1.キャンベルの願い
「ですが、それならばなおさら根本的な解決を目指さなければならないのではないでしょうか?」
今の今まで乙女のような愛らしさを振りまいていたとは思えない、冷静すぎるキャンベルのその切り替えの早さに周囲はさらに驚きを隠せなくなり、ロボロフなど開いた口が塞がらなくなってしまう。
キャンベル本人からしてみれば、婚約者が自分に対してときめきを覚えてくれていたという事実に、それはそれは大変嬉しくなって喜んでいたことは紛れもない真実ではあるが、同時に淑女として育てられてきた今までの経験から、感情に流されるべき時ではないという結論を導き出していたにすぎないのだ。だからこそ、今一度冷静にその言葉を繰り返す。
「わたくしたちで終わりにしなければ、将来生まれてくる子供にも同じ思いをさせてしまうことになります。さらに、お父様とダルメン侯爵様がわたくしとロボロフ様の初顔合わせを長い間延期していたように、また他家への説明と同意が必要になります。ですがそれは本当に、必要なことなのでしょうか? 呪い自体が直接ダルメン侯爵家にかけられたものではないのであれば、なおさらです」
王家のための献身と言えば聞こえはいいが、それはただの自己犠牲と同義だ。それで得られるものに比べて、失ってしまうもののなんと多いことか。キャンベルは、そう考える。
「ですからどうか、呪いを解くための手掛かりを探すことをお許しいただけませんでしょうか?」
すでに古い昔に一度、できることはひと通り試してきているのかもしれない。魔女や呪いに関する文献も、読み漁ってきているかもしれない。もしかしたらそれ以上に、呪いの専門家などを呼んで見てもらい、色々と試したあとなのかもしれない。
ただ、だからといってキャンベルにとって、それが諦める理由にはならなかった。
「ふむ……。呪いを解く方法、か」
「何かご存じなのですか?」
キャンベルの真剣な表情に、ようやく先ほどまでの衝撃から立ち直ってきたらしいダルメン侯爵が、一人小さく呟く。それに反応したキャンベルのアイスグリーンの瞳を、ただまっすぐに見つめ返しながら。
「魔法や呪いに関する資料は、図書室の奥にあるにはあるんだよ。ただ量が膨大すぎて、全てを読み切るには時間がかかりすぎる。それ以前に、集めた時点で一度目は通されているはずだからね。それでもダルメン侯爵家は、いまだにこの状態のまま。となれば、あまり期待はできない内容である可能性が高い。それでもいいのかな?」
そう、問いかけたのだった。それはある種キャンベルに対して、ダルメン侯爵家の蔵書の閲覧許可を当主自らが出そうとしているようにも見えただろう。実際にロボロフだけではなくハロラーク侯爵まで、驚いたような顔をしてダルメン侯爵に視線を向けていたのだから。
だがキャンベルにとっては、またとない機会だった。さらにこれを逃してしまえば、資料を集めるだけでもひと苦労なのは容易に想像がつくので。
「もちろんです! ぜひとも、お願いいたします!」
当然のようにその言葉に食いついて、ソファーに座りながらだというのに、しっかりと頭を下げたのだった。
そんなキャンベルの様子に、ダルメン侯爵は彼女に聞こえないほど小さなため息をつくと、それには答えず隣に座る息子に向き直って。
「だ、そうだ。キャンベル嬢は我が家の……いや。お前のために、こうして頭を下げてくれている。それなのにまさか、その好意を断ろうなどとはもちろん考えていないだろうが、念のためお前の意見も聞いておこう。ロボロフ、お前はどうしたい?」
まるで決定権を息子に譲るかのように、そう口にした。
実際ダルメン侯爵からすれば、自らは爵位を継いで嫡子ではなくなっている。けれど屋敷の中だけで過ごすことに関して何一つ不便を感じているわけでもなく、すでに婚姻を結んでいる妻がいて跡継ぎの息子もいるので、これ以上呪いをどうにかしたいと思うような気持ちは一切なかった。むしろ、それを理由に妻以外の女性とかかわりを持つ必要がないのだと、好意的にさえ受け取っていたのだ。
だが、ロボロフは違う。爵位を継ぐのはまだずっと先で、キャンベルと婚姻を結ぶのにもまだ数年かかる。にもかかわらず、その間ずっと不意にハムスターの姿になってしまう事実に脅えながら、ろくに婚約者との仲も深められずにいる可能性もある。
だからこそ、ダルメン侯爵は息子に問いかけたのだ。どうしたいのか、と。
「私は……」
案の定、迷う素振りを見せたロボロフの考えも、ダルメン侯爵は手に取るように分かる。呪いを解きたいのはやまやまだが、そのせいで魔女の怒りを買って二度と人間の姿に戻れなくなってしまったらどうしようという、理解できない存在への恐怖。それはダルメン侯爵家の嫡子として生まれついた以上、誰もが一度は抱いたことのある感情だった。
だが、それを克服しない限りは前に進めない。
当時の婚約者であり現在の妻に早い段階で打ち明け受け入れてもらっていたので、若かりし頃のダルメン侯爵自身は早々に呪いを解くこと自体を諦めてしまったが、息子の婚約者はそれを希望しているのだ。それに応えるのか、それとも恐怖に負けて断るのか。息子の決断も含め今後について考えようと、頭を切り替え始めていたダルメン侯爵だったが。
「お願いします、ロボロフ様……! わたくしたちの子供や孫にまで、ロボロフ様と同じ苦悩を抱えるようなことはさせたくないのです……!」
胸の前で両手を組んで、その大きなアイスグリーンの瞳を潤ませながら悲しそうな顔をして訴えるキャンベルの姿を見て、確信したのだった。あぁ、息子は落ちる、と。
恐ろしいことに、キャンベルには一切の打算がないのだ。だが同時に打算がないからこそ、純粋でまっすぐだからこそ、その姿はしっかりと人の心に届く。これが全て計算された上でのことであれば、もしかしたら特定の相手には嫌われていたかもしれないが。そうではないからこそ、彼女は万人から好かれてしまう。
そして、ダルメン侯爵の予想通り。
「っ……。わか、った。せめて我が家の図書室にある資料だけでも、もう一度読み直してみよう」
ロボロフはそう口にした。つまり、呪いを解くための方法を一緒に探そうと。
直接そう伝えたわけではないが、サファイアブルーの瞳はしっかりとキャンベルを映して、頷いたのだった。