第十五話「彼女は、」
まず、真桜と奏が目を合わせた時、通行人達の姿が異様に素早く映って見えていた。まるで奏と真桜が時間に取り残された感覚が襲ってくる。
なんというのか、表現的に言えば、そんな風な状況だ。
簡潔に言えば、奏と出会い気まずい空気がよりいっそう、深く濁ってしまった感じである。
思わず、声を上げられずにはいられなかった白色のワンピースを着て、お買い物をしていた真桜は軽く微笑みながら、社交辞令のように会釈を交わすとそのまま、歩幅を進めた。
それに気づいた奏は三歩で五メートルを進むと裏路地から姿を消そうとする真桜の細い腕をとっさに、掴んでしまった。柔らかく、そして仄かに冷たい。女性の肌。
「あ、悪い」
すぐに自分のしたことの過ちに気付いた奏は真桜の掴んでいた腕を離した。そして、真桜が難しい顔で奏の方を凝視してくる姿に緊張して、ツバを飲みこんだ。
そして、真桜はすぐに小さく首を横に傾げると考え込む体制を取る。
「一条さん、一つ聞いても良いですか?」
決心をしたかのような顔つきを浮かべて、奏の方にズカズカと詰め寄っていく。真桜は奏を壁際にまで追い込むと少し頬を赤らめて、恥ずかしそうに問い詰めた。
「い、一条さんは女装が趣味なんですか!」
何を言われるのかと内心、ドキドキしていた奏だったがその言葉を言われた途端に予想外の発言だったためか、思わずよろけるようにその場で足踏みをする。
「こんなこと言わせないでください」と言わんばかりの恥ずかしそうな表情で奏の方を見ている真桜の様子を改めて確認した奏はその顔に思わず、口を押えて笑ってしまった。
唖然とする真桜を余所に昨日と一昨日、馬鹿みたいに落ち込んでいた自分が哀れに見えた。
「なんですか、いきなり笑って」
「だって……、普通、そんなこと言わないだろ」
「私だって色々と考えた上でのことだったんですよ。一昨日、あんな姿を見たばかりに」
「すまん、すまん。それは完全に俺が悪かったよ。佐藤」
何故だろうか、真桜といるだけで簡単に笑顔になれる。彼女に女装姿を見られて落ち込んだ理由が少しわかった気がする、奏はそう内心で思いながら、真桜と共に笑い合っていた。
「今日はちゃんとした制服なんですね」
今度は、にやにやとしながら奏の執事服姿をマジマジと凝視し始めた。
料理をするだけなのに執事服とか、店長の佐々原二葉の脳内はどうなっているのか一度、問い詰めたい所だったが彼女の笑顔に免じて許してやることにしようと思った。
見せたがる奏は、嬉しそうにその場で一回転をする。
「カッコいいだろ?」
「はい。メイド服の方が似合っていましたけど」
「一言、余計だ」
そして、会話が途切れると今度は真桜が白色のワンピースの丈を軽く撮んで、爽やかな風と一緒に奏と同じような回り方でアピールをした。
「今日の私、可愛いですか?」
改めて奏は真桜の私服姿に目を向けた。
何処までも純白のワンピースが彼女の心の中を表しているようで長時間、見ることが出来る奏はとても幸せだと実感した。
一瞬、見蕩れていた真桜の姿に再び意識を戻すと恥ずかしさのあまり、顔を少し右斜め下に向けながら、頬を掻いて恥ずかしそうに
「か、可愛いんじゃないの?」
名一杯、この感情がばれないように平常心の顔を保ち続けていた。
だが、それは意図知れずに真桜にも察知されたらしく、奏が視線を逸らしている数十秒間は真桜の顔が真っ赤に染まり果てていた。まるで林檎のように熟れた色つきだ。
互いに目線を逸らしあい、恥ずかしそうにしていると何という偶然なのか、奇跡ともいえるタイミングでお店の裏口から、二葉がニコニコと愛想のない笑顔を向けながら、現れた。
「奏くん、そろそろいいかな? 伊御くんだけじゃ、お店が回らないんだよねー」
「あ、はい。すいません、今行きます」
怒号を通り越した雰囲気を醸し出す彼女に「あと、五分」とは言いにくく、奏は駆け抜けるような勢いのまま、二葉が去った裏口の扉を閉めようとする。
「あ、あの、一条くん」
軽く挨拶を交わして、奏が業務に戻ろうとした直前で真桜が声を掛けた。
必死の声を上げ、恥ずかしそうに段差で少し背の高くなった奏を見上げながら、真桜は奏に言葉を残す。それは彼女の一大決心と共に打ち出した、最高峰の勇気だった。
