解毒剤4
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ぐずりっぱなしの双子がやっと昼寝をしたので、乳母に任せてミレリヤとともにクロックフォード伯爵家の墓へ向かう。
今日はセレンのお墓参りだ。アザール家の庭で花を見繕って持ってきている。
リヒトシュタインもおらず、アザール家の護衛もいない。飛んでいる鳥はこちらを監視しているのかもしれないが。
エーファから竜の匂いがするせいか皆隠れてしまい、道はとても空いている。
「幼馴染さんのことはもういいの?」
「どうしたの、急に。びっくりした」
急にスタンリーの話を出されてエーファは本当に驚いた。
「ごめん。幼馴染さんのところに戻るために頑張って、でも帰国したら浮気されててどうして殴るくらいしなかったのかなって」
「ミレリヤだってカナンに新しい番ができても殴らないでしょ?」
「うん、だって本当に愛しているわけじゃないから。愛していたらきっと殴るよ」
「あ、うん」
意外な言葉がミレリヤから出た。子供を生むと女性は強くなると聞いたことがあるが……オシドリの番の話をして馬車の中で泣いていたミレリヤはもうどこにもいない。それが悲しくもあり、頼もしくもある。
「どうして早く次の番を見つけないんだろって最近は顔を合わせる度に思ってる。一回見つけてくれればあとは慣れていくだけじゃない? 同時進行で何人もってわけじゃないんだし一人ならいいかって」
「うわぁ、強い」
「強くないよ。エーファの方が強いよ?」
「どうかなぁ、私はスタンリーに関しては疲れちゃっただけだから」
「私は疲れるほどじゃなかったからなぁ。やっぱり愛してないんだろうなぁ」
疲れたという表現は適切だろうか。
番紛いを作るためにコソコソ過ごして、ギデオンにも少しだけ媚を売って、ドラクロアから逃げ出して。
思い返してみれば死ぬかもしれない場面はたくさんあった。それでも帰ったらスタンリーは他の女といた。絶望して疲れるだろう。
エーファが大変な時だったんだからパーティーに出るな、なんて言わない。仕事の付き合いだってあるだろうし。でも、女に陥れられるなんて脇が甘い。
「そういえば、幼馴染さんの浮気相手の名前は?」
「えーと、エミリー・なんちゃら。赤毛の」
姓は後処理をしてくれたエーギルがぽろっと後で教えてくれたはずだが、すぐに出てこない。もうあのことはとんでもなく昔の出来事のようだ。
「赤毛。エミリー。伯爵家の親戚。ねぇ、もしかしてエミリー・セジウィックじゃない?」
「あ、そんな名前をエーギルが言ってたかも」
「もう、エーファってば。その人、魔物対策局の副局長の奥さんの親戚だよ」
「へぇ詳しいね、ミレリヤ」
パーティーに出ているくらいだからどこぞの貴族令嬢だとは思っていた。雰囲気で高位貴族でないことは何となく分かった。侯爵令嬢のセレンのような高位貴族なら見ただけで圧倒的に気品が違うのだ。
「継母と異母妹がこういうの詳しくて延々喋ってたから。それで、確か副局長も元々の婚約を解消して今の奥さんと結婚してたよ。手口が似て……はないけど、状況が似てる」
「えーっと、よく分からないんだけど副局長はグルってこと? スタンリーのこと一番推してたのは副局長だったから」
副局長本人についてはあまり覚えていないが、スタンリーがやたらと副局長の話をしていたのは覚えている。というかスペンサー局長が個性的すぎるのだ。
「うーん……どうかなぁ。気に入って自分の娘の婿にしたいなら分かるんだけど、少し遠い親戚まで使うかな? たとえば副局長が家で幼馴染さんのことを奥さんに話したとして。魔法省に就職ってエリートじゃない。だから奥さんが親戚に情報提供したとか。あの奥さん伯爵家出身だもん。セジウィック家は男爵家。エミリーは後継ぎでも何でもないから良い嫁ぎ先見つけようと思ったら必死かも」
「あぁ、あの年齢で婚約者いなかったら必死かもね」
「パーティーで酔わせてベッドインして翌朝目撃させるって一人じゃできないから。複数人共犯は必要よ。嵌めるならどうやってベッドまで男性運ぶの」
