【鈴 第一話】
2008年 4月 鈴サイド
「あーあ。」
その日、俺はかなり落ち込んでいた。
いや、悪いのは俺だったんだけど。
気分は最悪だった。
もう一度あいつが現れるまでは。
思えば朝起きたときから、なんか不吉な予感がしていたんだ。
気に入ってたコップは割るし、母さんの機嫌は最悪だし、その影響で朝飯は極端に少ないし。
腹が満たされないまま家を出たら、駅で汚いおっさんと肩がぶつかった。
頑張って入った高校の入学式だというのに最悪な滑り出しで、そのときには既に気分が沈んでいた。
そこにあいつは現れた。
もう入れないだろってくらいの満員電車に駅員に無理やり押し込まれて早二十分。最初に乗った駅から八つ目の駅についた。
そこは市内でも大きな駅で、たくさんの路線が走っている。それに、この駅より先には俺が行く高校以外にほとんど何も無いこともあって、たくさん降りる代わりに数人しか入ってこない。
だからこっからはもう快適だと、俺は心の中でガッツポーズをした。
入ってきたのは四人。
全員貴城高校の制服だった。
俺はそのうちの一人に目を奪われた。
背は高めで足が長く華奢だ。
透けるような白い肌に、長いまつげが影を落としている。
意志の強そうな瞳に引き込まれそうになる。
艶やかなセミロングの黒髪は細い肩をやわらかく包み込んでいて、とても似合っていた。
彼女は見惚れている俺にまったく気づかないまま、座席に座って本を読んでいる。
上品で、知的な印象だった。
結局見とれているうちに降りる駅につき、 その間彼女がこちらを見ることは無かった。
俺は、こんなに綺麗な人に会ったのは初めてだった。
『貴城の制服…てことは、同い年か?』
俺は再会を夢見て入学式に臨んだ…
ら。
いきなり再会…!!
なんと、席が隣だったのだ。
『うわぁ。どうしよ…。緊張するし!』
距離は30センチほどしかない。
顔も電車のときより良く見えてる。
『うわぁ。近くで見るとさらに美人…!』
心臓が壊れそうだ。
俺は入学式の間ずっと、心臓を抑えるのに必死だった。
そして、点呼になった。
『これが終われば、もう入学式も終わるよな…。』
《くずのは ゆいり》
「はい。」
彼女の番だった。
凛としてよく通る、綺麗な声だ。
『くずのは、ゆいりさん…』
彼女によく似合う、綺麗な名前だと思った。
さっきから、綺麗ばっかり言ってるけど、ほんとにその言葉がよく似合う、”綺麗な人”なんだよ。
そして俺の番が来た。
ここからが最悪な時間…
その時俺は、彼女から初めて視線を感じていた。
『やばいよ!!!』
そして俺の名前が―
《みなさき すず》
は?
”すず”?
ふざけんな。
「せんせーい。違いますよ!り・ん。水崎鈴」
俺は、この名前だけは大切にしなきゃいけないんだ。
約束だから。
本当は腹の虫が収まってなかったけど、笑ってみせた。
ふと、隣のくずのはさんを見てみた。
なんだか…
怒ってる?
くずのはさんは俯いて、心なしか震えていた。
もしかして…
俺がやった事、呆れてる?
ていうか、むしろバカな奴と思われたかな…
むしろムカつかれてる?
まさか…
『嫌われた!?』
俺…
終わったな…
そして冒頭に至る。
頭の中はくずのはさんのことでいっぱいだった。
『なんで俺、こんなにショックなんだ…?』
今思えば、このとき俺は―
そしてため息を一つ
「はぁ…」
それは俺の運命を変える、ちっぽけなきっかけだった。