●第239話●マツモト家の紋章
この世界の貴族や王族には、かつての地球の貴族がそうであったように、その家を表す紋章が存在する。
地球における中世ヨーロッパの紋章は、色々と複雑な決まり事があったようだが、この世界ではあまりルールは無いようだ。
王家を表す王冠などの一部意匠を使わない事、伯爵家以上にのみ使用を許された金色を使わない事、許しを得ずに他家の紋章を模倣しない事程度だと言う。
新たに貴族になるものは、自身で紋章をデザインし、それを叙爵式の前までに王家へ提出、許可を得る必要があった。
「クラウフェルト家の紋章は、この真ん中のが魔石を表しているんだっけ?」
「ええ。爵位を賜ったのが魔石を掘り当てた功績でしたから、中心に魔石を表すモチーフがありますね」
そういって、アンネマリーが脇に置いてあったクラウフェルト家の紋章について説明をする。
彼女の説明通り、その中心には魔石を表す縦長の六角形のマークが描かれていた。
その背景に採掘を意味するつるはしとシャベルが配置されており、全体がこの近辺の森にしか生えない銀杉の飾りで囲ってあるものだ。
「そうなると、ウチも猫以外に無属性――いや、全属性を表す何かは入れたいなぁ」
アンネマリーの説明を聞いた勇が、そう呟きながら紙にアイデアをスケッチしていく。
「んーー……。属性魔石って、全部で七種類、いや、見つかってない闇も加えると八種類だったよね?」
「はい。闇を入れるなら八種類ですね」
「ふむ……。八角形だとちょっとそのまますぎるから、こんな感じで星形っぽくしてみるか。で、その真ん中に織姫のシルエットを入れて……」
と、そんな感じでトライアンドエラー、スクラップアンドビルドを繰り返す事五日。十二の月の声を聞くころ、遂にマツモト家の紋章が完成した。
「おお、中々良い感じだねぇ」
「うん、良いわね。オリヒメちゃんが入っているし、それにコレ、ウチの紋章の意匠もあえて入れてくれているのでしょう?」
「はい。一緒に家を興すアンネの実家ですし、そもそもこの世界での私の始まりはクラウフェルト家ですからね。当然ですよ」
「はっはっは、嬉しい事を言ってくれるじゃないか」
勇は、早速完成した紋章をクラウフェルト夫妻に披露していた。
あれから試行錯誤を続けた結果出来上がった紋章は、最終的に中央に横向きに座った猫のシルエットがあしらわれたデザインとなった。
もちろん勇の最愛の家族、織姫がモチーフである。
その背景には、ニコレットが言ったように、クラウフェルト家の紋章に使われているつるはしとシャベルが配されていた。
自分たちのバックボーンがクラウフェルト家である事を意味している。
その周囲は、四十五度傾けて重ねた二つの正方形で作った八芒星を意匠化したもので囲まれている。
これは、八種類全ての魔石属性を統べる無属性魔石改め、全属性魔石の隠喩だ。
そしてさらにその外周を、植物をモチーフにしたオーナメントで囲い、下段にリボンを配してその中に筆記体のアルファベットでMATSUMOTOと家名を入れた。
家名は入れても入れなくてもどちらでも良いとの事だったが、自身が地球人である事を後世に残すためにも、地球の文字で入れることにしたのだ。
「おや? この外側の植物はひょっとしてオリザかい?」
「ええ、オリザです。麦だったり花だったり、その地の名産を入れることが多いと聞いたので」
セルファースが気付いた通り、紋章の外周を飾っているのはオリザ――稲穂であった。
「元の世界で私のいた国の象徴みたいなものでもありますし、こちらでもしっかりお米が栽培できることが分かりましたから。今後私の領地を代表する作物になると確信して、入れることにしました」
そう答えながら、勇は少し前に行った稲刈りの事を思い出していた。
◇
拝領する領地の視察に出る直前の良く晴れた日。勇達はクラウフェンダムの最下層に植えたオリザの田んぼに集合していた。
「いやぁ、見事に育ったなぁ」
心地よい秋風に優しく揺れる稲穂を見て、勇が嬉しそうに言う。
そこには規模こそ小さいが、某巨大ダンゴムシと心通わす空飛ぶ姫様のアニメのような、金色の野が広がっていた。
時間を見つけては様子を見に来ていたので、問題無く生育している事は確認しているが、あらためて収穫を迎えるのは感慨深い。
「私はオリザが実るのを見たのは初めてなのですが、これは良い状態なのでしょうか?」
