第十八話「決勝戦Ⅱ」
「闇屑星」
試合の合図が鳴った瞬間、部隊の端と端に立っていた距離を奏は一気に縮めていく。歓声で聞こえない相手の経緯を視線で追いながら、一心不乱に日向陽炎に向かって行った。
先手必勝。
勝てる見込みは千春なら皆無。しかし、奏だって三割も勝機はない。だけど、ここまで来て優勝と言う汚名返上の瞬間を間近にして負けるわけにはいかなかった。
「はぁぁぁあぁっ!!」
高ぶった奏の声は観客から響き渡る歓声によって掻き消されていく。距離は瞬時に狭まると彼は幅跳びのように勢いよく跳躍をした。
千春の能力によって限界までに回復をした身体。そして、千春と奏は知らない追加の能力。思う気持ちが高くなるほど治癒に込めたエネルギーは対象者に移行する。
「面白い」
手に持った闇屑星を当てるように攻撃を行った。
ただ、余裕そうな笑みで陽炎はその場から動くことは無い。少し、違和感を覚えた。
「だけど、まだまだ経験が足りないな」
空中にいる奏は唐突な相手の移動に対応は出来ない。それが宙で攻撃をする存在の弱点だ。自ら、弱点を突いてくださいと言っているような奏を華麗に躱すと、床についた奏の顔面を蹴り飛ばした。
反応が遅れた奏はそのまま、鉄のような蹴りに舞台の端へと吹き飛んでいく。観客席の声は留まることを知らず、先ほどよりも大きい歓声が会場中を包み込んでいった。
「がっ」
蹴られた鼻を押さえて奏は床に手を付くと立ち上がる。今まで蹴られた中で最もきつい、と改めて敵を只者ではないと集中する。
これは試合であって殺し合いではない。
しかし、殺し合いでなかったことを感謝してしまうくらい激戦になる。
「まだまだ、勝負は始まったばかりだ。どんどんやろうぜ」
「ったり、めぇだ」
拳を握る。いつもよりも身体が少し軽いことに奏は気づいた。
それがどういった原因かは判らないが、いつもよりも戦えそうな気さえしてきた。
「それじゃあ、次は僕の番だ」
そう告げた瞬間、十メートルほど離れていた陽炎の姿が視界か消える。そして、一瞬だけを視野に向け、すぐに目を閉じて第六感で陽炎の位置を把握しようとする。
敵は消えていない。見えない何かをしているだけだ。――――そして、瞬時に背後から姿を見せた彼の存在に気が付いて頭を下げると、後ろに向かって拳を伸ばした。
「ぐっ」
顔面にヒットした拳には若干、陽炎の鼻血が付着する。しかし、そんなことを知らない奏はすぐに背を振り返って陽炎の正面に立つと仰け反り返る彼に反撃を続けた。
長年培ってきたものではない。数ヶ月前から習得をしかけてきた発展途上の打撃。容赦せず一撃一撃に全神経を込めながら、最後の一撃を彼の鳩尾に向かって突いた。
「残念、流石にこの程度じゃ、やられないよ」
「――――っ!?」
次の瞬間、奏は床に仰向けで倒れ込んだ。
今の一瞬で陽炎は鳩尾に来る奏の攻撃を受け止めると、その拳を起点として飛び上るように右脚で奏の顔面を蹴り上げると、そのまま一回転をして着地と同時に左足でわき腹を抉る。
一瞬の出来事に辺りは騒然とし始めるが、冷めた目で見つめる者も少なくは無かった。
蹴られた張本人である奏でさえ、何が起こったのか判らないくらいの秒速。
握っていた拳を離した陽炎は仰向けに倒れ込んでいる奏の上に跨るように仁王立ちをする。観客席から死角になるこの位置で彼は不敵な微笑みを浮かべた。
「E組にしては中々、腕が立つみたいだけど。それでも所詮、二流レベルだ。僕達一級には勝てないよ。もっと本気になってみろ、あいつが言っていた通りの力を見せてくれよ」
奏は「あいつ」という第三者の存在に引っかかるも、そんなことを考えている時間は彼には存在しない。あるのは勝算のある勝機のための導き。
