第5話 ハルカ、初の鍛錬
ナナside
昼飯を終え、食後の茶を飲んで休憩中。午後一時から午後の部、ハルカの鍛錬を行う予定。ただ、あの子、戦いに関しては全くの素人。武術もやった事が無いらしいけど。それにしちゃ、少々、気になる点が有ってね……。
まぁ、それはそれとして、ハルカは実に教えがいの有る良い子だ。理解が早いし、やる気も有る。何より、下級転生者、ハルカの世界じゃ『なろう系』って言うらしいけど、あのバカ共みたいに、不愉快な言動をしない。
あの連中、気狂いばかりだからね。口を開けば、チート、サイキョー、ハーレム、ゲンダイチシキデムソー、ゲンサクチシキデナリアガリ、カイカク、ザマー……バカが。
まともな思考力が有ればわかるだろ? 力や知識が有るだけじゃ、世の中は動かせない。世の中、そんなに甘くない。後、ゲームや小説といったフィクションの世界には行けない。存在しない架空の物語の世界になんか、行ける訳ないだろ。原作知識云々言ってる奴は、現実と妄想を混同している気狂いにすぎない。当然、そんな気狂いは全員破滅した。
そういえば、数年前にもいたっけ。エウトース大陸の四勢力の一つ。西のアルトバイン王国に現れた、乙女ゲームに転生したやら、モブに厳しいやら、抜かしていたバカ。定番の原作知識ガーで無双する気だったらしいけど、ことごとく失敗。当たり前だ。この世界はゲームじゃない。原作知識なんぞ、何の役にも立たない。
しかし、このバカはその事を全く理解せず、原作知識ガーで、無茶苦茶な事をしては失敗ばかり。当然、評価も地に落ちるどころか、マイナス方向に突き抜けた。
さすがに不味いと思ったらしく、名誉挽回を図ったが、これが自らにとどめを刺す結果になった。
第三王子が麻薬の密造、密売をし、その資金を元にクーデターを起こそうとしていると騒ぎ、証拠を得んと、その宮殿に忍び込んだ。いつもの原作知識ガーでね。
ゲームなら、悪事の証拠が有り、それを主人公が押さえて第三王子の野望を打ち砕き、めでたしめでたしとなるんだろうが、この世界はゲームじゃなくて、現実でね。当然、証拠なんか無い。そもそも第三王子はシロだ。完全にバカの自爆。
もちろん、こんな事をして、ただで済む訳ない。こいつのやった事は完全に、王族への敵対行為、反逆だ。王族への敵対行為、反逆は、問答無用で死刑。バカはこれまでの愚行で当局から睨まれていたからね。すぐに逮捕され、流れるように公開処刑で斬首に処された。
ちなみに誰も擁護しなかった。これまでさんざん、原作知識ガーでやらかしまくって周囲に被害を撒き散らし、しかも謝らない。自分は正しい、周りが悪いの一点張り。そんな訳で、周囲から徹底的に恨まれ、嫌われていた。それすら、周りが悪いの一点張り。
処刑の際、バグだのクソゲーだのと無様にわめき散らし、最後の最後まで自分はゲームの世界に転生したと思っていた辺り、救えない。
他にも陰の実力者云々抜かしていたわりに、目立ちまくっていたバカ。その結果、敵を作りまくり、殺された。陰の実力者の意味、わかってないだろ。陰の実力者が目立ってどうする。決して目立たず、陰に潜んでいるから、陰の実力者なんだよ。バカ過ぎる。とにかく、下級転生者のバカさ加減は留まるところを知らない。
力や知識が有るだけでは、世の中は動かせない。フィクションの世界には行けない。そんな当たり前のことが、下級転生者にはわからない。無能な気狂いだから。そもそも、無能だから、生前において負け組だったんだろうが。まぁ、それすらわからないから、無能な気狂いなんだけどね。やれやれ、存在価値が無いんだから、自殺すりゃ良いのに。あ、周囲に迷惑を掛けないやり方でね。とりあえず、山奥で首吊りでもしろ。