「今日、バイトって何時に終わりますか?」
ふるふる、とまるで子犬のような反応を見せる真桜に対して奏は空を仰ぐように見上げると残り時間を指で曲げながら、計算し始める。
「えっと、今日は四時で終わりだから、あと一時間くらいだな」
「そ、そうですか……。それでその後、何か予定はありますか?」
更に首を傾げて、今日の予定を思い返した。
「いや、特にないけど」
「そうですか。なら、バイトが終わったら、このお店の少し先にある公園に来て下さい」
「べ、別にいいけど……、どうして?」
思いつめたように下を向いた真桜は、うじうじと指を絡め合せた。
そして、再び決心したように思い切り顔を上げると勢いのまま、奏に告げた。
「お話があるんです。とても大切で、重要な」
その表情から、受け取れる。
察した奏は有無も言わずにその要件に承諾を交わした。
「それでは一時間後、待っています」
そう言って会釈をすると真桜は奏に背を向けながら、裏路地を歩いて出ていった。
ただただ、呆然とするばかりの奏はその後、二葉に激怒されるまで居なくなった真桜の姿を見つめるように視線を逸らすことは無かった。
佐藤真桜が何者なのか、その正体をこの時点での奏はまだ知らない。
025
一時間後、シフトが変更されて次の時間帯の女性が立て続けに入店すると奏達の居る場所は無くなった。名残惜しそうに奏を遠くから見つめる二葉に挨拶をして、奏達は店を出た。
時刻は四時。人は主婦が買い物をする所を多く目撃して、部活帰りの高校生もいる。
その中で奏を含んだ伊御、京子、渚の四人は繁華街を堂々と歩いていた。
「それでこれから、どうする?」
「まだ長門さんの歓迎会をしていないので何処かで一緒にご飯を食べるのはどうですか?」
「いいねー、間宮ちゃん。俺、それに賛成」
「別に、あたしはそんなことして貰わなくても貰える物を貰えれば、しっかりと働くぞ」
「いいえ、私達は長門さんと仲を深めたいんです。もっと親睦を高めていって、一条くんの宣言した通りの結果にするため、絆を深めたいんです!」
「間宮とか言ったっけ? お前、良い奴だな」
良いことを言う渚に感極まって涙する京子が激しく抱き付いた。急な重量感に耐えきれず、渚は態勢を崩しそうになるが何とか踏みとどまった。
そして、しばらく歩いて行くと繁華街の分かれ道が見えた。
右に行けば、飲食店などに続く人気の多い通り。
左に行けば、公園や喫茶店などがある静かな場所の通り。
迷わず、三人が右の方向に歩みを進めようとする中、奏だけ先の約束である件に従うように左の方向に足を向けた。
「おい、奏。そっちじゃないぞ?」
「そうですよ、一条くん。こっちです、みんなで絆を深めましょう!」
「悪い」
奏は両手を合わせて謝ると、皆に手を振った。
「俺、これから約束があるんだ。その歓迎会とやらは、また今度、誘ってくれよ」
「……えー」
「マジかよ」
「つれないな、お前は」
そう言った奏はシャツの裾を靡かせながら、左の公園入り口という看板に向かっていった。
ただただ、唖然とする三人は互いに顔を見合わせると肩を落とし、同じ言葉を呟いた。
公園入り口の看板まで走った奏は息切れを起こしながら周囲を見渡して真桜の姿を探した。
瞬く間に見渡した奏は真桜の姿がないことを悟って、公園の奥の方に進もうと足を進めた、その瞬間に背後から誰かが近づく気配と共に一瞬にして視界が暗闇に覆われた。
そして、甲高い聞き覚えのあった彼女の声が聞こえてくる。
「だーれだ」
甲高い声で彼女はそう告げた。
数週間前に同じ境遇で戦い抜いたいわば戦友ともいえる彼女の声を奏は即座に理解する。
「……佐藤真桜」
「大正解です、流石は一条さんです。御見それ参りました」
振り返ると走って来た自分が呆れるほど、マイペースな様子で一人笑っていた。そんな姿を見て一先ず息を整えようと吸ったり、吐いたりしていると何を思ったのか指を向ける。
そして、彼女の鋭い爪が奏の頬に突き刺さった。
「いてーよ」
「痛くありません。痛いはずがありません、痛くしてないんですから」
