疑問
「は……、殿下とお茶会……?」
メイドの口から出た言葉が理解できず、わたくしとしたことが分かりやすく顔をしかめてしまった。
「本日は午前に春夜祭用のドレスの採寸に仕立て屋の者が、午後に殿下がお屋敷にいらっしゃる予定です」
そんなわたくしの様子にメイドは違和感を覚えたのだろう。おずおずと今日のわたくしの予定を口にした。
その予定を聞いて、わたくしは目を見開いた。
ドッドッドッと心臓が嫌な音を立てる。
なぜなら、わたくしの春夜祭用のドレスは完成しており、それは衣装室の奥で眠っているからだ。
春夜祭とは一年の始まりを祝うルクシア王国の祭事で、一年で最も規模の大きい夜会が王家主催で三日間開かれる。
この夜会にはこの国のほぼ全ての貴族が招待され、宴に参加する。普段であれば、なかなか接点を持つ事が難しい高位貴族とも交流ができる絶好の場なのだ。
実際、この春夜祭がきっかけで高位貴族に見初められ、玉の輿に乗った下流貴族のご令嬢もそこそこ居る。
そのため、玉の輿を夢見るご令嬢や見目麗しい者が多い高位貴族と遊びたいご夫人は少しでもよく見られようと、一年で最も気合いを入れて着飾るものだ。
勿論、高位貴族側であるわたくし達も下位貴族に負けじと着飾る。
なので数ヶ月前からドレスや装飾品を準備しておくのが普通だ。
こんな、あと二週間も経てば春夜祭が始まってしまう時期にドレスが完成していないだなんてあり得ない。
去年はディバルー帝国からの輸入品であるドレスの生地が盗賊団のせいで到着が大幅に遅れ、かなりギリギリでの完成となったが、今年はそんなことはなく通常と同じ頃にドレスは完成し、既に納品されている。
それなのに仕立て屋が来るだなんて、どう考えてもおかしい。うちにはお母様が昔から贔屓にしている仕立て屋しか来ないし、第一ドレスを仕立てたのはそこだ。
更に言うと今日は殿下とお茶をするどころか、会う約束すらしていなかったはずだ。
昨日の今日で婚約破棄の件が末端のメイドまで伝わっていないのは理解できる。
だから、殿下との予定をそのまま伝えてしまうのは特におかしいとは思わない。
だが、そもそも入っていないはずの予定を言い出すのはどういうことなんだろうか。
もしかして、わたくし数日間も寝てしまっていたのかしら……?
いや例えそうだとしても仕立て屋の者がおかしいし、殿下がわざわざ婚約破棄したわたくしとの予定をそのままにしておくとは思えない。
一体どういうこと……?
ハンネも先ほど変なことを口走っていたし、まるで今が一年前みたいな……。
瞬間、とある考えが頭を過ぎった。
しかし、そんなことがあり得るのだろうか。
「ねぇ、貴女と……ハンネにも少し確認したいことがあるのだけれど」
「何でしょうか?」
「はい、何でもおっしゃって大丈夫ですよ」
「…………今って何年?」
「聖暦でございますか?それでしたら644年でございますよ」
「…………っ!」
心臓がドクンと大きく脈打った。
「間違い、ではないのよね?」
「ハンネ様のおっしゃった年で間違いないかと」
メイドもハンネもこんな単純な質問に嘘をつくとは到底思えない。
つまり、それが指し示すのはわたくしは本当に一年前に戻ってきたと言うことだ。
一体、なぜ……?誰かしらの魔法……?
いいえ、そんなはずはない。そんなこの世の理に逆らう魔法だなんてものはとっくの昔に廃れている。
理由は単純だ。消費される魔力、魔法を構築するための儀式に対する労力、それらに見合った対価が得られないからだ。
この現代にそんな大昔の魔法を再現しようだなんて考える魔法使いなんて居ないし、そもそもそんな魔法があることすら知らない者が大半だ。
わたくしの様に教育の一環としてありとあらゆる知識を詰め込まされた人間か、魔法に心血を注いだ魔法一筋の人間くらいだ。
では、魔法でないと仮定するのなら一体どうして時が戻ったのだと言うのだろう。
うーん、謎だ。
「あの、お嬢様……。そろそろ殿下との予定をどうなさるかお聞きしてもよろしいでしょうか……?」
おっと、いけない。わたくしが黙ったまま、考え込んでしまったせいかメイドを困らせてしまったようだ。
「あら、ごめんなさい。そうね、貴女の言った通り気分が優れないから殿下とのお茶会はお断りしてくださるかしら。それと、ドレスの採寸も断って。サイズはこの前注文した夜会用の物と変わっていないはずだから、それと同じ大きさで作るよう仕立て屋には言ってくださる?」
「かしこまりました、お嬢様」
「それとハンネ。悪いけれど、貴女も下がってくれるかしら。少し、一人になりたいの」
「ええ、わかりました。また、何かあれば呼び鈴を鳴らしてくださいね」
「わかっているわ」
「では、ゆっくりお休み下さいねお嬢様」