全ての思考をそれだけに集約していき、そして、相手に勝つことだけを考える。
「ふぅ……」
落ち着いて大きく深呼吸をする。陽炎は依然、攻撃をせずに徐々に観客の声も静かになる。静寂すぎる間が千人を超える人を包み込んで行った。
そして、次に奏が目を見開いた瞬間、その瞳には闘士が宿る。
「闇屑星」
掌に闇の渦が固まる。
しかし、それを見た陽炎はあくまでも上から目線で物申した。
「それはもう効かない」
「普通の闇屑星が効かないなら、進化させればいいだけの話だ」
勝ち誇る陽炎の表情を覆して、奏は口元だけ小さく笑みを浮かべた。その表情に今までない悪寒を感じ取った陽炎は瞬時に彼から距離を取る。
だが、しかし、既にもう遅かった。布石は打たれて、奏の敏捷性が高くなる。
「――――分散」
掌から闇屑星が粒子となって消えていた。
そして、奏の合図と共に粒子となって消えていた闇屑星が小さくなって空中に浮遊をする。指を鳴らし、陽炎が次の一手に動く前に小さい闇屑星はそれぞれ、引力を生む。
引き寄せられて陽炎は膨大な渦によって強制的に床に膝を付かざるを得なくなってしまう。その好機を逃さず、立ち上がった奏はそのままの勢いで倍返し。彼の顔面を蹴りつけた。
「ぐがっ」
アッパーカットされたように上に向かって、蹴り上げられた陽炎は宙を舞って床に落ちる。ダメージの蓄積量が半端ではない奏は多少のふら付きのあと同じ物を掌に作りだす。
用途の変化。形状の固定概念を捨てる、全てはこのトーナメントで学んできたことだ。
「はあ……、はあ……」
尋常ではない汗を洋服の袖で拭った。
そして、立ち上がろうとしない陽炎に向かって叫ぶ。
「今までのは受けた攻撃の分だ。――――これから、響を恐怖させた。その代償だ」
光る目付きは凛として。
怪物にも遜色、引けを取らない獰猛な目付きで一条奏は殺気を放った。
何物にも代えることが出来ない実の妹を恐怖に貶めた、その代償は償って貰う。そう宣言をして陽炎に向かって走り出した途端、
「ははははっ、ははははは」
突如、床に倒れている陽炎が顔を手で隠しながら、大笑いし始める。依然として大盛況する観客の人が彼の薄ら笑いにも似た、下手くそな笑い方に言葉を失い、声が途切れる。
わけがわからない奏だったが相手が倒れている好機と考えて一気に距離を狭めていく。
「自惚れんなよ」
声が背後から聞こえた。
目の前には既に床に倒れている陽炎の姿はない。走り出した足は自然と止まってしまった。
恐ろしい物を見るように、ゆっくりと振り返ると強く地面に叩きつけられた。
「一度、攻撃を入れたくらいで調子に乗るなよ」
身体から蒸気のようなものが放出している陽炎は殴った奏を睨み付けて、あくまでも自分が優勢に立つ存在だと全ての存在に知らしめた。
殴られた奏の息が鮮明に観客席まで聞こえる。それくらい、静寂が会場を包み込んでいた。
「調子になんざ、乗るかよ」
首を左右に揺らして音を鳴らしている陽炎の余裕そうな態勢を大きく崩した。そして、逆に立ち上がる彼は少しの距離感を保ちつつ、汗を拭った。
相手はまだ能力を使用している形跡はない。油断せずに集中力を高めていく。
「見せてみろよ、お前の本気を」
堂々と勇ましく、まるで向こうが主人公のような口振りで大きく手を広げた陽炎は敵である奏の攻撃を待ち受ける。攻撃はしてこない。ただ、笑っているだけだ。
そんな陽炎の姿を見て俄然やる気になった奏は待ち構えている彼の一歩でも先に行くため、更に進化を遂げようとする。身体から何かの力が溢れ出てくるような感覚がしてきた。
「あいつの能力には身体能力を上げる力があるはずだ。なら、どこに移動をしても捕まえることが出来るなら、勝機はきっとある」
頭の中は勝利への導きを紡ぎ出した。
