エーファは反溺愛の狼煙を上げる6 選択
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「どうしてそんなに引っ付いてくるのよ」
「いつものことだろう」
どこがいつもだ。
叔父だという薄墨色の竜を回収して転移で戻って来て竜王陛下に報告に行って、家に帰ってから引っ付いて離れてくれないのだからよほどだろう。
ハンネス隊長とエーギルも一緒にドラクロアに帰って来た。ハンネス隊長は局長と仲良くなっていて今度会ったら普通に酒でも飲んでいそうだ。
エーファたちは今は天空城ではなく、ドラクロアの端に住んでいる。温暖で海が見える場所だ。
家の中を見回してふと思う。
エーファの夢はちゃんと叶っていた。相手がスタンリーではなかっただけ。家で愛する人と過ごす。その人とは一緒に死ねることがわかっている。十分に穏やかで静かな時間だ。リヒトシュタインにとってもエーファにとっても人生で初めて落ち着いた時間。
「今回の肉はうまく焼けたと思うんだけど」
「そうだな。魔力操作が安定してきた。少し前まで炭にしていたのにさすがだ」
ブラックボアは一瞬で焼いたとはいえいい焼き加減だった。外はカリッとできた。
「私がスタンリーに会ったのが気に食わないの? それとも叔父様が亡くなったのがこたえてるの?」
「竜でもいずれ死ぬ。叔父はその時期が来ただけのこと」
「そのわりには悲しそうだった」
「もう少し早く礼を言いたかっただけだ。死ぬ間際だと無理矢理感謝しているようで嫌じゃないか」
へぇ、そんなことも竜人は考えるんだ。
「叔父は父に唯一意見ができる竜人だった。父ほどではないが強かったから」
エーファを膝にのせて髪をいじくりながらリヒトシュタインは続ける。
「だが、父は番に出会ってから愚かになった。そして叔父は追放されたわけだ。あれを見ていたから兄も俺も番を求めなかった」
「バスティアン様とは少ししか喋ってないけどいい人だったね」
リヒトシュタインは緊張したり、拗ねたり甘えたりするときはよく引っ付いてくると共に過ごして分かった。恐らくリヒトシュタインは無自覚だろう。なにせこの竜人は親兄弟・親戚に甘えたことがないのだから。彼の生い立ちまで含めて行動を見れば可愛く思えてくるのが不思議だ。
それに、叔父の話は初耳だった。偶然にもリヒトシュタインの叔父はシュミット男爵領とオーバン子爵領の間の山にいて、それを局長が見つけるなんて。しかもスタンリーまでいたなんて。
お互い今日は過去に追いかけられる日だったのだろう。そして過去と決別する日でもあった。
「あの嘘つきで情けない男とは喋ったのか」
「うん、少しね」
髪の毛をいじくりながら、リヒトシュタインはこめかみにキスをしてきた。
「もうとっくにスタンリーのことはどうでもいいし」
「分かっている」
「じゃあそんな気にしなくていいでしょ」
「エーファは虚勢を張るときはやや早口になる」
リヒトシュタインが気にしているようだったからそう口にしたのに、図星だったので彼の手を叩きそうになってやめる。
「腹が立つ」
「何が」
「エーファがあれ如きのせいで数年にわたって傷ついていたことが」
「数年は言い過ぎ。せめて」
数カ月くらい、といいかけたがキスされて言えなかった。
「あれ如きを長らく心に住まわせていたことに腹が立つ」
「ねぇ、普通今日くらいは私を慰めるものなんじゃない?」
「後で一晩中慰めるが」
「それは疲れるから遠慮しとく」
「遠慮などしあう仲ではないだろう。そもそも俺は叔父を亡くしたのだからエーファが俺を慰めるべきじゃないか」
あれ如き、と言われてまぁそうだなと思ってしまったのも不思議だ。
「番が一年待っていて、必ず帰って来るからって言ったらドラクロアの人はみんな待つのかな」
「そもそも一緒に行けばいい。なぜ一人で行かせる必要がある。奪われそうになるなら相手を殺すまで」
この人に聞いてもダメな質問だった。強い者は弱者の立場が分からない。泣く泣くドラクロアに行くと決めた、あの日の私たち三人の気持ちも。いやミレリヤは泣く泣く決めたわけじゃないか。ノリノリでもなかったけどね。
「何を考えている」
「んー、別に。ただ、リヒトシュタインにする質問じゃなかったなと思って」
「気分を害したか」
「ううん。親に頼まれて周囲から強制されたとはいえ、ドラクロアに一旦行くと決めたのは私だから。あれは紛れもなく私の選択だった」
あのパーティーでギデオンを殺していたら良かったのだろうか。あの時のエーファの実力では殺せなかった。でも、もし殺せていたら。今頃リヒトシュタインの膝には乗っていなかっただろう。
「あの嘘つきで情けない男とこういうことはしたのか」
「こういうこと? 膝に乗るとか?」
「口付けだ」
すうっと唇を撫でられて思わず後ろに体をのけぞらせる。
「いや、まぁその……一回だけ」
「嘘ではないようだ」
「本当よ。ドラクロアに行く前の夜に」
「そこまでは聞いていない」
「じゃあ、話題に出さないでよ」
「俺は初めてだった」
「はい?」
また唇を撫でられて困惑しながらリヒトシュタインを見上げる。
「エーファに番紛いを飲まされた時に初めてした」
「あ……うん。そっか」
いつものように面白がる色がないので彼を見上げたまま反応に困り、視線をそらした。じわじわ顔に熱が集まる。
「あんな男より俺の方がいいだろう。口付けもまだな新品の竜人だったのだから」
「新品って。物じゃないんだから」
思わず吹き出してから、あぁリヒトシュタインにはこういうところがあったなと思い出す。
スタンリーに裏切られて虹の谷に行った時も「花と星より俺の方が美しいだろう」なんて言っていた。独特だけれど慰められているのか、リヒトシュタイン流に言えば。
「モテなかったの? リヒトシュタインはモテたでしょ」
天空城にいた時も他からの嫉妬の視線を感じたくらいだ。リヒトシュタインが全く相手にしていなかったので何かされることはなかった。清々しいほどの無視だった。
「病気の母で手いっぱいで女を追いかけまわす暇などない」
「そっか。ごめん」
「謝る必要はない。俺がモテるのは事実だ」
「うわぁ、ナルシスト」
「強い竜人ほど好かれるからな」
ようやくリヒトシュタインは髪をいじるのをやめて、肩に頭をのせてくる。
むき出しの彼の腕には鱗を剥いだ真新しい傷がある。叔父の体を傷つけるのがしのびないからと局長に鱗を剥いであげたからだ。局長は踊り出しそうなくらい喜んでいたが、かなり痛そうだ。今なら治癒魔法を私でも使えるだろうか。そんなことを考えて、リヒトシュタインの傷をつぃとなぞる。
「エーファは過去に戻りたいと思うか」
「そんな手段なんてないから考えない」
「ある」
頭をエーファの肩から離したリヒトシュタインは嘘をついているようには見えなかった。
「過去に戻る方法はある」
「禁忌の魔法でも使うの? それとも竜の秘薬みたいに竜人の特別な魔法があるとか?」
「それが竜の涙だ」
エーファは目を瞬いた。
今日見たあの薄墨色の宝石? 確かに魔力はたっぷり入っていたけれど。