エーファは反溺愛の狼煙を上げる5 最後の再会
いつもお読みいただきありがとうございます!
ブラックボアの子供が何匹かうろちょろしていたので局長と二手に別れて捕獲する。
生まれたてで彼らは動き回っており、恐怖心が薄いのか竜人が側にいてもよく分からずに近付いてしまうようだ。危なっかしすぎる。
何匹か捕獲して氷漬けにして空間に入れ終わったところで気配を感じた。
バッと振り向くと、スタンリーが少し離れたところに立っていた。さすが器用な彼のことだ、認識阻害は完璧。
リヒトシュタインの心臓をもらってから、徐々にエーファの体は変化してきている。今は目だ。鼻もかなり良くなってきているのにここまで気付かせなかったのは、スタンリーの魔法がそれだけ高度だから。彼は派手な攻撃魔法は使えないものの、器用にオールマイティーになんでもこなす。どちらかと言えば前線タイプではなくサポートタイプ。
「エーファ、なのか?」
「そうよ。スタンリー」
久しぶりにかすれた声で彼の名前を呼んだ。ついこの間までずっと一緒にいた幼馴染兼婚約者の名前を。
ヴァルトルトに無事帰国してギデオンを殺してまた出て行って、あれから二年は経っただろうか。スタンリーはあの時よりも精悍な顔つきになっている。以前はもっと穏やかで頼りなさそうな雰囲気だった。エーファはそんなスタンリーが好きだったのだが、あの局長に強制的に鍛えられたのだろう。
スタンリーは確認しておいてさらに戸惑ったような反応を見せる。
手紙のやり取りをしていてもすぐに駆け寄って来た局長がおかしいのだ。普通はこうなる。
「でも、エーファは空間魔法も氷魔法も……」
「何年前の話してるの。ドラクロアで訓練したのよ」
またチマチマ歩いているブラックボアの子供を見つけて、凍らせる。
「でも治癒魔法だけはどうにもできなくて。あれってどうやるの? スタンリーはすぐ習得してたよね」
スタンリーはさらに戸惑った表情をした。
一体、どうしたのか。エーファだと確認できれば疑惑は晴れたのだからそんな挙動をしなくても。わざわざ過去の情報を出したのに。
「何?」
「いや……あまりにエーファが普通だから」
「そお? 急に来ることになったしね。ちょうど竜王陛下に連絡の取れない竜人を探せって言われたばっかりだったからちょうど良かった。どの国にいるかもわからなかったから端から端まで探さないといけないかと」
「怒って攻撃魔法でもぶっ放してくるのかと思った」
過去を蒸し返すわけね。
やや緊張した面持ちのスタンリーに視線を向けた。
「あの時はヴァルトルトに帰って来るのと、ギデオンとの戦闘で精一杯だったから。エミリーさんは元気?」
「妊娠が嘘だったから別れた」
「ふぅん、そうなんだ」
鼻が良くなれば妊娠したかどうかが分かるのは本当だった。
オルタンシアが妊娠した時も香りが変わっていた。エーファは自分の鼻でそれを嗅ぎ分けた。リヒトシュタインやエーギルはこういうことを言っていたのだ。
「あんなに庇ってたようなのに、すぐ別れるんだ」
変なの。周囲の圧力に逆らえなかったと言いながらそんな簡単に別れたのか。エーファとの約束も恐ろしく簡単に破って、エミリーなんちゃらとも簡単に別れるのか。でも、自分を騙していた女性と結婚できないのは当たり前か。
あれ、そう考えるとリヒトシュタインは変態かもしれない。すぐその場でバレるとはいえ騙して番紛いを飲ませたエーファとずっと一緒にいるのだから。ことあるごとに冗談っぽく蒸し返してはくるが。彼は何でもそんな感じだから気にしたことがなかった。
「ずっと、エーファに謝りたかった。俺の自己満足だけど」
こういう風に素直だから付け込まれたのだろう。エーファが何も答えずに花を摘んで冠を作り始めると、スタンリーは勝手に続けた。そのくらい彼の行動パターンは知っている。
「伯爵領を通らせないって脅されても、相手が妊娠したんだから責任取れって言われても、ちゃんと俺は信じるべきだったんだ。エーファは必ず帰って来るって。俺を置いていかないって」
エーファだって圧力をかけられた。家族と国から。
エーファさえ我慢してドラクロアに嫁げば、シュミット男爵領もオーバン子爵領も恩恵を受けるのだと。程度は違ってもスタンリーも一緒か。
「俺が自分を信じられなかった、勇気がなかったせいで……エーファを傷つけた。取り返しのつかないことをしてしまってごめん」
あっという間に花冠は完成した。やや離れた場所で頭を下げるスタンリーのつむじを眺める。
「私は、どうでもいいことに命を懸けない」
ドラクロアから、ギデオンから逃れてヴァルトルトに帰る。そう決めていたのはスタンリーがいたからだ。
「だから、私はあの時本気であなたを愛していた。シュミット男爵領なんて正直どうでも良かった。ここの領民も家族も、どうでも。あなたが待っていてくれればそれで良かった」
頭を上げたスタンリーの体が震える。エーファは作った花冠を自分の頭に乗せてみた。久しぶりに作ったがうまくできたのではないだろうか。