今まで行ってきた全ての過程を思い返し、更に発展を付け加える。
「闇屑星。――――分散」
両手から放たれた黒の塊は瞬時に粒子となって消えていく。佇む陽炎の前に凝縮した黒色の渦が周囲を巻き込んで全てを吸い込み始めた。
当然、逃げようと移動をする陽炎だが行く先々で引力によって出鼻を挫かれる。
「闇屑星。Ver.円盤モード」
油断はしない。
情けは無用。
全てに置いて勝ちたいという執念を込めて一発、一発に全力で立ち向かおうとする。
今まで挑戦したことがない「闇屑星Ver.円盤モード」の両手に携えて勢いよく放った。
「いっけぇぇ!」
酷使しすぎた能力の副作用で急激な体力の消耗が奏の身体に訪れ始めた。
使用する力の大きさにもよるが流石に円盤モードを二つ放つことが出来るのは体力的に残り一回が限界だと思う。それも他の能力を使用しないで一度だけだ。
非常に戦況は傾いてしまった。悪い方に。
しかし、互いに引き寄せあう引力のお蔭で、陽炎の身体はろくに動くことも間々ならない。高速縦回転をしながら、陽炎に向かって接近する円盤を見届けて奏は膝をついた。
「……っ、このくらい」
向かってくる円盤モードの性質を知らない陽炎は類義能力である引力。つまりは強力に引く業であると思い込んで円盤を真正面から受け止めようと皮膚が避けながら、手を伸ばした。
それを見て奏は少なからず、勝ったことを核心した。
円盤モードの元は闇屑星を薄く円盤状にしたもの、と表現しても差して違いはない。ただ、少し違う所があるとするならば、それは円盤モードが織り成す回転数だろう。
外のものを引っ張る引力を高速で周回させることによって未だ嘗てないほど吸引力を生む。それは正に殺傷性のある刃と同格。――いや、それ以上かもしれない。
だから、触れた途端に強力な引力の効果によって対象者は斬られたような傷を負うはずだ。――しかし、そんな奏の予想は大きく覆って陽炎は何かに気が付く。
「――っ!」
驚きの声を一つ上げると即座に飛んできた円盤を躱した。
動かない体全体を無理やりこじ開けて、そこら中の皮膚が剥げて大量に出血を起こした。
「うそだろ……?」
動揺する奏を前に完全に引力から脱出をした陽炎が不敵に笑って――――――、次の瞬間、奏の見える景色から残像のように消え、そして、
「――――うっ!?」
腹部の辺りに強烈な痛みが生じると身体が一気に動けなくなった。自然な状態で膝をついて前のめりに倒れていく景色を閉じかかった瞳で眺めながら、床に崩れ落ちた。
倒れた奏の真横には又もや蒸気がかった湯気を上げて陽炎が立ち尽くす。
「考え方はいい。けど、動きにムラがある。悪いけど、そんな奴に僕は負ける気はしない」
歓声が大きくなって実況が荒々しく声を上げる。既に意識の無い奏を見下ろしながら、次に陽炎が顔を上げると目に止まったのは周囲には誰もいない客席で二人の生徒がこちらを傍観している姿だった。
見知った知人の姿を見た陽炎はその後、背を振り返って山田仁の待つ場所に戻っていった。
「今回は僕の勝ちのようだな」
高らかに微笑んだ、陽炎は彼に対する嫉妬が少し軽減された気がした。
しかし、そんな陽炎の淋しそうな背中を客席から見つめる無道と瑠璃は判らなかった。
048
長々と、約一週間にわたって続いた新入生対抗トーナメント。
多くの優勝候補が落選して、多くのダークホースが決勝へと駒を進めた神代学園――いや、超能力専門の学園機関の中でも歴史上類を見ないほど激闘に次ぐ激闘を繰り広げた今大会。
そんな稀代の世代と謳われるように一条奏達がなってから、早一週間が経過した。
顔の色々な部分に絆創膏を付けていて、いつになくテンションの低い彼の雰囲気が思わず、周囲の人に影響を及ぼしていた。
