愛しい貴方のためならば
こういう主人公性癖なのです。
「いっしょにこの国をまもっていこう」
婚約式で初めてお会いした殿下。
当時5歳の貴方のお言葉はもちろん、
瞳の真っ直ぐさ、手の温かさ、あの場の空気の匂いさえ、私は鮮明に覚えております。
────あれから12年
「──君との婚約を解消し、次期聖女の任を解く。そして新たな皇后であり聖女候補として、彼女を推そうと思っている」
ある晴れた昼下がりに、私の愛しい殿下はそう仰いました。
殿下に呼び出された応接間で私を待っていたのは、この部屋の主である殿下、そして──最近殿下と噂になっていたご令嬢。
ご令嬢は大変可愛らしい方で、殿下が気にいるのも無理ないお美しい方でした。このような話題にもかかわらず、殿下のお隣に腰掛け、誇らしげにこちらを見ておいでなので、胆力もあるようです。……彼女なら、殿下をお任せできるでしょう。
私の答えは決まっています、私は愛しい殿下のためならば、何だってできるのです。
「"婚約解消"の件、承りましてございます」
私がそう答えた途端、ご令嬢の表情がパァッと明るくなりました。本当に可愛らしい方です。腹芸が出来ないのはいささか心配ですが、今後のレッスンで培われていくでしょう。
対して、殿下はハッとした顔でこちらをご覧になり、その美しい顔を歪めてこう仰いました。
「婚約解消、だけではだめだ……次期聖女の任も解けるよう陛下に打診する」
殿下は俯きがちになり、膝の上に置かれた拳は震えていきます。
ああ、私の愛しい殿下、あなたを困らせたくはないのですが
「聖女の辞退はいたしかねます、殿下」
だって、聖女は私なのです。
生まれる前から決まっていて、そのために生きてきました。国の──殿下のお力になれると知って、さらに意欲が増しました。
「お約束したではないですか、『いっしょにこの国をまもっていこう』と」
私がそう申し上げると、殿下の顔からみるみる色が失われていきます。
でも致し方ないことでございます。
そちらのご令嬢、殿下が目をつけただけあって確かにかなりの魔力量です。この国でも有数の魔力の質と量でしょう、でも足りません。
「私以外を聖女にされたければ、そちらのご令嬢100人分くらいの総魔力量の方を見つけていただかないと……」
「駄目だ!!!!」
ガタンッ!と音がたつのも憚らず、殿下は立ち上がり大声で仰いました。
お隣のご令嬢が驚いているにも関わらず、そのまま私の腰掛けているソファまで回り込んだと思ったら、片膝をついて私の手を取りました。
「頼むから……次代聖女を辞退してくれ」
お姿だけならプロポーズの様ですのに、殿下の瞳は涙で薄く曇っておられます。
お日様のような金色の瞳が台無しです。
手も相変わらず震えておりますが、それ以上に必死に私の手を掴んでおられます。
しかし私の答えは決まっています。
「いいえ、いたしかねますわ。聖女は私です。」
私は、愛しい殿下のためなら何だってできるのです。
「……見守っております。殿下が陛下となり、そちらの彼女と手を携え御代が栄える様を。水晶棺の中からずっとずっと」
え?と向かいのソファに座っておられるご令嬢から声が漏れるのと、殿下がぎゅっと眉根を寄せ、絞り出す様な声を出すのはほぼ同時でした。
「それじゃ何の意味もない……!!」
緊迫した空気とは裏腹に、外からはピチチと鳥の鳴く声がします。
長閑で、なにも変わらない、私たち以外にとってはなんでもない時間。
ご令嬢は何か仰りたそうでしたが、殿下の鬼気迫る様子に口をつぐんでおられます。
「どうして喜んで死にに行くんだ君は」
「なんてことを仰いますか殿下。当代聖女様はご存命ですしそれに…」
「命があるだけだろう」
私たちの会話がの意味が分からないのかご令嬢が訝しげな表情です。どこからお話しすべきでしょうか。
「貴女は今代の聖女様をご覧になったことはございますか?」
「え?ええ、あなた方の婚約式と王弟殿下の結婚式で拝見したことはありますが……」
突然私から話しかけられたことに少々面食らったようでしたが、ご令嬢は答えてくださいました。
「では……私達の婚約式と、王弟殿下の結婚式以外の時、今代の聖女様がどの様にお過ごしかはご存じですか?」
