第五十八夜 鷹ノ巣
細くて、狭くて。
そして、所々で、山肌から流出した土砂が片道を塞いでしまっている道。
そんなところをひたすらに通って、わたしたちは、群馬県は鷹ノ巣山の尾根に向けて、車を走らせていた。
今日の運転手は、テラちゃんさん。
わたしが「群馬県まで行ってきます」と言うと、
「自分が送ります。地元っスから」
と、言って、彼がエスティマちゃんのハンドルを握ってくれた。
わたしは、その申し出に素直に甘えた。
鷹ノ巣山に向かう車中、わたしたちは、ほとんど口をきかなかった。
誰も、機嫌も具合も悪くなどない。だけども、誰もが口を閉ざして、ひたすらに車外の景色を見つめていた。
お昼をずいぶん過ぎた頃に、エスティマちゃんは停まった。
鷹ノ巣山、事故現場と慰霊碑へと向かう、登山道の駐車場だ。他には、一台も車はいなかった。
「これ……」
と、テラちゃんさんは、わたしたちの荷物にそれぞれちいさな鈴を付けてくれた。
わたしと伯爵が戸惑っていると、
「熊除けっス」
と、テラちゃんさんは呟いた。
「自分は、ここで待ってます」
と、言うテラちゃんさんに手を振って、わたしたちは、ゆっくりと登山道を登り始めた。
*****
たくさん置いてある中から、自分に丁度いい長さの登山杖を選んで、わたしたちは、黙々と斜面を登った。
鳥の声。
生ぬるい風。
湿り気を帯びた、土の匂い。
わたしの田舎と似てるような気もするし、それでいて、絶対的に違う、張り詰められたなにかが、そこかしこに佇んでいるような…… 。
そんな、不思議な感覚を、わたしは覚えた。
ところどころに、ちいさな墓標や慰霊碑、お地蔵様が点在している。それはつまり、この辺りでも亡くなったひとがたくさんいるという事だ。
わたしは、それらを目にするたびに、瞳を閉じて、故人の冥福を心で祈った。
しばらく登ると、青色のテント生地の屋根で雨風から守られた、休憩用のベンチがあった。
わたしたちは、そこに座って、それぞれ水分を補給した。乾いた喉と身体に、冷たいお茶が染み込んだ。
また、登り始めた。
堆積している枯れ葉や小枝、くすんだ色の木の実なんかを踏みしめながら、わたしたちは黙々と歩く。ふたりのちいさな息遣いと、地面を踏み締める音、熊除けの鈴の音が、なんだかやけに耳に響いた。
ぽつりぽつりと設置してある、熊除けの鐘。
沿道で寂しげに回る、風車。
錆びた手すり。色褪せたベンチ。
そこに在るものすべてが、さびれて、くすんで、疲れていて……。なにか、知らぬ間に自分がモノクロームの世界に迷い込んでしまったような、そんな気持ちになった。
伯爵は、わたしの少し前を、なにも言わずに歩いている。
……なにを思い、なにを想い、そして、なにを感じているのだろうか。わたしには、わからなかった。
事故の日付け、時間、便名、そして、亡くなった方の人数、生存者の人数が刻まれた石碑。
静かに佇む如来像。
入り口を夥しい数の千羽鶴で飾られた、犠牲者の方々の生前の写真や愛用品が祀られている、プレハブの小屋。
それらを過ぎて、さらに登って。
わたしと伯爵は、同時にそこで足が止まった。
そこには、真っ黒に焼け焦げて、ところどころが炭化した、見るに堪えない姿をした、太く短い木があった。
【沈黙の木】と書かれた木札が、掛けられていた。
そのあまりにも生々しい有り様に、わたしは、足がすくんでしまった。
その時だった。
また、例の耳鳴りが、わたしを襲った。
いままでで、いちばん酷かった。
痛みと、吐き気と、立っていられないほどのめまいとが、同時に来た。
思わずしゃがみ込んだわたしに、伯爵が駆け寄った。
「大丈夫か」
伯爵が戸惑ってそう訊いた。
これ以上は来ないで
と、薗田富希子に言われている気がした。なんとなく。
「……わたしは、下で待ちます」
精一杯の力で笑顔を見せて、わたしは言った。
「きっと、薗田富希子さんが待ってる。伯爵、行ってあげて」
伯爵は、わたしの手を優しく握って、
「……わかった」
と、答えた。
そして、わたしは少し下のベンチに向かって、ゆっくりと戻った。
伯爵は、その、さらに上を目指して、進み始めた。




