第九話「異変」
013
地下二階。
エントランスホールにて、無道木通と斑目飛鳥は仲間達と合流しようと一階ずつ隈なく捜索していた。しかし、現状として見当たる人影はなく、まるで嵐の前の静けさだった。
ただ只管に木通と飛鳥の足音だけが無駄に広いエントランスホールに響き渡る。
「それにしても人っ子一人、見当たらないな」
「知っている人間を制限することで取り持っている場所なんだから、警備する奴らも少ない。その分、一人ずつの戦闘力はメーターを振り切っていると思うがな」
この階を動き回っても成果はなく、次の階へと移動を試みた木通は自分の横を呑気に通ろうとする飛鳥の後ろ襟を掴んで思い切り引っ張った。
油断していた飛鳥は案の定、後ろに足を取られてそのまま横転する。床に手を付いた飛鳥は頭を抱えると顔を見上げて木通の方を向いた。
「動くな、この先に監視カメラがある」
小さな声で木通が告げた。
すると飛鳥は即座に理解して、出来るだけ音を立てないように立ち上がった。
「監視カメラって、僕の能力を使えば見つからないって木通、お前言っただろ?」
「流石に監視カメラを見ている人間は騙させたとしても、監視カメラそのものにはオレ達の姿は映るんだ。だから、別の形で見た奴らには完璧に見つかっている」
「だったら、監視カメラをこの銃で……」
飛鳥は木通から受け取っていた拳銃を懐から取り出そうとすると、手を挙げた木通に容易く拒否される。杖を翻して、木通は壁にもたれ掛かった。
「弾丸は今、入っている分しか残ってない。それに外した時の危険もあれば、当たった時に不自然になる。監視カメラを見ている奴は不可解に思って原因を追究しにくるから、この可能性もなしだ」
「そ、そうか……」
自分の意見が悉く拒否される飛鳥。それだけ、木通の言っている言葉が正論で自分の発言が劣っていることが火を見るよりも明らかだった。
飛鳥自身、彼に敵う点がないことに自分の必要性のなさを痛感していた。白く染まっている一部の髪を触って、ゆっくりと、改めて、現状を解決させる導きを選び出そうとする。
それが今、斑目飛鳥という人間に出来る精一杯の手助けだった。
「幸いにも監視カメラはエレベーター付近にしかない。このエントランスホールにいる分は見つかることは限りなく少ないだろう。まあ、敵が来たら鉢合わせて即刻、殺し合いだな」
静かに木通は笑った。きっと、冗談半分のつもりで、場を和ませるような気持で彼は言ったのだろう。しかし、飛鳥にとって「戦い」は一番手の「勉強」を追い越すほど嫌いなものだ。
戦い、すなわち、競争。
誰かと誰かが競って、争って、勝ち負けを付ける。今の時代では――昔でも当たり前のことであるけど如何せん、斑目飛鳥と言う人間は中等部時代に数々の事件、その他諸々を見て、体験してきたお蔭で少々、歪んでいる。
彼の大好きなサッカーと言う競技にも、もちろん勝ち負けは無い。だけど、それはあくまで飛鳥の心情である正々堂々というスポーツマンシップが存在するからこそ、彼はサッカーという競技が大好きなのだ。
能力者、格差、上下関係、競争、争い。
全てに嫌気がさして、全てに絶望をして、彼は――斑目飛鳥はE組に在籍していた。
何もない。真っ白なフェアの状態で戦いたいから、飛鳥は努力をする。それを努力の天才と人々は言う。努力をして、芽が出ないことに悔やんでいるわけでもない。
努力をしたからこそ、この結果に彼は納得しているのだ。
「……どうした、飛鳥?」
「いや、なんでもないよ」
深く、木通の言葉を考え込んでしまった飛鳥は彼の言葉で我に返ると首を横に振った。壁を背にして、もたれ掛っている木通はそんな飛鳥の様子に違和感を覚えると無言のまま、目線を逸らした。
そんな時だった、木通の携帯が突如、微動に振動し始める。
それに気づいた木通は目を見開いて杖を持ちかえるとポケットから、携帯電話を取り出して応答のある電話の相手としばらく会話を続けた。
飛鳥はその間、周囲を見渡ながら、人影はないかと気配を巡らせる。時折、木通の発言から不可思議な言動が聞こえてくるが特に追及することでもなかったので、別のことを考える。
飛鳥はポケットに手を入れた。
