三自身も、そして所属する組織に関係する人ではないと結論付ける。元々、浅く深い関係をしている彼達に友達なんていないのだから、そこは少しでも考えてしまった十三のミスである。
飛鳥に向けて放つようにと蓄電させていた雷撃を鎮めると、ニタリと十三は笑った。
「ああ、うん」
「そうか、だが正体なんかはどうでもいい。ここに来た以上、お前も殺す。それだけだ」
十三の、その戦闘に対する前向きな意欲的な戦意と一緒に考察されていたのは今、目の前に立っているこの人間の正体は一体、何なのかと言うことだった。
JOKERと名乗るリーダー、紫原昴の言い分によれば、高校生組の中にこの人間像の敵はいない。となれば、考えられるのは昴が言った別組織の人間なのだと考えた。
幾らか早い気もする。――――だが、あれから、四時間も経っている。最も早く到着すればこのくらいだろうと十三は安直な思考回路で考えた自分なりの結果に至極満足した。
「いや、恐ろしいよ。簡単に人を殺すだなんて、そんなの僕には出来るわけ無いじゃないか。戦いだなんてそんな無粋な真似、僕には到底できないよ」
本気で慌てているのか、それとも演技をしているのか。頭に血が昇っている十三には判別が出来ない。だが、取りあえず味方ではないことは確定した。ならば、ただ殺すだけだ。
両手を前に伸ばすと蓄電されていた雷が掌の間を縫って、轟々と音を立て始めていった。
まず、感じるのは恐怖。雷とは意図も容易く人を殺めることが出来る。
次に感じるのはその音。刺激された恐怖の音は人の心を僅かでも、揺れ動かしてしまう。
「うわぁ、雷かー。これは少し危ないかも知れないねー」
悪友――、と名乗った青年の言葉と表情が噛みあっていない。
口では驚き、恐怖しているようにも思えるが表情は能天気具合が露わになっている。まるで雷の攻撃に対して何の恐怖も、興味も、関心も、抱いていない。
ただ純粋な眼差しで、青年は不敵に笑みを浮かべ始めた。
そんな彼の様子に酷く気分を害した十三は両手を広げ、そして、雷で虎を創る。
「雷虎」
次の瞬間、まるで幻覚でも見ていると錯覚してしまうほど鮮やかな虎が創りだされた。雷を纏っている虎は十三の隣で大きく咆哮すると颯爽と駆け抜けていく。
そして、その雷虎は大きな牙を見せつけながら、エレベーター前にいる青年に向かって雷を口から放つと同時に食いちぎるような勢いで飛び掛かって行った。
眩い光が辺りを輝かしく照らす。
「それにしても、別の組織か。最強と言われていた“ヴァイスハイト”も堕ちたものだ」
七色家が裏から手を回して作り上げた最強の能力者集団であった“ヴァイスハイト”も別の組織に襲撃をされることなんて初体験だった。
だが、大した手ごたえもなく一瞬にして、敵は灰となった。
「これだったらまだ、そこにいる斑目飛鳥の方が殺しがいのある丁度いい暇つぶし相手だ」
「…………っ!」
身体の動けない飛鳥は壁に寄りかかりながら、少しでも勝率があがると思っていた。だが、立ち塞がる目の前の敵はあまりにも強大で、自分には大きく見えた。
振り返ると飛鳥の方に近づいて行く。
「安心しろ、お前だけじゃない。ここに乗り込んで来た奴は全員、皆殺しだ。少し先に死ぬだけだ。後で全員、お前の所に送ってやるよ」
乾いた笑いがエントランスホールに響いた。
とても人間が言う台詞とは思えない残虐無比な発言を口にする十三の目は笑っていない。
「それにしても、お前も哀れだな」
壁に寄りかかって動けない状態の飛鳥の目の前に立ち止まった。
大きく影が出来、いかに自分が何百倍も強い敵と対峙して来たのか実感してしまう、飛鳥。折れている足の感覚はないが身体中がギシギシと痛むのは少しだけ慣れてしまった。
ここで飛鳥の身体が急に寒気を催した。――――それは今まで懸命に戦い続けてきた飛鳥が少しだけ、解いた緊張感が十三の獰猛な殺意に犯されてしまったからだ。
まるで真冬の夜に薄着で外にいるような、強烈な寒さに飛鳥の表情はどんどん青ざめる。
「今さら、後悔しても遅い。ここに来た時点でお前の死は決定していたんだ」