私は常々、人として最低限の域に達しない奴は殺処分すべきと考えている。差別だとうるさい奴らもいるけど、じゃあ、お前ら、無能な気狂い共をどうにかできるんだね? と聞いたら、すぐ黙る。クズは所詮、クズ。どうにもなりゃしないのさ。クズはおとなしく、エリートの踏み台やってろ。お前らの存在価値など、その程度。クズが夢を見るな。お前らにそんな資格は無い。
いけないね。思考が脱線した。本筋に戻さないと。ハルカの鍛錬メニューだけど、やはり、最初は基礎体力を付ける所から始めよう。確かにハルカは優秀だけど、だからといって、変に奇をてらうのは良くない。優秀だからこそ、基礎から徹底的に仕込む。クズは幾らでも使い潰すけど、ハルカ程の逸材、潰す訳にはいかないからね。
さて、ハルカにはもう一つ気になる事が。あの子がここに来た際に持っていた『鉄扇』。聞いてみたら、やっぱり、死神ヨミが持たせた物だった。それもミスリル製で、風の魔力を宿す高級品。素人に持たせる品じゃない。
「戦いの素人に、無意味にミスリル製の魔扇を渡すはずがない。死神ヨミなりに、考え有っての事だろう」
死神ヨミはハルカを見込んで、上位転生者として私の元に送り込んできたんだから。ハルカが無能なら、最初からしない。
「そしてハルカ。戦いに関しては素人だけど、何らかの心得は有る」
昨日からハルカの歩き方や、立ち姿を見ていたけど、実に良い。体幹がぶれず、無駄な力みが無い。水の流れるような滑らかな動き。少なくとも、全くの素人の動きじゃないし、一朝一夕で身に付くものでもない。かなり年季を重ねている。一体、何やってたんだろうね?
念の為、他の奴にも聞いてみる。まぁ、ハルカ以外じゃ、一人しかいないんだけど。キッチンで洗い物をしているエーミーヤに声を掛けた。
「エーミーヤ、今、ちょっと良いかい?」
「何かね? 私は今、洗い物で忙しいのだがね?」
振り向きもせずにそう言うエーミーヤ。失礼な奴だね。まぁ、良い。
「ハルカの事だよ。あんたから見て、あの子はどう見えた? 全くの素人に見えたかい?」
エーミーヤは腕利きのブラウニーとして世界中を巡り、数多くの者達を見てきた。それだけに人を見る目は確かだ。そんなエーミーヤにハルカの人物評を聞いた。
「わざわざ私に聞く程のことかね? まぁ、聞かれた以上は答えるがね。あのお嬢さんを全くの素人と思うのは、それこそ全くの素人だろう。彼女のぶれない体幹。流れる水のような無駄の無いスムーズな動き。あれはかなりの鍛錬を積み、相応の素質を持つ者でなくてはできない。戦いに関しては素人と聞いたが、何らかの心得は有るのは間違いあるまい」
エーミーヤも私と同じく、ハルカは何らかの心得が有ると見ていた。
「あんたもそう思うかい。わざわざ死神ヨミが鉄扇を持たせるほどだ。鉄扇というか、扇絡みの心得が有るんだろう」
「扇絡みか。……舞踊かね?」
「多分、それ」
ハルカの身のこなし。そして死神ヨミが鉄扇を持たせた事。それらから、ハルカには舞踊の心得が有るのでは? と私とエーミーヤは考えた。
「まぁ、詳しくは本人に聞くさ」
戦いや武術に関しては素人ながら、かなり基礎はできているハルカ。本当に育てがいが有る。
「さて、午後の部を始めるよ」
「はい。よろしくお願いします」
午後一時。午後の部開始。午前の部とは場所を変え、地下一階のトレーニングルーム。午後の部は、実戦に向けての鍛錬。まずは基礎体力を付ける。でも、その前に……。
「ハルカ。鍛錬を始める前にちょっと聞きたいことが有る。あんた、何か習い事してないかい? 舞踊とか?」
ハルカに何か習い事をしていないか? 舞踊とかをしていないかと聞いた。