「でも、もう愛してない。愛してるなら今殴ってた。もう何とも思ってないの」
立ち上がってスタンリーがいない方向を振り返る。
逃げのびてきたらしき成体のブラックボアが興奮気味に息を吐いて飛び掛かろうとしていた。こいつは今日の夕飯にしよう。
何の詠唱もなく指を組むと、ゴオッという音と共にブラックボアが燃え上がった。一瞬で絶命させたからのたうち回って火をまき散らすこともない。
火を消して風魔法で解体して空間に入れると、スタンリーはその鮮やかな手際に苦笑していた。
「私たちは周囲の圧力もあってお互い離れた。スタンリーも私も同じ選択をしただけじゃない。国とか領地・家族のために別れた。それが私たちの選択だった。仕方がなかった。私たちは若かったし、今より力がなくて、いろんなものを見捨てて二人で生きていくことができなかった」
小さな家でもいい。平和で穏やかにスタンリーと暮らしていけるんだと思っていた時期があった。そんな小さな夢が叶わないなんて疑ったこともなかった。
「私たちは選択しただけ。もう、そんな日々に囚われて生きることないじゃない。スタンリーもちゃんと幸せになって。ずっと局長にしごかれて書類仕事を代わりにさせられるんだから」
「でも、ずっと俺は後悔すると思う……ごめん」
そうだろうな、スタンリーは優しいから。優柔不断ともいうけど。もう泣いてるし。
「エーファは今、幸せなのか?」
「考えたことなかった。不幸だとは思ってないよ」
「エーファが許してくれるなら……来世でも俺は待ってる」
「私ものすごく長生きするみたいだから、スタンリーが死んで生まれ変わっても私はまだ生きてると思う」
「……その時は会いに行ってもいい?」
「覚えてるんならね」
あ、局長が近付いてくる気配がする。まだ少しばかり離れているから姿は見えない。
「俺は、エーファが魔法の練習でずっと怪我が絶えないのが嫌だった。どうしても治してあげたいと思ったんだ。そしたらある日、治癒魔法が使えた」
局長が現れるだろう方向を見ていたら、スタンリーがそう口にした。治癒魔法の話に戻ったようだ。
「誰かを治したいという強い思いが治癒魔法を発現させるんだと思う。治癒魔法を使える周りに聞いてもきっかけは皆そんな感じだった」
スタンリーは自分の胸のあたりを強くつかんでいる。
「だから……これだけは嘘じゃない。俺はエーファに傷ついて欲しくなかった。エーファだけを助けたかった。あの時の気持ちは、間違いなく愛だった」
「……ありがとう、スタンリー」
我ながら淡泊な返しだ。でも、それしか言えなかった。
エーファとスタンリーは同じように苦しめられて同じ選択をした。相手よりも他を取ったのだ。一年後に帰って来るなんて言って、一時的にでも。エーファだってあの時スタンリーを取っていれば違ったのかもしれない。
それで勝手に傷ついて、今度はリヒトシュタインと命を懸けて選択を繰り返した。今度は世界よりも他よりも、お互いを選択した。
「元気でね。局長に殺されないように」
花冠を頭に乗せたまま、さきほどブラックボアを丸焦げにしたなんて感じさせない足取りでエーファは局長がやって来る方向に向かう。スタンリーとすれ違ったが、彼は立ち尽くしたままでエーファを止めることはなかった。
心臓をもらう前なら、こっそり胸いっぱいに空気を吸い込んだだろう。懐かしい香りを少しでも感じるために。でも、そんな必要もなかった。
ほんの少しの甘い疼きを胸に抱えて、エーファは絶対に振り返らないようにした。それは意地だった。
「泣くなよ、スタンリー。帰ったら泣く暇もないくらい書類仕事をあげるからさ」
「じゃあ……今もっと、泣いておきます」
「まぁどうでもいいけどね。俺はリヒトシュタイン様の鱗をもらったから」
光に当てても漆黒のような色の鱗を局長はとても大切そうに手に持っている。
「あの竜の鱗をもらうんじゃなかったんですか」
「リヒトシュタイン様があのまま体を転移で連れて帰りたいから、自分の鱗で我慢してくれないかと。我慢だなんて! むしろ本望! その場で剥がしてくれたけど、すっごい痛そうだった」
恍惚とした表情で血がついたままの鱗に頬ずりする局長は異様でしかなかった。そのあまりの光景にスタンリーの涙は勝手に止まっていた。
愛していた。大切だった。間違いなく。どこで糸は途切れて、間違えてしまったのだろう。ここまでエーファと歩いて来た道は同じだったのに。
最初のパーティーの時か、それともその夜エーファと一緒に逃げなかったことなのか。エミリーに嵌められた夜なのか。どこでスタンリーは間違ったのか自分でも分からない。
それでもこれは分かっていた。
もう彼女の歩く道と己の道が交わらないであろうことは。
物心ついてからずっと一緒にいた、結婚してずっと一緒にいるものだと思っていた、無鉄砲で頑固で魔法が大好きな女の子はもういなくなってしまった。