第十三話「メイド服、誤解」
021
ゴールデンウィーク初日。
どこもかしこも慌ただしく動き始める今日この頃。
まだ四月だというせいなのか、それとも一週間ある大連休の幕開けはこんなにも消極的な始まり方なのかはわからないが一条家にそう言った予定は今の所微塵もない。
いつもと変わらぬ休日を過ごしている。
そんなまだ深い眠りについている奏の元に這い寄ってくる混沌ひびきがゆっくりと近づいてくる。
まだ気づいてはいない。むしろ、起きている様子もない。すやすやと寝返りを打ちながら、ベッドの上でコロコロしている奏にとって響の足音など聞こえているはずもない。
彼、一条奏の朝は平日であろうと土日祝日であろうと、今日がゴールデンウィークの初日、四月二十九日あろうとなかろうと関係なしに妹、一条響の理不尽な起こし方で起床する。
それも決まって朝の七時丁度にやってくる。前日に起こす時間帯を指定しておけばその時刻丁度に響は奏の部屋にやって来て毎度のことながら扉をぶち抜いて入室する。
しかし、よくよく考えてみるといささか彼女の起こし方には通常の人間には到底不可能な起こし方をしてくるので奏の毎朝は常に死と隣り合わせなのは頷ける。
特に彼女の持っている超能力――「爆発」には十四年彼女の兄をしている奏でも対処しきれないほどに日々進化を続けていた。
それが「爆発」であった日もあれば。
それが「爆散」という日もある。
またある日は「爆撃」という場合もあれば。
「爆裂」という日もある。
ちなみに、昨日の朝の起こし方は「破裂」だった。
とにかく、奏は目が覚めたと同時に差し迫る死の恐怖から迅速に対処をしないといけない。それがどんなに眠たくても、意識が飛び掛けていても、布団を握りながら寝返りを打とうとも全力で回避しないと通常の能力者よりも劣っている奏は即座に死んでしまうからだ。
しかし、彼女――響もそれを承知の上で毎朝奏を起こすのには能力を使用していた。
相当な悪である。しかし、彼女は超能力専門高校の同じ敷地にある神代学園中等部の二年生女子生徒にして初の生徒会長をしている「優等生」だということを忘れないで貰いたい。
それでは四月二十九日、土曜日。
午前七時になった瞬間、奏の部屋の扉は定番のようにぶち抜かれた。
「お兄ちゃん。朝だぞー!」
ピキピキと部屋の扉は爆風によって前方へと押し倒されて黒色の煙を帯びている。しかし、奏は毎度の 出来事を特に気にする様子も見せずに静かな寝息を立てている。
ぶち抜いた扉の上をズカズカと通り過ぎると、その響は奏の布団を勢いよく剥ぐと流れ作業をしながら黒色のカーテンを開くと眩しい朝日が奏の部屋へと入って来た。
平日ならば既に中等部の制服を着用している響だが今日から始まる一週間の大連休に向けて買っていた洋服を身に纏い、訪れた代連休を満喫しようと意気揚々としている。
春休みから立てていたゴールデンウィークの計画。その名も「兄とラブラブになっちゃおう計画」を綿密に書き上げて何度も友達に相談しては書き直しては一ヶ月繰り返し、ようやく本決定となった計画を今日から一週間かけて実行していこうと鼻息を荒くしながら楽しみにしていた――――、はずだったのに。
今朝は「爆発」も「爆散」も「爆撃」も「爆裂」も「破裂」も無かった出来事に胸を撫で下ろしながら清々しい朝を迎えた奏は上半身を起き上らせると両手を挙げて背伸びをする。
「お兄ちゃん、おはよう。今日から待ちに待ったゴールデンウィークだね」
「そう言えば今日からか、ゴールデンウィーク」
「うん。一週間もある大連休だから、私とたくさん遊ぼうね」
まだ寝ぼけているのか欠伸をしながら布団の上に跨る響を見て頭に手を置いた。
「悪いな。俺、今日からほとんど、バイトで埋まってるから無理だわ」
予想だにしない発言が奏の口から発せられた途端、響の何かが壊れる音がした。それは自我を取り持つ機能なのか先ほどまで兄に満面の笑みを浮かべていた彼女の表情が突然、最悪な光景を目の当たりにしたような青ざめた顔つきになる。
瞬時にその表情になった彼女は次にそーっと奏の元に手を伸ばした。
「やめいっ!」
向かってくる妹の左手を弾いて奏は何とか功を奏す。