「はい。習い事というか、僕の家。天之川家に代々、伝わる神楽舞が有りまして。『御津池神楽』って言うんですけど。天之川家の者は皆、幼い頃から学ぶんです。元々、天之川家は、水神様を祀る神官の家系でして。御津池神楽も秋の祭りで、水神様に今年一年の水の恵みを感謝し、来年も水の恵みを願って、捧げる舞なんだそうです。それが何か?」
すると、ハルカ曰く、天之川家に代々、伝わる『御津池神楽』なる神楽舞が有り、天之川家の者は皆、幼い頃から学ぶと。天之川家は水神様を祀る神官の家系で、秋の祭りの際に、水神様に捧げる舞だと。なるほどねぇ。
「悪いんだけど、ちょっと見せてくれるかい。その御津池神楽とやら、興味が有る」
「……見世物じゃないんですけど……。まぁ、良いです。ちょうど扇も有りますし。演奏が無いですけど」
ハルカに御津池神楽を見せてほしいと頼むと、一応、了承。鉄扇を手に構える。そして、舞い始めた。
演奏が無いにもかかわらず、ハルカは見事な舞を披露した。よどみなく流れる水のような、流麗で美しい舞。水神様に捧げる舞というのも納得の内容だ。
しばらく舞い続けたハルカだけど、最後に締めくくりをして終わる。
「以上です。どうでしたか?」
「ありがとよ。良いものを見せてもらったよ。水神様に捧げる舞ってのも納得だね」
「実に美しい舞だった。鍛錬と才能のなせる芸当だ。並大抵の者では、無理だな」
御津池神楽の感想を聞いてくるハルカに、素直に称賛の言葉を贈る。いつの間にか来ていたエーミーヤも、同じく称賛の言葉を贈る。皮肉屋のこいつがハルカの家事の腕だけでなく、舞でも素直に称賛するとはね。実際、こいつの審美眼は確かだ。腕利きブラウニーだからね。
「ハルカ。その御津池神楽だけど、天之川家に代々、伝わっているんだね? 天之川家の者は、皆、幼い頃から学ぶと?」
「そうですよ。僕は三歳から学んでいますし、毎年、秋の祭りの際には舞っていました。……もう、できませんけどね……」
「あ! ごめん! そういうつもりじゃなくて!」
ハルカに御津池神楽について確認を取ったものの、ハルカの触れられたくない部分にうっかり触れてしまい、落ち込んでしまった。しまった、やらかした……。
「バカかね? 君は?」
エーミーヤも私に冷ややかな視線を浴びせる。悪かったね! 落ち込んでしまったハルカを慰めるのに一苦労する羽目に……。
「……すみませんでした。無駄な時間を取らせてしまって」
「いや、私も悪かった。無神経だったよ」
どうにかハルカが持ち直したので、話を再開。しかし、思った以上に、ハルカはできる子だった。御津池神楽を三十分近く、休まず舞い続けたのに、息一つ乱していない。本人曰く、これでも手短にした。秋の祭りでは、二時間は舞い続けると。
「お嬢さんの基礎体力もさることながら、御津池神楽自体が、非常に効率の良い動きの舞である事が要だな。誰が編み出したのか知らんが、大したものだ」
エーミーヤはハルカの基礎体力だけでなく、御津池神楽自体が、非常に効率的な舞であると指摘。だが、それは御津池神楽の本質じゃない。あくまで補助。御津池神楽、その本質は……。これはきちんとハルカに伝えないといけないね。
「ハルカ、よく聞きな。あんたの御津池神楽だけど、あれは単なる舞じゃない。その本質は武術。表向きは神楽舞ということにして、受け継がれてきたんだろう。下手に武術だなんてばれたら、潰されるかもしれないからね。特に権力者って奴らは、自分以外が力を持つことを嫌うからさ」
「そうなんですか?」
「間違いない。あれはゆっくりやるから舞であって、素早くやれば、まんま武術。別に珍しい事じゃない。昔からよく有る手口だよ。さっきも言ったけど、武術である事を隠す為にね」
武術を舞などに見せかけ、隠すのは、昔からよく有る手口。天之川家の事情は知らないけど、神に捧げる神楽舞として代々、受け継いできた訳だ。