この国にとっての聖女は、女神の名代であり依代。
女神様の神力を強く発現することができる体質を持つものが選ばれる。
当然内包する魔力も質も桁外れなのだが、女神様がお許しにならないかぎり神力の行使も魔法の使用も一切できない。
そして女神様が力の行使をお許しになるのは、この国の守護結界の礎として、寿命果てるまで水晶棺の中で眠り続けている時だけなのである。
「──つまり、この国聖女とは守護結界の部品として生涯を捧げる者を指すのです。
例外は、女神様の名代として婚約式や結婚式など神の御前に誓うもの、神を讃えるものに参加することくらいでしょうか。
大神官様が女神様に日程と参加のお許しを祈ると、なぜかその時だけ水晶棺が開き、目が覚めるのだそうですよ」
そうお話ししましたら、ご令嬢は真っ青な顔で殿下をご覧になりました。
「つまり私は……代わりに聖女を務めさせるために……」
ぽつりと呟く彼女の言葉を、殿下は否定されませんでした。下を向いて、私の手を握るばかりです。
やはりこのご令嬢は素敵な方の様です。
殿下の意図をすぐに理解し、しかし喚くこともなく最適な行動を考え続ける冷静さもあるようです。
「ご安心くださいませ、私は次期聖女の任からは降りる気はございません。どうか殿下と幸せになさって」
ギリッという音がすぐ側から聞こえました。
殿下が奥歯を噛み締めていらっしゃる様で、肩周りも小刻みに震えていらっしゃいます。
「……君と生きたい、君と同じ時間を過ごしたい。」
血反吐を吐くような、というのはこういう時に使うのでしょうか。殿下は静かに仰いました。
何かしらの式典などで数年に一回くらいの頻度で起きることはあるのですが、殿下が仰っているのはそういうことではないのでしょうね。
可愛い殿下。貴方様のお心にそこまで留まれたこと、とても嬉しく存じます。
納棺前に拝見したお顔が笑顔でないことだけ、ほんの少し心残りですけれど。
──コンコンコン、と殿下の応接間の扉がノックされました。
その意味をもう知っているのは、“聖女”である私だけ。
殿下の応を受け、護衛騎士と伝令係が入室してまいりました。
伝令係は内心はひどく動揺しているようで脂汗をかいてはいましたが、表情は動いておらず冷静な様子です。
優秀な伝令係。だからこそ、“この”伝令を伝えにきたのでしょう。
「城奥神殿、大神官様からの伝令を申し上げます。当代聖女様が身罷られました。次代聖女様は直ちに儀式の間にお越しくださいとのことです」
護衛騎士──殿下のではなく私の護衛騎士に、殿下は取り押さえられました。
聖女の納棺は国防に関わりますので越権行為には当たりません。
まずは大神官様のもとへ向かいます。そうして禊をし身支度を整えたら、そのまま私は水晶棺へ入るのでしょう。
次に目覚めるのは何年後でしょうか。
殿下は陛下になっていらっしゃるのかしら。
さっきはあんな事を申し上げてしまったけれど、殿下の婚約者は、次期名誉皇后はどうなるのでしょう。
陛下に打診も許可もいただいていない状態の様だし、このままなら慣例通り私が聖女兼名誉皇后となるのかしら。
殿下は次に目覚める時に会ってくださるかしら。私が死ぬまでに何回会えるかしら。
ぐるぐるぐる、と私にしては珍しく考えが纏まりません。足は震え、一歩踏み出すごとに力が抜けて座り込みそうになります。
でも、足を止めるわけにはまいりません。
心の中から大切な大切な思い出を取り出します。
「いっしょにこの国をまもっていこう」
婚約式で初めてお会いした殿下。
私の記憶と心に焼き付いた大切な大切なもの、忘れるはずがないのです。
当時5歳の貴方のお言葉はもちろん、
瞳の真っ直ぐさ、手の温かさ、あの場の空気の匂いさえ……。
どんなに、本当は怖くて寂しくて逃げ出したかったとしても。
私の答えは決まっています、だって私は愛しい殿下のためならば、何だってできるのです。
ちなみに、殿下のお祖母様が作中で逝去された聖女様です。
自分の祖母と会えたのは、記憶がある限りだと自分の婚約式と叔父の結婚式だけの殿下。
主人公とごく僅かな機会しかもう会えないのが分かっていたのでしょうね。