杖
「こんな面倒くさいことになるんだったら、敵さんのひとりも任すんじゃなかった」
ぶつぶつ言っても始まらないのだが、ついつい愚痴ってしまう。
あれからすぐに、宿の部屋に金をおいてとっとと出てきた。血みどろの部屋から逃げ出した、とも言う。
そして、ただいまあたしはセアラの持っているはずの杖を追っている。
実はあの杖はあたしが給料をもらって働いていたときの月収にして約1.5ヶ月分の値段がするのだ。それでも買った当時は同僚達に羨ましがられるほどの掘り出し物だった。ついでに、あたしの給料というのはその国の平均的な給料の軽く四倍はあった。
盗まれたらショックのあまり死ぬかもしれない、という心配から、あの杖には特殊な呪を施してある。
魔法の印をつけて、盗られても杖の場所が分かるようにしたのだ。ただし、強い魔法じゃないので、あまり遠くに持っていかれると感知するのが難しい。
「それが今になって役に立つとはねぇ」
杖は今あたしから500メタくらい離れたところにあって、ゆっくり遠ざかっている。この速度は・・・「馬・・・馬車か?」
このミア様相手に舐め腐った真似しやがって・・・・
あたしのイライラはかなり募っていた。
まだ空は暗い。当然店も開いておらず、馬を借りるわけにもいかない―
「んなわけないだろっ!」
思わず自分につっこみを入れてしまう。
あたしが今立っているのは街の端っこにある馬屋の前。
どんどんどん
「緊急事態だ、開けてくれ!」
しーん
「開けてくれ!えーい開けろ。こっちは依頼主の命が懸かってんだ!」
ごとごと。
「何の用かね」
ようやく店のドアが開く。
「緊急事態だ。馬を一頭頂戴したい」
「一頭3500ギストだよ」
眠たそうにおっちゃんが言う。眠たそうに金額を吹っかけてくるあたり、さすが商売人だが、今のあたしに値段を交渉する時間は無い。
「わかったから、早く馬を用意してくれる?」
眠たそうなおっちゃんの動きがまだるっこしい。
いらいらいら…
こうしている間にも杖はどんどん遠ざかっている。
じゃり
おっちゃんが馬を持ってくると、あたしはおっちゃんの手に金をねじ込み、馬に飛び乗った。
夜の空気に馬の嘶きが響く。
「走れ走れ走れー!」
馬はあたしを乗せて街道を走り抜け、森に入る。
月明かりが路をぼんやりと照らしている。路には付いたばかりの馬車の痕があった。
杖との距離は少し縮まってきている。
「いい子だねェー。もっとスピードを上げてくれるかい」
あたしは馬に話しかける。
「そりゃぁっ」
気合いを入れて馬を走らせる。
夜の透き通った風で髪がなびく。
十分もすると、前方から別の馬の足音が聞こえてきた。杖もそこにある、と魔法が告げる。意外と早く片付きそうだ。
(仕掛けてくるかな…)
こっちが相手に気づいた以上、相手もこっちに気づいているかもしれない。
前方にぼんやりと馬車が見えた。
馬車はどんどん大きくなっていき、それが大型の幌馬車であるとわかった。そして、あちらがあたしに気づいたことも。
人質をとられているため迂闊に魔法を放つことも出来ず、猛烈なスピードを出している馬に乗っているため弓も打てず、仕方なしにあたしは例のごとく短剣をひっぱりだした。
「…」
何かおかしい。穏やか過ぎる。
馬車の位置が迫ってくる。何故攻撃してこない?どういうつもりだ?
「そこの馬車!止まれ!」
御者がこっちを見る。中年の男。こっちの様子を見て慌てて馬車を止める。
「何の用かね?」
「失礼だが、貴公の馬車に女性が乗っていないか?黄色い髪で黄色の瞳の」
冷たい汗が背中を流れていく。
「乗ってないね。女性は一人も。あたしらは行商人でしてね。先を急ぐんですよ」
そうだ、きっとこれは嘘ではない。あたしの本能がそう告げる。
「だが、杖を持っているだろう?銀色で貴公の背よりも少し短い物で、赤と青の魔法石がはめ込まれている物だ」
男は面倒くさそうだが答えてくれた。
「あるねぇ。さっきの街を出ようとしたときにあんたみたいにあっしらを呼び止めて、杖を買ってくれって言ってきてな。ずいぶん急かされたよ」
「それはわたしのなんだ。連中に盗まれてしまって。杖に付けてあった印を追っかけてここまで来たんだ。返してもらえないだろうか?」
「しかしねぇ…なかなかいい値段を払ったからねぇ」
男はやや胡散臭げに顔をしかめる。
あたしは馬を下りて言った。
「頼む、ただでとは言わない。あれは兄の形見なんだ。たった一人の兄だったんだ。返して欲しい」
そして上目づかいに商人を見る。
必殺世渡りの術其の一「嘘八百」じゃない「嘘も方便」。物事を手っ取り早く済ます為のもってこいの……
「そういうわけなら…仕方ないねぇ。掘り出しもんだったのに」
商人はそう言うと幌の中に入って杖をさがしてきてくれた。
「ありがとう、いくらだい?」
「2300ギスト貰おうか」
…そんな安物の杖じゃないんだけど。と思ったが、どうにか声にも顔にも出さずにすんだ。いいさ、魔法具の価値は魔法士以外には装飾品程度のものだ。
「なぁ、一つ聞きたいことがあるんだが。連中どっちの方向にいったいかい。連中にまだ取られたものがあるんだ」
「その女かい?なに?あんたの女かい?」
商人がにやっと笑う。
何を勘違いしている、あたしは女だ、と言おうと思ったがなんだか面倒になってきたので答えずにいた。代わりに銀貨を一枚商人の手に押し込む。
「ああ、そうだなぁ。確か…ラウラの街がどうとかいってたな」
ラウラ…あたしの記憶が正しければ、ここからそう遠くはない。
「…そいつらは女を連れていたか?」
「さぁねぇ」
「…」
「わかった。なぁ、無理を承知でお願いするが、幌の中を見せてくれないか?」
「かまわんよ」
商人は意外にあっさりと応じ、幌を少し開けて中を見せてくれた。幌の中には中年の男が二人眠っていた。他には布袋がいくつかと沢山のガラクタ(おそらく商人の商売道具か何かだろう)。とうてい女の入れるような空間はない。
「すまなかった。ありがとう」
あたしは馬に飛び乗った。
「疑惑が晴れたようだねぇ。ま、がんばって恋人を取り戻しなさいな」
商人はからからと笑った。案外いい人だったのかもしれない。