Ⅱ-5.5 ドーンの話
最後の方ちょっと怖いので気を付けてください。
世界で一番美しい人だと思った。
それは、どこにでもあるありふれた内容の絵本だった。魔物が溢れ国が滅びかけた時、国を救うため現れた聖女の話。
正直、話自体はどうでも良かった。ただ、聖なる力を使い光り輝きながら微笑む女性の絵に惹かれた。
初代聖女は、雪のように美しい真っ白な髪を靡かせ、月のような金色の瞳を持っていた。まだ三歳だったドーンは、初代聖女に初恋をした。
ドーンは早速両親に聖女と結婚したいとねだった。しかし返ってきたのは苦笑いだけだった。
聖女について分かっていることは少ないらしい。今まで十九人の聖女が現れたが、彼女達に女性であること以外の共通点はなかった。ある時は王女様、ある時は貴族の令嬢、ある時は村娘。年齢も身分も、何一つ法則性はないらしい。
最も最近の聖女、第十九代目聖女は百五十年前に亡くなっており、次の聖女がいつ現れるか誰にも分からないらしい。
ドーンは泣いた。侯爵家の末っ子としてこれまで散々甘やかされてきたドーンは泣けば何でも願いが叶ってきた。だが、いくら泣こうと聖女が現れることはなかった。
それならばと両親に頼み、初代聖女と同じ白い髪を持つ令嬢を婚約者にすることに決めた。だが、白髪を持つ者はほとんど居ない。仕方なく、白に近い髪に妥協した。
ほどなくして自分より身分が低い灰色の髪の少女が見つかり、ドーンはその少女を婚約者にした。きっと初代聖女様の生まれ変わりだ、そう信じたドーンは少女に様々なことを求めた。
聖女なのだからもっと言葉遣いは丁寧に。聖女なのだから好きな食べ物はきっと甘くて美しいもののはずだ。聖女なのだからもっとそれらしい服を着てくれ。
自分は聖女として当たり前のことを求めただけなのに、何故か嫌われて婚約を破棄された。理由は分からず、ドーンは新しい婚約者を探した。しかし結果は同じ。
五回目の婚約破棄で、なんと生まれて初めて両親に叱られた。聖女様は居ない、現実を見ろと怒鳴られ、ショックを受けたドーンは部屋に引きこもり、使用人に菓子を持って来させながら三日三晩泣いた。
やはりあの少女達は聖女ではなかった。自分と聖女は結ばれる運命なのだから、自分に口答えする時点でおかしい。
聖女が欲しい。あの美しいひとが欲しい。手に入れたい。
そうだ、こんなに愛しているのだから、きっと生まれ変わってきてくれるに違いない。ならば聖女について誰よりも詳しくなろう。そうすれば、いつか出会えた時に喜んでくれるはずだ。
そうしてドーンは貴族としての勉強を一切捨て、聖女の研究に打ち込むようになった。両親は顔を真っ赤にして怒っていたし、兄もお前のせいで笑い者だと憤慨していたが、これも愛の試練だとドーンは気にせず研究を続けた。
学園には入学したがほとんど登校することもなく、成人の日を迎えたその日に、ドーンは家から勘等された。
家の金で研究をしていたドーンは、どうしてだと両親に縋りついた。だが二人の目は冷たく、自分の胸に聞いてみろとすげなく家を追い出された。
それから自分は聖女の研究をしているのだ、と色々な場所で声高に話したが、誰も素晴らしいとは言ってくれなかった。もしかしたら自分の腕を見込んで研究費を渡してくれる人が居るかと思っていたが、下民に期待しすぎたようだ。
そうこうしているうちに両親から貰った金も尽き、私はこんなところで死ぬのか、せめて聖女様と口付けだけでも交わしたかったと思っていた時、ドーンは彼に出会った。
『ほう、聖女の研究をしているのか。なんと素晴らしい、ぜひ家に来て研究を続けたまえ』