にゅるん、と効果音が出そうなほど苛立たせる表情を浮かべながら、真桜は背を向けて奏に後についてくるようにと指示を促した。
言われるがまま、奏は真桜の後を少し離れて追っていく。
「それで俺に話って何なんだよ」
「いいから、黙ってついて来て下さい」
そのまま、スタスタと歩いて行く真桜の後ろを追って公園の中央を歩いて行った。繁華街の公園は中央に噴水があってカップルにはとても人気のスポットらしい。
そんな噴水にでも行くのか、と思っていた矢先に噴水が目に止まるが素通りされた。公園をまたぎって反対側の場所に行くと、そこには移動販売型のクレープ屋が止まっていた。
その移動販売型のクレープ屋さんの前で真桜の足が突然、止まる。
「Wクリームチョコレートバナナ生キャラメルイチゴを一つ下さい」
まるで呪文のような注文内容に後ろに立っていた奏は大きく口を開きながら、唖然とする。その注文に何の躊躇いもなく調理を始める店員さんにも驚きながら、乾いた笑いが出た。
するとすぐに真桜が振り返って、メニュー表を指差した。
「一条さんは何にしますか? 私、奢りますよ」
「いや、奢りとか良いから」
「いいんですよ。私がここに呼び出したんですから、このくらいは奢らせてください」
妙に押しの強い真桜に負けて、奏は改めてメニュー表を見た。
しかし、どうだろうか。ハッキリ言って、どれがどんな味をするのか皆目見当がつかない。味を混ぜて置けばいいだろう的な安価な策略がチラついて離れない。
しばらく、メニューを見て悩んだ奏だったが、よく判らなかったので味が分かるシンプルなクレープを注文した。
「いいんですか、生クリームチョコバナナで」
「いや、お前みたいに色々と味があるのはあんまり好みじゃないから、普通が良いんだ」
「そうですか。なら、良いです」
五分も経たない内に二つのクレープは出来上がり、真桜がお金を払って二人は近くにあったベンチへと腰を降ろして一息つき始めた。
鼻歌を歌いながら上機嫌な真桜の横顔を見ながらクレープを頬張る奏。
見ればみるほど、そうかもしれないと錯覚付けられてしまう横顔に胸躍る。しばらく見つめていると、ふと横を向いた真桜と視線が合ってしまう。
そして何を思ったのかポケットからハンカチを取り出した真桜はゆっくりとその手を奏の元へ近づける。
「頬っぺたにクリームが付いていました。ほら」
ハンカチに付いている微量のクリームを見せて少し微笑む。
その時、奏は真桜の顔を何処かで見たことがあると脳裏に刻み込まれた映像が蘇った。だが核心は無い。しばらく、クレープを食べ続けていると先に食べ終えた真桜が息をついた。
その行為はまるで何かを決心したように見える。そんな姿を横で見ていた奏は真桜の話に耳を傾けようと残りのクレープを一気に口の中に入れると苦しそうに呑み込んだ。
慌てる奏の隣で、真桜がゆっくりと本題を語り始めた。
「一条さん」
少し長めのベンチに腰を降ろす二人。だが、その距離は近い。徐々に真桜が近づいているという理由もあるが奏はそれ以前に彼女の顔を見て、少し不可解に思ってしまった。
考え込んで、彼女との距離が縮まっていることに気付いていないのだ。
「私、話すのがあまり得意ではないので、この際、単刀直入に聞きますけど良いですか?」
真桜は態勢を変えて、隣に座っている奏の顔を真正面から見える位置に移動する。その姿を見て、その異様なまでの態度を見て、奏の心は少しざわついてしまう。
無言のまま、小さく奏は頷いた。
それを見て何処となく一安心した真桜の表情に、思わず奏はドキッとしてしまった。
「一条奏さん。私と貴方、依然も何処かで会ったんですが、憶えていますか?」
何故だろう、何故なんだろう。
奏はその時、ふと今まで差ほど気にしたことの無かった前世の記憶が薄らと判別できる程度だったのに、真桜の言葉を聞いて鮮明にその映像が脳裏をよぎった。
回想シーンのように誰かに語りかけるように、事細かに、その映像は流れつづける。
「…………あ」
捲ったページの最後のように映像の一番最後を、そんな些細なきっかけで思い出した。
魔王城、と呼ばれる中世ヨーロッパに似たお城の中で佇んでいる二人。
視点は自分。――これは前世の奏だった人間から見えている姿だった。