そして、その中にある「拳銃」と「高電圧式スタンガン」を撫で回すように掌で転がした。この二つは木通から借りているもので、飛鳥の能力を含めた所持品の中で唯一、人を殺めることが出来る二つの武器。使うのには相当な決意が必要だった。
人を殺す。つまり、ひと一人の命を自らの手で絶命させること。飛鳥には考えられないことであった。だから、手が震えて、カチャカチャと音が鳴っている。
飛鳥の心情は恐怖よりも、これを使った後の自分の生き方が想像できなかった。人を殺して残りの人生を悠々と過ごせることが出来るのかという気持ちが頭を駆け巡っていた。
彼にはその決心も、決意も、勇気も、努力もなかった。
飛鳥の穏やかな心に黒色の感情が混じりこんでくる。
まるで日が落ちる時に、覗き込む闇のように、じわりじわりと心が歪む。
「――――すか! ――おい、飛鳥!」
はっ、と我に返った時に飛鳥が目にしたのは血相を抱えた木通の姿だった。
焦点が合わなくなった飛鳥を心配して、声を上げて木通が肩をゆすっていたのだ。
「お前、大丈夫か?」
「あ、ああ。大丈夫だ、なんともない」
急いで立ち上がった飛鳥は拳銃と高電圧式スタンガンの入っているポケットから手を離して木通の横に移動をする。そして、壁沿いに再び監視カメラを覗いた飛鳥は思わず、苦虫をかみつぶした顔を浮かべる。
「不味いぞ、木通。エレベーターが動いている、それもこの階じゃないのか!」
二階に止まろうとしているエレベーターに焦りを見せた飛鳥はそこから視線を逸らすと一人勝手に困惑して、右往左往し始めた。
こんな状況なのにも関わらず、木通は恐れる様子なく、ゆっくりと壁に寄りかかった。
「どうするんだよ、木通。敵っていうのは凄く強いんだろ? あの八咫烏って奴よりも」
「ああ、強いぜ。あんな警備よりも、何十倍も。何百倍もな」
意気消沈、絶望を感じかけた飛鳥はエレベーターが止まる音に過剰反応すると二メートルは飛ぶ勢いで真上に飛び上がった。
「おい、遅いぞ」
木通がエレベーターに乗っていた男性に声を掛けると監視カメラに映らないように手招きをし始めた。その言葉、その行動に唖然とする飛鳥は飛び上がって地面に崩れ落ちた後、腰が抜けて動けない。
その男性は煙をまき散らしながら、木通の方に歩いてくると壁に隠れて立ち止まる。
「飛鳥。それじゃあ、改めて紹介しよう。こいつはオレ達、秘密結社の潜入捜査官だ」
その言葉を聞いて、圧巻とする飛鳥。
木通から紹介された潜入捜査官は、飛鳥を見下ろすと静かに笑みを浮かべる。
この奇妙に仕組まれた出会いから、わずか十分後、地下二階にはクレーターが発生する。
014
潮風が赤い髪を傷めつける。
突風のような勢いで風が吹き荒れ、その中央に立ち止まって焼き焦げた奇妙な骨を発見した涯は何処か寂しげな表情を浮かべると既に原型を留めていない骨の灰を手に取って、空に投げてやる。
そして、小さく一言述べた。
「さーて、侵入者はどこに居るんだ」
再び歩き出した涯に朗報――いや、ただの業務連絡を兼ねた電話が掛かって来た。
嫌味な顔を浮かべた涯はしばらく、その電話を無視していたが一向に切れる様子がないので電話の音に苛立ちを覚えて、仕方なく通話ボタンを押した。
『あ、やっとつながった』
「なんだ、誰かと思ったら天原か」
『天原かとは何よ。別に私だって好きで赤城くんに電話してるわけじゃないし』
「まあ、そんなどうでもいい理由は置いといて要件は何だ?」
長い黒色のコートがバサバサと風で音を立てる。涯は七面倒くさい気持ちを押し殺しながら佳織が電話をしてきた理由を早急に聞き、すぐさま侵入者を探しにでようとしていた。
すると電話の奥から、何かを作り上げているような音が聞こえてくる。
『え? 今、何か言ったかしら』
「電話してる時くらい、手を休めろ。電話、切るぞ」
『あー、わかった。わかったわ。手は止める、だから切らないで』
電話越しで佳織が何を作っているのか、そんな疑問は一旦、置いておくとして先ほど言った言葉を再度、言い直した涯は電話越しからでも聞こえるようなくらい大きくため息をついた。
『それじゃあ、要件を説明するわ』
