解毒剤2
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浮遊感でエーファは目が覚めた。
「んん?」
「悪い、起きたか」
気付くと腰のあたりにタオルが巻かれている。少し冷たい感触もある。
「血の匂いで起きた」
「あ、ごめん」
「血が染みている。ここは替えておくから着替えてくるといい」
「え、でも」
「俺は母で慣れている」
エーファが着替えて洗って戻って来ると、血がついてしまったシーツやらなにやらはすべて綺麗に替えられていた。
「そこまでしなくていいのに。自分でできるし」
「いいから寝るぞ」
手を引かれてベッドに身を横たえる。
スタンリーとは小さい頃から一緒に眠るのが当たり前だった。今ではリヒトシュタインと同じベッドで眠るのが当たり前になっている。広いベッドだからいくら寝相が悪くても問題ない。
慣れって怖い。
魔法省に就職したら野宿もあるし、そもそもエーファはどこでも寝れるタイプだけれども。スタンリーなんて他人のいびきですぐ起きるから、野宿でちゃんと寝れるんだろうか。つながれた手にリヒトシュタインの体温を感じながら眠りについた。
ちゃぷんと湯の中に足をつける。
「こんなことしなくていいのに」
「温めると痛みが軽減するだろう。毎月腹が痛そうにしている」
「そうかもしれないけど」
「母にもやったことがある」
起きたら起きたで、なぜ足湯をされているのか。
桶の湯の中に入れた足を跪いたリヒトシュタインが揉み始める。エーファはベッドに腰掛けたまま落ち着かないものの仕方なく足を任せた。
足湯とマッサージは気持ちいいが……なぜ急にこんなお姫様扱いをしてくるのだろう。病人扱いだろうか。始まって数日は刺すようにお腹が痛いが、寝込むほどじゃない。気合で動けるが、いつもこの痛みと約一週間が恨めしかった。
「エーファから血の匂いがすると焦る」
「毎月あることでしょ。寝てる間になったのは初めてだから」
竜化の時のようにエーファが血を吐いたと彼は思ったのか。鼻がいいのも考え物だ。
それにしても母親にやっていたというのは本当のようで、昨夜の後処理も今日のマッサージも手際がいい。
ぼんやりとしてされるままだったが湯が温く感じたので身をかがめ、手をつけて魔法で少しばかり熱くした。
視線だけ上げるとちょうどリヒトシュタインの顔が目の前にある。彼の手はエーファの足首あたりをつかんだまま、顔が近づいて来た。
合図もそんな会話も何もないのに、当然のように目を閉じてどちらからともなくキスをする。
慣れって恐ろしい。そもそも足首を掴まれていたので逃げられなかっただけだ。せっかくお姫様か病人扱いされているのに叩くのもよろしくない。お腹も少し痛いし。どうせ叩いたら嬉しそうに「ムードに乗り切れていない」なんて言うのだから。
唇が離れると恥ずかしくなって目をそらした。リヒトシュタインがひっそり笑う気配がする。
さきほどの湯の温度のように生温くて妙に艶めかしい雰囲気になりかけたが、バサバサと開いた窓からカラスが入って来て図太くついっと片足を差し出した。手紙がくくりつけられている。
「ミレリヤかエーギルかな?」
「トカゲだ」
エーファがカラスの足から手紙をほどくと、手を拭いたリヒトシュタインに奪われたので唇を尖らせる。
「今回は役に立つトカゲだ」
「何て書いてあるの?」
「あの粉の解毒剤が完成したと」
「ならもうオルタンシア様は治癒魔法かけなくていいってこと?」
「そうだ、そのように書いてある」
「なら良かった。もう魔力足りなくてフラフラにならなくていいね。私は全然治癒魔法取得できないから。なんであんなに難しいの」
リヒトシュタインの視線が手紙の文字をなぞる。
「そもそも、最近あのオレンジ髪は獣人たちに治癒をかけていないだろう。治癒をかけてもどこかに粉が付着していて吸ったらまた症状が出ていた。そうすると再度治癒をかけないといけない。解毒剤を開発しない限り、ずっと治癒を続けないといけなくなる」
解毒剤の研究班のメンバーも、鳥人以外そして人間などの血が入っていない者たちには遅れて症状が出たと聞いている。セイラーン侵攻時に運よく吸い込まなくても、あの粉が地面や壁に付着していて大気中に舞って吸い込んだのだろう。それで解毒剤の開発が遅れていた。
「そういえば、最近オルタンシア様に会ってない」
「それはそうだ。兄はしつこいからな。あのオレンジはエーファと違って体力がないから発情期でもないのにベッドの住人に」
「ちょっと! 兄の事情なのにどこまで知ってるの」
「匂いで分かる。増えた魔力に慣れる必要もあるのに、兄は一回あたりがねちっこく長いから」
「そんなこと言わなくていいから!」
なんてことを言い出すのか。しかも匂いで全部バレるなんて!
