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第二夜 収録開始

 がやがやと騒がしく、いろんなひとたちが廊下や楽屋やスタジオを行き来している。どのひともこのひとも、みんなみんな、とても忙しそうな貌をしている。

 

 わたしはため息をひとつついて、廊下すみっこに設られた「元喫煙所」だったスペースの、L字型のベンチに腰掛けた。

 手元のギターを、軽く爪弾いてみる。ポロンと、乾いた音を弦がたてる。


 わたしは、ギターなんか弾けない。


 ただ、会社の方針として、今回の曲は「シンガーソングライター的に売っていく」という事になった。そしていきなり、今日の出発前に、このギターをマネージャーから手渡されたのだ。


 わたしは、歌手だ。


 ……そう言い切っていいかどうかは、正直あんまり自信がない。売れたのは、最初の一曲だけ。あとは、さっぱりダメだった。いわゆる「一発屋」ってやつだ。


 普段は、普通の大学生をしている。都の西北……の校歌が有名な、あそこだ。教育学部の、三年生。


「ひょっとして、このまま歌手でやっていけるかも」


 なんて、甘い事を考えてもいたのだけれども、やっぱり現実は厳しい。来週の頭にも教務室に出向いて、わたしは、真面目に実習の日程表と向き合っていかねばならないだろう。


 そもそも、この業界に入ったのも、なんだかよくわからない成り行きだった。


 一年生の夏休み。ヒマを持て余していたわたしは、友達とカラオケに行った時に某動画投稿サイトに顔を隠して歌を載せた。

 

 こどもの頃に好きだった、アニメの歌だ。お母さんがCDを持っていたので、自宅や車の中、いつでもどこでも聴いていた記憶がある。


 なぜだか、その動画が評判になって、どんどんどんどん拡散された。


 そんなある日、わたしの元に、某芸能事務所の社員を名乗るひとから一通のメールが届いた。


「今冬に立ち上げになる、覆面女性アーティストプロジェクトの、ヴォーカルとして起用したい」


 よくわからないまま、わたしは品川にある大きなホテルの、一階の喫茶店に呼び出された。


 そこには、やたらと陽気な見るからに高そうなスーツを着込んだおじさんと、ドラマにでも出てきそうなキャリアウーマン然とした、若い眼鏡の女のひと。そして、上から下まで全身真っ黒、伸びた前髪でよく表情が読み取れない、年齢不詳の痩せた男のひとがいた。


 年齢不詳以外のふたりが、名刺をくれた。


「ジュピターミュージック」という芸能プロダクションの社長と、その社員さんらしかった。

「淵本」と名乗った社長が、真っ黒で年齢不詳の男のひとを「作曲家の鮫島くん」と紹介してくれた。

 聞いたことなかったのであとから調べたら、ここ数年で活躍している、ボカロ作家(世間じゃ「P」と呼ぶらしい)らしかった。


 とんとん拍子に話が進み、わたしは「渋谷生まれの覆面女子高生シンガー、SUMIKAスミカ」としてデビューする事になった。……ほんとうは、佐賀県伊万里市生まれの、中里花純というのだけれども。もう二十歳も過ぎてるし。


 デビュー曲「BACK OFF」は、自分でもびっくりするほどよく売れた。


 某ティーン向け化粧品のCMタイアップがつき、ダウンロード販売数は十万越えを果たした。サブスクでもよく聴かれたし、ポップなアニメのMVはあっという間に百万回以上再生された。さらに、曲のサビを使った「踊ってみた」系の動画もずいぶん流行った。


