●第248話●貴族 はじめました
新章開幕です!
「ではフェリクス、この調子で警備計画をまとめて、明後日までに提出してください」
執務机に広げられた何枚かの紙を見て小さく頷いた勇が、革の鎧を身に着けた男に指示を出す。
「はっ。かしこまりました!」
指示を受けた男――この度マツモト家の騎士団長となったフェリクスが、敬礼をして執務室から出ていった。
ちなみに勇が領主となった事で、フェリクスを呼ぶときの“さん付け”はやめている。
完全な主従関係になった今、その辺りのけじめは必須らしい。
「ふぅ~~、これで大きなところは片付いたかな」
「左様でございますね。この後は、新しい施策についての具体案をまとめていただく感じになるかと」
フェリクスが出ていったのを見た勇が、大きく息を吐きながら言うと、家令のノイマンがメモを見ながらすぐに答えてくれる。
ノイマンは、元々勇の執事としてマレイン・ビッセリンク伯爵から派遣されていたのだが、勇の叙爵に伴いそのままマツモト家の家令となった。
そしてそれを機に、派遣ではなく正式にマツモト家に雇われる家人となり、家族ともどもマツモト家の領都、ヴェガロアへと引っ越してきていた。
元々マレインのもとで公務も行っていたため、この世界の政に疎い勇にとって非常に頼りになる家令だ。
「お疲れ様でした。一週間ほどで大枠が終わってしまったので、かなりの速さだと思いますよ」
アンネマリーが勇を労うように言葉を掛けながら、侍女に目配せしてお茶の準備をさせる。
「いやぁ、ノイマンはもちろん、アンネが手伝ってくれたおかげだよ。ありがとう」
準備されたお茶をゆっくり飲みながら、勇がアンネに礼を言う。
彼女は勇の婚約者でありつつも、勇の秘書のようなポジションで共に公務に当たっていた。
クラウフェルト家にいた頃に領主代行を務めることもあった彼女は、領地運営の実務にも詳しい。
ノイマンと共に不慣れな勇のよきパートナーとして、勇を支えてくれている。
「にゃぁぁふぅ~」
「ああ姫、お帰り」
そこへ勇の愛猫織姫が帰ってきた。
執務初日こそ執務室で勇の傍に侍っていたのだが、二日目からは暇だと分かったのか、方々を歩き回っていたようだ。
おかげで新しい館の家人達もすっかり織姫に慣れ、可愛がられるようになっていた。
「しかしあっという間だったなぁ……」
執務席からソファへと移った勇は、深く埋もれるように座りながらそう零すと、あらためて自分が運営することになった領地の状況に思いを巡らせた。
◇
今日は三の月の七日。勇がヴェガロアの街に領主として引っ越してきて七日目だ。
引っ越し作業自体は、農閑期かつ雪解けが完全に終わった二月から順次行われていたが、正式に着任したのは三月の頭である。
ぼんやりと眺める執務室の窓からは、アブラナの花が綺麗に咲いているのが見える。
以前マツモト領内にある海沿いの村へ視察に行った際、沢山のアブラナが植わっているのを発見した。
それが咲くのが楽しみだと勇が言ったのを聞いた村長が、館の庭に植えてくれと移植、今が見頃となっている。
マツモト男爵領の領都ヴェガロアは、人口およそ八千人ほどの街だ。
かつてお世話になったクラウフェンダムの街が六千人弱だったので、それよりも規模が大きい。
男爵家の領都としてはかなり大きい部類に入るのだが、それは元々この街が子爵であるセードルフ領の領都だったためだ。
領地には、ヴェガロア以外にもう一つ小さな町があり、そちらの人口がおよそ二千人。
前述の海沿いの村ともう一つの大きめの村で合わせて千五百人。
そして四十程ある集落が合わせて約三千人の合計一万五千人程が、マツモト領の総人口となる。
対して領地を守る騎士は四十名、領兵は百八十名ほどだ。
人口千人当たり騎士が約三名、兵士が約十二名と言う計算になる。
これはこの世界の平均よりやや少ない程度だ。
しかしマツモト領には魔法巨人というチート兵器があるので、実際の戦闘能力はもっと高くなるだろう。
ちなみに現代日本だと自衛官が人口千人当たり二名弱、警察官が二・五名くらいで、軍事大国であるアメリカでも軍人が四名強、警官は日本と同じ二・五名だ。
近代兵器と魔法具含めた魔法の戦闘能力とでは色々と違いがあるので単純比較はできないが、魔物と言う脅威が常在するこの世界は、平和を守るためにより多くのリソースを割く必要があるという事だろう。
