第十六夜
結局、わたしたちはジュピターの淵本社長が出したいくつかの条件を了承して、そのオフィスを後にした。
正直に言うと、それらは、結構キツいものだった。
・移籍後、一年間は表だった活動をしない。
・「SUMIKA」の名称と五つの楽曲はジュピターミュージックの権利下。今後は使用出来ないし、歌えない。
……そして、最後の条件。
「こんど、ウチの女の子をソロデビューさせようと思ってたんだがね……」
淵本社長はそう言うと、隣りの白井マネージャーになにやら目配せを送った。
白井マネージャーは立ち上がると、ちいさく一礼して部屋を出た。
「どうやって売り出したものか迷っていたんだが、こういうのが『禍い転じて福となす』ってやつだな。……この機会に良いアイデアが浮かんだよ。氷瑞君」
淵本社長が話したその時、応接室のドアがノックされた。社長は「入りなさい」と、それに応えた。
白井マネージャーの後に続いて、ふわりと軽い足取りで部屋に入ってきた金髪のボブカット、小柄で可愛いの女の子に、わたしはなんとなく見覚えがあった。……誰やったっけ。
「ウチでグループアイドルをやっとる、小峯文香っちゅう子だ」
淵本社長の言葉で、わたしはこの子を思い出した。
初めて伯爵と出会ったあの日。
スタジオの楽屋で互いの悪口を言い合うメンバーに目もくれず、すました貌でメイクをしていたあの子。あの時の子だ。
「この子をこれから、二代目『SUMIKA』として活動させる」
は!?
わたしは、思わず伯爵の顔を見た。
伯爵は、その端正な眉をしかめて、露骨に不快そうな表情を見せていた。
「当然、過去の楽曲はすべてこの子に引き継ぐ。……それと、これが最後の条件だ」
わたしは、真っ白になった頭で、淵本社長の言葉を聞いていた。悔しいとか悲しいとか、そんな気持ちや感情すらも、湧いてこなかった。
「氷瑞君。この二代目SUMIKAに、一曲、君が作った曲を提供してもらおう。これで、条件は全てクリアー。移籍を認めようじゃないか」
*****
「……まぁ、まんまとあのタヌキおやじにしてやられたな」
伯爵は、苦々しそうにそう呟いた。
わたしは、黙って残りのパスタを平らげて「……ごちそうさまでした」と、合掌した。
「よかったのか? せめて、楽曲だけでも歌わせろって主張すべきだったか」
伯爵は、なにやら申し訳なさそうな表情で、ちいさくそう言った。……なんだ。いつも自信満々のおれ様キャラだと思ってたけど、たまにはそんな貌も見せるんだ。
「……もういいです」
わたしは、グラスのお水を飲み干すと、そう言った。
「もういいんです。どうせあのままあそこにいても、ひと月後にはああなってただけですもん」
わたしは、少し背筋を伸ばして、隣りの伯爵に目を向けた。
「もう決めました。これから頑張ります。……どうか、よろしくお願いします」
伯爵は、黙ってわたしの視線を受け止めて、それから、真っ白な八重歯を見せて微笑んだ。
「わかったよ」
そう言うと、伯爵は小瓶の中の、残りのビールを飲み干した。
「まぁ、これから一年間の猶予がある。その間に、歌手としてのスキルアップと、学業にしっかり精を出してくれ。中退なんかさせたら、親御さんに顔向けできないからな」
伯爵のその言葉で、わたしは、提出期限がギリギリになっているのにいまだ手付かずになっている机の上のレポートの存在を思い出して、軽く青ざめた。




