解毒剤1
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「はい、これ」
参謀部隊が使っている小屋にふらりと入って来た白髪の男は液体を手にしている。背は高いが、か細い体躯は押されたらぽっきりどこかが折れてしまいそうだ。
「できたのか!」
メフィストが珍しく興奮したように立ち上がった。
「うん」
対する男は興奮と程遠い。むしろ眠そうである。猫背ではあるが、声と喋り方は明らかに若い。
「こちらで預かります。どのくらい飲ませればいいでしょうか」
「スポイトで二滴。舌下に。三十分経って変化がないならもう二滴追加で」
目までかかるほど伸ばした前髪をよけることもせずに、男は近付いたエーギルに液体の入ったビンを渡す。前髪越しに見える目はぼんやりと半分しか開いていない。下手をしたら薬物中毒者にしか見えない。
「これで五十人分はありますね」
「うん。副作用はお腹がゆるくなることくらい」
「量産はすぐできるだろうか」
「うん。今やってる。濾過作業してるから出てきた」
「リオル一族の誰かでまず実験しますか」
「一応、パンテラ家で実験したよ。どうせパンテラの治療は最後の最後じゃん?」
「オルタンシア様の治癒魔法をかけていただく順番ならば、最後はリオル家じゃ」
「わぁ、リオル家よりも上なんだぁ。すごい。何やらかしたの、リオル家。でも、竜人がパンテラ家の者に治癒魔法をかけてくれるわけないから実質意味ないよねぇ。これもぜーんぶご先祖様のせいだよね」
言葉のわりに恨むわけでもなく、どうでも良さそうな反応である。
オルタンシアは魔力量が少ないので一日に数人しか治癒できず、なかなか粉を吸い込んで症状が出た者たちの治療は進んでいない。ずっと竜王陛下の番であるオルタンシアに頼るわけにもいかず、解毒剤の開発を急いでいたところだ。
「解毒剤飲ませたらみんな三十分以内にお腹ピーピーいってた」
「分かった。感謝する」
「いやぁ、面白かった。セイラーンはすっごいものを開発したね。僕は人間の血が入ってるから平気だったけど、これもう少し完成された粉だったらドラクロアはやられてたかも」
ヒョウの獣人ユリオス・パンテラはゆったりとイスに座る。パンテラ公爵邸からここまでやって来ただけで疲れたらしい。この細さと色の白さなら普段ほぼ出歩かない生活をしていることは簡単に分かる。
パンテラ家でも群を抜いた変わり者ユリオス・パンテラ。パンテラ家は竜人に嫌われているため、もともと閉鎖的ではある。その中でも彼は変わり者なのだ。
引きこもりで研究ばかりしているという彼は、珍しい白変種であるが故に目以外は総じて白い。エーギルも名前だけ知っていて今日初めて会った。
セイラーンのあの粉の解毒剤を研究班がなかなか作ることができないため、メフィストが彼のところにも依頼したのだ。メフィストの判断は正しかった。
「こちらの書類にサインを。これで材料費やらなにやらの費用が下ります」
ふぅと疲れた様子のユリオスにエーギルは書類を差し出してから、解毒剤の作製に成功した功労者のためにせめて茶でも入れようと背を向ける。
「ぴえん、痛い」
「紙で切ったのか」
「痛い」
ぴえん、なんて素で言う獣人がいたのか。
エーギルはおかしなところで呆然としかけたが、変わり者のユリオスは本当に痛そうにしている。紙で指先をすぱっと切ったらしい。
「僕の繊細な手がぁ」
こいつは本当にヒョウの獣人だろうか。エーギルは再生能力があるのであんな傷は傷とも呼ばない。一瞬で治る。
「エーギル。傷薬を」
「はい」
本当に必要なんだろうか。ハイエナ獣人のハンネスなら「唾つけときゃ治る」と言いそうなのに。変わり者だし細かい作業をする人物なのだから仕方がないか。
「こちらをどうぞ」
「それ、オオカミ獣人の臭いがする」
エーギルがせっかく差し出した傷薬を拒否されて、思わずポカンとする。
メフィストが近づいてきて、あぁと納得したような声を出した。
「あの生意気な小娘が作ったものだ」
「オオカミ獣人が関わったものなら使わないから。サーシャおばさんのこと知ってるよね? 他の傷薬にして」
「ユリオスよ、これはギデオンを殺した人間の小娘が作った傷薬じゃ」