次に主な産業だが、税収の五割ほどが農業関係によるもので、二割が林業、その他が三割である。
ほぼ山と森だったクラウフェルト領とは違い、開けた比較的安全な土地があるため、主食である麦類の生産が盛んなのだ。
しかし特筆すべきは麦類ではなく、庭にも咲いていたアブラナから採れる油だ。
この世界では、油は中々に高級な食材と言える。
比較的安全に農業がおこなえる土地が少ないため、安定して換金出来て自らも毎日口にする、主食を中心とした作物にどうしても栽培が偏るためだ。
マツモト領では、安全ではあるが主食を栽培するには効率が悪い傾斜地が海沿いにたまたまあったため、仕方なく栽培し始めたに過ぎない。
が、それが今では農業収入の半分近くを叩きだす主力商品になるのだから、世の中何が起こるか分からないものである。
そして勇は、偶然ながらも油の産地になっている事を活かした、領地発展の施策を考えていた。
「ノイマン、確かメルビナでそろそろオリーブ――秋空梨の植え替えが始まるはずだよね?」
思考の沼から戻ってきた勇が、ノイマンに声を掛ける。メルビナはマツモト領にある海沿いの大きな村の名だ。
「はい。随分暖かくなってきたので、今週にも植え替えたいと村長から確認が来ております」
質問されたノイマンがメモを見ながら答えた。
就任前に視察した際、オリーブが自生しているのを見つけたのだが、村長曰くあまり実が生らないと言う。
少し詳しく確認して、自家不結実性のオリーブであると結論付けた勇が、種類の違うオリーブを近くに植え替えることを進めていたのだ。
「おし、丁度いいな」
「見に行くんですか?」
ノイマンの話を聞いてポンと膝を打った勇に、アンネマリーが尋ねる。
「うん。事務仕事も一段落したからね。アブラナも満開だろうし、一緒に行こう」
「うふふ、いいですね! 楽しみです!」
勇の回答に嬉しそうなアンネマリーだが、これは単に勇との花見デートが楽しみなだけではない事を勇は知っていた。
視察した時期が丁度オリーブの収穫時期に近かったため、もし生っている実を発見したらサンプルとして送って欲しい旨を伝えたところ、程なくして二キログラムほどのオリーブの実が届く。
その実を簡易な圧搾機を作って絞り、二百ミリリットルほどのオリーブオイルを得ることに成功した。
多少の雑味はあるものの、地球のそれと遜色無いオリーブオイルに真っ先に飛びついたのは、料理長のギードだ。
「これは良い香りの油ですね! それにこの何とも言えない色も美しい。ソース代わりにかけても良さそうです」
と早速試食の準備に取り掛かる。
食に関しては勇が推してくるものは間違いないと確信しているギードなので、何の迷いもない。
そしてもう二人、勇のとある異世界知識に対して絶大な信頼を寄せる者たちがいた。
アンネマリーとその母ニコレットだ。
「確かこのオイルは、化粧品にも使えると言う話だったわよね?」
「ええ。色々なモノに使われていましたね」
小さな瓶に入ったオリーブオイルを光にかざしながら、ニコレットが勇に尋ねる。
「ただ、作り方まではさすがにほとんど分かりませんけどね……」
「まぁそれもそうよね。職人だったわけでもないでしょうし」
苦笑する勇の言葉に納得するニコレット。
「でも、ほとんどという事は、分かるものもあるという事でしょうか?」
「確かにそうね……。そうなの??」
この母にしてこの娘あり。アンネマリーの鋭いツッコミに、再びニコレットの目が光る。
「う~~ん、そうですね……。ヘアオイルとリップくらいなら作れるかな――」
「作りましょう!」
「作るわよ!」
「うわぁっ!!」
思案しながら答えた勇に対して、食い気味に領主母娘が言葉を重ねる。
こうして勇の朧げな知識を頼りにした、オリーブオイルコスメの試作も、ギードの料理施策と並行して行われることになった。
「うん、これも中々良いわね。変にベタつかないし香りも悪くないわ」
自身の髪の指通りや艶、香りを確かめながら、ニコレットが満足そうに頷く。
「はい。ハーブを少し入れたのは正解でしたね」
その横で、同じように毛先を確認するアンネマリーも頷いた。
二人が試していたのは、オリーブオイルにローズマリーで香りづけをしたハーブオイルだ。
ひとまずそのまま髪に塗ってもしっとり艶が出ることが早々に分かったため、もう一段工夫を加えて出来上がったものである。