「単なる神楽舞じゃなかったんですね」
「誰が何の為にそうしたのかはわからないけどね」
こればっかりは、ハルカも知らないらしい。
これは思わぬ収穫だったね。天之川家に代々伝わる神楽舞、御津池神楽。その正体は神楽舞に偽装した武術と判明。実にありがたいね。ハルカは戦いや武術の経験が無い素人と聞いていたから。素人を一から鍛えるとなると、やはり、相応に時間がかかる。
だが、ハルカは幼い頃から御津池神楽を学んできた。そのおかげで、それなりに基礎ができている。
しかし、あくまでそれなりにだ。神楽舞をするには十分かもしれないが、実戦レベルには達していない。だから、実戦で通用するレベルまで鍛え上げる。できなきゃ死ぬだけさ。
「ハルカ、御津池神楽を代々、受け継いできた、自分の家に感謝するんだね。あんた、それなりには基礎ができてる。だけど、あくまでそれなりだ。実戦で通用するレベルじゃない。だから、実戦で通用するレベルまで鍛え上げるよ。拒否権は無い。そんなことを一言半句でも言ったら、その時点で無能と判断し、追い出す。良いね?」
ハルカに対し、御津池神楽のおかげでそれなりに基礎ができていると告げ、その上で、あくまでそれなり。実戦で通用するレベルではないと指摘。だから実戦で通用するレベルまで鍛え上げる。拒否権は無い。拒否したら、追い出すと。
「わかりました。よろしくお願いします」
厳しい内容にもかかわらず、ハルカはそれを了承。
「僕は死神ヨミから転生の条件として、下級転生者抹殺の任を受けました。その為にも強くならなければなりません。この程度できないようでは、下級転生者抹殺などできる訳がありません」
「……確かにね。わかってるなら良し。みっちり鍛え上げてやるよ」
思ったより、覚悟が決まっている。やはり、上位転生者は、下級のバカ共とは違うね。ならば、応えてやるのが師匠の務め。
「とりあえずは、基礎体力を付ける。身体能力を高める。それから、格闘の基本。その後、各種戦闘法を叩き込む。……泣き言は許さないからね」
「覚悟の上です」
「頑張りたまえ。私も応援しよう。身体作りに良い料理を作るから、しっかり食べることだ」
「ありがとうございます、エーミーヤさん」
鍛錬の方針を伝え、ハルカもそれに応える。エーミーヤもハルカの為に身体作りに向けた料理を作るとのこと。
ま、そんなにおかしな事をする気は無い。あくまで基本に忠実にやる。バカは斬新なアイデア! とかよく抜かすが、はっきり言ってやる。バカの考える程度の内容など、とっくの昔に誰かが考えている。だけど、使い物にならないからやめただけ。それすらわからないから、バカはバカなんだよ。さて、ハルカの為の基礎鍛錬メニューと。
「じゃ、始めるよ。まずは走り込みを午後五時まで。足腰と心肺能力を鍛えるのと、あんたの体力の限界を知る。喉が渇いたら、備え付けのボトルにスポーツドリンクを入れてあるから、ストローで飲みな」
私特製のルームランナー。長時間使用に備え、頑丈。更に、水分補給用のボトルを備え付け。ボトルから使用者の顔の付近に向けてストローが伸びており、喉が渇いたら、顔を向けてストローから水分補給ができる。とりあえず、今日の鍛錬メニューはこれ。
「この服装でですか? メイド服ですよ?」
「甘い! 私は言ったはずだよ? 実戦で通用するレベルにする為の鍛錬だと。戦いってのは、いつ、どこで始まるかわからない。あんた、敵に今、メイド服だから、戦い向きの服装に着替えるんで待ってください、なんて言う気かい? 敵がそんなもん聞いてくれるとでも?」
ハルカの着ているメイド服は、長袖にロングスカート。普通、運動をするなら、もっと動きやすい服装をする。ハルカもこの服装で鍛錬を行うことに意見してくるが、甘い。その意見を切り捨てる。単なるスポーツならともかく、私は実戦に向けてハルカを鍛える。不利な状況でも戦えるように。