トルクス伯爵は自分の研究を大いに褒め、家で養うとまで言ってくれた。彼は先祖が聖女に危害を加えたことにより辺境の地に飛ばされたらしい。
地位を取り戻すため、ひいては国に忠誠を誓うため、もし聖女が現れたら全力で尽くそうと思っていたらしく、ドーンの研究も熱心に聞いてくれた。
彼は身寄りのない子供を大勢引き取っていた。ご主人様、ご主人様と慕われる様子はなんとも微笑ましく、聖女が現れたら自分もそう呼ばせようと思った。
トルクス伯爵は自分を教会に紹介して、聖女研究会に入れてくれた。だが、何故か自分の崇高な研究は苦い顔をされた。歴代聖女の好きなもの、お気に入りの花など徹底的に調べ上げたというのに。
それだけじゃない、ドーンは聖なる力についても研究していた。例え聖女と結婚しても、聖なる力がある限り魔物退治に行かなければならない。もしかしたらそこで騎士に襲われて、心を奪われてしまうかもしれない。
そこで、ドーンは聖女から聖なる力を取り出す研究をしていた。そうすれば、聖なる力を失った聖女は自分とずっと一緒に居られるし、魔物退治には聖なる力だけを持って行けば良いのだから楽になる。
研究会の奴らはそんなことをしたら女神の怒りに触れる、と何やら言っていたが、ドーンは聞く耳を持たなかった。女神なんて居るはずないのに、熱心に信じている馬鹿な連中だ。
ドーンのこの研究を、トルクス伯爵はいたく褒めた。ぜひ完成させてくれ、と金も渡され、実験用に何人か子供も貰った。
ドーンはこれまで以上に研究に取り組み、もう少しで聖なる力を取り出す技術が完成しそうになったある日、遂に、遂に聖女が現れた。
『女神様から神託を授かりました。名はフレイ、白髪に金色の瞳。場所は──』
ドーンは歓喜した。髪の色も目の色も初代聖女と同じ、これは初代聖女が自分の想いを感じ取り生まれ変わってきてくれたに違いない。
聖女は学園に入学させる、と聞いてドーンは一番に聖女の教師に立候補した。聖なる力のことなら誰よりも分かっている、自分なら必ず聖女様のお役に立てる、と力説した。
実際、聖なる力について一番詳しいのはドーンだった。聖なる力は聖女によって扱い方も変わり、前代の聖女のやり方が通用しない。
しかしドーンには自信があった。聖なる力は魔力と違い、想いの力によって増幅する。それならば、自分が側にいることが聖女のためになるだろう。
教会は最初渋っていたが、トルクスの後押しもあり、最終的にはドーンが聖女の教師に就任した。
『良いか、ドーン。聖女様は生まれ変わって混乱なさっているかもしれない。決していきなり距離を詰めず、じっくり信頼を掴み取るのだぞ』
トルクスには口酸っぱくそう言われたが、今代の聖女を一目見て、ドーンは心を撃ち抜かれた。
絹のように美しい白い髪、太陽のようにきらきら輝く金色の瞳。笑った顔は花のように愛らしく、声は鈴を転がしたように澄んでいた。
ドーンは激情を抑えながら聖女に指導をした。かなり飲み込みが早く、あっという間に聖なる力を使いこなしていく。これも運命である自分が側に居るおかげだろう。
聖なる力で傷を治す時、ドーンは必ず自分にわざと傷を付け、聖女に治させた。聖女はそんなことしないでくださいと言っていたが、そこら辺の動物に聖なる力を使う価値はない。いずれ聖女から聖なる力はなくなるし、直接聖女から癒やしてもらうのは自分だけで良い。
そうして毎日教師としてやっていたのだが、ある時ドーンは見てしまったのだ。
第一王子アレクシスと、中庭で楽しそうに話す聖女の姿を。
あれは完全に浮気だ、と怒り狂いそうになったが、聖女はまだ自分が運命であると気付いていないのかもしれない、と落ち着いた。もしかしたら、アレクシスに一緒に居るよう命令されているのかもしれない。