校舎を目の前に青々と桜の花びらが散った木々の中央を奏がなに気なく歩いていると突然、背中に得体の知れない謎の柔らかい触感が襲ってきた。
一瞬、感触がした奏は即座に驚いて反り返るがそれを戻そうとするように左右から目を塞ぐ謎の物体が近づいてきて、奏の視界は一瞬で暗転した。
そして、その行動を行った人物は奏の耳元で、すぅと息を吸い込むと優しく問いかける。
「だーれだ、ですわ」
その言葉を聞いて奏は即座に「佐藤真桜」を連想し、思わず名前を口に出そうとした。が、しかし、口に出す直前で奏はあることを思いだす。
いつもなら、両目を覆い「だーれだ」という時に体は密着する。だが今回の「だーれだ」はいつもにはない謎の感触が背中を押していた。
奏はその謎を考えた。脳をフル回転させて考えた。
佐藤真桜の体型は平均的な女性の体型。女子高校生平均身長は勝っている物の、スタイルは誰が見ても良く、華奢な脚と黒色のオーバーニーソックスを見て少しドキッとしてしまう。
しかし、彼女には普通の女性にはない大きな欠点があった。
彼女――、佐藤真桜には情けもないくらいに、壊滅的なほどに、胸が無いというところ。
そして現在、奏の背中に押し当てられている柔らかい謎の感触は確実に百パーセント、神に誓って彼女とは比べ物にならないほどの豊満な胸を持ち合わせている誰かだと推測できた。
この間わずか、二秒も掛かっていない奏は次に真桜ではないなら別の誰がするかと考える。
ハイトーンな声色からして女性。そして、E組である一条奏に好んで接触しようとする人は限られる。頭の中で考えずとも片方の指で足りるほどの人数だった。
――――真桜は違う。なら、間宮。いや、あいつはそんなことをする性格じゃない。同様に長門も除外。赤城は背が足りないし、山瀬と能登とは声が似ていない。響は中等部だから。……そう言えば、あの口調どこかで聞いたことあるな。能登と似ているお嬢様みたいな。
フラッシュ暗算さながらの速度で入学してから、今日まで会話したことがある女性を脳裏に思い出す。この間、わずか七秒弱も掛かってはいない。
そして、今まで口に出していなかった女性の顔がふと浮かび、その名前を口ずさんだ。
「……最上、真由か?」
おそるおそる聞いてみる。
真桜にはない胸も彼女にはあった。
そして、奏と喋る女子生徒、という点も合致している。
なにより「ですわ」口調をしている人物が奏の知り合いには彼女しかいなかった。
「せ、正解ですわ」
まさか、正解してくれると思っていなかったのか震えながら声を上げる。ゆっくりと両手を離すと視線に直視する陽射しに瞬きをしながら、奏は真由の方に振り返った。
「よく、わたくしだとわかりましたわね。奏様」
「ま、まあ。色々とヒントがあったからな」
誰かには無いものとか、
口調とか。
そして、奏は気づいていなかったが名前の後ろに「様」が付いていたりする所など。
「それでどうしたんだ?」
「い、いえ。まずは一言。――――――優勝おめでとうございます」
他人に言われて、その勝負の行方は夢ではないと核心することが出来た。
そう、一条奏をリーダーとして活動をした「超新星」は新入生対抗トーナメントの舞台にて悲願の優勝を得ることが出来た。
「ああ、ありがとう。最上」
E組のメンバーに言われても、響に言われても、にわかに信じることが出来なかった優勝をここに来て奏は初めて実感することが出来た。
全ては決勝戦、第三試合、副将戦。「一条奏vs.日向陽炎」まで遡る。
049
「ななな、なんとー。これは、これは未だ嘗てない展開になってしまったぞー!!」
高らかに実況である香奈子は告げた。
未だ嘗て、こんな展開は無かったと叫びながら、六聖王のメンバーが一同に集まって少々、時間を掛けながら物議を醸しだしている。
