最終夜 ひぐらし
がやがやと騒がしく、いろんなひとたちが廊下や楽屋やスタジオを行き来している。どのひともこのひとも、みんなみんな、とても忙しそうな貌をしている。
わたしは、ため息をひとつ吐いて、廊下すみっこに設られた元「喫煙所」だったスペースの、L字型のベンチに腰掛ける。
ポケットからスマホを取り出し、画面を開いて、もう一度、歌詞の確認を始める。ついでにイヤホンも接続して、音源も聴く。
その時、わたしの斜め前に誰かがゆっくりと腰を下ろした。
わたしがそちらを見ると、そこにはモンセクのギタリスト、サキュバス中村さんが腰掛けていた。もちろん、モンスターの姿に戻っている。
「どう? 緊張してる?」
中村さんはなにやら妖しく微笑みながら、そう訊いてきた。
「はい。……結構してます」
引き攣った笑みを浮かべてわたしが言うと、中村さんは、手の甲で口を押さえて笑って見せた。
このひとも、大学時代からのモンセクメンバーなのだから、まぁ、それなりの年齢のはずなのだけれども……。胸元が大きく開いた黒い衣装を纏ったその見た目は、どう見積もっても、せいぜいニ十代後半くらいにしか見えやしない。……さすがはサキュバス。恐ろしい美魔女っぷりだ。
「大丈夫。氷瑞さんがついてるなら」
中村さんはそう言って微笑むと、わたしの肩を軽く叩いた。
「でも、これから気をつけなきゃだよ」
そう言うと、中村さんは急にわたしに顔を近づけ、なにやら真面目な貌になった。
「氷瑞さんは、女性ファンが山ほどいるからね。しかも、皆さんかなりのご執心な」
真剣な貌でそう語る中村さんの雰囲気に押されて、わたしは、思わず生唾を飲み込んだ。
「……これからは、夜道を歩く時は後ろは常に用心だよ。わたしもここウン十年、ず〜っと、気をつけて来たんだから」
その言葉を聞いて、わたしは思わず顔を硬直させた。
その様子を見て、中村さんは、手を叩きながらケラケラと笑った。
「悪い。冗談、冗談!」
そう言って、中村さんは立ち上がった。
「じゃあ、花純ちゃん。頑張って」
笑顔で、そう言った。
そこに、伯爵がファラオ大関氏と共にやってきた。
ファラオ大関氏は、もちろんいつものモンスターの姿。そして、その隣りの伯爵は、黒い細身のスーツを身に纏った、人間の姿のままだ。
「なんか、この格好でテレビに出るって落ち着かないな」
伯爵はなんだかあたふたしながら、シャツの袖口を引っ張ったり、パンツの裾の革靴への掛かり具合を直したりした。その様子を隣で見つめて、
「大丈夫ですよ。昔はそうしてたんだから」
と、ファラオ大関氏が笑った。
「昔って言っても学生の頃だよ。何年前だよ」
などと、伯爵はまだぶつぶつと呟いている。そして、
「なぁ、おれ、変じゃないよな」
と、いきなりわたしに訊いてきた。
「あ、えっと。かっこいいです」
わたしが、何気なくそう答えると、周りを囲んだモンセクのみなさんが、たちまち笑いや口笛、掌を打って、わたしたちを囃し立てた。
……いや、そんなつもりじゃなくて……
わたしは、思わず顔を赤くしてしまった。
その時、モンセクの楽屋から、長身で細身な影がゆらりと出てきた。
ド派手な金髪の巻髪に、黒山羊のような太く禍々しい角。
ほかの構成員とは違う、人間の面影を濃く残した薄手のメイク。全身を覆う黒鉄の甲冑。背中でなびく、真紅のマント。
浜屋先生……ではない。
数十年ぶりに復帰した、モンスターメタルセクション創設者にして魔族を統べる王、ルシフェル浜屋陛下だ。
「すごい衣装ですね、先生」
わたしがそう言うと、
「衣装じゃない。これが、ぼくの真の姿なんだ」
と、浜屋先生……もとい、浜屋陛下はそうおっしゃった。
さすがは創設者。もう、ガッツリと入っている。
*****
伯爵は、モンスターメタルセクションを脱退した。
なんとか翻意させようと、モンセクの事務所やレコード会社のひとたちは『どんな条件でも飲むから、続けてくれ』と、伯爵を説得した。
だけど、伯爵の意志は固かった。
「おれも、もういい歳です」
伯爵は、説得に来たスタッフや関係者に向けて、そう言った。
「最後に思い残さないように、本当に、自分が好きな音楽を追求したい」
そう言って、頭を下げた。
皆が、黙った。
「……いままで、ありがとうございました」
沈黙を破り、ファラオ大関氏がそう言った。