地球でもオリーブオイルをはじめとして椿油やホホバオイルなど、植物性のオイルをヘアケアに使うのは一般的なので問題無いだろうと試していた。
「お母様、こちらの“リップ”も良いですよ!」
「どれどれ…………。うん、これも程よく艶が出て良いわね」
続けて二人が試したのは、蜜蠟のようなものにオリーブオイルを配合したリップバームだ。
これも勇が小豆島に行った時に聞いた話をもとに試作されたものである。
蜜蝋のようなもの、と言っているのは、蜜蜂からではなく蜂型の魔物から得られる素材だからだ。
特性や見た感じがほぼ蜜蝋だったので試しに使ってみたところ、良い感じだった。何なら、地球の蜜蝋より良いまであるかもしれない。
こうして試作した化粧品のクオリティが満足いくものだったことと、ギードと勇が作った料理がやはり美味しかったのを受けて、母娘のオリーブオイルに対する期待は青天井となったのだ。
◇
「おぉぉーーー! これは圧巻ですね……」
「綺麗……」
「ありがとうございます。まさに今が見頃ですので、お越しいただけてよかったです」
眼下に広がる一面の黄色い絨毯のような菜の花畑を見下ろして、勇とアンネマリーが感嘆の溜息を漏らす。
アテンドする村長のアベラートの表情は、どこか誇らしげだ。
今日は三の月の九日。勇はアンネマリーを伴って、海の村メルビナへと来ていた。
「秋空梨――オリーブでしたか、そちらの植え替えはこちらです。昨日から始めまして、三分の一程植え替えたところです」
ひとしきり菜の花畑を堪能した後、再びアベラートを先頭に村の中を歩いていく。
案内されたのは、目立つ木も無く農作物も植えられていない斜面の一角だった。
その中央付近に濃い緑色の葉を持つ木が何本か植わっており、その周辺で何名かの村人が作業をしている。
「うん、これはいい場所ですね。日当たりもいいし、ある程度増やすことになっても大丈夫そうだ」
「はい。増産する事も視野に入れて、周りに何も無い場所を選んでおります」
そんな事を村長と話をしながら様子を見ていると、三人の男が一本の木を担いでやって来た。
「お~~い、次のを持ってきたぞ~~!」
「分かった。そこに掘ってある穴んとこへ持ってってくれ!」
「おうよっ!」
威勢の良い声を掛け合いながら、木を植えていく。
「ん~~、流石に木を植え替えるとなると重労働だな……。フェリクス、魔法巨人を出しましょうか」
「了解しました! ティラミス、話は聞いていたな? お前の魔法巨人でいくぞ。分かっていると思うが、イサム様の顔に泥を塗るような真似はするなよ?」
「り、了解っす!!」
しばらく作業の様子を見ていた勇の依頼で、フェリクスがティラミスに魔法巨人を動かすよう指示を出す。
勇が魔動車で外出する時は、護衛騎士に加えて数体の魔法巨人が随伴する事が多い。
今回はティラミスとマルセラが、魔法巨人要員として随伴していた。
なお、マツモト家の騎士団は、通常の騎士団、魔法騎士団に加えてこの世界初の魔法巨人騎士団が新設されており、初代団長にはドレクスラーが就任している。
また、叙爵にあたって、各辺境伯家などから騎士の補充をしてもらったのだが、その内の何名かは先のズンとの戦乱で魔法巨人に乗って共に戦った者たちだ。
亡命扱いでマツモト家に加わったアバルーシの面々のうち、リリーネやサラら数名も、魔法巨人騎士団に名を連ねている。
そしてそれにより、勇は早くも“猫男爵”に加えて“魔法巨人男爵”の異名で呼ばれるようになっていた。
そんなマツモト家の顔とも言える魔法巨人であるからして、功績も失態も当主の評価に直結する。
さすがのティラミスもそのあたりは分かっており、暴走しないよう必死に己の行動を改めているところであった。
「うおぉぉぉ、すげーーっ!! これが領主様んとこの魔法巨人かっ!?」
「一体で簡単に木を運べるのかよ!」
「案外器用なもんだなぁ」
何気に緊張感をもって事に当たるティラミスをよそに、動く魔法巨人を見た村人からは大歓声が上がる。
新しい領主様が魔法巨人を従えているらしいことは知っていても、実際に動いている様子を見た事があるものはまだまだ少ない。
こうして事あるごとに魔法巨人を表に出すことで、認知度を上げていくのが勇の狙いだ。
また、軍事利用ではなく平和利用出来る事をPRすることも重要だと勇は考えているので、今後も様々な場面で活躍していくことだろう。
