第三十一夜 ファースト・デイト
黒いクラウンの助手席側のドアが開き、帽子と眼鏡、白いマスクを着用した小柄な影が、人目をはばかるようにして、静かに姿を現した。
「さ、こっちに」
おれはそう言って、「TOYO」のドアを押し開けた。
小柄な影は、あっという間にその中に潜り込んだ。
「じゃあ。一時間後に、また迎えに来ます」
運転席からおれにそう声を掛けてきたのは、日野真琴マネージャーだ。
おれが「わかりました」と応えると、その背後のドアから顔を出して、小柄な影が日野マネージャーに向けてちいさく手を振った。
薗田富希子だった。
*****
「富希子と、たまにでいいので会っていただけませんか」
日野マネージャーが、真剣な表情でそう言った。
「どういう事ですか」
おれは訊ねた。
「……あの子、最近ずっと元気がなかったんです」
うつむくようにして、日野マネージャーは言葉を続けた。
「氷瑞様と会えなくなって、目に見えて暗くなっちゃって。だけど……」
そう言うと、日野マネージャーは顔を上げた。
「モンセクのライブに行ってから、ものすごく明るくなったんです」
ちいさく笑った。
「わたしも、あの子の気持ちはわかるんです。まだ十六歳で、ひとりで実家を出て、慣れない東京で慣れない学校に通って、慣れない仕事をして。なにか、すがりたい物があると思います」
おれは、黙って彼女の話に耳を傾ける。
「あの子、たぶん、氷瑞様に恋をしてると思います」
日野マネージャーは、真っ直ぐにおれの目を見てそう言った。
おれは、煙草を咥えたまま、その視線を受け止めた。
「……あら。動揺しないんですね」
日野マネージャーが、唇の端をちいさく上げた。
「相手は、まだ子供ですからね」
おれは、笑って肩をすくめて見せた。
「さすが、よく場数を踏んでいらっしゃる」
「そんなこたないっすよ」
軽口を叩きあったおれたちは、ふたりして、ニヤリと笑い合った。
「冗談はさておき。……どうでしょう、会わないでくれと言ったわたしが頼むお願いではないかもしれませんが……もし氷瑞様がよければ、たまにあの子の話し相手になっていただけませんか」
*****
いくらマネージャー公認とはいえ、女性トップアイドルが男性との逢瀬を重ねるなど、業界では絶対のタブーだ。薗田富希子の息抜きは、厳戒態勢の下に執り行われた。
場所は、決まって同じ店だった。
新宿二丁目の裏路地におれの友達が最近オープンしたばかりの、ちいさな、隠れ家的なバー。
そこの開店前の一時間を、おれと薗田富希子で貸し切った。
「お好きな席にどうぞ」
と、ママに勧められた薗田富希子は、立ち止まって少し考えて、それから、カウンターの右端からふたつめのスツールに腰掛けた。
「どこに座ってもいいんだから、もっと広いとこに座りなよ」
おれがそう言うと、
「いいんです、ここで。ほら、氷瑞さんはこっち」
と、おれはいちばん右端のスツールに座るように強いられた。
「狭い」
と、おれが愚痴ると、
「いいんです」
と、悪戯っぽく彼女は笑った。
「ほら。氷瑞さん、これでもう、どこにも逃げられないから」
おれの前に、ハートランドの小瓶。薗田富希子の前に、オレンジジュースが注がれたグラスが、そっと差し出された。
「乾杯しましょう」
グラスを握ると、薗田富希子は笑ってそう言った。
「なにに?」
おれが、ニヤリと笑ってそう訊ねると、彼女は、そのおおきな瞳を数瞬だけ宙に舞わせた。
それから、仕返しのようにニヤリと笑い、
「わたしの、大好きな吸血鬼様との再会に」
と、薗田富希子は囁いた。