「ああ、さっさと喋ってくれ」
歯切れの悪い佳織に短気な涯は殺意さえ覚えてしまう。しかし、一応は信頼している仲間であるせいか、こう言った会話はもはや数年来の王道な会話となっていた。
そして、佳織は涯に改まって要件を説明し始める。
『赤城くん。今、どこに居る?』
「今? 今は地上にいるけど。それがどうかしたのか」
『地上かー。いえ、別に地上にいても構わないんだけど朗報が一つあるのよ』
「……朗報?」
『ええ、今から三分前の監視カメラの映像を確認していたら、三階のエントランスホールで侵入者と断定できる二人の高校生が映ったわ』
「……ホントか?」
涯の心が少しだけ弾む。表情が嫌味な顔だったのが、次第に笑顔へと変わって行った。
『この状況で嘘を言っても仕方ないでしょ。それよりもその高校生達は今、零号機と対戦をしているのよ。だから、赤城くんに言っておきたくて』
「……言っておきたい?」
電話越しから佳織の声が聞こえなくなる。しばらく、無言の時間が続くと突然、大きく息を吸う様子が電話の奥から聞こえて来たと思ったら、冷静に、淡々と静かな声で佳織は告げた。
『絶対に邪魔だけはしないで』
短く、ただ一言だけ佳織は涯に向かって忠告をした。
涯がその言葉を肯定するような笑みを人知れずに浮かべていたことを佳織は知らない。
「なんでだ? 確か、零号機って廃棄寸前の失敗作じゃなかったのか」
『そうなの。でも攻撃能力は非常にあるし、対能力者専用の防御も搭載されている』
「まあ、傍から見れば優秀な人造人間だな」
『だけど、あれには致命的な弱点があるのよ……』
「弱点?」
何時の間にか本題から逸れていることに気付くこともなく、頭を抱えている佳織に返答してしまった涯。ここまで来ると何故、廃棄寸前なのか逆に聞きたくなる気持ちが芽生えてきた。
そんな零号機の弱点を口頭で告げられた涯は、それを鼻で笑った。
『今、笑ったわね、赤城くん。それも鼻で』
「ああ、笑った」
『普通、そこは嘘でも笑ってないって言う所よ。まったく、赤城くんは少し可笑しいわね』
「機械娘のお前にだけは言われたくねぇよ」
『誰が機械娘よ! 私の専門は能力研究。機械じゃないわ、覚えておきなさい』
「へいへい」
適当に返事をした涯は電話越しの佳織に一喝される。
涯は佳織に言われたことをあくまでも肯定した。
「それで何で俺が出向くと駄目なんだ? ここは加勢した方が勝率は上がると思うぜ」
『勝率云々じゃなくて、零号機にはある実験をして貰っているのよ』
「実験……?」
『ええ、それを元に演算を再計算させて、今度こそ完璧な人造人間を作る予定よ』
名を「一号機」。佳織は数少ないメンバーしか知らない情報を惜し気もなく盗聴されているかもしれないのにも関わらず、警戒なしに涯に告げた。
頭を掻いて、しばらく地上を歩いていた涯が再び足を止めた。
「その完璧な人造人間を創るために零号機を犠牲にして、強い人造人間を創るってことか。だから、俺に手を出すなって忠告したのか」
『平たく言えば、そうなるわ。いいわね、これはJOKERの意向でもあるの』
「あいつの。そうか、なら俺は手をださねぇよ。別の侵入者でも探して殺しとくわ」
『出来れば穏便にね。この島を壊しでもしたら、解雇だけじゃすまないわよ』
「へいへい、わかっておりまーす」
それから、必要か不必要か曖昧な情報を貰って涯と佳織の通話は五分で切れた。
携帯を胸ポケットにしまい込んだ涯は大きく両手を伸ばすと、ゆっくりと深呼吸をして地下に向かう為、階段を探しに歩き始めた。
「さーて、高校生二人も気になるが零号機か。最強の人造人間。心が躍るねぇ」
佳織との約束を肯定し、否定をする。
あくまでも涯の目的は強い奴との殺し合いだった。それでJOKERの気に触れるようならば死をも、選択する。それが赤城涯と言う人間の生き様。
自分が地上に赴いた時と同じ方向を歩いて行くが、零号機との対戦は泡沫と消える。
何故なら、赤城涯――彼もまた、方向感覚に疎い、哀れな青年なのである。
015
零号機の硬い拳が地面を駆け抜けて攻撃しようとした奏の頬をピンポイントで狙った。態勢が崩れて、空中に浮く形で身動きの取れなくなった彼を狙って零号機は左足を振り上げた。
