Ⅱ-6 操り人形
「味はどうですか? 口に合うと良いのですが」
「は、はい……とても美味しいです……」
にっこりと微笑むアレクシスを見ながら、フレイは震える手でティーカップを傾けた。口の中に花の香りが広がるが、正直味がよく分からない。
ここは学園の端にあるテラスだ。周りを花が咲く植え込みに囲まれたここは主に生徒同士の内緒話で使われるらしい。
優しく日光が降り注ぐテラス、真っ白なテーブルを挟んでフレイはアレクシスと向かい合っていた。テーブルの上には紅茶とスイーツが置かれているが、とても手を出す気にはなれない。
(マ、マナーとか大丈夫かな……)
どうして第一王子とお茶会をしているのか。それは先日のドーンの件で話をしたい、とアレクシスから呼び出されたからだ。
教師から何度も頭を下げられ疲弊していた時に王家の紋章が入った手紙が届き、比喩表現ではなく飛び上がった。そして天井に突き刺さった。
テラスは周りから見えにくく、女子会などをするにはうってつけだ。そんな場所で男子生徒と女子生徒が二人きりで居たら、何をするのかは想像に難くない。
(も、もしかして、もう私のこと好きになってくれたとか!? そんな訳ないよね……)
フレイがぐるぐると思考を巡らせている間に、アレクシスは給仕をしていた使用人を下がらせている。去る直前、若干頬を染めていたので使用人にも慕われているのだろう。
「フレイ嬢、今日は来てくださりありがとうございます」
「い、いえ! こちらこそお招きいただき光栄です。それで、その、話とは……」
「先日のドーン教師の件で、謝罪をしたいと思いまして」
その言葉に目を瞬かせるより早く、アレクシスが頭を下げる。一国の王子に頭を下げられるという状況にフレイは思わず飛び上がりかけた。
「ア、アアアレクシス様!?」
「この度は本当に申し訳ありません。まだ学園に慣れていない貴方に恐ろしい思いをさせてしまって……」
「そんな、アレクシス様の責任ではございません。私に危機管理能力がなかっただけで……」
「いえ、この学園の管轄は王家にあります。どんな身分であろうと、聖アシュアケット学園の生徒であるなら全て守る対象。本当に申し訳ございませんでした」
深々と頭を下げるアレクシスに、フレイは違和感を覚えた。平民だったフレイにも躊躇なく謝罪出来るその姿勢は王子として褒められるものなのだろう。
「あ、あの、アレクシス様、お顔を上げてください。私はもう気にしていませんので。……それと、一つ聞きたいことがあるのですが」
身分関係なく誰にでも優しく、いつでも微笑んでいる王子様。誰もが想像する童話に出てくるような王子様。
だけどフレイの脳裏には、中庭で見たアレクシスの、人形のような姿が焼き付いて離れない。
「──アレクシス様の、好きなものは何ですか?」
サァ、と音を立てて、二人の間を風が流れていく。日が動いたのか、アレクシスの驚いた表情に葉の影が差した。
「好きなもの、ですか……?」
「急にこんなことを聞いてしまってすみません。でも、どうしても聞きたくて」
アレクシスを幸せにするなら、まずアレクシスを知らなければならない。だが、中庭での姿を見たあの時から、フレイの目には“アレクシス”が見えなくなってしまった。
突然の質問にアレクシスは首を傾げていたが、フレイの真剣な顔に少し目を伏せる。少しの沈黙のあと、アレクシスは微笑んだ。
「アシュアケット王国、ですかね。人が生き生きとして、自然も美しい。僕はこの国を愛しています」
「そ、それは素晴らしいですね。でも、そうじゃなくて……例えば、好きな食べ物とか!」
王子として完璧な答えを返され、フレイは首を振る。それはきっと本心なのだけど、聞きたいのはそういうことじゃない。
そんなことを言われるとは思っていなかったのか、アレクシスが目を瞬かせる。
「好きな食べ物ですか? そうですね……この国の野菜はとても美味しいと思います。特にバスチーノ領では品種改良が行われているようで……」
「ち、違うんです! そうじゃなくて、その……」
自分でも何と言えば良いのか分からず、フレイの言葉が途切れる。そんなフレイを見て、アレクシスが僅かに眉を寄せた。
「……フレイ嬢は、私に何と言ってほしいのですか?」
「え?」
「望む答えを返せなかったようなので……出来れば、質問の意図を明確にしていただけると嬉しいのですが」
何と言ってほしいのか、ではない。フレイが聞きたいのはアレクシスのこと、アレクシスの本心だ。