手紙を奪おうと手を伸ばしたが避けられた。
「現場を見ただけだ」
「なっ!」
「何を想像している。兄の口付けの現場を見ただけだ」
「あぁ、そういうこと。わざわざ見なくても」
「あんなところでしているなんて露出狂だ。廊下だった」
それなら不可抗力か。不毛な会話になりそうなので手紙に意識を戻す。
「他に何か書いてある?」
「白いパンテラがエーファに興味を持ったから気をつけろと」
「何、白いパンテラって。パンテラ家?」
「白変種のパンテラは一匹しかいない。体毛などは白いがアルビノとは違って目は黒いはずだ」
「パンテラ家ってマクミラン公爵夫人しか会ったことないよ。誰、それ」
「ユリオス・パンテラという名前だ。全体的に白っぽいからすぐ分かるらしい」
「そもそも会ったこともないのに注意も何も……」
「竜人の番で人間なら注目を浴びやすい。普通なら見るだけにとどめるはずだが、好奇心は猫をも殺す」
そういえば、とエーファは思い出す。ルカリオンがパンテラ家についてどうのこうのと最初に会った時に言っていなかっただろうか。ドラクロアに着いた初日に。
「ねぇ、パンテラ家って何したの? 陛下がいけ好かないとか竜人にたてついたって言ってたけど」
オウカからも何か聞いた気がするが……他のことに必死で重要ではないと感じたので覚えていない。
手紙を放ってカラスを帰し、エーファの足のマッサージを再開しながらリヒトシュタインが口を開いた。
「昔の話だ。竜人が天空城ではなく、まだ地上に住んでいた頃。パンテラ家は驕って竜人の子供を攫って嬲り殺した」
「なんでそんなこと」
「自分たちの方が強いと知らしめるためだ。竜人の子供はそれほど強くないからな」
「子供を選んで攫ってる時点で弱いと思うんだけど……」
「弱い者の考えは分からない。そんなことがあったため何百年経っても竜人がパンテラを許すことはない。ただでさえ出来づらい子供が殺されたんだ。パンテラの子供以外の全員を当時の竜人は報復として殺した。それ以降あの一家は細々と生きながらえていたはずだ」
「落ち目の公爵家って聞いた」
「身体能力は高く頭も良く残忍だ。だが、竜人に嫌われているからパンテラ一族を娶る者はよほどでない限りいない。番だったら仕方なく番う者もいるのだろうが。その点、ジェイソン・マクミランは珍しい、というか狂っている」
「へぇ。まぁ……確かに」
「だからパンテラは一族内で結婚したり、恋愛関係になった人間を連れ帰って来て子を成したりして細々と生きて来た。もちろん人間が番だった者もいただろうが。過去の反省がるのか、あのでかいだけのネコや犬よりはよほど平和的に連れてきていた」
でかいだけのネコはライオン獣人のリオル家のことで、犬はオオカミ獣人のマクミラン家だろうか。
気付いたらリヒトシュタインの指が膝より上に上がって来ていた。くすぐったくて思わず体が跳ねる。
「そんなに恥ずかしがる必要はないだろう。お互いさらけ出して自分が知らないほくろの位置まで知っているのに」
「リヒトシュタインはほくろないでしょ」
「ある。ほらここに」
「わざわざ服脱がなくっていいから!」
のけぞって桶から足が出る。パシャリとリヒトシュタインに湯がかかったが、彼は避ける素振りさえ見せなかった。
「足癖が悪いな」
桶から出た片足を掴まれる。
「ちょっと!」
「こちらの足か」
信じられないことにリヒトシュタインは濡れた足の甲に唇を落とす。
「ひゃあ!」
「色気のない声だ」
「あ、明るいのになんてことを!」
「暗かったらいいのか」
「そういう問題じゃない!」
「そうか? 明るくないと俺のほくろの位置も分からないだろう。人間は夜目がきかない」
「見せなくていいから!」
「俺の背中にしがみつくのに必死で見てなかったのか」
「わざわざほくろの位置なんて見てないし!」
「俺はエーファのほくろの位置を知っているが。足の付け根に二つあるのが」
「言わんでよろしい!」
「エーファの魔力も安定したからいずれ夜目もきくようになってくるだろう。だんだんエーファの体にまた変化が起きる」
今度は唇が滑って足首あたりに口付けられた。足を引き抜こうとしたがビクともしない。
「夜目がきくなら、鱗もまた出る?」
「鱗は魔力が多すぎて体内で衝突して体外に溢れ出る時だけだ。俺の心臓も入れて安定しているからもう出ないだろう」
「そうなんだ」
エーファは話をしながら足を引き抜こうと頑張っているのだが、悔しいことに力の差は歴然だった。
「他には何かある? 金色の目になるとか?」
「なるかもしれない」
「へぇ、素敵かも」
「それは俺の目が素敵だということか」
「竜人の目はみんな金色でしょ」
「ふぅん」
面白くなさそうな声が響いて、今度はエーファの足の指に口付けを落とし始める。
「ねぇ、足にキスしろなんて女王様みたいなこと言ってないから」
「変化してきて耳も良くなるだろう」
「聞いてる?」
「俺の気配もよく分かるようになっているだろう? 前にオレンジ髪に会った時も俺は認識阻害をかけていた。オシドリの家に行った時もだ」
「放してってば。よく分かるようになってきたけどそれは同じ心臓だからじゃないの」
「魔力も安定して増えて、力も強くなって寿命も伸びてくる」
「じゃあ鼻もよくなるってこと?」
「そうだな」
「匂いで全部分かるなんて嫌なんだけど」
「自衛にはいい。兄の機嫌取りにはちょうどいいだろう。苛立っているとか番っていないなんかも匂いで分かるからな」
「ねぇ、いい加減放して」
「細かいところまで匂いをつけておかないといけない」
「散々毎日つけてるでしょ! もう、足が冷える!」
「それはいけないな。その割に顔が赤いが」
「誰のせいよ!」
リヒトシュタインは丁寧にエーファの片足を桶に戻し、温まってからタオルで綺麗に拭いてくれた。
また足を撫でられたので叩こうとしたが「夜に血を吐いていなくて良かった」と言われ、仕方なく拳を握るだけにとどめた。




