Ⅱ-1 初めての王都
学園に入学するまでの、約一ヶ月間。思い出すだけで涙が出そうになるほど、本当に大変だった。
まず、マナーの講師がめちゃくちゃ厳しかった。ただでさえ平民生まれ平民育ちでマナーなんかちんぷんかんぷんなのに、少しでも食事で音を立てれば「もう一度最初から」と言われ、もう一生分の食事はした気がする。
次に、政治や歴史など知識の部分。これもまた大変で、歴代の王族の名前が誰も彼も長ったらしいのだ。どうやら講師がかなり現国王に惚れ込んでいるらしく、授業の途中で国王の話になることもしばしばあった。そのせいで国王のミニエピソードばかり覚え、肝心の歴史を中々覚えられなかった。
音楽やダンスなど芸術的な部分は、意外と何とかなった。元々身体を動かすのは好きだからか、唯一先生に褒められた分野である。ダメ元で男性パートのダンスも教えてほしいと頼んだところ、怪訝そうな顔をされたが教えてはくれた。
(これ、本来は貴族の子供が何年もかけてやるんだよね。それを一ヶ月で詰め込んだ私、本当に頑張った)
かなり辛く厳しい一ヶ月ではあったのだが、一番きつかったのはマナーでも歴史でもダンスでもなく、トルマとの特訓だった。
『何においても体力は重要! ということで、まずは屋敷の周りを十周走ってこい!』
『軸がぶれれば何事も上手くいかんぞ! ほら、もっと体幹を意識しろ!』
『人は裏切るが筋肉は裏切らん! 限界を超えろ! まだまだいけるぞ!』
毎日毎日、文字通り血反吐を吐くような特訓により身体は筋肉痛で最早痛いのか分からなかった。夜にはそんなバキバキになった身体で泥のように眠った。
(腹筋割れたのはお嬢様としてちょっとアウトかもしれないけど……まぁ、身を守るためならセーフでしょ)
そんなこんなでフレイはある程度の貴族としての教養を身に付けていった。身体の方はというとだいぶ筋肉がつき、十人を相手にするくらいなら一人でも互角に戦えるようになった。トルマは百人でも余裕だそうなので、まだまだ先は遠い。
こうしてある程度の教養と少し過剰な筋力を身に付けているうちに、聖アシュアケット学園に入学する日が近づいてきた。
「フレイ、何か辛いことがあったらいつでも帰って来て良いのよ。無理だけはしないで」
「私達はいつでもフレイの味方だ。身体には気を付けてくれ」
「はい、お父様、お母様」
清々しい朝、フレイはアステラとビストに代わる代わる抱き締められていた。この一ヶ月、二人は本当の家族のようにフレイを慈しんでくれた。おかげで父母と呼ぶのもすっかり慣れた。
(お父様とお母様に恥をかかせたくないし、頑張らなきゃな)
ふと、攻略対象全員を連れてリンドゥルク家に帰ってくる時のことを思い浮かべる。第一王子やら騎士団長の息子やらが居たら卒倒するかもしれないが、最終的に祝福してくれそうな気がする。そう思えるほど信じさせてくれたことが嬉しかった。
思わずふふっと微笑むと、トルマが近付いてくる。ほぼ脊髄反射的に跪こうとして、手で制された。
「良い。せっかくのドレスが汚れたらアステラに叱られるからな」
それもそうだ。せっかく新品ぴかぴかの服を入学してもないのに汚しては困る。桃色を基調としたワンピース型のドレスは、入学祝いにアステラから贈られたものだ。聖アシュアケット学園には制服がないらしい。
フレイは立ち上がり、トルマと向き直った。
「この一ヶ月、お前は本当に頑張った。自分を信じ、大切なものを守るため力を揮え。決して使い方を誤るなよ」
「はい、おじい様」
特訓の間、フレイの“大切な人”について詳しく聞かれることはなかった。単に興味がないのか、それとも何かを察しているのかは分からないが、トルマが真剣に特訓をしてくれたのは本当だ。
(今の私が本気でやったら色々危ないから、ちゃんと感情の制御もしないと)
多忙を極めた一ヶ月だったが、自分の知らないことを知ることが出来てとても楽しかった。おかげで人前に出ても恥ずかしくない程度の令嬢にはなれたらしいので、両親には感謝しかない。
これからいよいよ学園の生活が始まる。そこでフレイは女神からの使命を果たさなければならない。正直どうなるかは分からないが、現時点でやれるだけのことはやった。あとは前に進むだけだ。