 年末の国民的年越し歌番組にはさすがにお呼ばれしなかったけど、それでも、わたしの曲はその年の代表作的ヒット曲扱いになった。


 だけど、そこまでだった。


 二曲目は、まったく話題にならなかった。


 企業タイアップもつかなければ、曲も売れない。無料で観られるMVの再生回数だけは、かろうじて数万回を稼いで面目を保った。


 三曲目で、事務所から顔出しを命じられた。


 わたしはなんとか抵抗して、金髪のウィッグ、黒い眼帯を着ける事を認めてもらった。

 一曲目のMVに出てきた、アニメの女の子のコスプレだ。とにかく、素顔を隠したかった。わたしは別に美人でもないし、そもそも、顔は出さない約束だったわけだし。


 わたしが実際に出演したMVが話題になり、三曲目はそこそこの再生回数を記録した。 

 だけど、たぶん書き込まれてあるだろうアンチコメントを読むのが怖くて、わたしは、結局ただの一度も、その動画を見ることが出来なかった。


 四曲目は、また、パタリと売れなくなった。

 スケジュール表は空白だらけになり、会社からの連絡も、ずいぶん減った。


 会社の中では「SUMIKA」は終わった物になり、キリもいいので、もうこの辺でプロジェクトを終了しようという流れになったらしかった。


 で、いよいよ最後の、五曲目。


 この曲のプロモーション期間が終われば、わたしは、会社との契約を満了することになった。


 そして今日。わたしは、このギターとCD音源を持たされて、のこのことこの都内のスタジオにやってきた。


 最後という事で、なんとか強引にわたしの出演がねじ込まれたらしい。三時間越えの、春の音楽特番だ。


 見知っている有名な歌手も、ちらほら歩いている。同業者同士で話し込んだり、楽屋の入り口ドアにもたれ掛かり、スタッフと打ち合わせをしたりしている。


 わたしは、と言うと。

 与えられた楽屋の雰囲気に嫌気がさして、文字通り「逃げるように」ここに出てきた。


 わたしの楽屋は、同じ会社のアイドルグループと相部屋だった。

 楽屋とは名ばかりで、本来はただの会議室かなにかなのだろう。だだっ広いところに、テーブルと椅子が、申し訳程度に「コの字」に並べてあるだけの部屋だった。出入り口のガラス窓に「ジュピターミュージック様」と書かれた紙が、なんともテキトーな感じで一枚ペタリと貼られていた。


 このアイドルグループはあまり仲がよろしくないらしく、ふた手に別れて、お互いの悪口を聞こえよがしに言い合っていた。


 その最悪な空気をヒシヒシと全身で感じながら、わたしはテーブルの端っこの席に座って持ち込んだメイク道具をさっと広げた。ふと横に目を向けると、ひとつ飛んで隣の席には、金髪ボブカットの女の子が座って鼻歌を歌いながらメイクをしていた。


 この部屋にいる子はみんな可愛いんだけれども、なんと言うか、その子の可愛さは別格だった。瞳がおおきくて、鼻筋が通ってて、ちいさな唇は艶っ艶のピンク色。座っててもわかる、細身の身体。

 耳にはワイヤレスイヤホン。

 まるで、この部屋の喧騒を遮断してでもいるかのようだ。「わたしはなんにも聞いてません」アピールだ。


 わたしの視線に気付いて、その子はニカっと子供みたいな貌で笑った。真っ白な歯がきらりと光った。

 わたしは、焦りながらも会釈を返した。それから、慌ててメイクに取り掛かった。


*****


「どうせアテぶりだから、適当に弾いてるフリしてて」


 女マネージャーの白井さんは、それだけ言い残すとどこかに消えてしまった。もうすぐリハーサルでスタジオに入らなければいけないはずなのだが、さすがは、お払い箱のタレント様だ。扱いが雑い。わたしは、仕方なくスマホに入れた自分の最後の曲を聴きながら、それっぽく見える様なギターを弾く「フリ」の練習を始めた。


 と、その時だった。


「ブチン」と鈍い音がして、弦がいきなり切れてしまった。


 え……?


