3.呪い
「すまないジャンガル」
「いや。突然のことで驚かせてしまったこちらも悪かったのだから、どうか顔を上げてくれ」
キャンベルの突然の大声や親子でのやり取りに頭を下げるハロラーク侯爵だが、キャンベル自身もお見苦しいところをとばかりに、わずかに俯きながら指先で口元を押さえていた。だが当然のように、二人のそんな様子に首を振るダルメン侯爵。
「そう言ってくれると助かる」
それに頭を上げるハロラーク侯爵と、一度小さく頭を下げることで感謝の意を示すキャンベルだった。
そうして、ようやく全員が落ち着いたタイミングで、ダルメン侯爵が再び話を戻す。
「まず最初に、キャンベル嬢にはこれから話す出来事も今目にしている事実も、全て他言無用でお願いしたい」
そう前置きをして、その言葉にキャンベルが「もちろんです」と返答したのを聞いてから、ダルメン侯爵はハロラーク侯爵と視線を交わして頷き合った。まるで、それが合図であったかのように。
だがそこで語られた内容は、キャンベルでなくとも他言無用でなければならないものだと、瞬時に理解できたであろう。それはともすれば、ダルメン侯爵家の存亡にすら関わる可能性のある話だったのだから。
「我が家は代々、嫡子がある日突然ハムスターの姿に変身してしまう呪いを背負っていてね。先ほどのロボロフのように突発的に起きてしまうので、社交界はおろか簡単に屋敷から出ることもままならないんだよ」
「呪い、ですか?」
「あぁ。正確には、魔女の呪いなのだそうだが……。呪いをかけた魔女の名前も目的も、いまだ分からぬまま。ただそのせいで、二人の婚約を結んだあとも何かあってはいけないからと、一度も顔合わせすらできずにいたんだ。これに関しては完全に我が家の事情だったので、キャンベル嬢には謝っても謝り切れない。本当に、申し訳なかったね」
「い、いえっ、そんな……! どうか、頭を上げてください……!」
まだ少々話についていけていない感は否めないが、それでも目の前でダルメン侯爵と、ケージの中にいるハムスター姿のロボロフに頭を下げられてしまって、急激に慌てだすキャンベル。それもそのはずだろう。なにせ今日が、初めての顔合わせなのだ。それなのに婚約者(ハムスターの姿)とその父親に同時に頭を下げられてしまえば、驚かないはずがない。
だがキャンベルにとって衝撃的な告白は、まだ終わってはいなかった。
「いや、それだけではないんだ。実はブラント……君の父親に、このことを直接会うまでは言わないでいてほしいと頼んだのも、私だったのだから」
「えっ……」
婚約者がハムスターの姿になってしまうのは魔女の呪いだと聞いた時以上に、そのアイスグリーンの瞳を大きく見開きながら隣に座る人物を見上げたキャンベルの視線の先で、どこかバツが悪そうな顔をしていたのは他でもない彼女の父親、ハロラーク侯爵その人で。
「すまない、キャンベル。その……コトがコトだったので、さすがに直接その目で確かめなければ、納得できないだろうと思ったんだ」
「それは……」
ある意味で、ハロラーク侯爵は娘の性格をよく理解していた。たとえ事前に教えていたとしても、この目で見るまでは信じられないとキャンベルが言い出すことは明白だった、と。そしてそう告げられたキャンベル自身も、父親の言葉に納得してしまう。
「……そう、ですね。わたくしは、たとえそれがどんなに小さなことだったとしても、自分の目で確かめなければ気がすまないので」
「だろう? だからジャンガルと二人で、顔合わせの時までは秘密にしておこうと話し合ったんだ。それにこんなにも特殊な事情を、まだ幼い時分に話すわけにはいかなかった」
「はい、それも理解いたします」
キャンベルは考える。もしもまだ分別もつかない幼子にそんなことを教えてしまえば、嬉々として周りに話してしまう危険性もあったのだから、至極当然のことだと。事実そういった意味では、侯爵二人の結論は正しかったとしか言いようがない。
「だからこその、今日この日ということなのですよね?」
分別がつくようになり、少しずつ母親と共にお茶会などの社交に参加し始める、この年齢になったからこそ。ようやく本当のことを話せると判断されたのだ、と。
そう結論付けて見上げた先で、グレーの瞳は優しく弧を描きながらも真剣な光をその奥に灯したまま、小さく頷いた。それはつまり、キャンベルの考えを肯定していることに他ならない。
「だが見てもらった通り、ロボロフはこんな状態だ。キャンベル嬢には申し訳ないが、これではどうやっても外で会うことは不可能なのだ。なぁ、ロボロフ」
そしてここにきてようやく、ダルメン侯爵がハムスターの姿となった息子へと話を振る。
先ほど自分が必要以上に驚きすぎてしまっていたせいで、ここまではあまりしゃべらせないように配慮してくださっていたのかもしれないと思いながらも、ケージの中にいる可愛らしい白いハムスターへと目線を向けたキャンベルの目の前で。その小さな口を開けて、四方八方へと広がる細いヒゲを上下に揺らしながら。
「はい、父上。なのでキャンベル嬢には大変申し訳ないが、数年後の婚姻までの間に会える回数は、他の家の婚約者同士よりも圧倒的に少なくなってしまう。それだけは、どうか許してほしい」
そう一生懸命話すハムスター姿の婚約者に、そのつぶらな瞳に。キャンベルは今まで感じたこともないほどの愛らしさを覚えながら、真面目にこう答えたのだった。
「心得ておりますわ。ロボロフ様にそんな危険なことをしていただかなくとも、わたくしが毎回会いに来ますので。ご心配には及びません」
それはそれは、自信たっぷりに。嬉しそうにその可愛らしい顔に満面の笑みを浮かべ、顔の前で両手の指を軽く組みながら。
その様子は、まさに美少女のそれでしかなく。直視してしまったロボロフは、なぜかいきなりケージに備え付けられている回し車で爆走し始めたのだが。それを見て単純に可愛いとしか思わなかったキャンベルとは違い、侯爵である父親二人は顔を見合わせて、微笑とも苦笑とも取れるような微妙な表情をしていたのだった。