魔法巨人によるサポートの甲斐もあって、昼頃にはオリーブの植え替えが終わったため、勇達は昼食がてらオリーブオイルを使った料理の試食会を行っていた。
「これがあの、渋いオリーブの実から絞った油で作った料理ですか……。確かにこれまでにない風味ですし、何より美味しいですね!!」
テーブルに並んだ料理を試食したアベラートが、目を見開いて驚く。
もっともその驚きの半分は、領主自らが料理人に混ざって料理を行い振舞っている部分に対してだろう。
今回は村の新しい名産になる可能性があるという事で、村の上役たちも同席しているのだが、皆一様に驚いていた。
メニューは、風味が分かりやすいオイルを使ったドレッシングをかけたサラダと、勇が個人的にオリーブオイルが真価を発揮すると思っているアヒージョもどきだ。
本当はオイルパスタを作りたかったところだが、こちらではまだ乾燥パスタを見た事が無いので断念している。
「よかったです。皆さんの口に合うのなら、これは間違いなく流行るでしょうね」
「ええ、この味なら絶対に大丈夫だと思いますよ。すぐに増産に向けて人をあてがいます」
「お願いします。オリーブは挿し木で増やしても良いのですが、ちょっと根付きが悪いらしいので、取り木も試してみると良いかもしれないですね」
「とりき、ですか?」
試食も終わり今後の進め方について話す中、聞きなれない言葉が出てきて村長が聞き返す。
挿し木は地球でも古くから行われていたように、この世界でも農業に詳しいものや庭師ならば知っている方法だ。
オリーブを挿し木で増やすことは地球でも一般的だが、根が出る確率が低いのだと勇は聞いていた。
と同時に、取り木と言う方法の方が確率が高く生育も早いのだとも聞かされていたのだ。
「はい。剪定する予定の枝の根元の皮を三センチほど剥いて、そこに湿らせた水苔なんかを巻いて湿気を保ちます」
こうすることで剥いた部分から根が生えてくるので、それを苗木として植えるのだ。
柔らかい枝や蔓なら、その部分をそのまま直接土に埋めてしまう方法もあるらしい。
「ちょっと手間はかかりますが根が出る確率が高いそうなので、簡単にできる挿し木と並行して試してみてください」
「なるほど、分かりました」
勇の説明に頷く村長。上役たちも自分たちのこれからの生活に関わる事だけに、皆真剣な表情だ。
その時だった。
バタンッ!
「そそ、村長っ!! たたた、大変だぁぁぁっ! ってうひゃぁぁぁっ!!??」
「何奴だっ!!」
村人だろうか。一人の男が血相を変えて村長の家に飛び込んできたようだ。
そして応接室の扉の外側で警護に当たっていた騎士のリディルに、当たり前のように拿捕される。
「うわわわわ、ききき、騎士様ぁぁ。ひぃぃぃ、おたすけぇぇぇぇ」
「何事だ騒々しい!! 領主様もお見えになっているのだぞっ! すみません、マツモト様。すぐに叩き出しますので……」
「いや、何事かあったようですね。私も話を聞きましょう。リディル、こちらに連れてきてください」
「はっ!」
勇は、騒ぎに気付いた村長が応接室の扉を開けて出ていこうとするのをとどめると、リディルに連れてくるよう命じる。
「りょりょりょ、領主様……」
突然領主の前に連れ出された村人が顔色を青くする。
「ああ、別に怒ったりはしないから、何があったか話してくれるかい?」
苦笑しながら優しく声を掛ける勇。
大量の汗をかきながらチラチラと村長の顔を窺う村人。
「領主様もこう言っておられる。話してみなさい」
その言葉にコクコクと高速で首を縦に振った村人の報告が始まった。
「ち、小せぇ船みてぇなのが村の沖の方にいるのが見えたんでさぁ。珍しいってんで皆で見てたんですが、どうにも様子がおかしい。で、ちょっとずつ近づいてきたと思ったら」
差し出された水を口にしながら、村人が話を続ける。
「どうやらでけぇ魔物に追いかけられてるみてぇで、こりゃあえらいことだってんで慌ててお知らせに走って来たんでさぁ!」
本話からは新章。男爵になった勇と織姫の領地経営が本格スタートです!
先週は更新できずスミマセンでした。
書籍とコミック発売が同タイミングなのに加えて、本業が忙しくて……。
かわりにちょっとだけ本話は長めですw
週1~2話更新予定予定。
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