死んだ魚のような目で飛鳥を見下ろしながら、蔑むように十三は飛鳥を追い詰めていった。
時間は残り一分となる。
最後の時に余韻を残しながら、絶望の顔色をする飛鳥を見て最高の笑顔を十三は浮かべた。
「そうだ、その顔だ。俺は人が絶望し、恐怖する表情が大好きなんだよ」
「くっ……」
狂い、狂う。
二度目の死期に心臓がいつになく加速し、鼓動がいつになく速く進んでいた。
「時間もないみたいだから、一瞬で殺してやる。痛みはない」
雷撃を纏った十三の掌が鋭い刃となって、飛鳥の心臓を突き刺そうと大きく後ろに引いた。飛鳥自身、全てを終えたと恐怖のあまり、両目を閉じて最後の映像を脳裏に映す。
白髪の死んだ目付きをした獅子島十三の皮肉にも最高の笑顔が脳裏から離れなかった。
息を殺して、殺されることに全てを受け入れてしまった飛鳥だったが、しばらくすると息をしている。抱え込んでいた苦しさが一気に抜けると、身体の何処にも痛みが無いことに今、気づいた。
真っ暗な視界を開けるのが怖かった飛鳥だが瞼をゆっくりと開けて神々しい光が射し込むと視界の先で起こっている惨劇に思わず、目を疑うほかなかった。
「かはっ……」
黒々しい煙を上げながら、横に吹き飛ばされていく十三の身体。そして、彼のしまっていた懐中時計が宙を舞い、そして木端微塵に粉砕される。
飛鳥が見えたのは十三の胸元に直撃している、黒々しい光の道の跡。
そこから、ゆっくりと光を辿って行くとエレベーターの前まで辿り着いた。そして、青年が飛鳥の方を見て小さく手を振ると凛々しい声が遠く響いた。
「悪改造」
何が起きたのか、その場にいる中で理解できるのは力を使った青年のみだろう。明らかに、十三の攻撃は当たったはずだったのだが、彼の方を窺うと無傷である。
しかも、余裕綽々とした表情で崩れ落ちた十三を見下すように見ていた。
「僕が誰なのか、多分、君にとってどうでもいいことだと思うよ」
悠然としながら、青年は二人の元に歩いて行く。歩幅は小さく、十三が立ち上がるまでには到着できるほど、ペースの遅い歩みだった。
吹き飛ばされて、数十メートル転がった十三は青年の生存と共に今、受けた攻撃が見えないほど速く、凄まじく轟々としていた様に避け切れることが出来なかったと焦る。
身体が自由自在に雷に形状化できる十三だったが、任意で変化できることもあって、それを怠ったのも関係しているが恐らく気付いたとしても避けきれない、と本能的に察する。
「お前、一体なにをした?」
地面に手を付いて立ち上がる十三の声を聞いた青年は、わざとらしく聞こえなかったフリをすると壁に寄りかかって身動きできない飛鳥の真横で立ち止まった。
そして、十三ではなく飛鳥の方に視線を向けると中腰に屈んで彼の顔を覗きこむ。
「うん、なるほどね。君が斑目飛鳥くんか」
「はっ!? ど、どうして僕の名前を」
「とある人とでも言っておこうかな。情報は全て聞いている、だから安心して欲しい」
全身黒ずくめの青年が初めて、飛鳥に怒ったその表情を露わにさせた。
それは普段は感じることのない人の憤怒が空気に伝染して、ピリピリと肌を伝わって来た。一瞬にして青年の顔つきは、ふざけていた最初とは違う、凛々しい顔つきに変わる。
「僕は君の味方だ」
だが、次の瞬間、飛鳥の目の前にいた青年の姿が轟々たる雷撃の音と共に姿を消した。
そして、数秒後、十三が進行方向の壁に向かって青年を押し潰そうとしている様子が飛鳥の目に止まる。雷を帯びて光速の速度で駆け抜けていった十三は一瞬の出来事のように、彼を壁まで押し込んでいた。
数年振りに攻撃を受けた十三は額の血管が浮き出るほど、怒り狂っていた。
「いい度胸だ、貴様。俺に怪我を負わせるなんて」
アイアンクローで壁に押し付けられる青年は表情一つ変えずに攻撃をくらう。雷の副作用で身体能力が飛躍している十三にとって人間の頭を片手で潰すことは造作も無かった。
少しずつ、力を強めていくが息をしているのか、曖昧な青年は声を上げることは無い。
「殺す前に聞いておいてやる。貴様、何処の組織の所属だ?」
