第六話「喫茶店」
009
入学式を午前で終えた奏と伊御は街へと繰り出すと昼食を食べるためにお店を探す。一条宅の近くなので奏がよく利用する繁華街。伊御よりも詳しいことは頷ける。
それでも先導していく伊御について行きながら奏は入りやすそうなお店を探していた。
「それにしても……」
奏は立ち並ぶお店の中を確認すると静かにため息を付く。
この繁華街は学校からもっとも近い人の集まる場所。そして寮生にとってこの場所は最寄りの場所だけあって、神代学園の生徒は視界に入るだけでも数十人はいることだろう。
ガラスから見える制服は今日だけでも百人以上は見た後姿だった。
「それにしても人多いな」
「まあ、寮から一番近いし、お手頃だからな、この繁華街は」
「そう言えば伊御って寮で暮らすのか?」
素朴な疑問をぶつけてみる。
すると伊御は「よくぞ聞いてくれましたっ!」と若干、威張りながら奏の方に体を向けると胸を張って得意げな表情を物欲しげに浮かべた。
「俺は鳶姫本家から嫌われているからな、中学の頃から金を払って貰って一人暮らしだった」
「ボンボンだな」
「まあ、一人暮らしより寮で相部屋になった方が少しは面白くなれるかなって思ってよ」
「それで相部屋の人って誰なんだ? たぶん、同じクラスの奴だろ」
「……そ、それがな」
シュンッ、と一気に伊御の表情は暗黒も真っ青の表情を浮かべ始めると肩を降ろしていた。そんな光景を見た奏は密かに察する。
「いや、腐っても七色家だからよ、優遇されてさ。一人部屋になっちまったんだ」
「……よしっ」
予想が当たった奏は静かにガッツポーズを小さくすると落ち込んでいる伊御の肩を叩いた。
「ま、気にするな」
「気にするわ! だってよ、寮の部屋は基本的にクラス順で、A組とB組の奴らが一人部屋でCからE組の奴らは全員、二人部屋もしくは三人部屋になるんだよ。だからさ、余計に気まずい」
E組の寮の場所に一人部屋で暮らしている生徒がいれば、それは憎悪の対象になるだろう。奏はそんなことを思いながら蔑むように伊御を鼻で笑った。
頬が垂れてきそうなくらい落ち込んでいる伊御の隣で介抱しながら、時間は過ぎていった。人気の多い繁華街を突き進んでいく内に段々と伊御の気分も戻っていく。
そして、伊御は肩の荷を上げると隣で歩いている奏に声を掛けた。
「ちなみに奏って寮から学校行くのか?」
「いや、俺は自宅登校だけど」
「へー、いいな。自宅登校。憧れるわ」
「俺は寮住みの方が憧れるな」
「まじで? じゃ、じゃあ入――――」
「嫌だ」
「即答過ぎるわっ!!」
オーバーリアクションを取りながら繁華街を歩いて行った。過ぎゆく人達は伊御の可笑しな行動に気味悪さを覚えながら、避けるように道を開けていく。
そんなことも露知らず、伊御は一本道のように続く道を奏よりも先に歩いていた。
「それにしても、やっぱり昼時だな。全く、お店が開いてない」
「まあ、神代学生が一杯いるから仕方ないよな。何処か、近くのファミレスにでも入ろう。腹が減った、もー、動けない」
腹を押さえながら、きゅるきゅる、と音を立てる伊御。
それを馬鹿にするような奏の失笑する声が聞こえていた。
これが出会って数時間のクラスメイトだから、奇妙奇天烈である。昔から中の良い親友同士の掛け合いが如く、妙な親近感と急接近までした信頼関係があった。
そんな二人を余所に繁華街に人は溢れかえっていた。
何処のお店を覗きこんでも、神代学園の制服を着ている人で溢れかえっている。こんな光景を見ると、ここには神代学園の生徒しかいないように錯覚してしまう。
「あ、悪い。メールだ」
伊御がふら付きながら、歩く背後で奏がふと立ち止まって携帯電話を取り出した。
最新型のスマートフォン。いまいち、使い方は覚えていないが妹の助言によって、つい先日購入した。もちろん、全てのお金は親持ちである。
中学の頃は妹達が携帯を持っているのに奏は所持していなかったので、このさい。と両親が半ば強引に持たせてくれた、生まれて初めての携帯だった。
「メールが受信されたよ」という文字の横に手紙の絵文字が浮いている。そこをタッチするとアドレス帳にまだ六人しか載っていない内の一人、妹の一条響からのメールだった。