「うん。バッチリ豊作と言って良いんじゃないかな。粒の数も多いし、一粒ずつもしっかり中身が詰まってる。触ってみると分かると思うよ」
満足げに頷く勇に、アンネマリーが尋ねる。オリザはこの世界ではかなりマニアックな穀物なので無理からぬ話だろう。
かく言う勇とて聞きかじった知識と、女神様ブランドである事への絶対的信頼感による評価だったりするので、怪しいものなのだが。
「さて、じゃあ鎌で刈っていきましょうか!」
「「「「「了解です!」」」」」
勇の号令に、横一列に並んだ面々が返事をする。研究所の専属騎士を筆頭にその数は十二名。
クラウフェンダムでは数少ない麦の生産者二名に、先生役をお願いしていた。
ザクッザクッ、という稲を刈る心地よい音が響き渡る。麦を刈る用の鎌を使っているが、今の所大きな問題は無さそうだ。
根元付近から刈り取った稲は、何十本か分でひとまとめにして紐で結わえていく。
テレビでそうしているのを見たというだけで、どんな結び方が正しいのかまでは勇には分からないので、指示はあくまで何となくだ。
十メートル四方程度の大きさの田んぼ四面に実った稲を、和気藹々皆で刈り取っていく。
「うにゃにゃっ!」
「おおっ! さすが先生! 見事な刈り取りっぷりです!!」
ミゼロイと組んだ織姫も、自慢の鋭い爪でサクサクと刈りご満悦だ。
大きなトラブルも無く皆で稲刈りする事二時間ほど。
綺麗に刈られた田んぼの端に、今度は木で支柱を立てていく。
地面に対して二本の支柱を斜めに立てかけ逆V字型にした土台を等間隔で並べると、そこに横木を渡して簡素なもの干し台のようなモノが出来上がった。
そこに、束にしてあった稲が穂を下にして次々と掛けられていく。”稲架掛け”と言われる、稲を乾燥させる大切な工程である。
「皆さんお疲れ様でした。これで稲刈りは一段落です。このまま二週間くらい干したままにして乾燥させたら、次は脱穀に移ります。その時は又、お手伝いをお願いしますね」
「「「「「はいっ!」」」」」
三十分程度で全ての稲束を干し終えると、勇は再び皆を集めてねぎらいの言葉をかけ、その日は解散となった。
その後も天候にも恵まれ、順調に稲の乾燥は進んでいく。
なお、干している間の稲も鳥に狙われるため、にゃんズによる警戒シフトが組まれていた。
そして二週間後、再び田んぼに集まった面々の前には、見慣れない道具が置かれていた。
「イサム様、これは?」
目の前に置かれた道具に首を傾げながら、フェリクスが勇に尋ねる。
勇と一緒にこの道具を作ったエトとヴィレム以外は、皆一様に困惑した表情だ。
「これは“千歯こき”といって、オリザを脱穀するための道具ですね」
千歯こき――実物を見た事がある者は少ないかもしれないが、小学生の社会の時間でも習うそれは、その独特な言葉の響きも相まって、日本人にとっては知名度の高い道具ではないだろうか。
足が付いた腰の高さ程度の横木に、櫛のように金属製の歯が何本も上向きに生えた、脱穀専用の道具だ。
江戸時代に発明され、脱穀作業の効率を飛躍的に高めたエポックメーキングな逸品である。
「こうやって何本かの稲を手に持って、歯の間を通すことで籾を落とすことが出来るんです」
そう解説しながら、勇が千歯こきで脱穀していく。
稲の向きを変えながら何度か扱くと、稲穂から綺麗に籾が外された。
「麦は叩いて脱穀するんじゃが、オリザはそうではないんじゃのぅ……」
勇が脱穀する様子を見ていた、麦農家の老人が感心している。
「ええ。どうやらオリザのほうが、粒がしっかりくっ付いているようなんですよ。叩いても取れなくは無いですが、麦よりかなり時間がかかります」
「なるほどのぅ」
老人の質問に勇が答える。
勇の言う通り、麦類は穂離れが良いので、叩くだけで割と簡単に脱穀する事が出来る。
逆に千歯こきを使って麦を脱穀しようとすると、派手に飛び散ってしまう。
また、麦の穂には長いひげが生えているので、これが歯に絡まってしまい非常に効率が悪いのだ。
全く同じ理由で、ヨーロッパでも機械化するまでの麦の脱穀は、長年フレイルと呼ばれる二本の棒を紐で繋げた道具で叩く方式であった。
勇にはそこまでの知識は無かったが、千歯こきを試作する中で、麦にも使えないかと試してみた結果、同じ結論に辿り着いていた。
そんな豆知識を披露しながら、二台の千歯こきを使って皆で脱穀を進めていき、昼前に全ての稲穂を脱穀し終えた。
