Ⅱ-9 夜の街
昼は明るく賑わっていた街だが、夜になるとその様子は随分変わっていた。カラフルな旗が連なっていた紐には橙色に光るランタンがぶら下がり、薄暗い街をほのかに照らしている。
「さぁさぁいらっしゃい! 今ならエール一杯に腸詰めが付いてなんと五百コイン!」
「今日収穫したケルネを使ったフルーツエール、いかがですかー?」
子供が喜びそうなお菓子やパンの屋台はなく、代わりに酒場が開店している。店の外にまでテーブルが置かれ、髭を生やした男性が勢いよくエールを煽っている。
そんな様子を見ながら、フレイは人々の隙間を縫って進んで行く。
(凄いな、王都は夜でもこんなに賑やかなんだ)
孤児院の近くは夜になるとかなり静まり返っていたので、この辺りの人は眠れるのかなと心配になってしまう。生まれた時からそうなら慣れるものだろうか。
そうしていると、インクが売られている屋台を見つけた。他にも骸骨が象られた蝋燭置きや無駄に大きい水晶など色々あるが、とりあえずインクが買えればそれで良い。
「すみません、インクを一つください」
「あ〜……? あぁ、インク、インク……」
声をかけると、酒を飲んでいたらしい店主はぐいっと瓶を傾けると、インクを手に取ってフレイに差し出した。フレイはお金を渡してそれを受取、ろうとしたところで手首を掴まれる。
「お前、よく見たら綺麗な顔してんなぁ……どうだ? 金の代わりに俺と一発……ぐふっ!?」
ぐいっと身体を引き寄せられ、酒臭い吐息が顔にかかる。嫌悪感のあまり腹に拳を叩き込むと、店主はぎくんと身体を強張らせ、がくりと気絶した。
フレイは慌てて周りを確認した。ほとんどの人が酔っている上、端にある人気のない屋台だったので気付いた人は誰も居ないようだ。恐らく、酔ってそのまま寝たのだ、と思われるだろう。
(感情のままにやっちゃうのは良くないよなぁ……ちゃんと自制して、考えて倒さないと)
まだまだ修行が足りないようだ。おじい様に鍛錬のメニューについて聞いてみようか、と思いながらフレイはその場を後にした。
段々と空が暗くなってきて、街の賑わいも増していく。たまに酔っ払いが前に躍り出てくることもあり、ぶつかるのが怖いな、と思ったフレイは中央通りから別の道へ移動した。こちらは中央に比べて店が少なく、外まで客は居ない。
(よし、これなら……)
歩きだそうとした瞬間、ランタンに照らされていない路地裏がふと目に入る。そこは薄暗かったが、何かが動いているのが見えた。
「……めろ、このっ……」
「へへ、男の癖にイイ身体してんじゃねぇかぁ……お前のせいでマリアに会えなくなったんだ、これくらい我慢……へぶっ!?」
誰かの上に太った男が馬乗りになっている、と気付いた瞬間、思考より早く身体が動いていた。フレイの足が男の脇腹にめり込み、容易く男の身体が吹っ飛ぶ。壁に打ち付けられた男は、ぴくぴくと痙攣しながら気絶した。
(さっきの店主さんもそうだけど、ガラが悪い割に弱いな。まぁ、訓練受けてなければこんなものか)
せっかくそんなに図体があるなら有効活用すれば良いのに。こっちは脂肪も筋肉も付きにくくて困ってるんだぞ、と男に悪態をつきながら、フレイは襲われていた人の方を見た。
「大丈……」
その瞬間、薄暗い路地裏がピンク色に変わり、花が咲く。三回目ともなればもう慣れる、彼は攻略対象だ。
月の光を集めたような銀髪で、センターに金色のメッシュが入っている。アレクシスとよく似た色合いの青い瞳は、驚きに見開かれていた。
ぱっと見たところ、怪我はしていないようだ。目立った傷はなく、胸元が開けているくらいで……開けている?
「っいやーーーーっ!?」
乱暴に破かれたシャツから覗く肌色を見た瞬間、フレイは反射的に叫んでいた。慌てて目を塞ぎ、ローブを脱いで差し出す。
「こ、これ! 着てください!」
「は?」
声の主は戸惑っていたようだが、ローブを受け取ってくれた。指の隙間からちらりと見てみると、ローブで全身が覆われて肌は見えない。
(孤児院の皆は私より年下だし、男の人の裸なんて初めて見た……)
まだ心臓がどきどきと高鳴っている。普通の人ならここまで狼狽しないだろうが、彼は攻略対象として意識したからか、思った以上に動揺してしまった。
「お、おい」
「あっ、急に叫んでごめんなさい。お怪我はないですか?」
青年に声をかけられ、フレイはようやく顔から手を離した。まだ熱は冷めていないが、ローブを着てくれたので会話はできる。
怪我はない、と短く言われ、ほっと息を吐く。どういう経緯でああなったのかは分からないが、怪我がないなら良かった。
青年はローブの前を掴んだまま、警戒を含んだ瞳でフレイのことを見つめている。
「お前……何者だ?」
「えっ? えーっと……ただの通りすがりの者です!」
妙にきっぱり言ったせいか、青年は目を瞬かせた。馬鹿正直にリンドゥルク伯爵令嬢です、なんて言える訳がない。
「通りすがり、ね。そんな奴が、あんな大男蹴り一つで吹っ飛ばせるかよ」
「うっ……い、いや、加減はちゃんとしたので」
フレイは男の方を見る。骨が折れるほどの威力は出していないし、ちゃんと息もしている。痣は残るかもしれないが、数日で治る……はずだ。
青年は疑うようにフレイを見ていたが、やがて息を吐いて立ち上がった。これ以上追及する気はないようだ。
「まぁとにかく、助かった。それじゃあ夜道には気を付けろよ」
「え……」
恐らく彼はあの男に襲われかけていたはずだ。それなのに夜の街に戻ろうとしているのを見て、思わず声が漏れる。
青年が振り返ると、明るい街の光が逆光となり、彼の顔が暗くなる。それでも、自嘲するような笑顔を浮かべていることは分かった。
「──俺みたいな日陰者には、暗い場所の方が似合ってる」
青年はそれだけ言うと、街の中に消えてしまった。最後に見た笑顔がとても寂しそうで、フレイは何も言えないままその背中を見送った。