それならば、他の誰かに手に入れられる前に穢してしまえば良い。学園で教師と身体を繋いだ、なんてことになれば、潔癖さを重んじる王族のアレクシスは離れていくだろう。
そう決心したドーンは、授業がない日に聖女を呼び出し、身体を繋ごうとして……そして、失敗した。
(……ここは……)
目が覚めると、ドーンは冷たい床の上に倒れていた。手足は縛られ、身動きが取れない。
「ようやく目を覚ましたか」
「ットルクス伯爵!」
カツン、と踵を鳴らす音がして、聞き覚えのある声が降ってくる。視界に映ったトルクス伯爵に、ドーンは必死にまくしたてた。
「お聞きください、私は聖女から邪悪なる王子を引き剥がそうとしたのです! このままでは運命である私に気付かず他の男と結ばれてしまう、そう思った私は……」
「もう良い、黙れ」
今までに聞いたことのない冷たい声に、ドーンの口が止まる。こちらを見下ろすトルクス伯爵は、勘等すると告げた時の両親の顔に酷似していた。
「これで聖女を奪えると思ったのに、欲に負け、挙げ句の果てに失敗するとは……研究しか価値のない豚だとは思っていたが、ここまで愚かだったとは」
「は、あ……トルクス伯爵?」
「もう良い、あの聖なる力を取り出す研究も役には立たなかった。実験場へ連れて行け」
「かしこまりました」
トルクス伯爵は興味を失ったようにドーンから目を逸らし、黒髪に金色の瞳の青年に指を振った。彼はトルクス伯爵に引き取られた子供で、聖女とよく似た金色の瞳なのでよく覚えていた。
青年はトルクス伯爵に頭を下げると、ドーンを縛っていたロープを持ち、そのまま引き摺り始めた。肉が冷たい床と擦れ、悲鳴を上げる。
「やめろ! 私を誰だと思っている! 私を傷付けたら聖女様がお怒りになるぞ! おい!」
いくら叫んでも青年はこちらに顔を向けることもせず、ドーンはいつも閉まっている研究室のドアの前に引き摺られた。
青年がドアを開け、ドーンは中に入れられる。そこで待っていたものに、ひっと息を呑んだ。
「う、うぎゃああああああ!」
中には地獄のような光景が広がっていた。緑色の液体が入った大きな円柱には、四肢がバラバラになった子供が浮かんでいる。その隣には首だけの子供、その隣には首と心臓が繋がった何か。
実験台の上には脳味噌が幾つも転がっていて、指の先が無造作に床に落ちている。それ以上を認識することが出来ず、ドーンはただ子供のように泣き叫んで、ふっと声が出せなくなった。
「うるさい。喚くな」
ドーンの見開かれた目からはぼろぼろと涙が溢れている。両親に勘等された時も涙は出なかったのに、今は助けてほしくて仕方ない。そもそも子供である自分を勘等した両親が諸悪の根源だ。ずっと家に居られたら、こんなことにはならなかった。
いや、違う。悪いのは聖女だ。自分以外に靡いた聖女が悪い。聖女のせいで、自分は今から人間ではなくなろうとしている。
青年が注射針を持って近付いてくる。ドーンは芋虫のように逃げようとしたが、もう身体は動かなかった。
(いやだいやだいやだいやだ、どうして私がこんな目に! 全ては聖女が、聖女のせいで……)
「フレイがお前に靡くなんてことは、何度世界が巻き戻ろうと壊れようと起こらない」
青年のぞっとするほど冷たい声が聞こえる。針が首に当たって、ドーンはそれだけで失禁した。
「フレイに手を出した罪、その穢らわしい身体を持って思い知れ」
針が刺さり、血液に知らない液体が混ざっていく。
薄れていく意識の中、聖女の名前はフレイというのか、とドーンは初めて知った。