剛速球よろしくもの凄い速度で蹴り飛ばされた奏はそのまま、エントランスホールの壁へと激突をして煙をまき散らしながら瓦礫の中で倒れ込む。
「暴風振動」
零号機の視線が完全に奏に向いていた一瞬の隙を狙って、背後の京子が拳に衝撃を重ねた。人の骨をも破壊する力のある暴風振動がどれほど、人造人間に通用するのかは未知数だった。だけど、京子にとってこの戦いは負けられない。
そんな気持ちを込めた一撃が、零号機を打ち砕く――――――はずだった。
「――――なっ!?」
拳を振りかぶっていた京子から、思わず声が漏れた。
確かに零号機の隙を狙って攻撃はした。人間の何倍も多様性に長けている人造人間ならば、避けられることも想定していた。
しかし、この予想はさすがに想定範囲外であった。
「――――防御フィールドON。対能力者専用能力無効化機能、発生」
薄く青白い膜が零号機の周囲、五センチほどを包み込んだと思った瞬間、京子の拳はその膜に触れて、暴風振動の効力が無効化される。
彼女が撃ち出したのは、いち少女の、か弱い拳だった。
圧巻としている京子を零号機は逃すこともなく、京子は奏が吹き飛ばされた方向とは反対に転がった。そして、素早く態勢を立て直した京子は自分の拳を覗きこみ、目を見開いていた。
「私にその能力は通じません」
淡々と告げた零号機は両腕を微弱に振ると、袖の辺りから刃が顔を出す。そして、目の前にいる京子に向かって移動を開始した。
しかし、京子はすかさず回避する。
零号機の刃から放たれた斬撃は地面を砕き、一つの線を創りだした。圧倒的な破壊力で床を壊していくと壁を貫き、天井で斬撃は止まった。
それを圧巻と見ていた京子の視界に零号機は映り込む。
「不味いっ!」
京子が気付き、反応した時には既に零号機の攻撃圏内。刃を振りかぶって、攻撃をしようとモーションに入っている所だった。
そんな零号機を真横から、奏が蹴り飛ばす。
「油断するなって言っただろ、長門。相手は人間じゃねぇんだ」
「あ、ああ。ありがとう」
唇から出血している血を拭い取った奏は静かに息をついた。すかさず、京子は奏の隣に移動した。この時、京子は微弱ながら感じていた。
一条奏の様子が少し可笑しい――――と。
入谷幸平の時とはまた違った、違和感に見舞われた。しかし、京子はあくまでも少しだけと半ば強引に納得させると目の前の敵に集中する。
「直接、能力は届かない。なら、間接的に攻撃するのが良いんだよな?」
「取りあえず、長門。俺がサポートするから、全力でぶつかってこい」
「久々の特攻隊長。仲間を護るための覚悟なら、とうの昔についてるぜ!!」
ダンッ! とコンクリートの地面を飛び跳ねるように零号機に向かって駆け抜けていった京子を窺い、零号機との距離を考えながら、奏は即座に両手に黒色の球体を錬成させる。
「闇屑星」
先ほどは直接的に零号機への攻撃をした。それ故に零号機の対能力者専用能力無効化機能の餌食になる。しかし、今回はあくまでも京子のサポートと言う形で――つまり、簡単に言えば零号機の体制を数秒でも止めることが出来れば、零号機が再び対能力者専用能力無効化機能を使う合間に京子の攻撃を当てることが出来る。
あの、薄く青白い膜のようなシールドはない。
的確に狙いを定めた奏は零号機の足元、両側に向かって闇屑星を投げつけた。床を削り取る勢いで吸い込んでいく闇の球体は近場にいた零号機の足元を竦ませる。
態勢が崩れ、膝を曲げた零号機がほんの一瞬だけ、目の前に対する京子から反応を逸らして奏の投げた闇屑星の方へと危険度を変更させる。
「暴風振動ッ!!」
下を向いていた零号機がその声に反応して、真正面を向いた瞬間、飛び掛かってジャンプをしながら、殴り掛かる京子と視線が合う。
そして、そのまま、京子の渾身の力を込めた暴風な一撃が零号機の顔面を吹き飛ばす。
零号機は防御を取る暇もなく、竜巻に呑みこまれたような勢いで回転しながら、反対側の壁へと激突をしていった。壁が砕けて、瓦礫が零号機の身体へと落下していく。
「はあ……、はあ……」
