第五十七夜 決意
例によって、伯爵はスマホを楽屋に置いて来てしまっていた。なので、わたしの方から、テレビ局にいるテラちゃんさんに電話を掛けて、なんとか、時間を引っ張ってもらえるように、お願いをした。
テラちゃんさんから事情を伝え聞いたファラオ大関氏がディレクターに頼み込んで、どうにかこうにかモンセクの出演順を、少し後ろにずらし込む事が出来た。
そこに、本当のギリギリで、伯爵が滑り込んだ。あと数分到着が遅れていたら、今日のモンセクは、四人で演奏をしないといけないところだった。
ドタバタしたが、各方面にお詫びを入れて、なんとか、その日の仕事は終わった。
その時は明かされなかった遅刻の理由が、後日、写真週刊誌によって暴露された。
わたしを追って飛び出してきた伯爵の写真が、しっかり、羽田で撮られていた。……あの……わたしとの、抱擁の瞬間もだ。
「モンセク、ヴァンプ氷瑞。飛行機トラブルに大混乱中の空港で、公然抱擁!」
……などという見出しと共に、わたしの身体を抱きしめる伯爵の姿が、見開きでばっちりと収められた。当然、過去の薗田富希子さんとの事も、少しではあるが書かれていた。……まったく。ねちっこいね、週刊誌って。
前と違って、記者会見をするような内容の話でもなかったが、女性信奉者の多い伯爵の事なので、その後、事務所には抗議やご意見が便箋びっしりと書かれたお手紙が、山のように届いた。
三週間の教育実習が終わって、わたしが最初に担当したは、そのお手紙の束の仕分け、振り分け作業だった。なかなかに、大変なお仕事だった。
そのあと、モンセクは夏の東名阪サバトツアーに突入し、伯爵も、少し留守がちになった。わたしはわたしで、いよいよ学校も忙しくなって来た。
それに、まだ自分の中で、明確な答えが出せていない大きな事が、ひとつあった。
卒業後に、歌手を目指すのか。
それとも、教師を目指すのか。
浜屋先生は、どちらに進むにしても応援もサポートしてくれると言ってくれた。
だけど……伯爵は、なにも言わなかった。
もちろんそれが、伯爵の優しさなのは、わかっている。
歌手になっても、売れるとは限らない。それで食べていける保証なんて、どこにもないのだ。だから、伯爵は「おまえはこうしろ」なんて事は、絶対に言わない。言ってこない。
リミットは、刻一刻と、迫っている。
時間は、限られている。
わたしは、正直すこし焦っていた。
……そんな、夏のある日の事だった。
わたしは、また、あの夢を見た。
*****
載っている飛行機が、おおきく揺れて、傾いて。それから、震える手で、誰かに手紙を書こうとした。
そこで、わたしは、いつものように全身汗みずくになって、目を覚ました。
……いまなら、わかる。
わたしは、おおきく息を吐いて、起き上がった。
【TOYO】で、壁に飾られた、薗田富希子のレコードジャケット。あの中に隠されている、あのメモ用紙。悲しい遺書。
あれを手に取って、読んで。
わたしは、確信していた。
何故だかはわからない。
だけどわたしは、確かにここ何年か、薗田富希子の飛行機事故の追体験をしているのだ。夢の中で。
わたしは、意を決して、ベッドから起き上がった。
そして、つかつかと歩いて、ガラス戸を開けて、ベランダに出た。
夏の朝の匂いと熱気が、パジャマ姿のわたしにまとわりついた。
「おはようございます」
わたしは衝立越しに、隣のベランダに声を掛けた。
そこでは、いつものように、伯爵が煙草を吸っていた。
少しだけ顔を出して、
「おはよう」
と、伯爵は言った。
「伯爵。鷹ノ巣山に行きましょう」
わたしは、真っ直ぐにその伯爵の目を見て、そう言った。
「鷹ノ巣……?」
伯爵が、かすれた声で、そう訊いた。
「行かなきゃいけないんです。伯爵。行って、それから、伯爵は、薗田富希子さんに会ってこないといけないんです」
わたしは、自分でも何故だかよくわからない、強い意志と決意を持って、もう一度、伯爵にそう言った。