「田舎者にはそんな悪意や手口分かんないから、スタンリーも引っ掛かったってとこかな。そんなのに引っ掛かるってエリートとしてどうかと思う」
「それは言えてる。絶対出世に響いて欲しい」
ミレリヤの言葉にエーファは軽く笑った。
私生活がどれだけ出世に響くのかは知らない。あの局長なら成果さえあげれば大丈夫だと思うが。
クロックフォード伯爵家の墓に到着して、軽く周囲を魔法で掃除する。ミレリヤはヴァルトルトとはあまりに違う墓の形に驚いていた。
「結局、スタンリーは私のこと命を懸けるほど好きじゃなかったのよ。だからあの令嬢に付け込まれた。付け込まれて必死にあがくのかと思ったらそうじゃなかった。私たちはただの幼馴染で小さい頃から婚約してたってだけ。運命の人じゃなかったってことでしょ」
花を飾りながらミレリヤは悲しそうな顔をする。
「魔物対策局の局長は高位貴族だから、局長に泣きついたって良かったのにしてない。あがく必要もない、私はそれだけ軽い存在だったのよ。私がスタンリーに執着して勝手に命を懸けただけで」
「エーファ、あなたの稀有な努力をそんな言い方しないで」
「大丈夫、大丈夫。リヒトシュタインは命を懸けてくれたから。私と同じものを返してくれる人に会えたからちゃんと意味はあったよ」
リヒトシュタインが死のうとした時に、勝手に番紛いを飲ませて一生を捧げたようなものだ。そしてまた巡って、エーファが死にかけた時にリヒトシュタインは命を懸けて心臓をくれた。
結局、すべては番紛いを飲ませたあの時にエーファが始めた物語なんだろうか。あの時の決断が今につながっている。もしかしたらギデオンを拒絶した時からかもしれない。スタンリーとの未来は最初からなかったのか、それともエーファが自分で切ったのか。
「すっごい綺麗な人だったよね、竜人ってみんなあんなに綺麗なの?」
「うん、みんなそう。三日で私の頭と目は狂ったと思う」
「あんな綺麗な人達を毎日見てたらそうなるよね」
風が吹いて飾った花が少し揺れる。二人はなんとなく揃って家のような墓を眺めた。
「マルティネス様は恋人に会えたかな」
「会えたんじゃないかな。待ってくれてない恋人なら嫌だな」
「ふふ、そうだね。ねぇ、マルティネス様。私も今更ですがセレンって呼んでいいですか?」
「セレン、あの日もミレリヤのこと気にしてたよ。会えてないけど何かあったんだろうって」
「妊娠中だったからね。セレン、また私の子供たちもできれば連れてきますね。まだまだぐずるから無理かなぁ。鳥の種類でいえばオシドリなんですけど」
「じゃあ、子供たちも一年おきに番を変えるんだ?」
「私の人間の血が入ってるからどうかなぁ。お義母様はメジロの鳥人でずっと一人の番と添い遂げるから、カナンは一年経ってるのに新しい番を見つけてこないのかも」
「あぁ、血が薄まって習性が若干変わるかもってこと?」
「うん、そうなの。有り得るんだって。でも新しい番を見つけるってわざわざドラクロアに到着してから伝えてきたんなら早く見つけてよって思う」
「言うか言わないかハッキリして欲しいね。言うなら番だと分かってすぐ言っておけば良かったんだし」
二人で墓の前にしばらく座って他愛もない話をして、アザール家にミレリヤを送っていく。
「今日はありがとう。マルティネス様、じゃないや。セレンに挨拶出来て良かった」
「双子も連れていけたらいいよね。むしろセレンの遺骨だけこっちに持ってきた方が早いかも」
エーファは笑ったが、ミレリヤは困惑した表情だ。不謹慎だっただろうか。その割にはミレリヤの視線はエーファではなく屋敷に向いている。
「どうしたの?」
「家が異様に静かだなと思って。カナンは今日仕事だけど、小鳥や使用人が誰かしらパタパタ動き回っているはずなのに」
「解毒剤が完成したからカナンも休みが通常通り取れるようになるよ。最近動けない隊の穴埋めで休みがあまりなかったでしょ」
「うん……ねぇ、エーファ。やっぱり家がおかしい」
リヒトシュタインが来ているわけでもないようだ。気配がしない。
それなのに小鳥の囀りさえ聞こえない、確かにおかしい。エーファは首をかしげた。
その瞬間、赤ん坊の激しい泣き声が聞こえた。