Ⅱ-5 新たな攻略対象
「素晴らしい! もう聖なる力を使いこなしていますね、聖女様」
「あはは……ドーン先生のおかげです」
放課後の教室、フレイはドーンに聖なる力の授業を受けていた。今日は授業がない日だと聞いていたのだが、急にやることになったらしい。
あれからかなり上達し、小さな傷なら治せるようになってきたが、その傷を作るためにドーンが自らナイフで指を切るのが問題だ。
私が自分でやります、と言っても、聖女様の身体を傷つける訳には、と聞いてくれない。それに、聖なる力を使う最中やけに汗をかくので負担が大きいのではないかと心配だ。
「いえ、聖女様の弛まぬ努力のおかげです。きっと素晴らしい聖女になりますよ」
「そうですか? 嬉しいです」
「えぇ、きっと……」
その時、学園に鐘の音が鳴り響く。この鐘が鳴ったら自習をしている生徒も鍛錬をしている生徒も、皆寮に戻らなければならないのだ。
今日もありがとうございました、とドーンに頭を下げ、帰る支度をしようと彼に背を向ける。
次の瞬間、背中に衝撃が走った。
「なっ……!?」
突然のことに、なす術もなく床に倒れる。身体をひっくり返されると、ドーンがフレイに馬乗りになっていた。
「え、あの、ドーン先生!?」
「フフフ、ようやくこの時が来ましたね……」
顔を赤く染めてふぅふぅと荒い息を吐くドーンは明らかに正気ではない。目の焦点が合っていないし、いつもの倍以上汗をかいている。
「この時間、この教室の近くは人気がなくなり、よっぽどのことがない限り誰も来ない……聖女様、これで二人きりですね」
「何言ってるんですか!?」
「あれは三歳の時、絵本で初代聖女様のお姿を見て確信したのです。私と聖女様は結ばれる運命なのだと……まだ聖女様は気付いていらっしゃらないのでしょうが、私が貴方の運命なのですよ」
一方的にまくしたてられ、フレイはこれからドーンがしようとしていることをなんとなく理解した。すぐに抜けようとしたが、存外にドーンの力が強い。というか体重が重い。
「恥ずかしがらなくて大丈夫ですよ。私が全て受け止めますから……!」
「いやっ……離せっ!!」
ドーンにゆっくりと顔を近付けられ、フレイは咄嗟にドーンの股間に思い切り足を叩き込んだ。形容しがたい悲鳴を上げて蹲る隙を見て脱出する。
(男の急所、お母様に習っておいて良かった……)
急いで教室から出ようとしたが、ドアが開かない。ご丁寧に鍵まで閉めていたのだろうか。
「ぐっ……せ、聖女様は照れていらっしゃるのですね。ですが、この身体的接触により私達を結ぶ運命はより強固なものと……」
「照れてません! 全然!」
聖なる力の扱い方を教えてくれたことは感謝してるが、それとこれとは話が別だ。ドーンに穢された身体で攻略対象達に触れる訳にはいかない。
(それに何より、あのぬめった手に触られたくない……!)
「大丈夫です、例え穢れてしまっても私だけは聖女様を愛し続けます……さぁ!」
後ろからドーンが迫ってくる気配がする。彼を倒すのは簡単だが、フレイが襲われたという証拠がない以上、ボコボコにしたら不利益を被るのはこちらかもしれない。
がっちりと鍵がかけられたドアに必死で開けようとする。あとで弁償します、と心の中で謝罪しながら手に力をかけると、ばき、と音がしてドアが開いた。
「わぶっ!?」
勢いのまま外に出ようとすると、顔が何かに埋まる。ふわっと香る良い匂いと厚みのある胸板に困惑していると、そっと背中に温かいものが当たる。
「……これはどういうことでしょうか、ドーン先生」
底冷えのするような無感情な声。刃が鳴る音とドーンの悲鳴が聞こえたので、剣を突き付けているのかもしれない。ドーンの目には悪魔のように映っているのだろうが、その手はとても優しかった。
「シャ、シャルニュ次期騎士団長……こ、これは……」
「御託は要らない。何をしているのか、と聞いてる」
次期騎士団長、と聞こえたが、空耳だろうか。女神は攻略対象の中に騎士団長の息子も居る、と話していたが。
「そ、それは……その……」
「……我が国の大切な聖女に手を出した罪、そう簡単には拭えない。自らの行いを後悔するんだな」
その言葉が終わると共に、ぐぇっ、とヒキガエルのような声がする。それと同時に背中に置かれていた手が降ろされて、後ろを向くとドーンが見るも無惨な姿で縛られていた。
「急に触ってしまい申し訳ありません。ご無事ですか?」
「はい、ありがとうござい……」
助けてくれた人の方を向き、若葉色の双眸と視線が重なる。その瞬間、薄暗い廊下がピンク色になり、ぶわっと色とりどりの花が咲いた。
(こ、この人、攻略対象だ……!)