「……確かにそうですね。僕が甘かったです。実戦でそんな事、通じませんね。やります」
ハルカも素直に自身の考えの甘さを認め、メイド服での鍛錬に挑む。素直で結構。
「では、始め!」
私のかけ声と共に、メイド服姿でルームランナーを使い、走り込みを始めるハルカ。あくまで初歩の初歩。いずれ、難易度を上げる。しかし、今は基礎を固める。基礎無くして、応用無し。特に魔力の行使は肉体、精神、共に多大な負担が掛かる。しっかりと心身を鍛えなければ、待っているのは破滅。……下級転生者の末路さ。
それから約四時間。ハルカは汗を流し、時々、ストローから水分補給をしながら、それでもペースを崩さず走り込みを続ける。……大したもんだ。ハルカの服装は長袖、ロングスカートのメイド服。間違っても、動きやすい服装じゃない。しかし、文句一つ言わずに、ひたすら走り込む。本当にやる気の有る、ひたむきで真面目な子だ。
本人もわかっている。この程度、初歩の初歩。できなければ、話にならない。何せ、ハルカは下級転生者抹殺の任を受けているんだから。下級転生者は私からすれば、取るに足らない雑魚に過ぎないが、今のハルカでは勝てない。単純に実力、経験が足りない。何より、相手を殺す覚悟が足りない。
出会って、昨日の今日だけど、それでも私はハルカの人柄を知ることはできた。真面目で温厚。誰かを傷付けたりすることを嫌う優しい性格。しかし、下級転生者抹殺においては、欠点だ。
下級転生者は全て、異常な自己愛と他者蔑視に凝り固まり、現実を否定し、自身の妄想こそ現実と考える気狂い。この世界は物語。自分は物語の主人公。他人は全てモブ、踏み台と思っているから、他人を殺す事など屁とも思わない。それどころか、自分の行いは全て正義と思ってやがる。だから下級転生者は、ハルカが自分の意にそぐわない存在と知れば、即座に殺しに掛かる。主人公様に逆らう奴は死ね! ってね。
はたして、ハルカに下級転生者抹殺ができるのか……。正直、心配だよ。プロの兵士でさえ、殺人のトラウマに苦しむってのに。
しかし、こればっかりは私にもどうにもならない。ハルカが死神ヨミと交わした契約だから。それにハルカはバカじゃない。自身が背負った任の重さをわからないはずがない。わかった上で、あの子は死神ヨミとの取引に応じた。
……全く、世の中ってのは、何でこうもままならないんだろうね? なぜハルカなんだ? もっと他にふさわしい奴がいなかったのかね? 死神ヨミ、あんた、一体、何を考えているんだい? 私は黒いゴスロリ服を着た、金髪縦ロール幼女の無表情な顔を思い出す。神だけあって、心の読めない不気味なガキだった。
物思いに耽っていると、事前にセットしたタイマーが鳴った。午後五時、午後の部終了の合図。 今日はここまでか。
「今日はここまで! お疲れさん」
「ふぅ、ふぅ、…………ありがとう、ございました……」
運動向きではないメイド服姿で四時間走り込みを続けたのはこたえたらしく、息が上がっているハルカ。それでも最後までやり抜き、文句一つ言わず、きちんと礼を言う辺りは、さすが。
「疲れただろう? ゆっくり休憩しな。身体を休めるのもまた、必要な事だからね。家事に関してはエーミーヤに一任しているから気にしなくて良い。その為にわざわざ高い金払って雇ったんだからね。払った金の分はしっかり働いてもらうさ」
「……わかりました。では、お言葉に甘えます……」
疲れてはいるが、それでも自力で自分の部屋に戻るハルカ。鍛錬はまだ始まったばかりだけど、私は確信する。あの子は伸びる。今後の鍛錬メニューもしっかり考えないといけないね。
