第四十九夜 お見舞い
レコーディングが終わった次の日の事。
黒い細身のスーツを身に纏った伯爵が、なにも言わずに、事務所のドアを開けて出て行こうとしていた。
この「細身のスーツイケオジスタイル」をキめる時は、なにか、結構大事な用があるのだ。このひとは。わたしの経験上だけども、あくまでも。
「どこ行くんですか」
わたしが訊くと、
「ちょっとな」
と、短く伯爵は答えた。
……あからさまに怪しい。
「わたしが送りますよ。エスティマちゃんで」
と、言うと、
「いいよ」
と、物っっっすごく面倒臭さそうな貌で、伯爵はそう答えた。
「タクシー拾うから。表で」
……なん? いつもはすぐにわたしを呼びつけるくせに。なんか隠し事?
「ダメです」
わたしは、へこたれずにそう言い返す。
「経費削減してくれって、事務員さんに言われたでしょ、この間」
わたしは、オフィスの鍵置き場からエスティマちゃんのキーを取り上げながら、そう言った。
「ちゃんとわたしが送ります。どこですか? 言ってください」
伯爵は、わたしのその言葉を聞いて、遂にひとりで出掛けるのを諦めたようだった。
そして、露骨におおきなため息をひとつ吐いて、
「……わかったよ。おまえが送ってくれ」
と、言った。
*****
「病院ですか!?」
わたしは、思わず大声でそう訊き返してしまった。
「なんですか、具合悪いならなんで早く言わないんですか! どこが痛いんですか? あ、保険証は? 持ってきました?」
矢継ぎ早にわたしがそう訊くと、伯爵はさっきと同じくらいにおおきなため息を吐いて、
「おれじゃない」
と、答えた。
「はい?」
わたしは、ついつい間の抜けた返事をする。
「おれが診てもらうんじゃない。見舞いだ」
「あ、お見舞いですか」
その言葉にホッとして、
「ご家族ですか? お友達ですか? ……あ。さては、元カノとかだったりして」
わたしは、車内の空気を変えたくて、茶化すようにしてそう言った。
だけど、伯爵は顔色のひとつも変えずに、
「……古い知り合いだよ」
と、短く答えただけだった。
なん? なんか今日の伯爵、ご機嫌斜め?
「青だぞ」
不意に、そう言われた。
いつの間にか、前方の信号が色を変えていた。
「あ、はい」
わたしはそう言うと、少し慌ててアクセルを踏んだ。
*****
そこは、かなりおおきな病院だった。某大学の、附属病院だ。
しばらく広大な駐車場をうろうろし、なんとか空いている場所を見つけて、わたしは車を停めた。
「でかいとこだから、喫茶店くらいあるだろ。そこで待ってろ。すぐ戻る」
おおきな身体を折り曲げるようにして車から降りながら、伯爵はわたしにそう言った。
「あ、はい」
「行ってくる」
そう言い残すと、わたしには一瞥もくれぬまま、伯爵はツカツカと建物の方に歩いて行った。
「……行ってらっしゃい」
その背中に声を掛けて、わたしは、車から降りようとした。
ふと後部座席を見ると、そこには、スマホが無造作に置いてあった。
伯爵のものだ。
「……これだよ」
わたしはそう呟くと、そのスマホを手に取って、伯爵の後を追った。