少しでも有益な情報を得るために殺す前に情報を聞き出そうとする。しかし、そんな十三の発言を聞き、何を思ったのか掌から外れている口周りがゆっくりと上がり始めた。
林檎を握り潰すほどの握力で人の頭を握っている十三だったが、そんな攻撃を屁でもないと感じながら青年は余裕そうな笑みと共に彼の質問に対して応えを述べた。
「組織? 生憎だけど、僕は一人が大好きなのさ。所謂、一匹狼って奴かな」
自分が殺されるかもしれない、という状況下の中で嘘を付く必要性はあるのか。と思うほど彼の発言は嘘だらけに感じられた。
だが、組織をバラさないために付いている必要な嘘なのかもしれない。
「ああ、でも一つだけ付け加えがあるとすれば……」
考察していた十三の掌を力ずくで剥ぎ取ろうとする青年を見て思わず、唖然としてしまった十三は反応が少しだけ、遅れると再び強く握り潰そうと力を込めた。
だが、青年は壁に押し付けられながら、毅然とした振る舞いで彼の強固な掌を押し退ける。――――と、同時に青年の周囲を囲むように黒々とした稲光が十三の目を疑った。
「僕は信じる友のためなら、命だって厭わない」
次の瞬間、十三から聞いたことのないような大きな奇声が部屋中を轟かせる。浴びたことのない質量の黒い雷が十三の身体中を這いずり回るように襲い狂う。
そのタイミングで青年は十三の掌から脱出をすると目の前で雷を浴びる彼を見て平然とした様子で真横を通り過ぎていった。
「久し振りに再開しようとしている悪友との時間を邪魔しないで欲しいな」
「き、貴様……」
だが、青年は知らなかった。
獅子島十三にとって電撃は逆に彼を強くさせてしまうことを――――。
「舐めたことをしてくれる」
敵の電撃をくらった十三は口元が少し切れる。それを拭うと青年の方を睨んだ。
飛鳥の使った強力なスタンガンとは違って性質のよく判らない黒雷を浴びた十三であったが攻撃をした種類は電撃には違いないので、それも自分の体内に蓄えることに成功した。
帯電している十三の電撃が無意識の内に体外に漏れ始めた。
バチバチ、と鋭い音を鳴らしながら、十三は距離の離れている青年の元に歩み寄っていく。
「俺にこれを使わせることを光栄に思え」
「何それ? アニメのボスキャラが言いそうな台詞だね」
青年の真正面に立った十三は身長さがあるので、ゆっくりと首を曲げて青年を見下した。
静かな殺気を放つ二人の間合いは次第に近づいて行くと、何処かで落ちた瓦礫が音を立てて壊れた瞬間、目を見張るような勢いで二人は拳を振りかぶった。
死んだ目付きをしている十三が、いつになく本気の様子を醸し出している。対して、青年は変わらずに冷静な様子で攻撃をしてくる十三を順々に対処していった。
「雷鳴太鼓」
静かに発する。
両手を合わせ、高々とした位置から青年の頭部に向かって腕を振り降ろす。
「その程度かい?」
嘲笑うように十三の雷鳴太鼓を回避する。紙一重で避けた青年はそのままの勢いで半回転をすると彼の背後に立ち、足に力を込めて跳び蹴りをかました。
頭を蹴られて態勢が崩れた十三は前のめりに倒れかけるが、何とか保つと着地しようとする青年の足を後ろに手を回して握りしめた。
「なっ……!」
「ふん、くたばれ」
蓄電していた電気を青年の体内に流す。感電するように青年は小刻みに震えながら、黒煙を上げていた。そして、十三は雷をくらった青年を勢いよく壁に向かって叩き投げた。
電撃をくらって痺れていた、ということもあるが青年話すすべなく吹き飛ばされる。
「流石に感電は僕も対処出来ないよ」
背中の痛みと感電した作用で素早く動くことが出来ない状況の青年は呆れるようにため息をする。遠くに見えるのは今までの十三とは違う雰囲気を纏う、敵の姿だった。
黄色いオーラを纏いながら、蓄電した雷を外部へと漏らし続けている。周囲の空気が雷鳴の力で振動をしているのが見ているだけでも判別できた。
「雷鳴槍」
手に携えるのは稲光する白い槍。そして、十三が力を込めると飛鳥に向かって投げたのとは比べものにならないほど巨大な雷の槍へと姿を変えていった。
唖然とする青年はすぐさま、この場から逃げようとするがまだ痺れは取れない。