昼食を挟んで午後からは、最も大変な作業である籾殻を外して玄米にする作業――籾摺りに移る。
以前、買ってきたオリザを試食した際は、石臼でやろうとするも粉にしてしまったので、結局杵と臼を使って地道に作業を行った。
その作業があまりにも大変だったため、それから勇は、隙間時間を見つけては地道に籾摺り機の試作を行っていた。
ちなみに現代ではゴムのローラーを使った籾摺り機が普及しているのだが、この世界には当然そんなものは存在しない。
また、勇も籾摺り機の仕組みなど知らないので、石臼をベースにして砕けない工夫をしたものと、杵と臼を使いつつ効率を上げたもの、二つの方向性で開発をしていた。
「まずはこの木臼を使って籾殻を取り除きます」
勇がそう言って皆に見せたのは、石臼を木で作ったものだった。
既存の石臼は重く硬すぎるのと、臼に刻まれた溝が細すぎて粉になってしまったため、それらの改善を図ったのである。
上に設けてある穴から少しだけ籾を入れてゆっくりと木臼のハンドルを回すと、臼の隙間から籾殻と玄米が飛び出してきた。
結構飛び散ったので、慌てて四方を板で囲って再びハンドルを回す。
「まずまず取れとるが、ちぃと砕けとるな」
出てきた籾殻と玄米を見てエトが呟く。
「そうですね。前に買ったものよりこちらの方が粒が大きいからですかね?」
「確かにそんな感じじゃな。どれ、ちょっと溝を広くしてやるか」
勇の言葉を受けて、エトが手早く木臼を分解し、内側に掘られている溝を器用に削っていく。
石臼より耐久性は劣るが加工がしやすいため、こうしてすぐに微調整が出来るのが木臼のメリットだろう。
「どれ、こんなもんじゃろ」
十分ほどで調整を終えたエトは、再び木臼を組み上げるとポンポンとその表面を軽く叩いた。
魔道具職人になる前は家具や小物などを作る職人だったエトの万能さが、なんとも頼もしい。
「おおっ、だいぶ良い感じですね!」
調整した臼で再び挽いた玄米は、先程より砕けるものが減っていた。
「ではこの作業も、皆さん交代でやっていきましょうか」
石臼ほどではないにせよそこそこ力のいる作業だ。何より一度で挽ける量は多くないし、一度で全ての籾殻を取り除くことは出来ない。
何度も繰り返し回す必要があるので、複数人で交代してやっていくのが良いだろう。
しばらく籾摺りをしたところで、勇は並行して分別作業に取り掛かった。
臼で挽いた籾は、玄米と籾殻が混ざった状態になっているので、そこから籾殻を取り除く必要がある。
その作業に勇は、魔法具を使うことにした。
「これは繰風球ですか?」
勇が準備した魔法具を見たアンネマリーが尋ねる。
「うん、籾殻は軽いからね。風を当てて飛ばすのが楽なんだ」
地球でもかつては“唐箕”と呼ばれる、手動で風を起こして分別する道具が使われていた。
動力化された後も、風を使って分別する手法は使われている。
今回は量もそれほど多くないので、唐箕のような大掛かりな道具を作る事まではせず、ブロワー代わりの簡単な魔法具を作っていた。
「じゃあアンネ、俺が魔法具を起動したら、この籾を少しずつ下の桶に落としていってくれる?」
「分かりました」
勇は、籾の入った桶をアンネマリーに渡し、自身はブロワー魔法具を起動させる。
単に風を送るだけの魔法具だが、風量はかなり細かく調整できるようになっているので、この世界基準だとオリジナル魔法具レベルである。
「ではいきますね」
「お願い」
魔法具から風が出ているのを確認したアンネマリーが、桶を傾けて中身を下へと落とす。
「ん~、もうちょい強めかな」
落ちる籾に風を当てながら、勇が風量を調整し、重たい玄米は飛ばさず、軽い籾殻だけを飛ばせる風量を見極めていく。
最初はごく小さな籾殻しか飛ばせなかったのが、何度か調整する事でおおよその籾殻を飛ばせるようになっていた。
原理としては唐箕と同じ作業だ。
粗方籾殻を飛ばし終えると、今度は桶の中の玄米を混ぜ返しながら直接強めの風を当てて、残った籾殻を皿に飛ばしていく。
「これでしたら、風魔法でも良かったのでは?」
綺麗に籾殻が除去されていく玄米を見ながら、アンネマリーが尋ねる。
「今回だけだったらそれでもいいんだけどね。今後領地で広く栽培する事を考えると、誰でも作業出来るようにしたいんだよね」
「ああ、なるほど! そう言う事でしたか」