さて、夕食の席。エーミーヤの奴、身体作りに向けた料理を作ると言っていたけど、確かに。
メニューは柑橘系のソースが掛かった白身魚の蒸し物に、サラダに、溶き卵のスープ。そしてご飯。たん白質にビタミン、糖質もきちんと摂れる。後、基本的にあっさりめの味付け。ハルカは疲れているからね。あんまり脂っこいのは食べられないだろうし。私はガッツリ系が好きなんだけど、ここはハルカ優先。
「来たかね。だが、お嬢さんがまだだな」
「疲れたみたいだからね。ちょっと見てくるよ」
夕食時なのに、まだ来ないハルカ。心配なので、部屋まで見に行くことにした。……倒れてたりとかしてなきゃ良いけど。
ハルカの部屋の前まで来た。まずはドアをノック。しかし、返事は無い。
「ハルカ、入るよ?」
一応、断りを入れてからドアを開け、中へ。するとハルカはベッドに突っ伏して寝ていた。メイド服のままなあたり、やはり疲れていたらしい。
「ハルカ、起きな。夕飯だよ。食わないとエーミーヤの奴、不機嫌になるからね」
エーミーヤは自分の作った料理に絶対の自信を持っている。実際、美味いし。その分、食べないと不機嫌になる。あいつにとって、自分の料理を食べないのは大変な侮辱らしい。家事妖精ブラウニーだけに、その辺はうるさい。
「……すみません。つい、寝落ちしてしまいました」
幸い、ハルカはすぐ起きた。その上で寝落ちしたことを謝罪。謝る程の事じゃないけどね。
「まぁ、仕方ないさ。疲れたんだし。それより夕飯だよ。エーミーヤの奴が待ってる。冷めない内に行くよ」
「はい」
やっぱりハルカは素直で良い子だ。ともあれ、二人でダイニングへ。腹減ったし、早く夕飯を食べよう。
「さて、全員揃ったことだし、飯にするよ」
全員揃ったから、夕飯に。問題はハルカが食べられるかだ。あんまり疲れると食べられないからね。
「ハルカ、食えるかい?」
「大丈夫です。いただきます」
私の夕飯を食えるか? の問いに大丈夫と答え、料理を食べ始めるハルカ。食欲が有って結構。食事は身体作りの基礎。食べられないじゃ、話にならないからね。まぁ、エーミーヤもその辺を考慮して、食べやすいあっさりめの味付けにしているんだけど。しかし、昨日のカレーライスの時もそうだったけど、よく食べるね。
「すみません、エーミーヤさん。おかわりお願いします」
「うむ、わかった。食欲旺盛で実に結構。食べなくては身体がもたないからな」
「ありがとうございます。エーミーヤさんの料理は美味しいですし。ナナさんが雇うだけはありますね」
「それは光栄だな。ほら、おかわりだ」
「ありがとうございます」
エーミーヤにご飯のおかわりを頼み、二杯目に突入するハルカ。ご飯と共におかずも平らげていく。
「ところで、昼は勉強について聞いたが、鍛錬はどうだったかね?」
自身も夕飯を食べつつ、ハルカに鍛錬の感想を聞くエーミーヤ。
「そうですね。鍛錬はやっぱりきついですね。御津池神楽をやってきたおかげで、それなりに体力は有りますけど、実戦に向けての鍛錬は、そんな程度では駄目ですね。もっと鍛えないと」
それに対し、鍛錬はきついと答える。下手に見栄を張らず、素直な感想だ。
「ふむ。そうかね。素直で結構。……私から君に忠告をしよう。努力をしたからとて、報われるとは限らん。無駄になる事の方が多い。しかしだ。自分から動かねば、何も始まらん。何もせん者には、何も与えられん。仮に与える奴がいたら、まず間違いなく裏が有る。性善説など、愚か者の戯言に過ぎん。人の本質は悪。それは君も私も君の師も例外ではない」
素直な感想を語ったハルカに対し、忠告をするエーミーヤ。忠告と言うには辛辣な内容だが、真理ではある。現実の厳しさを突き付けるエーミーヤ。
「忠告、痛み入ります」