そして、十三が投擲をするために大きく後ろに振り被った瞬間、風を切ってもの凄い速さで稲光する槍が青年に向かって飛んできた。
「これを使うのは卑怯な気もするけど背に腹は代えられないか」
痺れがとれた青年だったが、既に目と鼻の先には投擲された稲光の槍が差し迫っていた。
そして、槍が青年の身体を貫こうとした直前、ニタリと笑いながら、彼は呟いた。
「……悪改造」
次の瞬間、十三の投擲した槍は青年がいた場所の壁に突き刺さった。いや、あまりに鋭利な雷槍であるがため、壁を貫いてエントランスホール隣にある部屋を幾つも突き破った。
それと同時に十三は背後にいる青年の気配に気づき、振り返る。
「どうやら、俺と同じ雷使いだと思っていたが見当違いだったみたいだな」
歪な空間を作り上げ、そこから登場した青年を見た十三は見当違いの結果に首を横に振る。振り返った十三の目の前に降り立った青年は嘲笑うように登場すると少し疲れを見せた。
「出来れば使いたくないんだよね、この技は。だから、降参してほしいな。雷の人」
「降参? はっ、馬鹿げたことを。俺が誰なのか知らないみたいだな、貴様は」
「ご生憎様。無知で全能なのが僕の取り柄なもんで」
「ふん」
青年の発言を鼻で笑った十三は今まで彼に浴びせられた雷を全面的に露わにさせた。全ての電撃を外に解放させると改めて、青年の前に立ち塞がった。
死んだ目付きが、いつになくやる気になっていた。
「貴様はここで必ず、殺す」
「残念だけど、それは無理だ。僕の力は全てを奪うことが出来る。略奪の力だ」
睨み合った両者が目線を合わせて動きを止めた。
どちらが先に攻撃を仕掛けるのか、それは誰にもわからない。空気が静まり、雷鳴の轟音、そして彼の勝機を確証した小さな唸り声と共に地下六階は最高潮に高鳴った。
「悪改造っ!!」
「驚浪雷奔っ!」
鳴り止まぬ轟雷を両腕に纏い、数メートル先の青年に向かって十三は轟雷を叩き落とした。
対する青年はそんな屈することなく立ち向かう十三を見て、表情を一つも変化させず握った掌を片方の掌の上に乗せると改造を施した別の能力で立ち向かう。
「黒棺」
瞬間、十三は立ち止まった。――――いや、立ち止まらなければならなかった。
何故ならば、十三を覆い隠すように黒色の棺が彼を閉じ込め、身動きが取れないようにしたからである。一旦、攻撃を中止した十三は何も見えない空間に立ち往生してしまう。
くるっと、辺りを一回りするが地下六階の景色は愚か、光一つ入ることのない黒一色。
「君は一つ勘違いをしているようだ」
黒棺によって隔離された場所にいる十三に向かって、彼の言葉に異議を申し立て始めた。
それは外部からの情報が無い十三にとっては何処から攻撃が来るのかという緊迫した状況と同時に青年の言葉から、場所を特定する丁度よい機会となる。
「確かに僕は雷を使う能力者じゃない。だけど、君に劣るほど、雷の力は脆弱じゃない」
そう告げた瞬間、青年の利き腕には黒光りした雷が人智を超えた勢いで集まり始めていた。その勢いは強烈である。十三よりも輝きは劣化し、雷の量も半分ほどではあるが何故だろう今この場で青年が十三に負ける気は感じられなかった。
拘束され、真っ暗の世界に居る十三にも、それは本能的に察しで確認できた。
「な、何をする気だ!」
そんな問いに不敵な笑みを浮かべながら、青年が哂った。
「なに、実験だよ。君がどれくらいの雷まで蓄電できるかどうかの、ね」
十三が両手を前に伸ばし、前方の攻撃を受け切る体制にはいった。
本気で敵を甚振る青年にとって、その声は仮に届いたとしても止めることはないだろう。
ただ、青年がひた向きにここまで動くのはたった一人の悪友の為だった。
「黒雷炮」
瞬く間に放たれた黒い稲妻は黒棺を真横に貫通する。
真剣な表情で仁王立ちをする青年はしばらく黒棺を見たのち、解除する仕草を見せると棺は効力を失い原型を消失した。
そして、中から蓄電出来ない量の雷を受けた十三が気絶しながら、前のめりに崩れ落ちる。白目を剥き、既に意識がないはずなのに十三は立ち去ろうとする青年に手を伸ばして小さな声で投げかけた。
