第五十四夜 拒絶
くすんだクリーム色のパーテーションで仕切られただけのネットカフェの狭い空間で、わたしは、一心不乱にパソコンの画面を見つめていた。
検索エンジンに「薗田富希子」と、入力すると、ずらりと並んだ予測変換の文字たち。
「事故死」
「自殺未遂」
「二股愛」
そして、
「ヴァンプ氷瑞」
薗田富希子というひとりの女の子が、上京してきて、アイドルになって、スターになって、そして、飛行機事故で命を落とすまで。
その、わずか二年ほどの間に、彼女になにが起こったのかを、時系列立てて、丹念に追いかけた。
わたしは、なにも知らなかった。
こういうアイドルがいた事も、
こういう活躍をしていた事も、
こういう失恋があった事も、
こういう、悲惨な事故が起こった事も。
もちろん、真偽不明な眉唾物の情報も、たくさんある。
それでも、憶測やオカルトは横にほっといて、客観的な証言や、公式な発表、信憑性の高い記事を積み重ねて行くことで、ずいぶん、薗田富希子という女の子の、短い人生、その、後半部分が見えてきた。
何時間もモニターと睨めっこをしてるうちに、わたしは、激しい疲れを覚えた。頭の奥の方が、ズキズキと痛む。肩や腰がギシギシ軋む。
それからわたしは、硬くて冷たいふたりがけの合皮のソファに横になった。
いつしか、深い眠りに落ちていた。
*****
気付いたら夜になっていた。
わたしは慌ててネカフェの清算を済ませた。当初の予定時間を少し超過していたけれど、レジの女の子は特に追加の料金を取る事もなく、見逃してくれた。
ふらふらと事務所ビルに帰ってきて、ドアを開ける。それからわたしは、また、ベッドに倒れ込んでいた。
そこに、ドアをノックする音が、聞こえて来た。
わたしが部屋を出ると、そこには、伯爵が立っていた。
「……おかえり」
伯爵が、そう言った。
「……ただいま……です」
わたしは、答えた。
そのまましばらく、ふたりとも、足元を見つめて押し黙った。
伯爵が、先に口を開いた。
「すまなかった」
「はい?」
「いや、一昨日の……スタジオで」
わたしと目を合わそうとせずに、うつむいたまま、そう言った。
「大丈夫です」
わたしは、冷たく言い放った。
「大丈夫?」
「はい。大丈夫です」
わたしの言葉の圧に押されて、伯爵は、押し黙った。
「……わたし、なんかバカみたい」
わたしがポツリとそう言うと、伯爵が、顔をあげた。
「すごく優しくされて、すごくいろいろ教えてくれて、すごく、おいしいご飯も食べさせてもらって」
わたしは、自分のつま先を見つめたままで、そう続けた。
「気づいたら、伯爵の事、すごく好きになってて」
視線の先に、ポトリと、大粒の涙が落ちた。
「でも、伯爵は違うんですね」
目の前の伯爵が、おおきく息を飲んだ。
「伯爵は、薗田富希子の事が、忘れられないだけなんでしょう?」
わたしは、ついに、伯爵の顔を見た。
伯爵は、いままでわたしに見せたことがないほどの、狼狽えた貌をしていた。
「だから、たまたま見つけたわたしに、薗田富希子を重ねて。あの時、薗田富希子にしてあげられなかった事を、してるだけなんでしょう?」
「ちが……」
「違わない!」
わたしは、大声でそう言った。わたしの声が、細長くて薄暗い廊下に響いた。
切れかけている常夜灯が、ジジっと鳴った。
「違わないよ。……違わない。だから、あの時、スタジオであの歌を歌うわたしを見て、薗田富希子を思い出して……それで」
わたしはそこまで言うと、なんだかまたものすごく疲れを覚えて。
黙って、開いたままのドアのノブに、手を掛けた。
「……しばらく、帰ります」
そう言って、静かにドアを引いた。
「どこに」
伯爵が、青い貌で訊いた。
「佐賀の自宅です。ちょうど、教育実習もあるし」
「……花純」
わたしは、ちいさく上辺だけでも微笑もうと、口の端っこを少し歪めてみせた。それが笑顔になっているのかどうかは、わからなかった。
「細かい連絡は、事務所の方にしますから。おやすみなさい」
そう言って、ドアを閉めた。
それから、まるで拒絶の意思表示のように、ガチャリと乱暴に、鍵を掛けた。




