第三章 第三十八夜 急転直下
まぁとにかく、ひと使いが荒すぎる。
え、誰がって? それはもちろん、わたしの雇い主さまこと、ヴァンプ氷瑞伯爵だ。
いろんな紆余曲折があって、わたしは、伯爵が経営する芸能事務所のメンバーになった。
なんでも伯爵は、十年以上前に自分で事務所を設立し、モンセクの所属事務所からは一旦離れて、個人として活動をしているのだそうだ。
もちろんバンドのメンバーではあるし、活動は共にするのだけれど、ギャラ系統のお話になると、なにやら他のモンセクメンバーとは、お給料の計算方法が違うらしい。
いや、
わたしそがんと知らんけん(そんなの知らないです)。
まぁ、そんな細かい話、わたしにはどうでもいいのだ。兎にも角にも、人使いが荒いのだ、あの吸血鬼さまは。
学校が終わったら、真っ先に事務所に向かう。
事務所と伯爵の自宅が入ってるのは、新宿某所の古い雑居ビル。その一室のちいさなブーススタジオで、まずはマンツーマンでのお歌の稽古。
それが終われば、事務所の掃除や電話応対、ファンレターやら貢ぎ物、果ては請求書などの仕分け、後片付け。飼い猫兼マスコットである白猫「ブーツ君」の餌やり、砂換え、遊び相手。
伯爵がどこかに行くとなれば、事務所の「エスティマちゃん」をわたしが運転して、都内のあちらこちらに送り届けもする。当然、いろんな楽器やら機材やらも満載して……だ。
だいたいさ。わたし、ペーパードライバーなんですよ。免許なんてね、大学生の最初の夏休みに、合宿で取ってそれっきりになってたんです。あとはせいぜい、身分証に使うくらい。
そもそも、都内に住んでて車なんか乗る機会ないじゃないですか? 大学生が。
それを、
「なんだ。おまえ、運転できるんじゃん」
のひと言で、いきなり運転手扱いですよ。
「いやいや、マジで無理です!」
って、わたしちゃんと断ったんですよ?
だけど伯爵、
「なんのための免許なんだよ。頑張れ」
とか言い出して。
案の定、道は狭いし、車は多いし、エスティマちゃんはでっかくて、いまいち車幅がわからんし……で、わたし、初日から何回「あ、事故ったわコレ」ってなった事か。
それなのに当の伯爵本人まで、
「死ぬかと思った……」
とか言い出すし。いや、だから! "東京を運転なんか出来ない"って言ったじゃん!
……ところが、人間ってのはいざとなったら慣れるもので、最近はなんとかマトモに運転出来るようになって来ましたよ。なんなら首都高も。合流、死ぬほど怖いけど。
なんの話でしたっけ。
そう、とにかくひと使いが荒いんです。
だけどまぁ、お給料を頂きながら、プロから音楽を習えるなんてチャンスもそうそう無いし、行きつけのお店のパスタは美味しいし。
で、わたしは、なんだかんだと、それなりに充実した日々を送っていました。
そんなある日のこと。
わたしが疲れマックス状態で自宅アパートに帰ると、掲示板の前に、なにやら人だかりができている。
みなさんが、なんだか不安そうな、不満そうな貌をして、ぶつぶつぶつぶつ、あれやこれやと言葉を交わしていたんです。
「……こ、こんばんは」
わたしは、見知った顔の隣人のひとり、二軒隣りの部屋のお姉さんに、声を掛けた。
「こんばんは。ちょっと、コレ見てよ、コレ!」
お姉さんは、忌々しそうに掲示板に貼られた一枚の紙を、指でトントンと叩いた。
「はぁ……」
わたしは、お姉さんの剣幕に圧されて、その紙を眺めた。
そして、
「えぇ!?」
と、思わず大きな声で叫んでしまった。




