第十五夜
「しかし、あれだな」
淵本社長は、誰にともなく呟くと、ふたたび、手元の煙草を吸いつけた。
今日のお昼。
ジュピターミュージックの応接室だ。
「君はまた、おれが育てたタレントにちょっかいを出そうって言うんだな。え、氷瑞君よ」
ニヤニヤととっても感じの悪い笑みを口元に浮かべて、淵本社長は言った。
は?
また? なんのこと?
言葉の意味が理解出来ていないわたしは放ったらかしにされたまま、会話は続く。
「契約関係は、クリアしてると伺ってますが」
伯爵は、意にも介さずと言った表情で、そう返した。また、ゆっくりと足を組み替えた。
淵本社長が「白井君」と、隣に座る白井マネージャーに声を掛けた。白井マネージャーは、手元の書類袋から、数枚の紙を社長に手渡した。
老眼鏡だろうか。淵本社長は、胸ポケットからやたらとレンズが細い眼鏡を取り出してそれを浅く鼻先に掛けると、パラパラと書類をめくった。
「まぁ、確かに半ば契約満了状態ではある。しかしだね、この白井がいまから手元のスマホでただのひとつでも仕事の予定を入れようものなら、その契約は復活だよ。パチンコ屋の営業だろうが、田舎の祭りのステージゲストだろうがね」
そう言うと、淵本社長はまた笑った。
「期間は、どうなってるんですか? 契約の」
古原弁護士がそう訊ねると、今度は、淵本社長ではなく白井マネージャーが答えた。
「期間で言うと、あとひと月ほどは残っています」
「なら、ひと月後なら構わないってわけですか」
そう言うと、伯爵はゆっくりと立ち上がった。わたしは、オロオロしながらそれを見上げた。
「帰ろう。ひと月後に、またお邪魔します」
言いながら踵を返そうとする伯爵に、
「まぁ、待ちなさい」
と、淵本社長が声を掛けた。伯爵は、ひとつため息をつくと、またソファーに腰を落とした。
「良くも悪くも、君とわたしとは知らん仲ではない。……まぁそれなり、いろいろ因縁もあるし」
淵本社長はそう言うと、また、煙草を一本胸ポケットから取り出した。
「移籍は認めよう」
えっ?
いきなりの発言に、わたしは思わず目を見開いて、伯爵を見た。
淵本社長が、手にした煙草を口に咥えた。さっきと同じように、また、白井マネージャーが横から手を伸ばして、その先端に火を着けた。
「特例だが、認めよう。ただし……だ。いくつかの条件は、付けさせていただく」
そう言うと、また、淵本社長は煙草の煙を伯爵の方に向けて吹き付けた。




