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第十話:どうした、世界?

「ごめんね」

あまり頭を下げる習慣はないんだが、こればっかりはしょうがない。


「ぜってー許さねえ」

「ごめんなさい!」


何の件か言うまでもなく、ボクが貸してもらったクーラーボックスを借りパクした話である。

もう何度繰り返しただろうか、とにかく小学生は怒っている様子だ。


挨拶を交わし、並んで糸を垂らし、さらには数匹釣り上げてまだこのやりとりが続く。

冬の川は水が透き通っていて、底の石まで見える。寒さのせいか他に人影はなく、二人の声だけが水面に落ちていった。



「色兄ちゃん。じゃあ……どうやって落とし前つける?」

「あれれー。落とし前って言葉覚えたから使いたいんでしょ?」

「絶対許さない!」

「ごめんなさい!!!」

いやー、軽口は本当にダメだなー。

女の子も口説けないし小学生に謝る羽目になるし、あー、もう……。


まあ仕方ないかと切り替えて次の魚を待つ。

「じゃあ……色兄ちゃん。僕の言う事3つ聞いてよ。そしたら許してあげる」

「うん。いいよ。なんでも言って」

「じゃあね、じゃあね」

欲望に検索がかかる様子が実に子どもらしく可愛気がある。


「マグロ釣って」

釣りや魚に対して知見のない色助でさえ、それが意地悪な質問だと理解できた。

川の浅瀬にマグロがいるものか。


「じゃあ百万円!」

すっげーなー。最近の小学生。


「うっそー。色兄ちゃんニートだろ」

「違うよ。ホームレスだよ」

「同じじゃん」

「それが全然違うんだよ。ボクは家がないんだ」

「ふーん。え、家ないの? え、本当に?」

「あ、気になる? 気になるよね。じゃあこれが1つ目でいいかな。いいよね」

「いいよ」

「じゃあ色兄ちゃんの好きなモノとかもいっぱい教えてよ」

やっぱり小学生。根っこはいい子だ。



いつも隣で釣り糸を垂らす時みたいに、ただ雑談しているだけだった。

その内容がちょっとした生い立ちだったり、こうなった経緯だったり。


興味が無くならないように少しだけ脚色したり大袈裟に話してみせるが、思ったよりウケたのだろうか、暇潰しとしては興味があるらしく熱心に聞いてくれた。



「切子って言うメイドさんが色兄ちゃんの事大好きなんだ」

「そうなんだよ。相思相愛。ボクも大好きなんだけど、邪魔するデブがいるんだよ」

こういう話をするお約束として、本人がおっきいおっぱいをゆっさゆっさ揺らしながら「もー、主様~ったら言わないでよーいやん」と現れるかと期待したが、どうやらこの周辺には小学生しかいない。


それもそのはず、寒いからね。

「ゆきとーーーーー! サッカーやるーーー?」

「やるーーーーーーー!」

大人は皆暖房の部屋から動けないというのに、小学生の元気さは心の底から羨ましい。

竿を見ててと言われ、幸人君は反対のサッカーエリアに走って行った。


凄いよねー小学生。この気温でよく外で遊べるな。最近はスマホばっかりとかテレビで言うけど、どこの場所にも元気な子は居るんだなー。


「ふあ……」

少し眠くなってきた。釣れるといいなあ……。

というか釣れないと、ちょっと命の危険かも。

竿を握ったまま、瞼が重くなる。川の音がだんだん遠くなった。





暗い場所。光がない。

上も右も下も左も、全てが等しく黒い。

宇宙のボイドとはこういう感じだろうか。

足元が見えない。


黒、闇、漆黒、そういう光の無さ……うん。光のなさ。

例えば宇宙空間。ボイドの様なものだろうか。


ああ、これは夢だ。そう思うと安堵する。


次に覚悟を決める。

この閉塞感から抜け出せない。

檻の中なら鍵さえあればとどんな鍵か思いふける。

穴の中なら空を飛べればと翼の妄想が捗る。


ここはダメだ。全てが黒。どれだけ走っても、どれだけ動いても、何もない。

イメージが浮かばない。


――残念でした。


今のボクはもう持っている。

頭の中に出来上がった記憶の根源を掻き消す事なんてできない。


ボクを止める事はできない――!


すると今度は自分の右手が指先から消えて行く。

闇に同化するような蒸発だが、構わない。

右手がなくなれば左手で描けばいいだけのこと。

その程度の事で――と、タカをくくればそれならばと左手も消えていく。

さらに先手を打つように足も消えて、ボクが消えて行く。


ふふ。

別に口があればペンを咥えて描けばいい。

思考を奪おうが身体を奪おうが、どうとでもなる。

そんな事を思いついたからだろうか、頭も消えていく。


それじゃあ! そっちがそうくるなら! それなら思念で描いてやる!


思念で描くってどうすればいいかわからない。

でも描いてやる!


それならばとなにか悪意の闇が蠢くが、最後の最後で爪が甘い。

描いてやると行ったら描いてやる。

悪意は全てを奪えるとの驕りだ。


みんなやっているからと背負うべき罪悪感も持たず平気で石を投げる。

痛い。悔しい。悲しい。


理不尽に涙が出た。

ボロボロと溢れて、大声で泣き叫んだ。

なんでこんな酷い事をするのだろうか。


憎しみに支配された負の感情すら――心地いい。

結局は、そういう事だ。

憎しみも、悔しさも、嘆きさえも、ボクの作品の糧になる。


それならば――もっと、もっとだ。

もっと凶悪な、灼熱の炎でボクを焼き続けてほしい。


等価交換だ。

地獄の苦しみの先に、ボクはそれに負けない物を創れる――!


どうした、世界?

まさか、この程度の絶望でボクが折れるとでも??




「色兄ちゃん!」

「――おっしゃ!」

反射的に覚醒すると、竿を元気良く引き起こす。

先には何もなく、浮かんだ餌は宙を彷徨った。

川面がさざ波を立てて、静かになった。


「……おや」

「色兄ちゃん、大丈夫?」

「ああ、いやいや、ははは。これは情けないところを見せたねえ」

ゆっくりと座り直す。

一応バケツの中に視線を落とすが、今日はどうやら四匹のようだ。


「色兄ちゃん、何日間ご飯食べてないの?」

「ん……わからないな。昨日だけ。一昨日は魚を頂いたよ」

「それもう3日前だよ!」

おや……若くして健忘症の気配か。

とまあそうだった。最近描いているから時間が飛ぶんだ。

飛ぶのはいいけど、勝手にご飯も食べてくれると尚嬉しいんだけどなー。


「俺後でおにぎり作ってあげる!」

「ありがとう。しかし受け取れない。ボクは今それに応えるだけのお礼ができない」

「じゃあ早くマグロ釣ってよ!」

これは手厳しい。頑張らなければ。

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