「お父様、お母様、おじい様、平民の私を快く迎えてくださり本当にありがとうございます。まだまだ未熟ですが、リンドゥルク家の令嬢として恥ずかしくない振る舞いが出来るよう努めて参ります」
フレイはそう言って馬車に乗り込む。涙ぐむビストと微笑むアステラとトルマに見送られながら、フレイは聖アシュアケット学園へと向かった。
「遂に……学園に、入学するんだ」
馬車の中、壁に凭れかかりながらフレイは独りごちた。実感は湧かないが、心臓はどくどくと高鳴っている。本能的に女神からの使命が始まることを感じているのだろうか。
リンドゥルク家に来てからの一ヶ月、五人を娶ることについて色々考えたが、結局答えらしい答えは浮かばなかった。そもそも相手に出会ってないので無理があるが。
「お母様に聞いてみた感じ、普通の貴族も一夫多妻とかあるらしいけど……全員が正式な相手って訳じゃなくて、愛人とかが多いみたいだし。全員本命って中々ないのかも」
愛人を囲うことは禁止されていないが、アステラの様子からして良い目で見られないことは確かだ。聖女にはそれが認められているものの、好意的に捉えられるかは分からない。
それでも、覚悟は決まっている。強さも、教養はある程度だけど身に付いた。幸せに出来る保証なんてないけれど、五人を必ず幸せに……いや、必ず五人と幸せになる。
(正しいとか間違ってるとかじゃなくて、私がこの選択を正しくしてやる)
フレイは一人、拳を固く握り締める。すると、馬車の外がなんだか騒がしいことに気付いた。窓から外を覗いて、フレイはぱっと顔を輝かせた。
「凄い!ここが、王都……!」
建物の壁には汚れ一つ見当たらず、誰も彼もが楽しそうに笑っている。子供達は魔石を使って動かす玩具で遊んでいた。
街には見たこともないような食べ物や宝石がずらりと並んでいる。じゅうじゅうと肉が焼ける音、店員が客を呼び込む声、色んな音がごちゃごちゃとしているが、不思議と不快ではない。
(孤児院の近くと全然違う……いつか、皆をここに連れて行きたいな)
窓から顔を乗り出してきらきらと外を見つめていると、馬車を引いていた使用人に「良かったら歩いて行かれますか?」と声をかけられた。このすぐ近くに聖アシュアケット学園があるらしく、この街には学生もよく来るそうだ。
知らない街は少し不安だが、学園と近いようだし、いざとなったらその辺の建物を登って学園を見つければ良いだろう。トルマに壁の登り方を教わっておいて良かった。
「人が多いので、迷子にならないようにお気を付けを。楽しんできてくださいね」
「はい!」
使用人にお礼を言い、フレイは初めての街へと駆け出した。
のは良いが、何だか様子がおかしい。
「おっ、そこの嬢ちゃんべっぴんさんだね! ほら、このネックレス持って行きなよ!」
「ヴェルツェンの串焼き肉、オススメだよ。お代は良いから食べて食べて!」
「王都特産の果実を使ったジュースです。良かったら飲んで行ってください」
街へ足を踏み入れた途端、至るところから声をかけられて、食べ物や飲み物、装飾品まで無料で貰ってしまった。これが普通なのかと思ったが、他にそんな人は見当たらない。
(無料だし、あの店員さんに得はないよね? もしかして既に私が聖女だって知られてるとか?)
罪悪感が凄いが、貰ってしまったものを返す訳にもいかない。保存が出来そうなものは置いておいて、生っぽいものだけ先に食べてしまおう。
フレイは歩きながら、大量のカスタードが入ったパンや、舌がびりびりする飲み物や、肉汁滴る串焼き肉を頬張った。美味しい。物凄く美味しい。脳味噌が危険信号を訴えるレベルで美味しい。
「孤児院の時は、甘いものなんて果物そのまま食べるくらいだったし……王都だけじゃなくて、国全部が発展したら良いのにな」
呟きながらドーナツを平らげる。すると、人のざわめきの中に微かに子供の泣き声が聞こえてきた。辺りを見ると、遠くで小さな男の子がシャツを握り締めて泣いている。
(どうしたのかな)
孤児院の子供達とそう年齢は変わらないだろう。フレイは人混みを掻き分け、男の子の方へ向かった。
男の子はあんなに泣いているのに、誰一人として声をかけようとしない。都会ってそういうところなのかな、と思いながら、フレイは男の子へ手を伸ばした。
「「大丈夫?」」




