アイリーンの死
納得できない、納得できないっ、納得できないわっ!
どうしてこのわたくしが殿下との婚約を破棄されなくてはいけないの!?
たかが癒しの力に目醒めただけで、平民上がりの卑しい子爵令嬢を躾けて差し上げただけで。
建国からの忠臣である由緒正しきルルセイラ侯爵家の生まれで、社交界でも五本の指に入る美しさを持ったこのわたくしがっ!
リク殿下も殿下だわ!
あんな小娘に入れ込んだ挙げ句、わたくしを捨てるだなんて。やっぱり一つだけではあるけれど、年上のわたくしが嫌だったんじゃない。
いくら政略結婚とは言え、円満な夫婦生活を送るために殿下との時間に充てていた十年分のわたくしの余暇は何だったの!?
わたくしばっかり損しているじゃない。
許さない、絶対に許さないわミエラ・ルネスト……!
怒りでわなわなと震える手でお気に入りの扇子を握りしめる。
今日の王立魔法学園の卒業パーティーは、控えめに言って最悪だった。
まず、婚約者であるこのルクシア王国の第一王子であるリク・アルタイルズ殿下には入場のエスコートをすっぽかされ大恥をかかされた。加えてパーティー会場で、公衆の面前で、婚約破棄を言い渡されるなどという侮辱以外の何物でもない事を先刻されたのだ。
この国の聖女であるミエラ・ルネストに危害を加えたという理由で。
危害だなんて誤解も甚だしい。
どれだけ言ってもあの芋女がこのわたくしの忠告を聞きもしないから、躾をしただけだ。
教えられた事ができなければ鞭で打たれたり、火の付いた魔法の杖で肌を焼かれたりするだなんて、貴い身分の者への躾としては全て『普通』のことだ。
わたくしだって殿下の婚約者として正妃教育を受けている時、ロマリス夫人からそう躾けられた。
それを危害だなんて……!
いつもわたくしの善意を捻じ曲げて解釈し、それをあろう事か殿下やそのご友人たちに言い触らす芋女に対しての怒りが、またふつふつと湧いてくる。
この件、お父様を通して王家と神殿に絶対に抗議してやるわ。
カツカツと淑女らしくない音をたてて、我が侯爵家からの迎えの馬車へ速足で歩く。
がやがやと盛り上がっている卒業パーティーの会場である学園のダンスホールを背に、一人敗走するかのように帰宅する自分がとても惨めに思えた。
だからだろうか、わたくしは背後に近付いた存在に気が付かなかった。
「う゛っ…………!?」
どん、と突如背中から突き飛ばされる感触を感じた後、わたくしの胸はチリチリと痛みだした。
そして自身の身体から生えている血に塗れた短剣の切っ先を認識し、自分が何者かによって殺されようとしている事を理解した。
「え……あ、いた……いたい痛い痛い痛い痛い痛い!!」
熱い、痛い、苦しい。
ただひたすらその感覚だけに脳が支配されていく。
生理的な涙と浅い呼吸が止まらない。
そんなわたくしを嘲笑うかの様に、わたくしを刺した人物はわたくしの身体を前方に蹴り倒し、刺さっていた短剣を乱雑に引き抜いた。
その瞬間、わたくしに更なる激痛が襲いかかる。
「あ゛あ゛っ!」
満足に手もつけないまま石畳の冷たい地面に倒れ伏したわたくしは小さく浅い呼吸を繰り返す。
自分の命が失われていく感覚に恐怖心が募る。
なんで……?どうしてわたくしがこんな目に。わたくし、このまま死んでしまうの……?
嫌っ!嫌ぁ!助けて!助けてお父様!お母様!お兄様!
「だ……かた、す……け……て……」
死から逃れる様にわたくしは虚空へと手を伸ばす。
歪む視界、力の入らない手足、誰かが助けてくれた所でもう遅い事は分かっていた。
それでも何かに縋りたくて必死に手を伸ばした。
しかし、わたくしの手は誰にも取られる事はなくあっけなく地面に落ちた。