辛辣な内容の忠告を素直に聞き入れるハルカ。本当に素直な子だ。このぐらいの歳なら、普通は反発してくるもんだけどね。エーミーヤも同感だったらしい。
「……あっさり聞き入れるのだな。私としては、反論の一つもしてくるかと思っていたのだがね」
「明らかに間違っているならともかく、正論ですからね」
「意外と現実的だな、君は」
「褒め言葉と受け取らせてもらいます」
……意外と現実的な面も有るんだね。考えてみれば、死神ヨミから下級転生者抹殺の依頼を受け、それを了承する辺り、単なる優しい性格ではないか。必要と有れば、他者を切り捨てる冷酷さも持っている。その辺も考慮して、死神ヨミはハルカを選んだのかもしれないね。
「ハルカ。明日の予定だけど、午前は勉強。魔力や、魔力の行使について学ぶ。午後からは魔力の行使の基礎の実践。良いね?」
今日一日のハルカの様子を見て思ったが、本当に優秀な子だ。これなら、予定より早く魔力の行使について学ばせても良さそうだ。もちろん、基礎からしっかり学ばせる。本格的な魔力の行使はまだまだ先。魔力の行使は、身体と精神、両方に多大な負担がかかるからね。
「はい。よろしくお願いします」
良い返事。明日が楽しみだね。そう思い、夕飯を食べる私だった。
一方、同時刻。冥界。
「どういうつもりだ? ヨミ」
「そんな言い方ではわからんな、クロユリ。きちんと言え」
冥界、君主の間。(ハルカが死神ヨミと会った場所)
そこに死神ヨミの他に九人の姿が有った。
黒い着物に紫の袴姿の巫女。その手には黒い鉄扇。
白いざんばら髪で、盲目隻腕。痩せ細った身体。残った手足も歪んでいる。錆び付いた刀を杖代わりにしている、不気味な男。
黒髪をツインテールにし、黒い袖無しの胴着に身を包み、裸足の、中学生ぐらいの少女。
黒いスーツ姿に、黒い大鎌を手にする、白髪、赤目のアルビノの女性。
法衣と袈裟を纏い、錫杖を手にし、何が悲しいのか涙を流す僧侶。
ルビーのような赤い宝石でできた槍を手にし、同じく赤い宝石でできた軽鎧を身に着けた、女騎士。
白衣を纏う、科学者らしき、黒髪の猫族の獣人の女性。
焦げ茶色の髪。迷彩服を着、頭にはゴーグル。リュックサックを背負った、珍妙な狐族の獣人の女性。うさんくさい笑みを浮かべ、この状況を眺めている。
長い黒髪をポニーテールにし、真紅のチャイナドレスを身に纏う女性。その耳は長く尖っており、エルフのようだが、彼女の纏う気配はあまりにも禍々しい。間違ってもエルフではない。
「ふざけないでください! なぜ、アイシア姉様の身体を使い、転生者を生み出したのですか?!」
死神ヨミの態度にキレたのは、女騎士。猛烈な勢いで死神ヨミに食って掛かる。
「よさんか、エルージュ。ヨミ、お主も言い方というものが有ろう。とはいえ、儂としても、この件、見過ごす訳にはいかんな。答えよ、ヨミ。お主、なぜ、アイシアの身体を使い、転生者を生み出した?」
しかし、黒髪ツインテールの少女がそれを止める。その上で、死神ヨミに問う。
「単純な理由だ。あの身体に宿すにふさわしい魂が見つかったのでな。下級転生者共を処分させるのにちょうど良いから、転生させたまで。何か問題でも?」
「……お主、本気で言っておるのか? あれは単なる優れた身体ではない。我ら、真十二柱が序列十一位。魔氷女王アイシアの身体じゃ。そんじょそこらの転生者とは訳が違うぞ」
「わかっている。言ったはずだ。あの身体に宿すにふさわしい魂が見つかったから転生させたと。いずれ、あれは我ら真十二柱に加わるであろう。キキョウ、お前に限らず、ここにいる全員がわかっているはず。真十二柱に欠員が出ている現状を放置はできん。補充人員が必要だ」
「……確かにのう。序列十一位のアイシアは死に、序列一位のあのお方は、いまだ行方知れず。少なくとも、アイシアの穴は埋めねばならぬが……うむむ、悩ましいのう」