『お兄ちゃんへ。
今日は色々と忙しいから、お昼ご飯は食べて来てね♡』
と、今時の中学生ばりに絵文字と顔文字と色々な表記がしどろもどろだった。
いまいち、メールの返信になれていない奏が難しい顔で画面を見ていると背後に回って奏のメール内容を盗み見ようと伊御が近づいていた。
「メールだれから?」
「ん? 誰からって……、響から」
「響!? 誰それ、誰それ!!」
伊御の異様な喰い尽きに思わず、奏は半歩引いた。
前方に素早く移動した伊御は差ながら、忍者の如く影分身をして奏の前に立ち塞がる。
「絶対に女の子の名前でしょ? 誰、誰? もしかして、彼女とか」
「違う」
「うーん。じゃあ、あれだ。長年付き添って互いが互いのことを好きだって知っているのに今までの関係が崩れるのが嫌で、あやふやな関係を十六年間も続けている幼馴染みだろ」
「違う。ギャルゲーの主人公か、俺は」
「それも黒髪のパッツンで髪の長い子だ!」
「違う。ラブコメの主人公か、俺は」
あまりにも節操なく、聞いてくる伊御に対して若干の苛立ちが芽生えた奏は携帯電話に目を落しながら、伊御の脇腹に向かって鉄拳を繰り出す。
「い、った……」
黙らせるために少々、強く打ったことが効いたのか、伊御は脇腹を押さえながら苦しそうな顔色で奏の後ろ姿をじっと窺っている。
そんなことも露知らず、奏はメールの返信を行いながら人気の多い繁華街を歩いて行った。
「ちょ、待てよ。奏!」
「待たん、お前に関わってたら日が暮れる」
今にも倒れそうな伊御を尻目に奏は黙々と響にメールを打ちながら、突き進んで行った。
歩行者天国のこの繁華街はとにかく人の入り混じりが激しく、その上、お店が沢山あるので少し視線を下ろすだけで簡単に人とぶつかってしまう。
正面の人も、避ける隙間が無いくらいに今日は人が賑わっていた。
「……送信っと」
そんな中、奏がメールを打ち終って、ふと顔を上げると前方少し前に「神代学園」と背中に書かれたジャージを着ている生徒達を目撃する。
今日は一年生しか来ていないはずなのに、と思った奏はすぐに部活関連だと気付いて勝手に納得する。確か、青色は二年生のジャージだったと資料に書いてあった内容を思い返していた。
そんなことに現を抜かし、徒歩とは別のことを考えていた奏は前方に腰をかがめていた女性に気付かず、そのまま、体勢を立て直した女性とぶつかってしまった。
「いたっ……」
奏は素早く地面に手を付いて正面に目線を向けると自分のぶつかった相手を発見する。その女性は怪我をしていないものの、着ている服に奇抜さがありすぎて奏は唖然としながら立ち上がる。
そして、素早くその女性に手を伸ばした。
「すいません、考え事をしていたもので。大丈夫ですか?」
「大丈夫、大丈夫。私もちょっと前方不注意だったのでお互い様だね」
立ち上がった女性に改めて目を向けた奏はその容姿と着ている制服にやや違和感を覚えた。
すらっとした綺麗な顔立ちはその服を着ていることで若干のあどけなさを連想させる。小首を傾げる様はまるで自分がご主人様になったのかと錯覚してしまうほど、その姿は似合いすぎていた。
その女性はこの人気が集まる繁華街で、メイド服を着て、チラシを配っていた。
「ん? どうしたのかな。私の顔に何か付いてる?」
「いや、その服……」
「ああ、メイド服のこと?」
ひらっ、とスカートの両端を掴んで見せつけた。
思わず、ドキっ、と胸が高鳴った奏は少々、顔を赤らめながら、にやけている様子を女性に隠すために口元を手で隠した。
メイド服に興味を持った、と思った女性は視線を逸らしている奏をじっくりと見つめる。
そして、何を思ったのか手を叩いて、閃いたような表情を浮かべると空いている片方の掌をぎゅっ、と握りしめて驚いた奏の顔を見上げる。
「君、可愛いね。どう、うちでバイトしてみない?」
逸材を見つけたとばかりに目を光らせながら、女性は奏にぐいぐいと押し迫っていく。
「い、いや。それはちょっと……」
「大丈夫。最初は誰でも難しいけど、お姉さんが教えてあげるから!! さあ、さあさあ」