 しまった。

 こんな事、まったく想定していなかった。


 わたしはしばらくオロオロとして、それから、白井さんに電話を掛けた。


 だけど、彼女は出なかった


 スマホは、虚しく呼び出し音を鳴らすだけだった。


「はーい! それでは、出演順にリハーサル始めていきます!」


 ADの女の子が、廊下で大きな声を張り上げた。

 ざわざわと、演者やスタッフが動きはじめる。……これは、ヤバい。


 その時、わたしの背後から、知らない声が降ってきた。

 なんだかのんびりとした、どこか、甘い響きの声だった。


「あーあ。弦、やっちゃてるじゃん」


 わたしは、後ろに振り返った。

 そこには、異様な風体の男が立っていた。


 身長がずいぶん高い。

 少し長めの髪は茶色。センターできっちりと分けられ、さらっさらのつやっつやに輝いている。その下には、切れ長で三白眼の瞳。

 顔にはまっ白くドーランが塗られ、目の周りと唇は、真っ赤なラインが描かれている。

 真っ黒なタキシードを着込み、さらに、黒いマントを羽織っていた。

 ちょっと猫背気味に背中を丸め、口には、まだ火のついていない煙草を咥えていた。


 わたしが、どう対応していいものかあたふたしていると、


「お疲れ様、伯爵!」


 と、陽気な声が飛んできた。見ると、この番組のディレクターの村岡さんだった。……伯爵?


「よぅ、村ちゃん。しばらく見ないうちに出世しちゃって」


 伯爵と呼ばれた謎の大男は、差し出した右手で村岡さんと握手を交わしながら、真っ白な顔をくしゃくしゃにして笑った。なんだか、その風体に似合わない、妙にかわいらしい笑顔だった。


「……村ちゃん、灰皿どこよ」


 伯爵は、口元の煙草を指で摘んで村岡ディレクターに訊いた。


「ダメダメ。いまは、館内全面禁煙。伯爵、吸うなら、駐車場の車の中だよ」


 村岡さんの言葉に、伯爵は顔をしかめた。


「なんだよ。ひさびさに呼ばれたと思ったら、煙草のひとつも吸えなくなったのかよ。世知辛い世の中だな、まったく。こんな大ベテランつかまえてさ」


 伯爵のボヤキに、村岡ディレクターが笑う。そして次に、わたしの顔に目を止めてこう言った。


「紹介するわ、伯爵。この子が、去年に一世を風靡したSUMIKAちゃん」


「うーん」


 村岡ディレクターの言葉に、伯爵は申し訳なさそうな顔をわたしに向けた。


「わかんない。ごめん」


「むかしっから、洋楽ばっかりだもんね。伯爵は」


 ディレクターは、なんだか懐かしそうな表情を浮かべて、目を細めた。


「SUMIKAちゃん。こちらは『モンスター・メタル・セクション』のギタリスト、ヴァンプ氷瑞ひみず伯爵」


 モンスター……メタル……?

 ……ヴァンプ……伯爵?


 わたしが、口頭で与えられた情報を脳内で処理し切れずにキョトンと呆けた顔をしているのを見て、ふたりは大笑いした。


「……きみの、おとうさんとおかあさんは知ってると思うよ。おれの事」


 そう言うと、伯爵と呼ばれた白い顔の男は、ニヤリと八重歯を見せて笑った。


*****


「えっと……SUMIKAさん、次なんで準備お願いしまーす!」


 例の快活そうなADの女の子が、廊下に向けてそう叫んだ。


 わたしは、あたふたと立ち上がる。そして、傍らの弦の切れたギターを持ち上げる。


「弦、直さないと」


 伯爵が、座ったままでそう言った。


「あ、えと、いいんです。どうせ弾けないし。その、アテぶりするだけなんで」


 わたしがそう答えると、伯爵は、露骨に顔をしかめた。そしてゆっくりと立ち上がると、廊下の方に視線を向けた。


 そして、


「あぁ……っと、テラちゃん!」


 と、そちらにおおきく声を掛けた。


 伯爵がそう声を掛けた方向には、いかにも「ロック兄ちゃん」然とした、長い黒髪に無精髭の細身の男がいた。高円寺あたりの路地裏を、ギター背負って歩いてそうなカンジのひとだ。