あれは完全に人を殺す瞳だった。ハイライトが薄れて、静かな笑みが零れ落ちる。
少しすると響の瞳に光が戻ってきたようだ。そして響はゆっくりと口を開く。
「お、お兄ちゃんの浮気者!」
「いや、誰とも浮気はしてない」
「そう言う意味じゃなくて私と一週間遊ぶ予定はどうなったの!」
「そんな約束した覚えはない! 俺の予定は既にバイトで埋まっているのだよ」
「むきー!!」
怒り余って襲い掛かってくる響の両手を枕でガード。その瞬間、枕は一瞬で黒焦げになると儚く羽毛がベッドの上へと舞い散った。
まるでとある天使が舞い降りたかのような光景に黒煙が奏と響の表情を曇らせる。
「あぶねぇよ!」
「練りに練った「ドキ☆ラブラブデート大作戦」をぶっ壊しにするような奴なんて死んじゃえばいいんだ。死んじゃえ、死んじゃえ!」
「お前、ゴールデンウィーク初日からキャラ設定どうかしてるぞ!?」
「これはあれだよ。怒りに振り回された私の本音だよ」
「本音なのかよ。こえーよ」
「ま、冗談なんだけどね」
てへり、と舌を出しながら口にすると布団から床へと飛び降りる。ようやく下半身が自由になった奏はベッドから起き上がると何時ものように着替えを始めた。
今日は制服ではなく外出用の普段着である。
「取りあえず、お兄ちゃん。そこに正座!」
着替え終わった奏を待ち受けていたのは般若さながらの顔をしている怒りの矛先が目に見えていた妹の響の姿だった。もう、如何することも出来ない奏は静かに頷くと指摘されたベッドの上にゆっくりと膝を曲げた。
「まったくもう、お兄ちゃんは。まったくもう」
本題が全く見えてこない会話の中で頬を膨らませながら、ぷんぷんと怒っている響。時計を確認してはまだ時間があるかどうか仕切りに窺う奏を余所に響は綺麗に畳んだ布団を叩いた。
「私がこのゴールデンウィークのためにどれだけ計画を立てたのかお兄ちゃんは知らない」
「知らないに決まってるだろ。てか、その話は今日初めて聞いた」
「うん。だって今日初めて話したもん」
「だったら、俺に非はないだろ? 前もって言わなかった響が悪い」
「お兄ちゃんはね、察するという力に対して貪欲すぎるんだよ」
「察するっていうか、お前が言いたいのは未来予知だな。何の脈絡もなく唐突に計画云々喋られてそれをおいそれと了承するのは中学生までだ。今の俺は高校生、ちょっとだけ成長した」
「去年まで私と律ちゃんに振り回されていただけあって妙な説得力があるよ……」
去年までの奏とは違う、新しい奏。名付けてNEW奏は響を上から見下した。正座のポーズをしながらこの状況が出来るのは恐らく彼女の背丈が宙に女子の平均値より低いからだろう。そのおかげで男子平均身長よりも大分背の低い奏でも見下ろすことが出来る。
首をブンブンと振った響はすぐさま反撃に出る。
「言うことを素直に聞かないと爆散させるよ、お兄ちゃん」
「……脅迫か、いい度胸だな。中二女子」
「私だってやる時はやるんだよ、お兄ちゃん」
すぐさま両者はベッドの上に立ち上がると、それぞれ独特のファイティングポーズを取り始める。沈黙が続く中、最初に踏み切った響が奏の足元に手を触れようとした瞬間――、
「あ、電話だ」
奏が話題にしているJ-ROOKの曲が響き渡った。
流石に電話中に攻撃をするのは生徒会長としてどうなのかと審議の結果、一時休戦することにした響は奏が電話している間にぶっ壊した扉を直しておこうと床に倒れていた扉を持ち上げて入口の所に設置する。毎日のようにぶち抜かれている扉は奏の手によって改造されているためか、いくら外しても瞬時にはまるようになっている。
額の汗を拭き取りながら、せっせと付け直した響は電話の相手を終える奏を暫し待った。
「うん、わかった。じゃあ、今から行く」
そう言って携帯を切った奏は部屋を見渡して必要な物だけを拾い上げるとリュックの中へと詰めていく。その様子に首を傾げた響はうろちょろと動き回っている奏の肩を叩いた。
「お兄ちゃん、何処か行くの?」
「ああ、さっき話したバイト先から。初日だから色々説明するらしいんだとよ」
「ふーん。そうなんだ」
しかめっ面を浮かべながら頬を膨らませる響を見て部屋を出ようとした奏はベッドで仁王立ちしている彼女の頭に手を乗せると数回優しく撫でてあげた。