困惑する観客。呆然とする選手達。
舞台の中央には亀裂の入った床の上で白目を向けて気絶している山田仁の姿が残っている。
颯爽と自分達の場所に戻って行った伊御は勝利の喜びを他の人達を分かち合った。
これで勝負は互いに二勝二敗。全ての対戦を終えたので本来ならば、どちらかが勝利する。例外の事態が起きて徐々に、ざわつき始めていた。
「どうなるんですかね、いったい」
「今まで同点決勝なんて無かったから、先の展開が全く読めないわよ」
「いや、恐らくは延長戦。三勝目を掛けた勝負が行われるはずだ」
「そうなれば相手のチームは自然と……」
全員がC組のいる場所を見る。そこには平然とした様子で椅子に座っている日向陽炎の姿が捉えられた。他の面々は治療室にいる人もいれば、苦しそうな様子で座っている人もいる。
そして、ここに来てようやく舞台で気絶していた山田仁が回収された。
「まあ、相手は確実に奏を倒した日向って奴だろうな」
現在、治療にいる奏を思い浮かべながら、次の動きを予測した。陽子と傷が悪化した京子が付き添う形で治療室に行ってしまったので現在、この場で戦えるのは必然的に一人となる。
「まあ、さっきの戦いも差ほど疲れてないし、他の奴もいないんで必然的に俺だわな」
飲料水をがぶ飲みして弾け飛んでしまった水を手で拭った伊御は少し嬉しそうだった。
そんな伊御の表情に疑問を浮かべた渚だったが特に追及することもなく、六聖王と教員達の今後の動きがどう変わるのか、その変化を十五分ほど待った。
「長らく待たせてすまなかった。これより、延長戦を只今より、行う」
生徒会長、蒼咲有希の発言で一気に会場中が昂揚し、熱気が再び集まってくる。そんな中で両チームの選手達の名前が告げられると二人は登壇する。
右から舞台に昇って来たのは「黄巾族」日向陽炎。
左から舞台に昇って来たのは「超新星」鳶姫伊御。
またとないチャンスに会場中は大盛り上がりをする中、マイクを香奈子に戻したことで再び実況となる。そして、試合開始のコールを告げた。――――――が、しかし、
「おっと、いきなり「黄巾族」日向陽炎が手を挙げた!?」
開始早々に右側に立っていた陽炎が潔く手を挙げた。
そして、この会場中にいる誰もが予想もしない発言を口にした。
「この勝負、僕は棄権する」
会場中の熱気が一気に冷めあがった瞬間だった。
こうして「超新星」は納得しがたい、優勝を勝ち取ったのである。
050
全て人づてから聞いた話で奏本人は治療室で身体を治していたので結末が本当なのかまでは知らない。ただ、周囲の人がきょろきょろとこちらを見る限り、優勝したのは間違いない。
玄関に向かう途中のど真ん中で真由とそんな話をしていると彼女は改まって声を上げる。
「まだ、何かあるのか?」
「い、いえ。あ、あのですね。実は奏様に御礼と謝罪をしなくてはいけないと思いまして」
「御礼と謝罪?」
「は、はい!」
喰い気味で真由が顔を近づけてくる。周囲の目が少々、鋭くなってきたのを察してその場を移動する。歩き出した奏の隣に、ピッタリとマークしながら真由は赤裸々に綴る。
「お礼というのは二回戦の最後に四階から落ちたわたくしを助けて頂いたことですわ」
「あ、あれは勝負だったし、決着がついたから助けたっていうのもあるんだけど。いずれにしてもお前に怪我が無くて良かったよ」
「本当にありがとうございますわ」
嬉しそうに微笑んだ真由。
そして次に奏が全く身に覚えのない謝罪について告げられる。
「謝罪と言うのは準決勝の際に、奏様の気に障るようなことを言ってしまったことをお詫びしなければと思いまして。申し訳ございませんでしたわ」
「別に気にしてないから、謝る必要はないんだけど」
「ですが、それでわたくしの気が治まりません。なんでも、わたくしに申してください」