「俺は二年生のルルマ・シャルニュと申します」
「あ、フレイ・リンドゥルクと申します。助けていただきありがとうございました!」
驚きのあまり固まってしまったが、礼節は何よりも大事だとシスターから教わってきた。フレイは慌ててお礼を言い直し、改めて彼の顔を見る。
後ろに流された赤い髪に、感情の見えない緑色の瞳。顔の右半分は火傷のような跡で覆われており、アレクシスに比べて身体がしっかりしている。
「いえ、先生からの用事でたまたま通りかかっただけなので」
「それでも、シャルニュ様が来てくださって助かりました。本当にありがとうございます」
魔法を扱えないフレイにとって、ドーンを傷付けずに捕獲するのはとても難しかった。結界が張れたら良かったのだが、生憎それは教わっていなかった。もしかしたら、ドーンは意図して教えていなかったのかもしれない。
フレイが微笑むと、突然ルルマが崩れ落ちた。
「シャルニュ様!?」
「ぐっ……ぅ」
慌てて倒れかけたルルマの身体を抱き留める。ルルマは顔の傷を手で押さえ、呻き声を上げていた。
もしや傷が痛むのか、と思い、フレイはルルマに向かって聖なる力を使った。ふわふわとした光が傷に降り注ぐが、傷が治っているような手応えはない。
(昔の傷っぽいし、時間が経ってると治せないのかな……)
「……すみません、もう大丈夫です」
ルルマが額に浮かんだ汗を拭い立ち上がる。本当に大丈夫だとは思えないが、先ほどよりは顔色も良い。
「本当ですか? 保健室に行った方が……」
「いえ、本当に大丈夫なんです。これは罰ですから」
顔の右側にある痛々しい傷を押さえ、自嘲するようにルルマが笑う。
「こんな恐ろしい傷を残してしまった、俺への」
そう言って傷を撫でるルルマに、何と言ったら良いのか分からなかった。彼の苦しみを知らないからこそ、下手な言葉をかけたくはなかった。
それでも、彼を独りぼっちにはしたくなくて。フレイは考え、考えて、迷ったが意を決してルルマに手を伸ばす。
そして、ぎゅっと抱き締めた。
「……聖女様?」
「私には、シャルニュ様の苦しみは分かりません。どうしてそんな風に笑うのか、何も分からないけど……」
腕の中の身体は固くて、フレイよりも大きい。だけど微かに震えていて、目を離したら消えてしまいそうだった。
「私は、私を助けてくれたシャルニュ様のことを、恐ろしいなんて思いません」
何も知らないけど、これだけは伝えたかった。そんな風に自分のことを卑下してほしくなかった。
フレイの言葉が届いたのかは分からない。だが、ルルマが息を呑む音が聞こえて、震える手が背中に伸ばされたのは分かった。
暫くそうしていて、あれ、この状況まずいんじゃ、と思ったタイミングで騒ぎを聞きつけた教師が勢い良くドアを開け、あらぬ誤解をかけられたのはまた別の話である。
その後事情聴取を受け、ドーンは教師を辞めることになった。聖女に手を出したことに加え、過激な聖女信仰を注意されていたらしい。家のために働かない馬鹿息子として家からも勘等されていたので、もうまともな人生は送れないだろう、とのことだ。
それから数日後、フレイはアレクシスに呼び出された。