地面に着地をした京子が震えながら、息をつく。彼女の放った右手は微弱に震えながら呼吸と共に上げ下げしているのが遠く距離の離れた奏でもよくわかる。
京子が今、使用した暴風振動。あれは彼女が成長した姿でもある。
今まで――新入生対抗トーナメント前後の彼女、十六年生きてきた彼女の最高値である四倍衝撃を仲間のために乗り越えて、八倍まで躊躇いなく使うまでに成長出来た。
七倍を打った今、京子の右手の痙攣はしばらくやまない。だが、それでも渾身の一撃を敵に喰らわせたという彼女の嬉しい気持ちが先走りして痙攣している手は、どうでも良かった。
天井を見上げて、大きく、そしてゆっくりと息をはいた京子は敵を見据える。
しかし、そんな京子のひと時の休みも零号機にとっては何の意味もなかった。
「長門っ!!」
「――――ッ!?」
人とは違う。
京子はこの瞬間、改めて敵が人間ではない人造人間だと言うことを思い知った。
七倍の衝撃。通常の人間だったら、すぐに起きることが出来ないほどの衝撃なはずである。だが、今、戦っているのは人間ではない。――――人間を超越し、凌駕した、最強の生命体、人造人間。
京子が次に目にしたのは屈服させたはずの零号機が意図も容易く、立ち上がって、そして、何の損傷もなく再び自分自身の元へと刃を向けてきた姿だった。
とっさに機械に対して、恐怖心を覚えた京子の身体が一瞬、反応しなくなる。足が震えて、竦んでいる。逃げようと思う気持ちが、身体と、肉体と、連動しない。
圧倒的な速度で零号機は体制を立て直すと、再び京子に向かって刃を掲げた。
「ながとぉぉぉ!!」
背後から全速力で走って来た奏と零号機が京子の元へと到着すると、脅えて、竦んで、動けない京子の視界の先に奏が彼女を護るように立ち塞がった。
天井についている照明に輝いて、振り降ろされた刃が銀翼に光照らす。と、同時に奏の右肩から左腰を一瞬で切り裂いた。血飛沫が零号機の冷たい機体に付着する。
「い、一条!!」
驚く間もなく、感情の無い人造人間、機械的な行動しかしない零号機は追い打ちをかける。切り裂かれ、痛みに苦しむ奏に勢いを付けた左足を腹部に向かって蹴り上げた。
ロケットのように吹き飛んで行った奏はアゲハ達が隠れている彼女の部屋へと不時着した。
アゲハの視線の先を釘づけにしたのは飛んできた奏の姿。
急いでそちらに向かうと奏の来ていた服を上から下に横断する如く一本の線で斬られた後が残っていた。
「大丈夫ですか、一条奏くん!」
「だ、大丈夫だ……」
ふらつきながら、怪我を押さえて必死の形相で立ち上がる。だが、足は震えて生まれたての小鹿のよう。そんな姿を見て、彼女は思った。――――『どうして、ここまでして佐藤真桜を助けたいのか』。
「人造人間ってことは機械だよな。機械なら、もしかしたら……」
近づいて来たアゲハの横を歩いて行った奏はぶつぶつと、何かを言っていた。
奏は自分で救急箱を取り出すとアゲハに手伝ってもらいながら、服の上からグルグル巻きで包帯を巻く。そして、巻いてくれているアゲハに一つ質問をした。
「姫宮、島の外に連絡を取れる手段ってあるか?」
「え? あ、はい。私達“ヴァイスハイト”の携帯を使えば、なんとか……」
「それを少しだけ貸してくれ」
「わかりました。少し待っててください」
何かを思いついた奏はアゲハに携帯を取りに行かせる。
この機械島には特別な電波が島を覆っているため、外部からの連絡、及び、外部への連絡を取ることは通常の電話機器では出来ない。
奏達の持っていた小型の通信機が突然、通信不可能になったのもこれが原因である。
「長門!!」
残りの包帯を自分で巻きながら、恐怖から立ち直った京子に向かって声を荒げる。
「一条! 大丈夫なのか」
「ああ、大丈夫だ。それよりも、少しだけ時間を稼いでくれ!」
「……あ、ああ。わかった。出来る限りのことはやってやる」
零号機が刃を振りかざしながら、京子へと近づいて行く。
自分の力強い両手で頬を真っ赤になるまで叩いた京子は油断していた自分の心に喝を入れて、気持ちを新しく入れ直した。
そんな様子を見て、アゲハが携帯を奏へと手渡した。
「それで何処に連絡するんですか?」
