2.魔女の怒り
その翌日から、さっそくキャンベルはダルメン侯爵家の図書室に通い始めた。当然その場には、ロボロフの姿もある。
ちなみに前日のあの後は、嬉しさのあまり花がほころぶように破顔したキャンベルの表情をロボロフが直視し顔を赤らめた瞬間、ポンッという間抜けな音がしてハムスターの姿になってしまうという、なんとも締まらない終わり方だったのだが。その理由を知ったキャンベル自身は、どこか嬉しそうで。そのまま翌日の訪問の約束まで取りつけると、それはそれは上機嫌なまま家路についたのだった。
「そういえば、ロボロフ様は一度こちらの資料に目を通していらっしゃるのですよね?」
ダルメン侯爵家の図書室の、一番奥。普段はどう見ても誰も足を踏み入れないであろう場所に、魔術や呪い、そして魔女に関する様々な資料が、年代もバラバラに集められていた。けれど同時に、そこには長時間その資料たちを読めるような机と椅子もしっかりと用意されていて。どう見ても新しく設置されたというわけではなさそうなそれらはきっと、これまで長い間ここで呪いの解き方を必死に探すダルメン侯爵家の人々を見てきたのだろうと、容易に想像できた。
そんな場所に二人、並んで座りながら本のページをめくり続けることしばし。
そうして三冊目を読み終わった時にふと、キャンベルがそう問いかけたのだ。
「あぁ。だが、有力な情報は見つけられなかった」
「ですが、すでに呪いを解こうとは思っていらっしゃったのですよね?」
「それは、まぁ……ダルメン侯爵家の嫡子として生まれれば、誰もが最初に考えることだろう」
「それならばなぜ、おやめになってしまわれたのですか?」
そこが、キャンベルにとっては疑問だった。初めは魔女を恐れて、一度も呪いを解く方法を探そうなどとは考えたこともないのかと思っていたのに。むしろその逆で、すでに探したあとだったとは。
「……手掛かりになりそうなものが見つからなかったというのが、一つ目の理由。そして、もう一つは……」
キャンベルの質問に対して、一度言葉を切って立ち上がったかと思えば、本棚から一冊の本を手に戻ってくる。
「この本に、魔女の怒りを買ってカエルの姿にされてしまい、二度と人間には戻れなかった男の話が書かれていたんだ」
「まぁ……!」
つまり、それを読んでロボロフは恐ろしくなってしまったのだ。自分も魔女の怒りに触れて、二度とハムスターの姿から戻れなくなってしまうのでは、と。
だから、やめた。そもそも祖先が一度目を通しているというのに、結局何の役にも立たなかった資料を頼ることも。見たこともない魔女という存在に、理不尽に今以上の不便を押し付けられる可能性があることも、全て。
だがそれでも、キャンベルにはどうしても納得できないことがあった。それは――。
「……ですが、以前は積極的に呪いを解こうとされていたのですよね? こちらの日記に、過去に試されてきた様々な方法が載っていましたもの」
そう。実はダルメン侯爵家はかつて、呪いを肩代わりした王子が亡くなった後に残ってしまった呪いをどうにかできないかと、一族総出で王家とも協力しながら試行錯誤してきた過去がある。それは事実だ。
「ということは、それだけのことをしても魔女は気付いていなかった、とは考えられませんか?」
もしくは呪いたい相手ではなかったからこそ、興味すらなかったのか。
いずれにせよ、そんなことをしても一度も魔女の怒りを買うようなことがなかったのであれば、呪いを解く方法を探すこと自体にはなんら問題はないのではないか、と。キャンベルはそう考えたのだった。
だが、ロボロフは小さく首を振る。
「それは、気付かれていなかっただけ、の可能性もある。それ以前に、魔女が呪ったのは当時の王子。つまり逆を言ってしまえば、魔女の目的は達成されていなかったことになる。もしも今それを知られてしまえば、下手に刺激して怒りを買ってしまう可能性も、ないわけではないだろう?」
「それは……」
その言葉を完全に否定できる根拠を、キャンベルは持ち合わせていなかった。だが同時に、ロボロフのその考え方もあくまで可能性の一つにすぎない。結局はどれをとっても、リスクは付きまとうのだ。
「そもそも私たちは、魔女がいつどこで王子と出会って、どうして嫉妬したのかさえ知らない。知らないままに、ただ呪いだけを肩代わりしてしまっているからこそ、手掛かりが少なすぎるんだ」
「それには全面的に賛同いたします」
それもまた、謎を解くための重要な鍵を暗闇の中で手探りで探しているような、そんな不安感を抱かせるのだ。なにをどう探せばいいのかすら、その糸口さえ見つけられないままで。
この日は結局、一度休憩を挟んでから再び夕方まで資料を読み進めてから、解散となったのだが。有益な情報は一つも見つからず、若干落胆した気持ちで家路についたキャンベルはしかし、眠りにつく直前にふと気が付いたのだった。
「そういえば……今日は初めて、ロボロフ様とずっと人の姿のままでお話しできていました」
それは初めて顔を合わせたあの日から、一度も叶わなかったことで。けれど同時にそれは今日一日、ロボロフは一度もキャンベルにときめきを覚えなかったということと、同じ意味を持つ。
そう考えて、少しだけ複雑な気持ちになってしまったキャンベルは、そのまま小さく首を振って。
「ハムスターの姿は可愛くても、ロボロフ様にとってはきっと今日のような日が必要、な、はずっ……!」
ハムスター姿が見られなかったのが少し寂しいと考えてしまった、己の身勝手な思考を払拭するように。自分で口にした言葉に何度も頷くと、そのまましっかりと布団をかぶって、眠りについたのだった。