ぐいぐいと鼻息を荒くしながら、近づいてくる女性の衝動を滾らせていたのは目の前にいるメイド服の似合いそうな新人アルバイト候補という逸材の確保だった。
押しに弱い奏は首を小刻みに振りながら、否定するも女性はリアクションを変えない。
しばらく、しどろもどろしている奏の背後から、口元から色んなものを吹き出して笑い声をあげている伊御がやって来た。
必死に堪えていたが、耐えきれなくなった伊御は腹を抱えていた。
「ぷっ、あははははは」
事情を知っている伊御は奏の動揺と女性の熱心な勧誘に思わず、笑いが止まらなかった。
周辺を歩いている人は関わってはいけないと、すぐに目線を逸らして小走りで走っていく。ただ、奏の掌を握りしめていた女性は伊御の行動に少々、違和感を覚えていた。
「え、えっと……この子はどうしたのかな?」
「大丈夫です。この人、少し頭が可笑しい子なので全然気にしないでください。というより、見なかったことにして貰えると大変恐縮です」
「そ、そうなの……?」
この馬鹿がすいません、と重ねて謝罪をした奏は爆笑しすぎて蹲っている伊御を引っ張ってその場から即座に退散しようと女性の手を振り解いた。
しかし、反対の手をすぐに引っ張られて奏は完全に逃げるタイミングを失う。
「本当に君、バイトしてみない? 君なら絶対にメイド界の頂点に立てると私の眼力が瞬きを拒むくらい反応しているんだよ。少しだけでもいいからさ、ね? 一時間……、いや、三十分だけでも」
せっかく天性の逸材を発見したのに、ここでみすみす逃がすわけにはいかないと彼女の中にある本能が自然と蠢きだしていた。
息遣いも荒く、周りから見ればメイド服を着た変態に絡まれている男子高校生という絵図らが完成しているのかもしれない。
彼女の勘違いに苦言を打つべきなのか、考えていた奏は後ろから聞こえてくる伊御の笑い声に今までにない殺意を覚えて、腹部を蹴り飛ばす。
それをきっかけに伊御は目下に浮かんだ涙をふき取りながら、立ち上がると奏の肩を掴む。
「あのメイドさん、ちょっと誤解してませんか」
「え、何を?」
そして、何処までも冗談だと思ってしまう彼女の行動は極めて天然だ。
知っていてやっているのか、知らずにやっているのか。
それは今の奏には分からない。
ただ、この彼女に対する言動、行動をカッコいい風に現すとするならば、天性の天然を持つメイドさん。――――悪意の無い天然。とでも名付けたことだろう。
天性の天然を抱えたこの女性は伊御のその言葉に首を傾げた。
「こいつ、正真正銘の男ですよ?」
唖然と呆然と繰り返したメイド服の女性は数秒遅れて、驚きの声を上げる。
010
繁華街の中に一際目立っている喫茶店の店内に奏と伊御はいた。
喫茶店と言っているが従業員(全員女性)はオーソドックスなメイド服を着用して、ふりふりのスカートを靡かせては来ているお客さんの元へと注文の品を運んでいく、ほぼメイドカフェのような所だった。
その二階席は現在「通行止め」と看板が置いてあって、その中央のテーブルに二人はいた。
「なあ、そろそろ機嫌治せよ」
「……別に元々、機嫌悪くないから」
不満そうな顔を浮かべてテーブルに置いてあるオレンジジュースを飲んでいる奏。その顔を見て今にも吹き出しそうな伊御は彼の向かい側でオムライスを頬張っていた。
「オムライス、お待たせしました」
終始、不機嫌そうにしている奏の元にオムライスの乗ったプレートが運ばれてきた。先ほど奏を勧誘し、物の見事に不愉快にさせた元凶でもある女性が遅れて二階に昇ってくる。
目の前にオムライスが運ばれた瞬間、奏の不機嫌メーターが一気に減っていく。満面の笑みを浮かべて奏はスプーンを手に取ると大きな口を開けてオムライスを一口、頬張った。
「ごめんねー。まさか、君が男の子だとは思わなかったよ」
オムライスを頬張って幸せそうな笑みを浮かべる奏に詫びることなく、半笑いで女性は同じテーブルの隣の席に腰を降ろした。
口いっぱいにオムライスを頬張ってスプーンをお皿に置くと口を拭って奏は向いた。
「もう、別にいいですよ。女顔で弄られるのは昔から、ありましたから」
