●第216話●忘れていた種籾
事前に訪問する旨の連絡をしていたこともあって、教会は静寂に包まれていた。
こうして人払いをしておかないと、万一また女神様たちからの神託が下ると大騒ぎになるからだ。
元々この世界の教会には定期的な礼拝のようなものは無いし、熱心にお祈りを捧げるような風習は無いため、基本的には空いていた。
が、最近その様子が一変した。織姫絡みのアレコレが原因である。
ご神体の頒布に始まり、コインの頒布、そして紙芝居の実演と、半ば織姫ショップのようになってきたことで、常に人が訪れる場所となってしまったのだ。
中でもこの街の教会は、その教祖たる織姫の神像が祀られているため、文字通り聖地のような扱いになり大盛況である。
ここ最近は、ついに他領からのお伊勢参りならぬ“織姫参り”まで始まってしまった。
一歩町から出れば魔物蔓延るこの世界には、旅行という娯楽は存在しない。
交通事故などとは比べ物にならない高い確率で怪我をしたり、驚くほどあっけなく死に至るためである。
商人や貴族など護衛を付けられる者か、冒険者のように自分でその身を守れるものだけが旅をするのだ。
それが、織姫の神像を見たさに一般的な平民の中に旅をするものが現れた。
最初に仕掛けたのは、クラウフェンダムに出入りする行商人だった。
織姫に人気があることが分かると、自身のキャラバンに一台馬車を追加して、クラウフェンダムへ行きたい者からお金をとって運ぶ商売を始めたのだ。
馬車の追加と護衛を少し増やすのに費用がかかったが、ツアー参加者から取っている費用で利益は十分出る。
商人からしたら、元々かかっている費用に少し追加するだけなのでリスクの無い美味しい商売だった。
そしてそれが大ヒットする。
個人ではとても支払えない護衛費用も、複数人で按分しているので頑張れば支払える金額になったのだ。
それを見た他の行商人が真似をはじめ、ついには一般平民どうしが共同でお金を出し合って巡礼するに至った。
江戸時代にお伊勢参りが空前のブームだった頃に、講と呼ばれる組織でお金を積み立てて順番にお伊勢参りをする仕組みが出来たが、世界が違っても考えることは似ているところが面白い。
そんなわけで人払いをしておいた教会へと、勇たちは足を踏み入れた。
勇がここを訪れたのはアンネマリーと婚約をした時なので、半年以上前になる。
久々に見た教会は、外観こそほとんど変わりがないが、内観は一変していた。
「これはまた……」
「随分と様変わりしましたね……」
「にゃっふぅ」
一歩教会へ足を踏み入れたところで二人と一匹は立ち止まり、思わずそう零す。
青い外壁と対照的な白い内装は基本変わらないのだが、天井と両サイドの壁にあるモノが大きく変わっていた。
天井は一面グラデーションがついた青いタイルのようなもので埋め尽くされている。
そして両サイドの壁面には、元々正面にあったステンドグラスよりも見事な巨大ステンドグラスが設えられていた。
陽光を反射、あるいは通すことで、教会内はまるで波静かな深い海のようにユラユラと揺らめく複雑な青い光で満たされていた。
外見が変わらないと感じたのは、正面から見える部分には手が入っていなかったためだったようだ。
「これはこれはマツモト様にアンネマリー様にオリヒメ様、ようこそいらっしゃいました」
しばし呆然と眺めていた勇たちに、奥から出てきたベネディクトが声を掛けてきた。
最初にあった頃は神官長だったが、今では出世して二階級特進、司教になっているとニコレットからは聞いている。
「ああベネディクトさん。ちょっと来ないうちに随分と様子が変わったのでビックリしましたよ」
「マツモト様は半年ぶりくらいでしたね。皆様のおかげをもちまして本部からの覚えもめでたく、こうしてより大聖堂に近い装いを許していただいております」
相変わらずのアルカイックスマイルで、ベネディクトが答える。
大聖堂と言うのは、この世界の教会の総本部の事だ。
外見はもちろん、内装も真っ青なのだという。
どうやらこの世界の教会は、格が上がるほど内装の青色の割合が増えていくようで、クラウフェンダム教会はベネディクトの出世のみならず教会自体の格も上がっていたらしい。
「して、本日はどういったご用向きでございましょうか?」
「ああ、私の故郷のものに似た穀物の種を手に入れまして。植える前に一度お供えしようと思いまして」
「おお、おお、そうでしたか。それは良き事でございますな。作物との事ですから植物の女神ディアレシス様でございましょうか?」
この教会に祀られている女神は、織姫を除くと三柱。創造神メルティナ、鍛冶の神ブリグライト、そして植物の神ディアレシスだ。
「んーー、豊穣の神様であるメーアトル様がこのオリザを好まれるという話を聞いたので、メーアトル様にお供えしたいのですが、お祀りしてませんからねぇ……」
メーアトルが豊穣を司る神である事は、後から聞いて知ったのだが、米好きなのはさもありなんと勇は納得したものだ。
「それでしたらなおの事ディアレシス様へお供えされるのがよろしいかと。メーアトル様はディアレシス様の妹にあたるお方なのです」
悩む勇に、ベネディクトからそんなプチ女神様情報が伝えられる。
「おお! そうだったんですね。確かに姉妹なら、祈りも伝わりそうな気がしますね」
「ええ、ええ、きっと届きますとも」
「では、ちょっとお供えさせていただきますね」
そう言うと勇は、館から持参した袋から何やら取り出しはじめた。