傷薬はエーファが作ったものだった。ドラクロアを出て行く前に大量にストックを作っていたから。ちなみに、ここには傷薬はそれしかない。
エーギルは「サーシャおばさん」が誰を示すのか、やや遅れて理解した。サーシャ・パンテラはギデオンの母親だ。ジェイソンが無理矢理薬漬けにして結婚相手にした人。
嫌悪にまみれていたユリオスの顔から毒気が抜ける。
「え?」
「お主でもギデオン・マクミランが竜人の番に手を出して死んだことは知っておるじゃろう」
「うん」
「実はな、あれはジェイソン・マクミランがマクミラン公爵家の面子をせめて保とうと流したデマじゃ。ギデオンは人間の番に逃げられ、追いかけてその先で人間に殺された。なぁ、エーギル」
「……はい」
メフィストの黒々とした目は完全に逆らうなと言っていた。機嫌を損ねられると解毒剤を作ってもらえなくなるからだろうか。仕方なく頷く。
ギデオンが死んだことは公表する必要があった。
問題はどうしてギデオンが死んだか、だ。自然死にしては若すぎるし、病死にしては不自然すぎた。そもそもギデオンの遺体は火傷だらけなわけだ。
妻が死んで抜け殻だったジェイソン・マクミランは、そんな状態でも公爵家のことを考えたのだ。人間ごときにオオカミ獣人が負けて殺されたとなっては、今後マクミラン公爵家が周囲から完全に舐められてしまう、と。戦闘部隊の総隊長まで務め、せっかくマクミラン公爵家の名を上げたのに、と。
そしてギデオンが番を間違えたことにした。リオル家のパーティーに参加したせいでタバサとのこともかなり知られていたので、信ぴょう性があった。実は竜人の番だったエーファを自身の番だと間違えたことで、リヒトシュタインにギデオンは殺されたということにドラクロアではなっている。
弱いと認識される人間よりも最強の竜人に殺された方が面子が保てるからだ。ギデオンのことを知っている者からすればデマだと分かるだろうが、セイラーンの侵攻などもあってすでに忘れ去られかけている。
「ほれ、ギデオンの幼馴染じゃったエーギルが言うんじゃ。間違いない」
今度はエーギルにユリオスの嫌悪の視線が向く。
「俺はギデオンに殺されかけました」
「そうじゃそうじゃ。ワシが行ったらエーギルは狂いかけたギデオンに首の骨を折られる寸前じゃった」
「ふぅん。じゃあこれはまだギデオンの番だって時に作ったやつなんだ」
ユリオスの視線が和らいだ。傷薬を受け取って臭いで顔をしかめながらも指先に塗る。
「どうせならジェイソン・マクミランも殺してほしかったなぁ」
「あ奴ならもうすぐ死ぬじゃろうて。シュメオンの教育をなんとか終えたら自殺でもしそうな雰囲気じゃ」
「シュメオンかぁ。ギデオンは鼻持ちならなくて嫌いだったけど、シュメオンはまだ小さいからね」
指先を光にかざしながらユリオスは満足そうだ。
「この傷薬、魔法の気配がする」
「生意気な小娘は魔法が得意じゃ」
「風魔法で薬草を切り刻んでいました」
「へぇ、すごいなぁ。会ってみたいなぁ」
やばい。
エーギルはなぜか本能的にそう感じた。
「竜人の番じゃから難しいじゃろう」
「だよねぇ。あーあ……ん? でもその子は結局ギデオンの番だったってことだよね? じゃなきゃさっきの話おかしいよね。竜人の番なら竜人が攫ってギデオンを殺すかギデオンが竜人には敵わないと引いて終わりでしょ」
「リヒトシュタイン様は番を否定しておるからな。そうじゃの、あの小娘は竜人と恋愛結婚したようなものじゃ」
「最強の竜人に愛された人間かぁ。ますます興味があるなぁ。あーあ、なんで僕のご先祖様は竜人の子供を攫って殺して竜人に逆らおうとしたんだろうなぁ。バカだよね」
「お主、あの小娘に会おうとするでないぞ。恐らく竜人に消し炭にされる」
「僕なら骨も何にも残らないだろうね。でも気になるなぁ。人間なのに竜人と恋愛かぁ。会ってみたいな」
夢見心地で指先を眺めてブツブツ言っているユリオスにエーギルは完全に恐怖を抱いた。
ユリオスの目はここに到着した時と違って完全に開いていた。
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