「そんな顔するな。ゴールデンウィークはまだ始まったばかりなんだからさ」
響も思わず心ときめいてしまう表情をした奏は部屋を出て行った。しばらく、停止していた響も奏が家を出る音がすると我に返ってベッドに顔を埋める。
「また、お兄ちゃんに騙された……」
奏の匂いがする枕に顔を埋めると今日は天気がいいから布団でも干しておこうと思いつつ、しばらく響は奏の部屋で匂いを堪能するのであった。
そのことを奏は知る由もない。
022
長期休暇というだけあって朝早くから遠出する人は多く、奏が繁華街に向かうまで普通なら遭遇しないほどの人とすれ違った。
近所付きあいも大切なので通り過ぎる時に軽く会釈を交わしながら、奏は走っていく。
通常なら、十分で着く繁華街だが色々とあったせいか五分オーバーで喫茶店に辿り着いた。
そして、今、奏は相当な違和感を覚えながら、従業員専用の部屋で腰を下ろしていた。
「これはどういうことですか、佐々原さん」
「えー、だってー、その方が良いと思ったんだもん」
京子を勧誘後、何度か足を運んだ奏だったが今日は今までで一番、ウザい彼女を見た。
悪びれもせずに、きゃる~んと効果音が出そうな馬鹿丸出しの表情で微笑んでいる。
テーブルを意味もなく、トントンと指を打ちつけた。そんな光景を控室の入口にいる三人はにやにやとしながら見ている。
「まあ、似合ってるから良いじゃん。奏」
「凄いですね。クォリティーが半端じゃありませんよ」
「……ああ、女のあたしですら敗北感が湧いてきた」
バイト初日、意気込んで制服に着替えた奏はその服装のまま、テーブルにうなだれた。
何故なら、本来ならば、女性が着るはずのメイド服を奏が来ているからだ。そして、双葉に良いように言われて化粧までさせられた。
今では完全な女性になっていた。
適度な長さのショートヘアーが印象ある姿に奏を変貌させていた。
「いや、メイド服を着て化粧までさせられて最後まで怒らない俺もどうかと思いますけれど佐々原さん。最初に俺、言いましたよね?」
「ん? 何か言ったっけ」
流石にこの人と口論になると面倒なことになりそうな感じがしたので今までは言葉を濁してなんとなく具体的には伝えなかったが、正直、奏の限界はとうの昔に越えていた。
「俺、メイド服は絶対に着ないって言いましたよね。それに厨房しかやらないって」
「大丈夫だよ、メイド服を着て厨房に入るからっ!」
ドヤっ! と何故か自慢げに語る二葉だったがその答えは奏の苛立ちを増幅させる更なる原因となった。遠くから、失笑している三人に睨みを効かせながら、奏はため息を付く。
「着替えますから、化粧も落としますし、さっさと伊御と同じ服を持って来て下さい」
「えー、バイト代三倍にするよ」
「嫌です」
「今なら、五倍」
「嫌です」
「うーん。なら、十倍ならどうだ!」
興奮気味に奏のメイド服姿を見て息を荒立てている二葉に若干、寒気を催した奏は椅子から立ち上って彼女と距離を取り始める。
しかし、二葉はしつこく追い求めるように指をうねうねとさせながら距離を縮めていく。
「というか、バイト代が十倍って……」
「あたしの時給が八百五十円くらいだから」
「一条くん、一時間メイド服で接客するだけで八千五百円ですか」
「魅力的だな」
「絶対に無理だろ! 伊御、お前、メイド服で一時間、接客してみろよ。無理だから!」
もちろん、伊御は手を横に振りながら、やんわりと拒絶する。
無意味に付けられた口紅とか、付けまつ毛が異様に痒い。付け慣れていないせいもあって、奏は微妙な痒さに悶え続けながら、目の前で依然として笑っている二葉に話を付ける。
時給八千五百円のアルバイト代に思わず目が「¥」のマークになっている京子を我に戻そうとしている渚は呆れたようにため息をついた。
「お願いっ! 今日一日だけでいいから」
「絶対に嫌です」
「この通り!」
なめらかな動作で奏の目の前で土下座を決めた二葉。その巧みな土下座の上手さに伊御達は「おー」と声を漏らすが肝心の奏の心にはまったく届いていない。
呆れた様子で足を組み替えると、テーブルに頬杖をついた。
「そんな職人芸みたいな土下座をされても、絶対に嫌です」
