第二十一夜
「すてきな歌……」
少女が、柔らかく目を閉じたまま、そう呟いた。
おれは、自分の好きな曲を若い子に気に入ってもらえた事を、内心で素直に喜んだ。ついつい、少女のその様子を見つめてしまって……というよりも、目を離せなくなってしまっていた。
そのくらいに、彼女は綺麗だった。
「あ、ごめんなさい!」
おれの視線に気付いた彼女が、慌てた様子でおれにそう言った。
「すみません。少しのつもりが、長々と」
少女は、申し訳なさそうにそう言った。
「そんな事ないよ」
おれは、ちいさく横に首を振った。
「この曲は、なんていう曲なんですか?」
彼女のその問いに、おれはヘッドホンを耳に押し当てて、
「あぁ。これは【Don’t stop Believin’】だな」
と、答えた。
「ドント ストップ ビリービング……」
「そう」
おれは、煙草を軽く吸いつけた。
「信じる事を止めるな……かな。直訳すれば」
そう呟いて、おれは彼女の方を見た。
彼女は口の中で、
「信じる事を……止めるな……」
と、ちいさく復唱した。
「君は、歌手の子?」
おれがそう訊ねると、彼女は急に真顔になって、
「あ、はい! こんどデビューさせていただく、ムーンミュージック所属の薗田富希子と言います」
と、おれに頭を下げた。
ムーンミュージックと言えば、相当にでかい芸能事務所だ。レコードこそは大手から出せるが、あくまで弱小事務所所属のおれとは、芸能人としての「格」が違う。
おれが内心で動揺しているところに、
「あの……あなたも、歌手の方ですか?」
と、訊ねられた。
「いや、おれはただのギター弾きだよ」
そう言って、おれは軽く笑って見せた。
「ギター弾き……」
彼女……薗田富希子はそう呟き、
「なら、さっきのジャーニーみたいな音楽を?」
と、訊いた。
journeyみたいな……ねぇ。
おれは、おどろおどろしい音楽に合わせて棺桶から登場し、鮮血に見立てた赤ワインで口周りを赤く染めてステージを暴れ回る大関の姿を脳内に思い浮かべ、思わず笑った。
「いや……まぁ、ぜんぜん違うけど」
おれがそう答えると、
「あ、そうなんですね……」
と、薗田富希子は言った。
「どうして、こんなところでしょげ返ってたの?」
おれは、灰皿で煙草を揉み消しながら、薗田富希子に訊いた。
薗田富希子は笑顔を見せて、
「わたし、今日がはじめてのレコーディングなんです」
と、言った。
「頑張って歌ってるんですけど、どうしても、作曲の先生の仰るようには歌えなくて……。それで、わたし、途中で悔しくて涙が止まらなくなって」
薗田富希子のその言葉は、いまのおれには痛いほどに理解出来た。
「そしたら先生が"一時間やるから頭を冷やせ"と。それで、ここに座って頭を冷やして……」
なるほどね。
おれは、心の中で頷いた。
華やか、煌びやかなだけに見えるアイドルの世界でも、その中で生きてる連中には、外からでは見えない、理解の及ばない苦労も努力もあるわけだ。
「君は、大丈夫だと思うけどな」
おれは、目の前の虚空を眺めて、そう言った。
「……え?」
薗田富希子が、呟いた。
おれは、彼女の眼帯で覆われてない方の目を見つめて、言葉を続けた。
「ムーンミュージックからデビューするって事は、その時点でもう、でっかいオーディションなりなんなりを乗り越えてきたんだろ? ………なら大丈夫さ。さっきのjourneyじゃないけど、自分を信じる事を止めなければいい」
おれがそう話すと、薗田富希子は、突然、そのおおきな瞳から、物凄くおおきな涙の玉を溢れ落とした。
その様子に慌てたおれが、どこかに持っていたはずのハンカチを探してあたふたとしていると、
「あ……、ごめんなさい」
と、薗田富希子が慌てて言った。
その顔は、ほんとうに眩しく、おれが見たこともないような明るい笑顔で輝いていた。