「ほんと? 良かった。まさか、千人以上もメイドさんを輩出した私が男の子って分からないなんて……、ほんの少しだけでもバイトしてみない?」
「しません」
不満そうな顔つきの奏は黙々と料理を食べ進める。
そんな様子を見て欠かさず伊御はフォローを入れ始める。実に余計だ。
「奏も言っていることだし、あんまり気にしない方がいいですよ。それと絶対に勧誘は止めてください。次は腹筋が崩壊してしますんで」
「伊御。次、喋ったら刺すからな」
「君、奏くんって言うんだ。名前も女の子っぽいね」
喋ると刺す、と釘を刺したお蔭で伊御が妙にちょっかいを出してくることは無かった。ただ真正面では終始、ニヤニヤとしている。無償に腹の立つ顔だった。
頬杖を付いて「君達、仲良いねー」と面白おかしく見学している女性を余所に行き場のない怒りを込め、奏はオムライスを馬鹿食いしていく。
「ごちそうさまです。美味しかったですよ、ここのオムライス」
しばらくして食べ終えた奏はテーブルナプキンで口を拭うと飲みかけのオレンジジュースに手を伸ばす。橙色の液体がみるみる、ストローに吸い込まれていき、ものの数秒でコップは空となる。
少し削れた氷がコップに跳ね返って音を鳴らした。
「お粗末様でした。まあ、私のプロデュースする料理だからね、抜かりはないよ」
奏の言葉を素直に受け取った女性は嬉しそうに微笑んだ。
下にいたメイドさんに声を掛けてテーブルの上に乗っていた食器を回収して貰う。
「そう言えば、自己紹介がまだだったね。私は佐々原二葉、このお店の店長をしているよ」
「……店長だったのか、とてもそんな風には見えないけど」
「え? 何か言ったかな、奏くん」
「いえ、何にも言ってないですよ。佐々原さん」
外見的な違和感で気になっていた奏だったが、憎悪的な殺意を感じ取ると、すぐ否定する。一旦、視線を外して二葉の様子を窺いながら、少しほっと溜息をもらした。
ジロジロ見ていた二葉は何を思ったのか、うんうん、と小刻みに首を頷いた。
「よくよく考えれば、それって神代学園の男子用の制服だもんね」
「佐々原さんは神代学園のこと知ってるんですか?」
「知ってるも何も、私はあそこのOBだよ。あ、でも女の子だからOGか」
にっこりと笑みを浮かべた佐々原はマジマジと奏を見つめる。相変わらず、視線が泳いでる奏は二葉と目を合わすことが出来ない。
何処か底の見えない――――魔性の女、のような匂いがしている。
しばらく、誰も会話をしない空気になっていた頃、奏は自分のことをあまり口にしていないと思って、改めて自分から名乗ることにした。
「改めて、俺は一条奏です」
「俺は鳶姫。このお店は居心地が良いから、また来るかもしれないけどその時はよろしく」
改めて自らの名前を名乗った奏と伊御はテーブルから立ち上がった。
「私はお金を出してくれる人は歓迎するよ。今回は私の奢りってことにしておくから次回はお金を持って来てね。メイドさんに色々なサービスも付けちゃうから」
二十代前半の舌を出した「てへぺろ」が発動し、そして、二葉は軽くウィンクをした。
そんな行動に若干、引いていた奏と伊御の背後から突如、メイドさんが階段を昇ってきた。
「店長、午後から面接に来る予定だった女の子が来ましたよ」
「あ、いけない。すっかり忘れてた」
「面接ですか?」
「うん。ほら、うちって喫茶店だから色々と人手が欲しいわけよ」
「なるほど」
一応、店長としての業務は果たしているらしく、二葉は名残惜しそうに階段を下りていく。二階にいたメイドさんに帰ることを知らせると出口まで先導をしてくれた。
階段を降りる時に、ふわふわと上下するスカートに目が言ったことは秘密である。
「行ってらっしゃいませ、ご主人様」
満面の営業スマイルで送り出してくれたメイドさん。
伊御が先に外へ出ると、関係者以外立ち入り禁止の扉を前に高身長の女性が入っていく姿とその後ろにいた二葉に目が止まる。
そして、振り返った二葉と目が合って、手を振って来た。
「また来てね、奏くん。それから、伊御くんも」
店内にいたメイド信者に睨まれつつ、奏は再び人混みの激しい繁華街に飛び込んだ。