「き、貴様……、何者だ?」
「別に君に名を明かす必要は今の僕にはない。だけど、僕はあえて答えてあげよう」
背を向けたまま、十三の方は決して見ることは無く青年は両手を広げて問いに応えた。
「僕は空閑双月。親友、一条奏を助けに来た地上最強の彼の悪友だよ」
過去に、夢を持ち、希望を描き、絶望を知った彼の悪友はもう負けることはない。
絶対的な勝利の中で青年、空閑双月は鮮やかに彩られた自分の未来を想い、進む。
地下六階。
「雷帝」獅子島十三vs.「地上最強の悪友」空閑双月。
――――Win.「地上最強の悪友」空閑双月。
033
一条奏の悪友と自称する――空閑双月が地下六階に辿り着き、獅子島十三を撃破する丁度、二十分前。地下六階に飛鳥を置いてきたことを酷く後悔し、今すぐにでも戻ろうとする奏を粟木一徹と姫宮アゲハは必死で止めた。
「離せよ!! 斑目が! 斑目が!」
「馬鹿を言うな、一条。あいつの犠牲を無駄にする気なのか!?」
「犠牲? ふざけたこと言ってるんじゃねぇ! 斑目は、今すぐ斑目を助けに行かないと!」
「あいつがどんな思いでこの行動を起こしたのか、わかって言ってるのか!?」
「判らねぇよ、俺は自分の命を助けてまで友達の命を無駄にはしたくねぇんだ!!」
地下七階。
五分以上もエレベーター内で行われていた喧嘩は鎮火するどころか、落ち着かせようとする一徹の言葉が原因で火に油を注ぐ状態になっていた。
エレベーターの外に降りた三人。奏はすぐさま、戻ろうとするが一徹が両脇に腕を伸ばしてそれを阻害しているためか、宙は足に付かず、ジタバタと暴れまくっていた。
そんな奏を見て最後にエレベーターの中から降りたアゲハは彼の正面に立つと手を伸ばす。
そして、容赦のない平手打ちが奏の頬を突き抜けた。
「一条くん、君は何もわかっていません」
何故、叩かれたのか。奏は思わず、黙り込んでしまう。
いつにない真剣な眼差しを見せたアゲハは飛鳥の思う所を代弁するように語り始めた。
「斑目くんがどんな気持ちであの場所に残ったのか、そんなこと分かり切っているじゃないですか。私達の目的はなんですか? 佐藤真桜さんの奪還です。それを実現するためには誰が最も有能ですか。一条奏じゃないですか。だから、斑目飛鳥くんはアナタのことを、そして佐藤真桜さんのためを思って、自らの安否と引き換えにアナタを送り出したんです」
アゲハは続けて物申す。
静まり返る、地下七階の入り口で奏は一徹の腰を軽く叩くと、彼は奏を地面に降ろした。
「それなのにアナタは斑目くんのことを助けに行くとか、舐めたこと言わないでください。斑目くんには斑目くんにしか出来ないことがある。一条くんには一条くんにしか出来ない、大切なことがあるんです。それを弁えて下さい。アナタは私達のそして佐藤真桜さんの最後の希望なんですから」
冷静沈着でそんな素振りなんて見せたことが無かったアゲハが初めて憤怒した瞬間だった。押し黙ってしまった奏はビンタされたことで落ち着きを取り戻すと今度は自分で両頬を叩き大きく息をついた。
焦っていた奏の表情から、そんな動揺は消え、目の前のことにしっかりと意識を向け直す。
「ありがとう、姫宮」
「いえ、私はありのままを言っただけですから」
ようやく元通りになった奏を見て一徹は「それじゃあ行くぞ」と先導を開始する。この先に待ち構えるのは敵と救出する真桜のみである。
全てをさらけ出し、全てを倒して、真桜を救う。――――それが今の目的だ。
「それにしても、本当に何もない所だな」
ボソっ、と独り言のように呟いた。
「地下七階にあるのは大きな実験室と天原佳織専用の研究室だけですから、必要最低限のみ備わっているシンプル以上にシンプルな場所ですよ。ここは」
直線の道を小さな足音を立てながら進んでいく。目の前には誰もいない、何もないこの場はまるで誰もいない廃墟のような場所のようだと錯覚してしまう。
薄暗く、足元さえ不確かなこの場所を一徹の背中を捉えながら、確かな一歩で進んでいく。
そして、三人は五分の直線を終えて目の前に大きな扉へとたどり着いた。