「ちょっと、機械に詳しい奴がいて。そいつなら、あの人造人間を何とか出来るかもって、思ったんだ」
「無茶ですよ。この島には特別な電波があって並みの人では干渉することすら出来ません」
「あいつなら、出来るんだよ。だって、並の人間じゃないからな」
携帯に電話番号を入れながら、奏がその言葉を聞いて小さく笑った。
かなりの期待。それだけ、奏が信頼を寄せているということもあるのだろう。
「あー、もしもし。俺だけど――――――」
奏が一方的に電話を進める最中、零号機を引き付けるために京子も奮闘をしていた。攻撃を紙一重で、躱しながらタイミングを見計らってカウンターを取る。
しかし、相手の零号機は完全に京子の動きをインプットしているのか、攻撃が当たらない。能力発動をすれば零号機の力によって防御されてしまうので現在の京子に勝ち目と言っていいほどの策略、力なんて存在しなかった。
激昂する戦闘。
刃を両袖から京子の隙を狙って攻撃する、零号機と。
能力使用が出来ない素手の状態のまま戦う、京子では力の差は歴然だがそれでも奏へ意識を向けさせることなく、着々と零号機を引き付けていた。
「……ッ!」
後ろに下がりながら、攻撃していたせいで京子の背中にコンクリートの冷たい壁がゆっくりと接触した。次の瞬間、その壁に気を取られた京子の視線を読んで零号機は今までで一番、刃を振りかぶる。
確実に京子を殺しにかかる、刃の太刀筋。
「暴風振動!」
素早く両手で能力を発動させると、目の前の零号機を攻撃――するのではなく近接している壁に向けて拳を突き刺した。
今までにない力を習得した京子は本来の能力のあり方を見直して、その能力の使い方までも研究した。これにより、コンクリートの壁をまるでプリンのように切りとる術を身に付けた。
そして、両手一杯にすくったコンクリートの塊を、刃を振り下ろして来た零号機に向かって投げつける。能力を無効化する術を持っている零号機にとってこの技は、この距離では避けることは出来ない。
刃を砕き、コンクリートの塊の衝撃を受けながら、数メートル離れた地面に転がって行く。
初めて使った技をこの生死を争う緊急事態に使うとはまさか思ってもみなかった京子は息を吐きながらわが身を落ちつかせた。
立ち上がろうとする零号機の上にコンクリートの塊が上手に乗っているお蔭で脱出する時間が長くなる。その間に奏の様子を窺った京子だったが、電話を終えて焦った様子で彼女の元へと走って来る彼の様子を見て一先ずは安心、と胸を落ち着かせた。
「それで何か対策は出来たのか?」
「ああ、取りあえず、あと五分は稼ぐぞ。それですべてが決まる」
「……どういうことだ?」
奏の発言に首を傾げる京子だったが、すぐさま自分の中でけじめをつけた。
自分はただ、何も考えずに戦っていればいい――――と。
戦闘本能が剥き出しになって、先ほどの恐怖心が嘘のように掻き消えていく。
「さーて」
立ち上がろうとする零号機を見据える奏が小さく声を呟いた。――――と、その瞬間に奏の表情が少しだけ曇り始めた。
隣にいる京子は全くその様子には気づいていないが奏自身、己の頭の中で誰かが語り掛けてくるような声が次第に大きく、そして鮮明に聞こえているのに不信感が絶えない。
――――『オ前ニ、能力ヲ、貸シテヤロウカ?』。
奏自身の心の中、体の中にある謎の違和感が次第に大きく膨らんでいく。
まるで自分に身に覚えのない戦いが再び始まるかの如く、虚ろに視えていく視界には自分の黒ずんだ掌が飛び込んできた。
心臓を叩く様に胸を押さえつけると京子に心配されないように心の中で押さえておく。
「どうした? 一条」
「いや、なんでもない……」
次第に額から、頬へと垂れる汗の雫が大きくなっていった。
しかし、それを奏は誰に言うわけでもない。心配させるわけには、今、いかなかった。
「さーて、ここから逆転劇の開始だ。とことん、やろうぜ。機械娘」
そして、終わる。
一条奏の最後の決断が。
そして、始まる。
一条奏の新しい能力が。
そして、動き出す。
奏と京子、そして零号機がそれぞれの敵に向かって走り出した瞬間、崩壊寸前の部屋で横になっていた間宮渚が目を開き、意識を取り戻した。