「……くだら…ん……。帰る……ぞ……」
盲目隻腕の不気味な剣士がかすれた声でそう言うなり、凄まじい速さで錆び付いた刀を一閃。空間を切り裂き、その切れ目から去っていった。
「相変わらずだニャー、魔剣聖は。ぶっちゃけ、今回、来たこと自体が奇跡だニャ。悪いけど、ニャーも帰るニャ」
続いて科学者らしき猫族の女性も去る。
「あぁ、なんと悲しい、嘆かわしい。いたいけな娘に下級転生者抹殺の業を背負わせるとは……。愚僧が救済してしんぜよう」
そんな中、悲しげな僧侶が、下級転生者抹殺の任を受けたハルカを救済してしんぜようと言い出す。
「やめろ、破戒僧が! お前の言う救済は、虐殺だろうが!」
しかし、黒髪ポニーテールの女性が止める。その上で、彼女は語る。
「お前らに言うことが有る。『上』からのお達しでな。ハルカ・アマノガワに関しては、当面、手出し無用。そして、ハルカ・アマノガワに関する事はこの俺、ツクヨが一任された。以上だ。じゃ、帰る。俺も暇じゃないんでな。……下級転生者共め、いらん手間を増やしやがって」
ツクヨと名乗った彼女は『上』からのお達しとして、ハルカに対し、当面、手出し無用と告げる。そして、ハルカに関する事は自分が一任されたと。そう言って、彼女もまた、去っていった。
後に残るは、死神ヨミ、黒巫女、ツインテールの少女、大鎌を持ったスーツ姿の女性、破戒僧と呼ばれた僧侶。女騎士。
「『上』からの指示が出た以上、もはや、お前達の出る幕ではない。生者は早く帰れ」
死神ヨミは、この場に残っている者達に去るように告げる。
「……仕方あるまい。帰るぞ、アンジュ」
「わかりました、カオル」
まずは黒巫女と大鎌を持ったスーツ姿の女性が去り。
「……ヨミ。私は納得していませんからね」
続いて女騎士が去り。
「『上』からの指示とあれば致し方なし。あぁ、悲しい、嘆かわしい。一切衆生を救済せん」
「だから、それをやめろと言っておるのじゃ! 破戒僧が!」
最後に破戒僧と黒髪ツインテール少女が去る。後に残るは、冥界の支配者たる死神ヨミ。
「……とりあえず、当面は大丈夫か。長らく準備を重ね、ようやっと生み出した、渾身の作の上位転生者。あっさり殺されては困る」
彼女は自身が生み出した、上位転生者。ハルカ・アマノガワが早々に処分される危機をどうにか乗り越えた事に安堵する。
「しかし、あれに関することをツクヨが一任されるとはな。……それが『上』の決定ならば、仕方あるまい。あっさり死んでくれるなよ? ハルカ・アマノガワ。お前には大変な手間暇を掛けたのだからな」
ナナさんの元で、修行を始めたハルカ。まずは身体作り。何をするにしても、身体が資本。
ただ、戦いや武術に関しては素人の割には、それなりに基礎のできているハルカ。ナナさんが聞けば、天之川家に代々伝わる、御津池神楽なる、舞が有り、天之川家の者は皆、幼い頃から学ぶと。
そして実際に御津池神楽を見たナナさんは、御津血神楽は、神楽舞に偽装した武術と看破。もっとも、誰が何の為にそうしたのかは分からない。
ちなみに御津池神楽は扇を手に舞うのが作法。だからこそ、死神ヨミはハルカに鉄扇を与え、ハルカも扇には慣れていると答えた。更に言うと死神ヨミは、戦いの経験の無いハルカにも使いやすいように、軽く頑丈なミスリル製かつ、風の魔力を宿す魔扇を渡した。大変な手間暇を掛けて生み出した上位転生者のハルカに、あっさり死なれては困るので。
一方で冥界。ハルカを転生させた事で一悶着。最終的にツクヨなる女性が『上』からハルカに関する事を一任されたと。ハルカの行く末は如何に?
次回、ハルカ、魔道について学ぶ。そして……異世界転生の不都合な真実。