第四十五夜 大げんかと仲直り
「今日はじめて、初号機ちゃんの生歌聴いたよ。……凄かった。こりゃ、敵わないって思ったよ。わたしじゃさ」
小峯文香は、ぼそぼそとそう言った。
「"これから、自分が【SUMIKA】になって、この歌と比べられるのか"って、ゾッとした」
わたしは、黙ってそれを聞いていた。
「わたし、バカみたいじゃん。これで売れるって浮かれて、あっさり現実みせられて。ほんと、バカみたいだよ」
上段で、小峯文香がガバッと起き上がったのがわかった。
「もういいよ。明日になったら帰る。そして、またアイドルやる。わたしには、あっちの方がお似合いなんだ。上手い下手じゃない、可愛いかどうかで勝負する世界の方が」
わたしは、なんとか彼女を翻意させるべく、こう言った。
「そんな事ない。今日だって良く歌えてたし、わたしだって、まだ全然だし」
「そういう謙遜、マジでやめてって!」
小峯文香の大声とともに、いきなり、上段から物凄い勢いでなにかが飛んで来た。
それは、ものの見事にわたしの顔面に命中した。……小峯文香の、枕だった。
「あんたにはわかんないよ! 歌うまくて、頭もよくて、要領よくて! あんたには簡単でも、わたしにはできないっての!」
小峯文香は、ベッド上段から凄い勢いで降りて来て、わたしに向かって捲し立てた。
その時、わたしの中で、なにかがキレた。
「痛かさ!」
わたしはそう怒鳴ると、さっきの枕を思いっきり彼女に向けて投げ返した。顔面に、直撃した。
「なん? わたしがなんでも簡単にしよる? 馬鹿にせんでよ。わたしがどんだけ頑張ったか、あんた見た事あっとか!」
わたしはベッドから飛び起き、顔を抑えてしゃがみ込んだ小峯文香を見下ろしながら、捲し立て返した。
「なんも簡単じゃなかった! 出来んことばっかり、わからんことばっかりやった! わたしだって、必死で頑張った! テキトウなことば言うな!」
小峯文香が、そのおおきな瞳に涙をいっぱいに溜めて、わたしを見上げた。
その時だった。
「うるさいぞ! なにをギャーギャー騒いでるんだ、こんな時間に!」
激しくドアがノックされ、外側から、大きな声で呼びかけられた。
伯爵だった。
*****
「……ごめん」
小峯文香が、うつむきながら謝った。
「いや、こっちこそごめんなさい」
わたしは、さらにうつむいて……というより、もはや土下座寸前にまで、頭を下げて謝った。
すると、小峯文香がくすくすと笑い出した。
「……なに?」
わたしが訊くと、さらに彼女の笑い声はおおきくなっていき、しまいには、両手でお腹を押さえて笑い転げ始めた。……な、なんなのさ。
「初号機ちゃん、なに言ってるのか半分くらいしかわかんなかった」
小峯文香は、襲い掛かる笑いの発作に、顔面を引き攣らせながらそう言った。
「ごめんなさい」
「いや、わたしが悪かった」
笑いながら、彼女は涙を流していた。
「自分勝手すぎた。初号機ちゃんも、頑張ってるんだよね。だから、そんなになんでも出来るんだよね」
そう言うと、小峯文香は右手を差し出して来た。
「わたしも頑張る。頑張ってみるよ」
わたしは、おそるおそると、その右手を握った。
その時。
今度は、わたしに笑いの発作が起こった。
「なに。なに笑ってんの?」
小峯文香が、訝しげな貌をした。
「いや……。なんか」
わたしは、なぜか自分の目からも溢れた涙を指で拭って、そう言った。
「なんか、修学旅行みたいだなって」
「修学旅行?」
「うん。部屋で騒いで、先生に怒られた時を思い出した」
わたしがそう言うと、小峯文香はすこし淋しそうな貌をして、こう言った。
「わたし、修学旅行いった事ない」
「え?」
小峯文香が、視線を宙に向けた。
「貧乏だったし、友達もいなかったし。休んで、ひとりで自習させられてた」
そうなのか。
こんなに可愛くて、いつも明るい彼女にも、そんな、寂しい思い出があったんだ。
わたしの胸の奥の方が、なんだか、ズキンと痛んだような気がした。
「……行こうよ」
わたしは、言った。
「は?」
小峯文香が、訊き返した。
わたしは、もう一度、おおきな声で、こう提案した。
「行こうよ。明日、レコーディングさぼって、修学旅行しよう。ふたりで!」
それを聞いた小峯文香のおおきな瞳は、見る見るうちに、はじめて会った時と同じく、キラキラとした眩い輝きを、取り戻した。