そして、目の前にいるのは一人の少女。いや、少女というのには烏滸がましいくらい気品があって高貴で、まるでどこかの姫様のように美しい女性だった。
そんな女性と前世の奏が喋っている、内容は判らない。音が無いからだ。
「…………ああ」
「い、一条さん!?」
突然、頭の中に流れ込んでくる映像の全てに奏は一時的にパニック症状を起こし始めた。
言葉が断片的に途切れ、目が虚ろになると、過呼吸気味に息が荒くなって、激しく息継ぎを繰り返す。そして、胸の辺りを締め付けられる感覚に陥ると情報量が限界に達した奏は真桜の服を掴んで気絶した。
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目を覚ました奏は自分が気絶してしまったことに気が付いた。
そして、次に気が付いたのは自分の視界に真桜の姿が近々と見えていたことだった。そんな状況の中で奏は、ボーっとしていると数十秒ほどして自分の起きている様子の恥ずかしさに気付いて声を上げながら、現状から脱出した。
真桜の下から見た顔はとても綺麗で、思わず見蕩れてしまうくらい鮮やかだった。
「一条さん! 良かった」
膝枕から起き上った瞬間、背中に真桜が抱き付いて来た。
スレンダーな胸は奏の背中に当たることは無く、背中と胸の間には小さな空間が出来た。
「……え、あれ? 俺、なんで」
「何でと言われれば、私があんな質問をしたから……」
「質問……?」
その瞬間、気絶する前の様子を全て思い出した。と、同時に前世の情報量が過度に多すぎたことが原因だと判ると冷静な観点から落ち着いて現状を再確認する。
思い返せば、新しく前世の記憶が蘇ったのはごく最近な気がする。
幼少期に目覚めてはいたが、それはあくまでも断片的で「あー、前世なんてあったんだ」と気にしたことも無かったのに高校に入ってから――――、否、正確には違かった。
一条奏が前世の記憶をこれだけ思い返した時に必ず、近くにいた人間が居た。
佐藤真桜という自分とは比べ物にならないくらいに全てに置いて優秀な、優等生。
魔王城で見た女性の姿と、佐藤真桜の姿が妙なまでに似ていることに、ここで気付いた。
いつもの表情。
笑った時の笑顔。
敬語なのに毒のある口調。
そして何を考えているのかまったくわからない深層心理。
何から何まで記憶の断片に刻み込まれている。思い出せば思い出すほど思い返してしまう前世の記憶。奏には恐ろしくも、現実となっていた。
驚いて声の出ない奏は正面にいる真桜の方に向かって、顔を上げた。
何から何まで、全てに置いて、類似している。――いや、これは最早似ているといった問題ではない。
ごくり、と唾を飲みこんで奏は真桜の肩を掴むと驚きを隠せないまま、告げる。
「お前…………、あの時の魔王なのか?」
傍から見れば、自分は相当、可笑しい人間だと思われる。だけど、聞かずにはいられない。なぜならば待ち望んでいたからだ。
世界が変わって、個体が変わって、輪廻で生まれ変わって、二度と出逢うはずのない二人の記憶は想像をはるかに超えるほど運命的に結ばれていた。
最後に彼女と約束した、その全てが、奏、前世の勇者の心残りが、今、叶うかもしれない。
そんな気持ちを抱いていた奏を見て、真桜はあの時のように静かに微笑み返してきた。
「ようやく気付きましたか、いつ声を掛けられるか楽しみにしていたのにまさか公園でそれも今にも泣きそうな表情で言われるとは思いませんでしたよ」
肩を掴んでいる奏の手をゆっくりと外すと、その掌に自分の掌を重ねて小刻みに震えている奏を優しく包み込んだ真桜は改まって、言うために、奏の顔を見上げた。
「久し振りです。年数にして約五百年以上、片時も忘れることはありませんでした。改めて、私は前世でアナタに殺して貰った――――魔王です」
出来過ぎた結果だと誰しもが思う。
だけど、絶対に起こりえないと思っていた運命が奇跡となって奏の前に舞い降りてきた。
二人はこうして、同じ世界、同じ場所に立ち、そして、前世では決して噛みあうことのない運命にあった勇者と魔王がこうして、五百年の時を超えて再会した。
奇跡は起こり、そして、ゆっくりと運命の歯車が廻り始めた。




