第一章 第一夜 遺書
息が、苦しかった。
細長い管を通して供給される酸素が、最初より、ずいぶん薄くなっている。
わたしは、無理をしてまで呼吸をするのをもうやめにして、その、天井からぶら下がっている酸素マスクを、そっと口から外した。
また、身体がおおきく右にかしいだ。
さざなみにも似たちいさなどよめきが、瞬間、周りに拡がった。
遠くの席でちいさな子供が「おかあさん」と、短く言った。
さっきからずっと、
「身体を丸めて! 脚の間に頭を挟んで!」
と、いたるところでスチュワーデスさん達が大声をあげ続けている。
ギシギシと軋む窓。機内にうっすらと充満してくる白い煙。ずっとずっと鳴り止まない、胸を締め付けるような警報の音。
ふと見ると隣りの席のおじさんが、膝上の黒いビジネスバッグに白いちいさな紙を広げて、なにかを熱心に書きこんでいた。
わたしの視線に気付くと、そのおじさんはすこし泣きそうな貌でちいさく笑って、
「君も書きますか? 家族に、残したい事でも」
と、言った。
わたしはおじさんを真似して、目の前のシートのポケットから、一枚の紙を抜き取った。航空会社のロゴが入った、備え付けのメモ用紙。
自分の遺書を書き終えたおじさんが、わたしに、ペンを貸してくれた。
「ありがとうございます」
と、ちいさく言って、わたしは、ガタガタと震えて安定しない膝の上で、なんとか、手紙を書こうと試みた。
だいすきな、あのひとへ。
たぶん、最初で最後になる、ラブレターを。
*****
「っっっ!!」
声にならない声をあげて、わたしは目を覚ました。
そこは、カーテン越しの淡い朝の光に薄うっすらと照らされた、アパートのわたしの部屋だった。壁に備え付けられた時計が秒を刻む音が、さっきから、静かに響き続けている。
……また、この夢か。
わたしは、おおきくため息をついた。
それから、まだドクドクとおおきく脈打っている心臓の鼓動を静めるために、ペットボトルのお水でも飲もうと考えた。
布団から、のっそりと起き上がる。
全身が、粘り気のある汗でぐっしょりと濡れていた。
この夢を見たのは、もう、何度目だろうか。高校生の時に初めて見て以来、年に一度くらいのペースで、忘れた頃にまた見る……というのを繰り返している。
わたしは、また、おおきくため息をついた。
時計を見る。
針は、朝の七時を指していた。
今日は、お昼の三時くらいにテレビ局に行けばいいはずだ。
わたしはもう一度眠りにつくため、床に敷かれた布団の中に、ごそごそと潜り込んだ。