「マツモト様、それは?」
勇が組み立てているものを見て、思わずベネディクトが尋ねる。
「ああ、これは私の故郷で神様にお供えをするときに使う台を真似て作ったものです」
「ほぅ、お供えをするときの台ですか」
勇が組み立てていたのは、いわゆる“三方”である。
正確な構造は分からないので見様見真似ではあるが、図面を引いてエトに作ってもらったのだ。
ただし、普通の三方とは違う所が一か所あった。
「おや、その穴の形は……?」
「あはは、気付きましたか? そうです、せっかくなので織姫の紋章にしてみたんですよ」
三方の台座には、その名の通り三方向に眼像と呼ばれる穴が開けられている。
通常は瓢箪のような宝珠を模した形なのだが、それを織姫の肉球スタンプの形にしたのだ。
眼像には元々決まった形があるわけではないため、これでも問題は無い。
もっとも勇はそんな事は知らず、単純に織姫も神様だから良いだろう、と思ってのことではあるのだが……。
台座の上に盆を載せると、更に白い紙を敷く。そしてその上に皿を置き、一掴みの種籾を載せてディアレシスの像の前へと供えた。
「ディアレシス様、そしてメーアトル様。大変遅くなりましたが、お言葉の通りオリザの種籾をお供えいたします」
「にゃにゃっふ」
片膝をついて呟くように言葉を捧げる勇。織姫は、そんな勇の肩からひょいと飛び降りると、ディアレシスの像の足下へ駆けよって頬を擦り付けながら目を細めた。
「にゃにゃ。にゃにゃーにゃ」
勇がそのまま瞑目している間も、織姫の会話しているかのような鳴き声が続く。
そして――
『もうもう。久々にぃ、最も若き神に会えたと思ったらぁ、妹宛だなんてぇ、お姉ちゃんちょっとがっかりよぉ』
『ふふ、姉様ぼやかないでください。お久しぶりね一番若き神、そして思い人たる迷い人。待ちくたびれちゃったわ』
二人分の、人のものとは思えぬほど綺麗な声が勇の頭の中に響き渡った。
後から聞こえた鈴を転がしたような澄んだ声色は、以前に聞いたメーアトルのものに違いない。
その声の主が姉と呼ぶ前者、おっとりした声の主がディアレシスのものなのだろう。
声はベネディクトにも聞こえているようで、驚愕の表情のまま固まって動かなくなっていた。
『うん、約束通り種籾をもってきたわね。約束通り祝福してあげる』
『うふふ。私もぉ、少しだけ祝福してあげるわぁ』
嬉しそうに二人の女神がそう言うと、天井から微妙に色の異なる緑色の光の筋が、供えた種籾へと降り注いだ。
それを見たベネディクトの目が、三倍くらいの大きさに見開かれる。
『これでよし。普通に植えれば豊作間違いなしだし、味も折り紙つきよ』
『病気やぁ、悪天候にも負けないしぃ、普通より早く育つからぁ、今から植えても間に合うわよぉ』
『そのかわり、これからオリザをこの世界に広めてね。祝福の効果は一度きりだけど、それから取れた種も普通のオリザよりは美味しいし丈夫だから』
「にゃっにゃ、にゃにゃーん」
『ああ、それとそこな司祭。来年までに私の神像も作っておいてね。そしたらまた来年も祝福を授けられるから』
『でもぉ、よくばってぇ、あまりたくさんの量をお供えしても駄目よぉ。バランスがおかしくなっちゃうからぁ、今くらいの量までよぉ』
「は、はは、はいっっ!!! 不肖ベネディクト、全身全霊を以てお応えいたす所存!!」
『ふふ、よろしく~。じゃあね一番若き神。思い人たる迷い人も美味しいお米をたくさん食べて、広めてね』
そう言い残すと、それきり声が聞こえなくなる。
「今度はディアレシス様までご登場になりましたね」
苦笑しながらアンネマリーが言う。もうこれで何度目か分からない女神からの声掛けなので、アンネマリーもすっかり慣れてしまっていた。
「そうだね。まぁ、ディアレシス様経由でメーアトル様をお呼びしたからねぇ」
同じく慣れっこになった勇は苦笑すると、供えてあった種籾と三方を回収してからベネディクトに声を掛ける。
「あ、ベネディクトさん。メーアトル様の御神像の件、急ですけど問題無いですかね?」
「すっすすすす……」
「す?」
「すすっ、素晴らしいっ!!! ついに女神様よりご神託を仰せつかる事が出来ました! まさに僥倖!! こんな喜ばしい事はございません!!」
勇の問いかけに、ようやく再起動したベネディクトが膝を折り号泣しながら叫んだ。
「マツモト様、御神像の件はこのベネディクトめに全てお任せくださいませ。万事恙無くご立派な神像を普請いたしましょう!」
「あははー、よ、よろしくお願いしますね」
涙でぐちゃぐちゃになった顔で迫ってくるベネディクトに若干引きつつ、勇が再び苦笑する。
「さて、こうしてはおられません。私めはすぐさま神像の普請計画を詰めさせていただきます。ああ、本部にも一報を入れねば。それではマツモト様、オリヒメ様、アンネマリー様、これにて!!」
ベネディクトはそう言い残すと、今まで見た最も速い速度で裏手へと消えていった。
あれだけの速さで動いているというのに、ほどんど上半身が上下していないのは驚嘆に値する。
「……行ってしまわれましたね」
「まぁ、嬉しそうだったし良いんじゃないかな?」
「にゃふぅ」
取り残された勇たちは互いに顔を見合わせ小さく肩をすくめると、神像に一礼をして教会を後にする。
そして教会を出た勇たちは、その足で街の最下層へと向かうのだった。
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