「おれたちが、あの喫茶店で氷瑞さんを頼ってから、もう、ずいぶん経ちました」
そう言って、大関氏は伯爵に頭を下げた。
「これまで支えてくださって、本当に、ありがとうございました」
大粒の涙を、流していた。
モンスターメタルセクションのメンバーが、皆、手を叩いた。
「ありがとう。……すまない、みんな」
そう言って、頭を下げた伯爵もまた、涙を流していた。
*****
後任のギタリストには、なんと、浜屋先生が選ばれた。
「人間界に潜伏しながら、一日最低三時間の、文字通り『地獄の特訓』を、自主的に数十年続けていた」と言うルシフェル浜屋陛下は、確かに、クビになった頃よりも遥かに上手になっていたらしい。
過去の功績や実績、ネームバリューなどを考えて、最適な後任であるという事で、復帰が正式に決まった。
まぁ、ウチの大学は私立だし、他にも本を出したりテレビに出たりしている教授たちもいるので、その辺も問題はないらしい。……マジか。
そして、伯爵は恩田さんとふたりで「mask of vamp」という、音楽ユニットを結成した。モンセクと同じレコード会社とも契約を交わし、早々に、最初のアルバムが発売される事になった。
その「mask of vamp」のヴォーカルには、なんと、わたしが選ばれた。
「お前に歌ってほしくて、作った曲ばかりだから」
と、伯爵は言った。
ジュピターミュージックと約束した「一年の休眠期間」を終えて、わたしたちは、活動をスタートした。
そして、かつてわたしと伯爵が出会った、あの三時間の夏の音楽特番に、「mask of vamp」が、出演できる事が決まったのだ。
*****
伯爵は、ああ言って慌てているけれども。
わたしは、皆に聞こえないようにちいさくため息をついた。
わたしだって、実は、こんなに「素の顔」でテレビに出るのは初めてなのだ。
「SUMIKA」の時は、黒い眼帯に金髪のウイッグだったし、インタビューも、基本はスルーでお願いしてたし。
結局わたしは、教員免許は取得したものの、どこかの採用試験を受けるでもなく、親にもほぼ相談しないでこの選択をしてしまった。
歌手として、もう一度がんばってみる。
ただでさえ怒っているし、心配しているであろう伊万里の田舎のお父さんとお母さん。ひょっとしたら、この番組をテレビで観るかも知れないのだ。
わたしが、もう一度ちいさくため息をついたその時、
「花純」
と、伯爵がわたしに声を掛けて来た。
「あ、はい」
わたしが応えると、伯爵はそっぽを向いたまま、
「お前も、かわいいぞ」
と、ひとことだけ、ぽつりと言った。
は?
普段はそんなこと絶対に言わないくせに、よりによって、いま、ここで言う?
面白くなったわたしは、すこし意地悪をしてやる事に決めた。しれっとした仕草で、こう訊いてやる。
「え、なんですか?」
それを聞いた伯爵は、バツが悪そうにずっとそっぽを向いたままで、
「いや、なんでもない」
と、ちいさく答えた。
……根性ないなぁ。
「なんですか? もう一回、ちゃんと言ってくださいよ」
わたしが笑いながらそう言うと、伯爵は、わたしがわざと言っていると気付いたらしく、そそくさと逃げるようにして、
「……煙草」
と、言い残して去って行った。
その後ろ姿がなんだか妙に可愛くて、わたしは、思わず笑ってしまった。
*****
本番の時が近づき、わたしたちは、スタジオの所定の位置にスタンバイした。
中央にわたし。
すこし後ろ、客席から見て上手左側に、黒い細身のスーツに真っ赤なギターを携えた、素顔の伯爵。そのさらに後ろに、数台のキーボードに囲まれて立っている、恩田さん。
スタジオの壁際に立って見つめているのはスタッフや関係者だけではない。モンセクの皆さんに、金髪にハート型の眼帯を付けた、小嶺文香の姿もあった。
村岡ディレクターの直々の合図に合わせて、伯爵と恩田さんの演奏が始まった。
わたしの頭の中に、あの、鷹ノ巣山で聴いたヒグラシの大合唱が、蘇った。
夏の終わりを思わせる、美しくて、涼やかで、儚くて、切ないメロディー。
「mask of vamp」のデビューシングルである、その曲「ひぐらし」を、わたしは、全身全霊、ありったけの力を込めて歌った。
天国まで。
薗田富希子さんまで、届くように。
【わたしのいとしいヴァンパイア〜了〜】