「テラちゃん。この子になんか見繕って、ギター貸してあげて」


 伯爵がそう言うと、テラちゃんは「ウス」と短く答えて、楽屋に消えた。


「い、いや、大丈夫です」


 わたしは、慌てて手と首をふった。すると、


「ダメだよ。せっかくテレビに出るんだから」


 と、真剣な貌で伯爵はそう言った。


「テレビに出るって、そう簡単じゃないんだ。ファンはしっかり観てるし、そうじゃないお客さんにも自分をアピールできる。いいかげんにやっちゃダメだ」


 なんて、よくわからない見た目とは裏腹に、なにやら真面目くさった事を、伯爵は言う。


 わたしは、なんだかしらないけど、その言葉に少しカチンと来た。


「……いいんです」


 このひとに言ってもしょうがないのに、わたしはつい、そう口走ってしまった。


「どうせ、これでわたしはクビになるだけなんで」


「……クビに?」


 伯爵が、眉をひそめる。


 わたしは、無言でうなずいた。


 その瞬間、わたしの目から涙が溢れた。


 勢いだけで始まった「芸能生活」だった。


 別に、本気で取り組んでいるつもりもなかった。


 ただ、


「せっかく田舎から出てきたんだし、思い出づくりになればいい」


 とか、


「ちょっとしたお小遣い稼ぎができればいい」


 とか。


 そう思いながら、やっているつもりだった。


 だけど、いざ、自分の口から「クビ」と言う言葉を発すると、なんとも言いようのない感情が、わたしの頭の中でぐるぐると渦巻いた。


 それは悔しさかもしれないし、情けなさかもしれない。よく、わからない。だけど、わたしの目からは涙が溢れた。


「……クビ、ね」


 伯爵は、ちいさくため息をついた。


 そこにテラちゃんが、一本のギターを持って現れた。赤っぽい木目調の、いかにも高そうなギターだ。


「これ、持っていきな。アテぶりでも、それなりに様になるから」


 伯爵は、そう言って笑った。すこし、真っ白い八重歯が見えた。


「せめて、最後まで全うしておいで。そしたら、きっといい事あるから」


 わたしは、黙ってギターを受け取った。ずっしりと、重たいギターだった。


「こっちは、弦を張り替えとくよ」


 伯爵は、そう言いながらわたしのギターをテラちゃんに渡した。


 わたしは「ありがとうございます」と伯爵に頭を下げて、スタジオの方に向かった。


*****


 スタジオに入ると、横からADの女の子が声を掛けてきた。


「えっと。今日は、リハが終わると直ぐに本番撮っちゃいますんで。よろしくお願いします」


「え?」


 わたしは、思わずそう言った。


「……今日って、生放送じゃないんですか」


 わたしが訊くと、


「あ、本社スタジオからは生中継なんです。こっちは、都度つど撮って行って、それを本社スタジオのセット替えの合間に流す感じです」


 と、女の子はいかにも業界人っぽい口調で言った。


 わたしは、それを聞いてすこしホッとした。生中継じゃないなら、ちょっとくらいトチってもなんとかなるかもしれない。


「ごめん」


 今度は、後ろから声を掛けられた。マネージャーの白井さんだ。


「ちょっと立て込んで、電話でられなかった。……あれ」


 白井さんが、わたしのギターに目をとめた。


「そのギター、どうしたの」


「あ、弦が切れちゃって。そしたら、なんか、知らないおじさんがコレを持っていけって」


「知らないおじさん?」


 わたしは、さっき聞いた伯爵のバンドの名前を、頭の中で振り返る。


「えっと、モンスター……メタル……なんとかの、伯爵っておじさんです」

 わたしがそう言うと、白井さんが目を丸くした。


「それって、モンセクの、ヴァンプ伯爵?」


「あぁ……。確か、そんな感じの」


 わたしがそう言うと、白井さんは大袈裟に天を仰いだ。


「結構な大物じゃない。失礼はなかった?」


「は、はぁ」

 

 失礼。


 失礼と言えば、失礼かもしれない。初めて会ったのに、泣いて、愚痴って。そのうえギター借りたんだから。


 わたしが黙ってると、白井さんはため息をひとつついて、


「……あとで、一緒に楽屋に挨拶に行くわ」


 と、露骨に面倒臭そうな貌で、そう言った。

 

 その時、


「では、SUMIKAさん、お願いします!」


 と、わたしに声が掛けられた。


 わたしは、伯爵のギターを持って、スタジオの中央に向かった。


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