謝罪に付け込んで女性を甚振ったり、性的行為を要求するほど奏は馬鹿ではない。ただ単に自分の姿を見つめ直した真由に更なる発展を遂げるための良い糧となる要求をしたかった。
「なら、そうだな……」
少し考えながら、徐に立ち止まる奏の横で真由は足を止める。
「それじゃあ、俺と友達になってくれ」
「……え? それで、いいんですか?」
「俺、友達は多い方じゃ無からさ。最上みたいな友達がいたら、楽しいだろうなって」
「わ、わ、わたくしみたいな友達がいたら、た、楽しい……」
体温が上がって、頬が急激に赤く染まる。奏が見せた屈託のない笑顔に心が打ち抜かれた。もちろん、そこには恋愛感情があるかもしれない。ただ、それよりも、ろくでもないことをしたにも関わらず、特に悪態付くことがない出来た人間の姿に尊敬を覚えた。
爽やかな奏の笑顔を、真由は嬉しそうに見つめ返す。
「わ、わたくしで良ければいつでもお誘いください。すぐに駆けつけますわ」
「ああ、ありがとう」
その後、奏が「最上」から「真由」に名前を変えて欲しいという了承を引き受けて最後まで満面の笑みだった真由は能力を使用して玄関から一瞬で姿を消した。
ひと段落、真由との会話を終えた奏はイヤホンを取り出して靴を履き替えると両耳にセットする直前で背後から追突されたような衝撃と共に再び視界が暗く染まっていった。
「だーれだ」
甲高い声で彼女はそう告げた。
それと同時に先ほどまであったが、今はない背中の柔らかい感触に毎度、同じだと気付いて吹き飛んだイヤホンを辿りながら、ポケットにしまい込むと両目の手を握る。
「真桜だろ」
「流石にやりすぎて、誰だかわかってしまいましたか」
「ま、まあな。そんなところだ」
言えない。
胸の感触が無さすぎて、バレバレだということは。死んでも言えない。
「おはようございます。奏さん」
「おはよう、真桜。それで身体の方はもう大丈夫なのか?」
「はい。既に私の身体は第二形態になったので今回のようなことにはなりません」
「はいはい。そんじゃ、さっさと教室にでも行くか」
メル友でもある二人は逐一、連絡を取り合っているので再三、優勝おめでとうございますと届いたので今さら言われなくても、どうってことはない。
靴を履き終わる真桜を入り口で待ちながら、イヤホンを丁寧に巻き上げていく。
「お待たせしました、奏さん」
「んじゃ、さっさと教室に行こうぜ」
A組の教室は玄関に最も近く、逆にE組の教室は玄関から最も遠い。
しかし、二人は偶に会うと奏がエスコートするようにA組の教室まで送って行くのだ。別の道からE組の教室に行けば時間短縮が出来るのに彼は文句ひとつせずに真桜に同行する。
不思議と会話が途切れることはなく、いつものように変わらない日々が二人を待ち受けた。五分も経たぬ内に気付けば、真桜が在籍をしている豪華なA組のプレートが近づいて来た。
「あ、もう教室の前ですか……」
「そんじゃあ、またな。真桜」
真桜に合わせていた歩幅は一気に大きくなって、どんどんと彼女から距離が離れていく。
「待ってください!」
教室まで同行してくれてA組の前で別れた奏の後ろ姿を見つめながら、真桜は叫んだ。
廊下にいる全員がその声に反応をしてA組の教室前にいる佐藤真桜に目を向けた。
くるり、とスカートを靡かせた真桜は、いつもの笑顔を奏に見せた。
「改めて。優勝おめでとうございます、奏さんっ!」
まるで自分事のように嬉しがる真桜の屈託のない笑顔を見て、奏も不思議と笑顔が綻んだ。しかし、そんな彼女の笑顔にも壮絶な過去が潜んでいて、闇があって、裏がある。
まだ何も知らない。
ただ、そんな笑顔が消える瞬間を――――――、奏を含めて真桜も。今は知る由は無い。