「そこをなんとか、奏くんみたいな娘がいれば、今日の売り上げは三倍……、いや、五倍になる。だから、私のお店のためと京子ちゃんのためを思って、この通りです!!」
しばらく、無言が続いた。
なめらかな土下座は一切の動きもなく、二葉は綺麗なフローリングの床で既に三分以上もの間、態勢を崩していない。
ちょっとだけ、押しに弱い奏は熱心に頼み込まれて決意が揺らぐ。だが、すぐに女装は嫌だと我に返り必死に抵抗を続けた。
「ゴールデンウィークのお休み、一日増やして上げるから」
「…………」
それはもう、お願いというより半ば強制的な動きになり掛かっていた。
入り口に立っていた三人も「ここまでお願いしているんだから、少しくらいいいじゃない」とばかりに奏を見つめていた。京子に至っては脅迫するように壁を少しだけ、破壊する。
流石に押しに負けた奏は困った風に頭を掻くと、
「わかりました。でも、今日一日だけですからね」
「……ホント?」
「はい。それと時給は三倍でいいです」
照れくさそうに承諾を交わした。
次の瞬間、二葉は顔を上げて超絶嬉しそうに飛びあがるとそのままの勢いで奏の座っている所に向けて跳び上がって行った。
気付いた時には既に遅く、奏が再び意識を取り戻すと二葉に押し倒されている光景になる。
「店長、そろそろ新人の子を――――――」
そこに通りかかったバイトの女性が三人をかき分けて不思議そうな表情と共に部屋に入る。そして、目にした光景をマジマジと数十秒ほど黙って見つめていた女性はそのまま、静かに休憩室から出ていった。
唖然とする三人を余所に奏の上から、二葉が避ける。
「ごめんね、感極まって飛び上がっちゃった」
「別にいいですけど、これだけにしてくださいよ。何かすれば、すぐに着替えますから」
「あー、ごめん、ごめん。もうしない、絶対にしません」
恥ずかしそうにする二人を余所に入り口に立っていた三人は、ヒソヒソと会話を始める。
「さっきの子、何で無言のまま戻ったの?」
「あー、ここって色々と特殊な人がアルバイトしているからな、複雑なんだよ」
「どういう意味か、さっぱり分からないんですけど」
「まあ、働いてみればよくわかるって」
色々と面倒なことは終わって、ようやくアルバイト初日の初仕事を迎えることになった。
手解きを一通り、京子から教わった三人はさっそくお客さんを迎い入れることになったが、奏は最初にやって来たお客さんを見た途端、瞬時に顔色が変わる。
氷風呂に使っていたような青ざめた顔色を浮かべると、ゆっくりとその場から離脱しようと試みるが、その背後には二葉がいて、ガッチリと両腕を掴まれ、身動きが取れない。
「ここは、パフェが美味しくの、妾もたまに来るのじゃ」
「そうなんですか、私もよく繁華街には来ていましたが、ここに来るのは初めて」
一番初めに来店して来た二人の女性客は目の前に立っているメイドさんを見て片方は静かに黙り込んだ。どうやら、状況を察したらしい。
青ざめた奏は引く攣った表情で「い、いらっしゃいませ」と小声で彼女達に向かって告げた。
すると物珍しさなのか、はたまた面白半分なのか、赤城千歳は笑いながら近づいて来た。
「メイド服を着ているから、最初は分からんかったが、お主は前に真桜と一緒に戦っていた一条奏ではないか。何ゆえ、メイド服なんか。……は、もしかして、そう言った趣味が」
ニタニタ、と笑っている千歳を余所にふと見上げた目線が彼女の後ろにいる佐藤真桜と合い真桜は顔を真っ赤にすると、そのまま入ってくるお客さんを払いのけてお店を出ていった。
「ちょっと、誤解だー!!」
大声で叫ぶも、既にお店から出ていった真桜には聞こえず、奏はメイド服のスカートの丈の上に乗りながら、床に崩れ落ちた。
「ま、こんな日もあるさ。奏」
「女装癖があるとは、あの時の威勢とは全く違うの。これが、ギャップという奴か」
「それは多分、違いと思いますよ。赤城さん」
「まあ、なんにせよ、自分で了承したんだから、一条のせいだな」
「私のせいにしないでよね、奏くん」
せっかく仲良くなりかけていた女性に女装している姿を見られて、相当ショックだった奏は営業開始、わずか三分で休憩に入るとバイト終了の六時間後まで休憩室から出てくることはなかった。