勇は、自らの領地で広くオリザを栽培する事を考えているので、今から色々な作業の効率化も始めていたのだった。
「うん、こんなもんだね」
数分風を当て続けてすっかり綺麗になった玄米を見て勇が満足そうに頷く。
購入したものと同じ、淡いピンク色をした玄米が、桶のなかで艶々と輝きを放っていた。
「この状態でも食べられるけど、ちょっと癖があるからもうひと手間かけるよ」
玄米で食べれば栄養もあるのだが、やはりちょっと癖がある。
米を食べ慣れた勇なら「こんなもの」だと分かるのだが、食べ慣れていないこの世界の人々に米飯を普及させるなら、白米に近い状態に精米したほうが良いだろう。
「最後はこの道具で、表面の薄い膜を取るんだ」
次に勇が使うのは、石で出来た臼と木製の杵を組み合わせた道具だった。
臼に突っ込まれている杵とは別に、水平方向にも木の棒が伸びており、その先端は大きな箱の中へと繋がっている。
「この箱は、魔動スクーターで使った魔動モーターとほとんど同じものが入っていて、それに連動してこっちの杵が上下する仕組みなんだ」
魔動モーターは、電磁力ではなく風力でローターを直接回すエアモーターのようなものだ。
今回はその回転運動を木の棒に伝えて、木の棒に付いている出っ張りで杵を持ち上げては落とすという、単純な縦方向の動きに変換している。
原理としては杵で玄米を突いて精米するという単純な精米方法で、日本では水車を使って今でも行われている方法だ。
安定的な水量の用水路を確保出来れば、この世界でも魔石を使わず水車が使えるので、それまでの繋ぎや、水量の確保が難しい所で使用すること想定しての魔法具である。
早速魔法具を稼働させると、カコン、カコン、とリズミカルに杵が上下し始めた。
「後はここに玄米を入れておけば、精米されるはずだよ」
そう言って勇が、臼の中にザラザラと玄米を投入した。
原始的な方法なので少々時間はかかるが、単純に稼働時間で精米具合の調整も出来るため、大量に精米しなければあまり問題は無い。
籾ずりも並行して行いながら一時間ほど精米すると、極淡いピンク色に輝く白米が出来上がった。
それを手で掬った勇が笑みを零す。
「うん。これくらい精米できるなら問題無いね。フフフ、今日は収穫祭だな。皆さん、お手伝いありがとうございました! 夕飯は楽しみにしていてくださいね!」
「「「「「はいっ!」」」」」
その後勇は、クラウフェルト家の料理長ギードらと共に、出来立ての新米を炊き、米に合うおかずと共に皆に振舞った。
以前買って来たものは、子爵家の極一部のみにより試食に留まっていたが、今回は騎士団や兵士らにも、少量ながら振舞われている。
好みは分かれるものの、大多数に好評を得たことで、勇はあらためて自領での稲作を心に決めるのだった。
◇
「ひとまずは、戦略作物として作付けしてみようと思います。将来的には、オリザと言えばマツモト領と言われるところを目指すので、この紋章はその宣言みたいなものかもしれませんね」
ひとしきり稲刈りの時の事を思い出し終えた勇が言う。
米はその収穫倍率だけを見れば、麦の十倍以上と非常に優秀だ。
反面、種籾をバラ撒いておけば割と簡単に育つ麦類と比べて、生産の手間が段違いだ。食べるための準備にも手間がかかる。
そのため、単純に麦に置き換えられるようなものではない。
しかし、限りある安全な土地で栽培するのであれば、その優位性を活かすことも可能だ。
ましてや女神の祝福を受けた品種である。地球の米より病気などにも強く、栽培効率も高いはずである。
その辺りも考慮して、マツモト領での稲作は、重要政策として進められていくことになるだろう。
「じゃあこれで紋章は大丈夫だから、次は領都の名前だね」
紋章の確認を終えたセルファースが、当たり前のことのように言う。
「え!?」
その言葉に動きを止める勇。
「え?」
「えええっ!? 今ある街をそのまま使うから、名前もそのままじゃないんですか!?
「いやいやいや、新しい貴族家を興した場合は、それが元からある街であっても新しい名前を付けるんだよ。知らなかったのかい?」
「……知りませんでした」
紋章が必要な事は知っていたが、まさか街の名前まで必要だとは思ってもみなかった勇であった……。
週1~2話更新予定予定。
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