第九夜
「あぁ、ビビった。ファンに顔バレしたのかと思ったよ」
長身細身にサングラスの中年男性……素顔のヴァンプ氷瑞伯爵は、笑いながらそう言って、浜屋先生が淹れたコーヒーをゆっくりとした所作でひとくち飲んだ。
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「えっと、あの、昨日テレビでご一緒させていただいた……」
わたしがそう言っても、素顔の伯爵は、なんだかピンと来ていない様子だった。
わたしはスマホを取り出して、自分のジャケ写の画像を表示した。さらに、左目を掌で覆って見せる。
「ほら、昨日の! わかりません?」
そこで、はじめて伯爵は、
「あぁ。君、昨日のあの子か!」
と、言った。
「見た目が全然違うから、ちっともわからなかった」
伯爵は笑った。いや、それはこっちの台詞なんですがね。
そうこう話しているうちに、浜屋先生が、コーヒーカップを両手にふたつ持って近づいて来た。
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「いや、しかし。氷瑞さんと中里が知り合いだとは思わなかったなぁ」
わたしが芸能活動をしている事を知っている、学内のもうひとり。浜屋先生も、苦笑いしながらコーヒーカップを傾ける。……いや。知り合いったって、昨日会ったばっかりで、お互い素顔を見るのも初めてなんですけど。
「昨日、テレビのお仕事が入って、その現場でお世話になって……」
わたしは浜屋先生にそう言うと、あらためて伯爵の方に向き直った。
「昨日は、本当にありがとうございました」
そう言って、頭を下げた。
「いやいや。この業界、困った時はお互い様だから」
伯爵はそう言うと、八重歯を見せてちいさく笑った。
「えっと……浜屋先生と伯爵って、どういう間柄なんですか?」
わたしが訊ねると、
「どういうもなにも、モンスターメタルセクションの創設者は、この浜屋だから」
と、伯爵は事もなげに言った。
「えぇ!?」
わたしが思わずおおきな声をあげると、伯爵と浜屋先生は、ふたりして笑った。
「それ、本当ですか」
わたしが訊くと、
「本当だよ。ぼくがここの学生だった頃に所属していた音楽サークル内で立ち上げたのがモンセク。氷瑞さんはふたつ上の先輩で、モンセクにプロデビューの話が来た時に、頼み込んで加入してもらったんだ」
と、浜屋先生はしみじみ話した。
「氷瑞さんは学生の頃からプロのギタリストとして活動してたからね。当時まだ下手くそだったモンセクに、どうしても欲しかったんだよ。“どうか力を貸してください!“ってね」
そこまで話して、浜屋先生は伯爵に向けて軽く頭を下げた。
「ま、それからなんだかんだで、結局は三十年以上やり続けちまってるけどね」
伯爵は、そう言ってまた笑った。……知らなかった。モンセクって、うちの大学の先輩だったのか。
「ところで」
伯爵が、カップをテーブルに置いてわたしに視線を向けた。
「お嬢ちゃん。……昨日、もう事務所を辞めるって言ってたね」
わたしはその言葉を聞いて、すこし胸が痛くなったのを感じた。