今から言うことは不敬になってしまうかもしれないが、アレクシスを幸せにするためにやれることは何でもしたい。フレイは深呼吸をして、アレクシスの目を見た。
「……私、アレクシス様と初めて会った時、本物の王子様みたいだって思いました。アレクシス様は第一王子だけど、いつも笑顔で誰にでも分け隔てなく優しくて、童話に出てくる王子様みたいだな、って」
それはきっとアレクシスを見たら誰もが抱く印象で、多分アレクシス自身もそう在ろうとしているのだと思う。
「だけど──……」
今思えば、気付くタイミングは中庭で出会った時だけではなかった。一目見たときからアレクシスは“王子様”で、笑顔を絶やさなくて、誰もの理想で。
でも、それをアレクシスが幸せに感じているようには見えなかった。
「──アレクシス様は、ずっと“理想の王子様”を演じていらっしゃるのではありませんか?」
アレクシスは、虚をつかれたような顔をしていた。それでもフレイが目を逸らさずにいると、そっと息を吐いて目を伏せる。
そして青色の双眸がまた見えたとき、その顔から笑顔は消え去り、何の感情も乗っていなかった。
「まさか気付かれてしまうなんて驚いた。フレイ嬢は鋭いな」
驚いた、と口では言いながら、機械のような調子でアレクシスは話す。あぁ、これが本当のアレクシスなのだ、と分かった。
「貴方の言う通りだ。私は幼い頃から周りに期待された“アレクシス第一王子”を演じている。誰にでも公平で誠実な、理想の王子を」
平坦な声には感情がなく、それを悲しいとも苦しいとも思っていないようだった。まっすぐにこちらを見つめる青い瞳から、フレイも目を逸らせない。
「そのせいか、私は自分のことが何も分からなくなってしまった。今何を感じているのか、何を思っているのか。何が好きなのか、嫌いなのかも分からない」
想像していたよりずっと深刻な状態にフレイは息を呑んだ。そんな暗闇に居るような中、独りぼっちでアレクシスは演じ続けていたのか。
「いつからこうなったのかも分からないが、これまで誰にも気付かれたことはなかった。流石聖女、と言うべきだろうか」
その言葉にどくんと胸が高鳴った。フレイは聖女で、アレクシスは攻略対象。他の誰にも気づけなかった本当のアレクシスを、フレイだけは気付くことができた。
(やっぱり、世界に決められてるんだ)
やはりこれは女神の策略で、世界の意思によって決められた運命なのだろう。アレクシスがこれまで孤独に生きてきたのも最初から定められていたのかもしれない。
そう思うと複雑な気分になるが、フレイはそれを掻き消すように拳を握り締めた。確かにフレイとアレクシスが出会うのは運命で、世界に決められたことだ。
それでも、アレクシスを幸せにするのは世界ではない。私だ。
「それで、フレイ嬢はどうするんだ? 第二王子派にこれを教えるのか? 民が傷付くようなことは控えてもらいたいのだが」
「……しませんよ、そんなこと」
アレクシスには第二王子である弟が居る。王位を継承するのはアレクシスでほぼ確実らしいが、未だに第二王子を担ぎ上げようとする派閥もあるらしい。
この国の聖女であり、攻略対象達が生きる国であるアシュアケットに不必要な戦乱の種を落とすことなんてできない。
「ならどうして──」
「私は、アレクシス様に会いたいんです」
そう言うと、アレクシスの表情が僅かに変わった。傍目から見るとほとんど分からないだろうが、恐らく困惑している。
確かにアレクシスは目の前にいる。だけど、フレイが会いたいのはアレクシスが自分を犠牲にして作り上げたアレクシスではない。
「誰かの理想の王子様じゃなくて、アレクシス様に会いたい。アレクシス様が何が好きで何が嫌いなのか、たくさん見つけたいんです」
目をまっすぐ見て伝える。アレクシスはどうしてそんなことを、と掠れた声で呟いた。
「だって、アレクシス様は国のために頑張っているのに、自分のことが分からないなんて……独りぼっちなんて、きっとすごく辛いから」
国王になったら今よりもっと心を許せる人は少なくなるだろう。そうして、いつか役目が終わる時までずっと独りだったら。そうしたら、本当にアレクシスは消えてしまうかもしれない。
フレイはテーブルの上に置かれていたアレクシスの手を握る。冷え切ったそれに体温を分けるように、ぎゅっと包み込んだ。
「お願いします。どうか、私にアレクシス様を見つけさせてください」