立ち止まって、全員が横一列にならんだ。
激しい呼吸音が空気を振動させて、皆の耳へと聞こえてくるが誰も気に留めはしなかった。唾をのみ、呼吸を整え、高鳴る鼓動を押さえつけながら、奏が一言、声を上げる。
「開けるぞ」
その扉には鍵は掛かっていない。
機械の扉で出来ている、その大きな門は奏が一歩、前に足を伸ばすと横スライド式に自動で開き始める。まるで奏が来ていることが予測されていたかのようにタイミングよく、開く。
部屋は真っ暗だった。
「……真っ暗ですね」
数時間前に訪れた彼女は人知れず、声を上げると自分が知っている位置にある電源ボタンをつけようと一時的に二人の元から、離れる。
そして、数秒後。アゲハの気配が奏と一徹の前から途切れた。
「おい、姫宮?」
少し冷静さに綻びが入り始めた奏だった。そして、三十秒も経たぬうちに今度は後ろの扉が閉まった。これで出口は完全に封鎖されることとなる。
そして、暗闇に陥っていた地下七階の実験室が突如、眩い光に包み込まれた。
「うっ……」
いきなり眩しい光に目をやられた奏は虚ろに光り輝く蛍光灯に慣れると、ゆっくりと両目を開け始めた。そして、次の瞬間――――――、目の前に見える光景に冷静だった感情が一気に沸点を超えた。
「まおぉぉぉぉぉ!!」
壁に張り付いて、幾つものプラグに繋がって、磔の状態になっている真桜がいた。
唸り、光に過剰に反応した真桜は片目を開けて虚ろな状況で焦点を合わせると待ち焦がれた奏が視界の中に映った瞬間、今までの疲労感が全て消え、表情が一変する。
「かなで、さん……?」
磔台の所には誰もいない。
敵もいなければ、気配すら感じ取ることが出来なかった。
だからだろう。
そして、真桜を見て少し混乱していたからだ。
――――全てが可笑しいと、判別できなかったのは。
奏の右隣に姫宮アゲハの姿は無い。
奏の左隣に粟木一徹の姿は無い。
それに奏は気づいていなかった。
ただ、真桜しか目に入っていなかった。――――だから、陥った。
「かなでさん」
真桜の声が聞こえる。
真桜の顔が見える。
真桜の安否が窺える。
そんな、一瞬ともいえない大幅な奏の他に対する意識の行き通ってない油断が悪夢を生む。
「――――逃げて! 奏さん!!」
カラカラな喉で最後の力を振り絞って、荒げた声は一瞬、奏の耳元ではじけ飛ぶ。しかし、ここで奏は真桜の言葉で少し冷静さを取り戻した。
だが、既に周りに目を向けて状況の変化に対応しても、結果を変えることは出来ない。
「残念だ、奏。お前はもっと賢い奴だと思っていたよ」
ぶすっ、と言う疑似的表現な音と共に奏の身体は一切、動かなくなった。――――――と、同時に目で見えていた景色が少しずつ、歪み始めると下半身の感覚が消えた。
「……っ!」
ゆっくりと意識はあるのに体が動かない状況に頭が順応し始める。だが、奏は動けない。
降下する身体に何の対処も出来ないまま、奏は地面に顔面を叩きつけると首だけを動かして真桜のいる方に視線を向けた。
「やあ」
先ほどまで誰も磔台の下にいなかったのに人が座っていた。目線があった彼は手を振る。
その人物は一言で言えば「無」であった。
何もない、そこに存在しているかすら、認知できないほど。奏は考えれば、考えるほど理解出来ない。最初からそこにいたかもしれないし、いなかったかもしれなし。
上下白のプルオーバーパーカーとサムエルパンツを着ている人物はパーカーのフードから、はみ出している紫髪の毛先を弄りながら、奏に対して最初で最後の言葉を告げた。
「初めまして、一条奏くん。――――――いや、さようなら」
鼓動が張り裂けるように、突如、奏は無気力になった。
意識が段々と虚ろになっていく。朦朧とする視界に真桜に向かって手を伸ばそうとしたが、届かない。彼の右手はそのまま何もつかめずに、地面へと落下していった。
「……ま、お」
静かに目を閉じていく奏を見て、必死に叫ぶ真桜だったがその声は彼には届かない。
ゆっくりと沈んでいく瞼になんの抵抗も出来ぬまま、奏は闇に溺れて暗闇に飲み込まれた。




