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いつもお読みいただきありがとうございます!
ちょっと長めです。
「やっぱり浮いてる! 私、高いところダメなのよ!」
ミレリヤは悲鳴を上げて窓から距離を取る。その動きで馬車がぐらぐらと揺れた。マルティネス様も揺れを感じたのか顔色が悪くなっている。
「マルティネス様と抱き合っておく?」
エーファは冗談で言ったのだが、ミレリヤはなんとその通りにしていた。
「エーファは平気なの?」
「うん。高所恐怖症じゃ魔法省入れないから。風魔法で空を飛ぶこともあるもん」
「あー、確かに。うっ、もう無理。私、義妹に階段から突き落とされてから高いとこは無理!」
ミレリヤはマズイことを口にしながらとうとう目を瞑ってしまった。瞑ったら余計に怖いと思うのだがそれを言うのは野暮だろう。
眼下の景色を見ると、大きなオオカミとトカゲが崖を駆け下りて森の中を走っていた。トカゲはそうでもないが、オオカミは相当な速度だ。あの速度で追いかけられたら魔法で加速していてもエーファはとても逃げきれないだろう。それにあのほぼ垂直の崖を駆け下りて平気なのだ。ギデオン相手に逃げるとなると……思わず拳を握る。魔法を使えるからってエーファは思い上がっていた。獣人相手に勝てる部分がいまだに見つからない。
馬車が大きく揺れた。ミレリヤが悲鳴を上げる。
なんとかバランスを取ったエーファの目の前、正確には馬車の窓から見える向こうを大きな火玉が飛んでいく。
エーファは息を呑んで窓にへばりついた。喉の奥から変な声が漏れそうになる。はるか遠くの空を飛んでいるのは魔物だ。多分、火玉を吐いているところから推測してブラックバード。
「エーファ、もうすぐ着くの?」
「ううん、まだ」
下を見ると、走っているオオカミが上空の馬車に向けて何か口を開けて吠えている。トカゲはオオカミのはるか後方だ。
ええっと、そもそも竜とブラックバードってどっちが強いの? そもそもブラックバードにしては大きくない?
エーファは必死にブラックバードの情報を思い出す。ブラックバードはその名の通り真っ黒な鳥型の魔物だ。高速で空を駆け、火玉を吐く。人間と竜の幼体が大好物。
いやいやいや、この竜はどう見ても成体だ。これで幼体だったら驚きだ。じゃあ狙いはエーファたち三人か。
「まだまだ到着しないから目瞑っといた方がいいよ。結構上空飛んでる」
「うぅ、気持ち悪い~」
魔物が来ていると伝えたらミレリヤがパニックを起こすだろうから黙っておく。エーファは男爵領で魔物を見ているから特に取り乱すこともない。
また大きく馬車が揺れて慌ててエーファはバランスを取る。窓の外を見て「噓でしょ」という言葉を何とか飲み込んだ。魔物が二体に増えている。
着実に近づいて大きくなる姿はブラックバードだ。竜くらい大きさがある。エーファでもあんな大きさのブラックバードは見たことがない、前に見たのはせいぜい鷹くらいの大きさだった。二体が火玉を吹いてくるせいで竜はそれを避けなければならず、馬車が大きく揺れているのだ。
これって挟み撃ちにされたらマズイよね……。オオカミとトカゲは地上だから助けは期待できない。さすがに飛ぶトカゲやオオカミってことはないだろうし、彼らは魔法が使えない。飛べるはずのオシドリは……そもそもどこに行ったのか影も形もない。
ブラックバードがどんどん近付いてくる。竜が氷の風を吹いたが相手は二体で馬車も守らなければいけないせいか相手にかすりもしていない。しかも、二体の後ろにはさらなるブラックバードの姿も見える。
ブラックバードって群れで行動するわけじゃないのに! なんでこんなにいるわけ!?
こちらに向かってくる火玉を見てエーファは慌てて結界魔法を張った。パチンっと途中で向かってくる火玉が弾かれる。
よし、とりあえずかけないよりはマシだから馬車にも結界を張っておこう。というかドラクロアの軍ってここまでは出てこないの? 戦闘部隊あるって言ってたのに! 何、これってドラクロアの入国試験? オシドリ野郎はほんとにどこ行ったのよ!
「エーファ、なんかすごい揺れてるけど……大丈夫なのよね? 落ちたりしないよね?」
ミレリヤは相変わらず目を瞑っている。
ブラックバードたちはエーファが火玉を弾いたせいか、速度を上げて近付いてくる。三体に囲まれたらどのくらい結界が持つかも分からない。エーファの結界の強度はそれほど高くないのだ。魔法省の試験でもそこは指摘されていた。
「ミレリヤ、あのね」
「うん?」
「この馬車、空飛ぶ魔物に襲われてるから」
「は!?」
「だから、私これから馬車の外に出て魔法使うから。私が出たらすぐに扉閉めるの手伝ってくれる?」
「ちょっ、え!?」
ミレリヤが目を開けた。窓の向こうから火玉が向かってきて、バチンと消える。
「ここだと狙いにくいし魔法使えないの。私は風魔法で飛べるから大丈夫。さすがにまだ死にたくないでしょ?」
「で、でも魔物倒すなんて……」
「オシドリ野郎がどこにいるか分からないし、助けが来る気配も今のところない。この白い竜も馬車を守るので手一杯みたいだし。私は魔法省の試験では魔物討伐もあったから大丈夫。いい? すぐに扉と鍵を閉めてね。一応結界は張ってあるからパニックにならなくても大丈夫よ」
ミレリヤが頷く前にエーファはさっさと扉を開けた。強風がごおっと顔に吹きつける。
「閉めて!」
風魔法で足場を作ってすぐに馬車の屋根の上に飛び乗った。
「あんなに大きなブラックバード、見たことない」
男爵領でも魔物討伐をしたが、その時は冒険者たちと一緒だった。スタンリーもいた。魔法省の試験だって先輩方がいざという時のために後方に控えていたし、他の受験者たちと一緒だった。
つまり、エーファは魔物に一人で立ち向かうのは初めてである。
「私、ここで死ぬかも」
お金ってそろそろ男爵領に入ったかな? いや、でもここでエーファが生き延びて今すぐ逃げたらお金が入っていても国に没収されるかも。ギデオンだって追いかけて来るだろうし……。
これまで専門家に何度も相談していて、お金が入ったら父と兄はすぐ治水工事を始めるはずだから、工事が途中まで進んだら大丈夫だろうか。でも工事は年単位だろう。
ドラクロアから逃げて、スタンリーに手紙で知らせて他国を転々としながら何年か待つ? スタンリーのところの領地に罰はいかないだろうか。
今考えなくてもいいことが頭の中をぐるぐる回ってエーファは首を振った。
私ってホントに馬鹿。何を簡単に逃亡できるなんて考えてたんだろう。無計画ってよく言われてたけど、納得するしかない。
落ちないように足場を固定してからエーファは立ち上がった。
もう、さっきのことは後で考えよう。マルティネス様みたいになったらまずいと思ってチャンスは一度きりだと、ここまで隙を見て逃げ出さなかったんだから。助けもどうやら来ないみたいだし。
魔物が二体、そして遅れて一体どんどん近付いてくる。初めて一人で対峙する魔物を目前にしてエーファの気分は高揚した。
ここなら思う存分魔法を使えるよね?